山浦小学校の質実剛健碑

杵築市山香・山浦神社

2022年10月、大分県杵築市を訪ねました。山香の山浦小学校跡に「質実剛健」と刻んだ碑があります。現在は山香こども園・山浦分園。これは、昭和4年11月10日 御大典紀念の建立です。御大典とは天皇即位の行事のことです。当時、天皇は軍の大元帥(最高司令官)でした。大きな戦争への道を歩む時代、軍部による軍事教育が激しくなるころ、この碑は建てられたのです。

関連資料

碑と私

校舎

功績碑

経緯標柱

碑文

岩尾萬藏君頌徳碑

碑文

君ハ明治二十一年七月十二日山浦村字本篠ニ生ル資性温厚ニシテ謙譲親ニ事ヘテ孝少キ時不幸相襲ギ家極メテ貧シ君ハ此ノ衰頽セル家政ヲ挽回セント欲シ二十一歳ノ夏敢然大志ヲ抱キ大阪ニ出テ或ハ職工ニ或ハ賣子ニ具ニ辛酸ヲ嘗メ後箕面電鐵會社構内新聞販賣ノ権利ヲ獲得セリ此ノ間能ク困苦缺乏ニ堪ヘ勤儉力行三十餘年今尚阪急構内ノ營業所ニ終日營々トシテ新聞雑誌ノ販賣ニ〇〇温ル暇ナシ現今大阪實業界ニ於テ其ノ贏チ得ケル信用ト巨萬ノ富盖シ偶然ニアラズ而モ公益ノ為メ財ヲ吝マズ昭和七年本村御真影奉安殿建築費トシテ一千円同十一年小學校改築費トシテ五千円更ニ同年小學校基本財産トシテ山林時價四千円合計壱萬圓也ヲ寄付セリ之ガ為メ昭和十二年八月三日賞勲局總裁ヨリ紺綬褒章ヲ賜ハル

惟フニ君ハ方今稀ニ見ル成功者ニシテ洵ニ青年ノ亀鑑ナリ茲ニ村會ノ議決ニヨリ記念ノ碑ヲ建テ之レヲ不朽ニ傳フ

昭和十六年十月

撰文山浦村長糸永政治

解説

岩尾万蔵君 頌徳 (※1)碑

碑文

君は明治21年 (※2)7月12日 山浦村字本篠に生る

資性温厚にして 謙譲親に事(つか)へて孝少き時 不幸相襲(あいつ?)ぎ家極めて貧し

君は此の衰頽(すいたい)せる家政を挽回せんと欲し 21歳の夏敢然 (※3)大志を抱き大阪に出て 或は職工に 或は売子に 具(つぶさ)に辛酸を嘗め後 箕面電鉄会社 (※4)構内新聞販売の権利を獲得せり

此の間能く困苦欠乏に堪へ 勤倹力行 (※5)30余年 今尚阪急構内の営業所に終日営々と (※6)して新聞雑誌の販売に〇〇温る暇なし

現今 (※7)大阪実業界に於て其の贏(か?)ち得ける信用と巨万の富盖し (※8)偶然にあらず

而も公益の為め財を吝(おし)まず 昭和7年本村御真影 (※9)奉安殿建築費として1,000円 同11年小学校改築費として5,000円 更に同年小学校基本財産として山林時価4,000円 合計10,000円也を寄付せり 之が為め昭和12年8月3日 賞勲局総裁より紺綬褒章(こんじゅほうしょう)を賜はる

惟(おも)ふに君は方今 (※10)稀に見る成功者にして 洵(まこと)に青年の亀鑑 (※11)なり

茲に村会の議決により記念の碑を建て 之れを不朽に伝ふ

昭和16年10月

撰文 山浦村長 糸永政治

※1しょうとく。徳を褒めたたえること

  ※2西暦1888年

  ※3危険などを承知の上で思い切って

  ※4 1907年設立の箕面有馬電気軌道(みのおありまでんききどう)※現在は阪急阪神ホールディングスに統   合・・・のことではないかと考えられるが詳細不明

  ※5きんけんりっこう。仕事などに頑張って励むこと

  ※6えいえいと。仕事などにこつこつと励むさま

  ※7げんこん。今現在

  ※8けだし。思うに

  ※9ごしんえい。天皇の写真や肖像画などを敬って呼ぶときの言葉

  ※10ほうこん。現在のこと

  ※11きかん。手本となる存在

関連地図