山崎練兵場跡地

熊本県熊本市新市街

20245月 熊本県熊本市を訪ねました。戦時下の熊本市は軍都と呼ばれるほど、軍の施設や部隊が多く、その影響下にありました。熊本城の付近には兵を鍛錬する広大な練兵場がありました。山崎練兵場です。熊本城に明治21年に組織された第6師団の司令部が置かれました。その城下が山崎地区です。いわば熊本の中央部に練兵場があったのです。地元民も歓迎していたのですが、明治末期には、練兵場があるために上下水道などのインフラの整備が困難になりました。そこで、当時の市長・辛島格(からしまいたる)が軍部と交渉、明治33年(1903年)に、練兵場を他の場所(渡鹿)に移転することになりました。この跡地が新市街となり、大発展を遂げたのです。その象徴となる建物(早野ビル)は、熊本初の貸しビルとして大正13年に建てられました。現在も登録有形文化財として現役のビルとして稼働しながら残されています。また、地名も「辛島町」「花畑町」などの名がつけられ、美しい市街地となっています。「練兵町」「山崎町」という名も残っています。また辛島市長の碑も建てられました。

関連資料

緑と共存するビル

早野ビル

ビルの植栽

関連地図(googlemap)