徴発されたの二宮金次郎像

大分県宇佐市熊野神社

2022年11月 大分県宇佐市を訪ねました。熊野神社に二宮金次郎像が残されています。この像は全国の小学校に設置されました。戦時中は奉安殿と金次郎像がどこの学校でも見られたのです。陸軍の山縣有朋もこの設置を進めた一人です。造られたのは日露戦争後や皇紀2600(1940)年がピークでした。日本が戦争へ向かい始めたころです。軍事予算は増大します。日本は不景気に突入し、人々の暮らしが困窮し始めます。金次郎その人は質素倹約、努力家です。しかし、軍部や政府により、軍事利用され、生活において我慢をする模範とされました。皮肉なことに銅製の像は太平洋戦争末期に金属類として供出されます。石像やコンクリート製のものなどが残っているのです。また、戦後、復旧された像もあります。これは、押し付けではなく、学校としての自発的な像で、新たなスタートとして建立されたものです。熊野神社の像は昭和17(1942)年に地域の人が金婚式記念に寄贈したものです。しかし、昭和19年4月に徴発されました。つまり銅像だったのです。それを昭和43年に再建したのです。翻弄された二宮金次郎像の様子がうかがえます。

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台座碑文

神社

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