【再訪】雷原秘匿飛行場(草地航空基地)
大分県豊後高田市
大分県豊後高田市
2022年10月 大分県豊後高田市美和地区を再び訪ねました。戦時下、ここに秘密の海軍航空基地が造られていたのです。1945年、宇佐飛行場が米軍の爆撃を受けたために、代替として、雷原台地に、600m級の滑走路を持つ雷原秘匿飛行場(草地航空基地)が建設されたのです。兵士だけでなく、地域住民や学生らの過酷な労働での完成は、終戦まぎわの1945年8月。練習機が1,2機飛び立っただけだったとのことです。秘密飛行場のため、はっきりとした痕跡は残っていませんが、美和分校(小学校・現在は廃校)の児童による案内板があります。彼らの取り組みで、この飛行場の姿が浮かび上がります。
関連資料
案内板
案内板
滑走路跡中央の道路
美和分校跡
案内板
雷原飛行場滑走路跡
1914年(昭和16)年12月8日に、太平洋戦争が起こりました。そのころ、ここ雷原に飛行場が、作られ始めました。桂陽小学校美和分校付近の田福池から雷の方に向かって東西に約600メートル、幅は40メートルの滑走路ができました。
ちょうどこのあたりが、滑走路の中心にあたります。
飛行場を作るために、昔の高田小学校や桂陽小学校・美和分校の校舎に、兵隊さんたちがかわるがわるとまりこんで、飛行場を作りました。近くの人たちや遠く大田村や中津の人たちも「勤労奉仕」に来ていました。
桂川から、引っ切りなしに石ころを運び上げ滑走路になる部分に広げ、その上に土をのせ上からたたいて固めました。滑走路の近くには、三つの格納庫が建てられました。
飛行場ができてすぐ、1945年(昭和20)年8月15日に戦争が終わったので、練習用の双翼飛行機(赤トンボ)が、1機か2機飛び立っただけだったということです。
わたしたちは、こわい戦争がないようにみんなで平和を守りたいです。
1997年 《美和分校児童会》
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