吉弘神社の忠魂

大分県別府市吉弘神社

2022年10月 大分県別府市を訪ねました。吉弘神社に忠魂碑があります。忠魂碑は日清戦争以来の戦没者のための碑です。戦後、GHQから忠魂は国家主義的であると撤去されました。吉弘神社の碑は大正11年の建立です。つまり、撤去の命令を潜り抜けてきたのです。私たちは、イデオロギーではなく、戦争の足跡を語ってくれる貴重な碑であるととらえ、訪ねています。

関連資料

鳥居

碑の裏面

碑文

下馬松碑〇記

吉弘公 桐前祠有老松一株枝幹盤屈掩蔽数十武相傅人騎而過其下輒有崇焉故雖國君到松下則下馬而行遂有下馬招之稱星移物換老松一〇遭人翦伐㜶留枯根有年於茲〇草木雖霊亦自䏌定数〇頃日有志胥謀改行公祠大分縣知事田中〇千里慨名勝歸湮滅親操犂鋤種稚松一本以存其〇〇實大正十一年一月二十一日也余〇其樂為立石題俳句一首又記其由以勒碑陰六

大正十一季五月 從四位勲五等林 市蔵撰文

磯野惟秋書月

解説

下馬松碑〇記

吉弘公祠前〇有老松一株 枝幹盤屈 (※1)掩蔽 (※2)数十武相傅 (※3)人騎而 (※4)過其下輒 (※5)有崇焉故雖 (※6)国君到松下則 (※7)下馬而行遂有下馬招之称星移物換老松一〇遭人翦伐㜶 (※8)留枯根有年於茲〇草木雖霊亦 (※9)自䏌定数〇頃日 有志胥謀 (※10)改行公祠 大分縣知事田中〇千里 慨名勝 (※11)帰湮滅 (※12)親操犂鋤 (※13)種稚松一本 以存其〇〇實大正11年1月21日也 余〇其樂為立石題俳句一首又記其由以勒碑 (※14)〇六

大正11季5月 従四位勲五等 林 市蔵 撰文 (※15)

磯野惟秋書月

※1ばんくつ。曲がりくねること

※2えんぺい。覆い隠すこと

※3かしずく。かしずき。かしずくこと

※4漢文における接続助詞?(置き字?)

※5すなわち。忽ち

※6いえども。逆接の接続詞

※7すなわち

※8はん。相手などの意味。漢字の読み取り間違いかもしれない

※9また

※10あいはかる。

※11めいしょう。景観の良い土地。文化財の種類のひとつ

※12いんめつ。きれいさっぱり消え去ること

※13りじょ。すきのこと。農具のこと

※14ろくひ。碑に刻むこと

※15せんぶん。碑文などの文章を作成すること

説明板

別府市指定有形文化財

昭和47年5月10日指定

吉弘統幸墓

社殿の裏手にある板碑型の墓碑は、慶長5年(1600)9月13日に行われた石垣原合戦で戦死した大友方の武将、吉弘統幸の墓といわれています。

墓は総高1.85mで、頭部は丸く加工され、前面は平滑に削り、額部の突出があるなど板碑の形式を踏まえた様子が伺えます。刻銘は確認することができません。

近くにある石殿は、吉弘統幸の二男正久が仕えた細川氏が建立したもので、正面の屋根の棟には吉弘氏の家紋が刻まれ、裏側の屋根の棟には細川氏の九曜紋が刻まれています。

別府市

※画像の説明文:江戸時代後期に描かれた吉弘統幸墓『鶴見七湯廼記』(大分県立歷史博物藏) 吉弘統幸(宝泉寺蔵)


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