重光葵の家

大分県杵築市

2021年10月 杵築市を訪ねました。ここには、重光葵の家があるのです。彼は昭和の外務大臣、終戦後、アメリカ戦艦ミズーリ号船上で『ポツダム宣言』受諾の降伏文書に記した人物です。ちなみに、梅津 美治郎(うめづ よしじろう)中津市出身とともに調印式に臨みました。重光は明治20年(1887)に、大野郡三重町(現豊後大野市)に士族の次男として生まれ、3歳の時に父の実家の杵築に移住し、少年期のほとんどを杵築で過ごしました。その家が残っています。「無迹庵(むせきあん)」と名付けられた家は、資料館にもなっています。

関連資料

杵築市

重光邸

重光邸

重光葵

展示

重光邸

降伏文書署名

梅津美治郎

関連地図

GoogleMapより