明治天皇行在所

熊本県熊本市一新幼稚園

2022年12月 熊本県熊本市を訪ねました。一新幼稚園に明治天皇行在所碑が残されています。明治天皇は明治35年熊本を訪れました。陸軍特別大演習の統監が目的です。ここには江戸時代、肥後藩の迎賓館であった「御客屋」が存在しました。軍艦奉行だった勝海舟と坂本龍馬が横井小楠の教えを請うために来熊した際、宿泊した施設で、明治に入ると1871年(明治4年)に実学党が経営する学校「会輔堂」となったのです。子ども達への忠君教育の時代を語る貴重な碑(昭和4年つまり満州事変の2年前の8月建立)です。

関連資料

案内柱

案内柱

明治天皇行在所

明治天皇は、明治5年 (※1)の西国御巡幸の際熊本に立寄られ、当時この地にあった学校「会輔堂」に宿泊されました。

熊本藩が献上した軍艦「竜驤」に乗艦された天皇は、6月17日寄港先の長崎を出港され 日進・春日などの6艦を従えて夕刻に小島沖に停泊、その夜は小島(旧細川藩の御旅所)に宿泊されました。

翌18日は従者約100名と共に新町へ入られ、19日に医学校・洋学校・鎮西鎮台・水前寺成趣園などを視察されています。

この会輔堂には2晩滞在され 肥後の古器物・古書・古刀剣を御覧になったり 南関素麺・阿蘇人参・山鹿灯籠などの献上を受けられたといいます。

20日は二本木の白川県庁に立ち寄られたあと、夕刻に小島の行在所に到着、深夜竜驤に乗艦され鹿児島に向けて出発されました。

なおこの時、当時の参議西郷隆盛は供奉長として同行し諸般の指揮を執っていました。

碑文

〇徳

陸軍大将大勲位彰仁親王〇〇

〇〇〇興〇以乏〇狩數次 聖化雍衆〇謳歌王者盛典〇以加〇如〇西陲以明治五年六月駐 〇熊本三日以奮藩賓館〇〇〇〇老幼〇〇〇親齒簿有〇征〇者爾来國運益識餘光及外 皇威之隆〇見無比也曩設一新小學校也〇地於 行在所之〇址経濟濟生徒日昇其校永得仰當時之養成〇愛之氣象是 所使然也古人懐其〇〇〇〇〇〇〇〇〇聖徳之所駐民〇〇〇〇者也〇〇〇〇〇建碑〇其境域〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇聖徳之〇〇也〇〇

皇威隆〇 國平民寧 聖〇〇〇

明治三十年九月建 熊本市長〇〇 〇謹撰

肥前 中林隆〇謹書


解説

〇徳

陸軍大将大勲位 彰仁親王[1]〇〇

〇〇〇興〇以乏〇狩数次[2] 聖化雍衆〇謳歌王者盛典〇以加〇如〇西陲[3]以明治5年[4]6月駐 〇熊本3日以奮藩賓館〇〇〇〇老幼〇〇〇親歯簿有〇征〇者爾来(じらい)国運益識余光及外 皇威之隆〇見無比也曩設一新小学校也 〇地於 行在所之〇址経濟濟生徒日昇其校永得仰当時之養成〇愛之気象是 所使然也 古人懐其〇〇〇〇〇〇〇〇〇聖徳之所駐民〇〇〇〇者也〇〇〇〇〇建碑〇其境域〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇聖徳之〇〇也〇〇

皇威隆〇 国平民寧 聖〇〇〇

明治33[5]9月建 熊本市長〇〇 〇謹撰

肥前 中林隆〇謹書



[1]明治23年に陸軍大将に任命された小松宮彰仁親王(元帥陸軍大将大勲位功二級)という人物がいるようだがその人物のことだろうか?それとも全く別の人物だろうか?文字識別困難のため詳細不明

[2] すうじ。数回

[3] せいすい。西の果てのこと

[4] 西暦1872年

[5] 漢字不鮮明のため明治33年か35年か識別困難。明治33年の場合西暦1900年


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