西南戦争・勤皇臼杵隊の碑

大分県臼杵市護国神社

関連資料

2021年8月 大分県臼杵市を訪ねました。観光名所となっている臼杵城跡。ここに護国神社があります。そして、この神社に西南戦争の勤皇臼杵隊の碑があります。大日本帝国軍の戦争のあり方の、いわば、テンプレートともなった西南戦争。太平洋戦争においても、例えば、沖縄では鉄血勤皇隊が組織されました。の碑は、そんな時代の始まりを語ってくれます。

臼杵市

碑文

護国神社

碑文

明治十年六月一日軍三千臼杵ニ迫ル 〇回杵藩士八百之ヲ邀撃シテ利アラス 死スル者四十三 當時薩将西郷ノ勢望天下ヲ壓シ 人皆歸趣ニ迷フノ時 臼杵藩士ハ克ク順逆ヲ誤ラズ 必死ヲ期シテ寡以テ衆ニ敵ス 其ノ勤皇ノ精神ト悲壮ノ決意トハ炳乎鬼神ヲ哭カシム 郷黨ノ有志時勢ニ鑑ル所アリ 茲ニ碑ヲ建テ以テ其ノ忠烈ヲ後昆ニ貽サントス

昭和十七年六月

臼杵隊義戰顯彰會

戰死者 片切八三郎


解説

明治十年 六月一日 薩軍三千 臼杵に迫る

〇回杵藩士八百 之を邀撃(1) して利(2) あらす 死する者四十三

當時(3) 薩将西郷の勢望(4)  天下を壓し(5)  人皆歸趣(6) に迷ふの時 臼杵藩士は克く順逆(7) を誤らず 必死を期して 寡以て衆に敵す(8)

其の勤皇の精神と悲壮の決意とは炳乎(9) 鬼神を哭かしむ(10)

郷黨(11) の有志 時勢に鑑る所あり 茲に碑を建て以て其の忠烈を後昆(12) に貽さん(13) とす

昭和十七年 六月

臼杵隊義戰(14) 顯彰(15) 會

戰死者 片切八三郎

遺腹(16)  中根貞彦 撰竝書


(1) ようげき。敵を迎え撃つこと

(2) 勝ち目。勝利。「戦い-あらず」

(3)とうじ。その頃

(4) せいぼう。権力と人望

(5) あつし。押さえつける。圧倒する

(6)きしゅ。行きつく所。落ち着く所

(7) 正しい順序と逆の順序。道理に従うことと背くこと

(8) 少人数で大人数に挑むこと。参照:『寡は衆に敵すべからず』※『孟子』梁惠王上傳より

(9) へいこ。明らかなさま。光り輝くさま

(10) 人々を深く感動させること

(11) きょうとう。郷里を同じくする仲間?

(12) こうこん。後世。子孫

(13) のこさん

(14) 正義を守るための戦

(15) けんしょう。広く世間に知らせ表彰すること

(16)いふく。父親の死後生まれた子ども

関連地図

GoogleMapより

関連動画(臼杵)

母達の慰霊碑

秘匿飛行場

巨大民間防空壕

二王座地区防空壕