住吉神社の忠霊碑

大分市大在駅隣接

2023年3月、大分市大在地区を訪ねました。大在地区は陸軍の工場が置かれた場所です。その物流拠点は、もちろん大在駅。そこに隣接する住吉神社に忠霊碑が残されています。これは、大正15年の建立。つまり、日清日露、第一次大戦を勝利し、世界の強国と自覚し始めるころです。当時の神社は、国のあり方を示す集会所でもありました。この碑を見た子ども達は、国民皆兵、兵士へと育っていったのです。

関連資料

扁額

神社碑

碑文

朝鮮京城住吉神社氏子寄為在記念新建萃表以報神明之加護也久矣大正年十一月謀諸故神職佐藤文彦君月次資蓄積以竢時同七十二月属神職佐藤馨大在村長藤治等諸君起工督本年四月落成矣小川勝平君謁余文且曰表成於在者之誠意欄額文字亦要在者之揮毫而亦同藩崎出身也乞選之余乃就朝鮮總督府政務總監正三位勲一等山縣伊三郎公而請焉欄間所掲是也在鮮氏子等敬神郷之心深且厚寔可感矣此可謂之不諼其本者也記以存不朽

大正八年己未五月 李王職嘱託成碩内謹識

解説

朝鮮京城(けいじょう)住吉神社[1]氏子寄為在記念[2]新建萃表以報神明之加護也

久矣[3]大正[4]11月 謀諸故神職佐藤文彦君 月次[5]資蓄積以竢[6]時同712月 属神職佐藤馨 大在村長藤治等諸君 起工[7]

本年4月落成矣 小川勝平君謁余文 且曰表成於在[8]之誠意欄額文字亦要在者之揮毫 而亦同藩崎出身也 乞選之余乃就朝鮮総督府[9]政務総監正三位勲一等山縣伊三郎公[10] 而請焉欄間所掲是也 在鮮氏子等敬神郷之心深且厚寔 可感矣此可謂之不諼[11]其本者也 記以存不朽

大正8年[12]己未(つちのとひつじ)5月 李王職[13]嘱託成碩内謹識



[1] 京城(現在のソウル)にあった神社のことではないかと考えられるが、詳細がわからない。大正8年に創立が命じられ大正14年に創建された「朝鮮神宮」のことか?あるいは、明治31年に同じく現在のソウルに建てられた「京城神社」のことか?漢文の内容が分からない部分があり、詳細不明である。また、「住吉神社」とあるが、住吉神社の祭神は住吉三神と神功皇后。上記の朝鮮神宮と京城神社はどちらも住吉神社に該当する祭神は祀られていないようである

[2] 漢字の読み取り不明。できるだけ近い形のものとしてここでは「よろこぶ」という意味の漢字を挿入したが、文脈的に正しいかはわからない

[3] 置き字の「矣」だろうか?

[4] 漢字不鮮明で大正元年もしくは大正九年に見えるが、この碑の最後に大正八年との記載があるためここでは大正元年とした※大正元年は西暦1912年

[5] 漢字不鮮明だが、ここでは「お金を出し合う」という意味の醵(キョ)という漢字を挿入した

[6] まつ。待つ

[7] とうくう。監督すること

[8] 在鮮者とは、当時朝鮮半島に居住していた人たち、もしくは日本から朝鮮半島に移住した人などのことを指しているのだろうか?詳細不明

[9] 明治43(1910)年に韓国は日本に併合されたが、それ以降昭和20(1945)年までの期間韓国に設置された統治機関のこと

[10] やまがたいさぶろう。初代朝鮮総督府政務総監

[11] けん。偽る、だますなどの意味を持つ漢字

[12] 西暦1919年

[13] りおうしき。日本による統治下で朝鮮に置かれた宮内省の外局

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