竜神様の防空壕

大分県大分市御手洗神社

2022年12月 大分県大分市松岡地区を訪ねました。御手洗神社に龍穴と呼ばれる壕があり、戦時下に防空壕として開放されていたとの情報をもらったからです。神社という祈りの場は、避難時の心の支えとなったことでしょう。現在は、安全上の配慮から見学は禁止となっています。

関連資料

鳥居

案内板

由緒

昭和五十七年壬戌三月十四日

御手洗神社式年祭記念

奉納者 成松 佐藤 昻

御手洗神社縁起

氏神御手洗神社は人皇七十三代堀河天皇御宇寬治元年丁卯(一〇八七)二月十七日宇佐八幡宮の御分霊を御勧請し宝祚万歳国家鎮護松岡惣敬社として字山の辻に奉斎いたし後建久四年癸丑(一一九三)二月十六日現在地の字御手洗に再築す此年春日天満二神を合殿となし八月八日字市場に御神幸以後元禄三年まで四九七年間絶ゆることなくその後沙汰止みとなれりその故は此年麻疹大いに流行し身罷る者多きが為ともいひ又神輿の戸次に渡り四日間還幸なき為ともいふ

八幡の神の霊験あらたかなるは深夜に神楽の妙音あり或は神社八丁以内にて白駿馬に打乗る者は必ず落馬すともいひ又御手洗の水とていかなる旱魃にも涸れず霊水と敬し眼病に感応ありといへり春日の神は豊後笠和郷鎮座の御分霊を御勧請申し当初字林の山に祭るその年月日は不詳祭日は二月初卯の日なり天満の神は京都北野より上門前山頭に御働請になり国家鎮護の為祭る御手洗神社はこの三神を祭り世に三社八幡社と奉称す御社殿は宝暦五年乙亥(一七五五)七月二十五日神殿以下を改築し更に文政二年乙卯(一八一九)拝殿を再び改築して今日に至れり

昭和二十年乙酉(一九四五)八月十五日太平洋戦争終結せしも国家村落疲弊し祭事も意にまかせず衰微甚だしく近年に至り漸く復興し祭典年毎に盛大に赴く偶ゝ本年は三十三年の式年祭に当る御創建以来八九五年を閲す時に佐藤昻氏これを記念し神社の緑起を録し永く千載の形見とするものなり

宮司 豊岡 繁 撰文

案内板

八方除の北辰大明神


本殿裏の三つ穴「龍穴」は、本社建立(平安時代末期)より遥か以前、社殿を持たない原始神道の信仰(磐座信仰等)を現在に伝えており、北極星・北斗七星を神格化した神「北辰大明神」を拝す為の神聖な遥拝所・祭祀場とされています。また龍穴は「龍神の棲まう処」とも考えられて います。

北辰信仰

龍穴の北辰大明神は『方位方角、運命を司る神』として古来より信仰されてきましたが、近年では『八方除・星祭・金神除(方位除)・運気隆昌』の御利益を求め参拝される方が年々増加しています。

詳しくは社頭の由緒書をご覧下さい


奥宮の龍穴

関連地図(国土地理院)

関連動画

前編

後編