隈庄飛行場の「碧空に祈る」碑

熊本県熊本市城南町舞原地区

2021年12月 熊本県熊本市城南町を訪ねました。ここには、かつて、陸軍の隈庄(くまのしょう)飛行場がありました。周辺市町村の沢山の人達が連日勤労奉仕作業に汗を流してつくられたのです。まず1941年(和16年)6月、大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊が開設され、のちには、第110戦隊の基地になり、爆撃機「飛龍」を中心とする攻撃の拠点となりました。沖縄戦へも多くが飛び立ち、若者が散りました。その跡地現在は火の君文化センターに碑が建立されています。「碧空に祈る」碑です

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火の君文化センター

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「碧空に祈る」碑

「碧空に祈る」碑

「碧空に祈る」碑

「碧空に祈る」碑

「碧空に祈る」碑

碑文

隈庄飛行場は昭和十四年(一九三九年)から建設が始まり、現城南町をはじめ周辺市町村の沢山の人達が連日勤労奉仕作業に汗を流してつくられた。昭和一六年六月、大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊が開設され、以来四年間に将校学生、下士官学生、少年飛行兵、特別操縦見習士官、特別幹部候補生の約壱千名のパイロットが巣立ち、各戦隊に配属され陸軍航空の中堅として活躍し、多くの若者達が大空に散華した。又近隣の町村から多数の男女が軍属として勤務した。戦局の推移に伴い飛行場は更に拡張整備され、実戦体勢に入り昭和二十年四月、教育隊は移転しかわって飛行第百十戦隊の基地となった。この戦隊は最新鋭重爆撃機飛龍で編成された陸軍爆撃隊の中核部隊で連夜沖縄作戦に出撃して多くの若者達が還らぬ人となった。然し戦いは好転せず、ついに昭和二十年八月十五日終戦を迎えた。戦後五十数年を経過してこの飛行場跡は、大部分は農地に解放され、工場、住宅団地、県の諸施設、町の体育施設や文化センターがつくられ、今や町の新しい活力の源泉地として変貌しつつある。かつて若者たちが大空の青春の夢を託し、或は祖国の防衛に挺身したこの飛行場が昭和の波乱を生きた歴史の一頁として後世に語り継がれることを願い万世の大平と若者達の鎮魂を祈念してここに「碧空に祈る」の碑を建立するものである。

平成九年七月吉日 大刀洗陸軍飛行学校隈庄教育隊会 陸軍飛行第百十戦隊会


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