明治天皇臨幸碑

熊本県熊本市小島小学校

2022年10月 熊本県熊本市を訪ねました。市立小島(おしま)小学校に明治天皇臨幸碑が残されています。明治天皇は明治5年6月17日に船で熊本を訪れ、百貫港に錨を下ろし、小艇で川を上り、ここに上陸したのです。西郷隆盛も一緒でした。熊本を20日に旅立ち、鹿児島へと向かったのです。その碑がここに残されているのです。戦時下での天皇の行幸は「忠君愛国」を根付かせる役目も果たしました。この碑が建立されたのは、昭和6年。つまり、半世紀以上後のことです。この年、満州事変、熊本大演習が行われています。

関連資料

小島小門柱

と私

碑文

明治天皇坐乗シ給フ所ノ軍艦龍驤日進以下ノ艨艟ヲ率ヰテ長崎ヲ發シ薄暮錨ヲ小島ノ海ニ投ス 天皇乃チ汽船野母丸ニ移御更ニ河口ニ於テ小艇ニ駕シテ以テ水流ヲ遡リ舟ヲ此ノ處ニ棄テ直ニ行宮ニ入リ給フ實ニ明治五年六月十七日ナリ越エテ翌日錦旗ヲ熊本市新町行在所ニ遷シ給ヒ各地臨幸ノ後二十日午後還御其ノ夜鹿兒島ニ向ハセラル而シテ當時ノ行宮ハ今尚碑ヲ距ル町餘ニ在リ曩ニ史蹟ニ指定セラレ諸事亦本會編纂スル所ノ行幸誌ニ詳ナリ故ニ茲ニハ敢テ贅セスト云爾

昭和六年十一月十日

明治天皇聖蹟光揚會

解説

明治天皇坐乗 (※1)し給ふ所の軍艦龍驤 (※2)日進以下の艨艟 (※3)を率ゐて長崎を発し薄暮 (※4)錨を小島の海に投ず 天皇乃ち(すなわち)汽船野母丸に移御 (※5) 更に河口に於て小艇に駕して (※6)以て水流を遡り 舟を此の処に棄て直に行宮 (※7)に入り給ふ 実に明治5年 (※8)6月17日なり

越えて翌日 錦旗を熊本市新町行在所に遷し給ひ 各地臨幸の後 20日午後還御 (※9) 其の夜鹿児島に向はせらる

而して当時の行宮は今尚碑を距る(へだたる)町余に在り 曩に(さきに)史蹟に指定せられ 諸事亦(また)本会編纂する所の行幸誌に詳なり故に茲には敢て贅せず (※10)と云爾 (※11)

昭和6年11月10日

明治天皇聖蹟光揚会

※1ざじょう。指揮官が船などに乗り込み指示を出すこと

  ※2りゅうじょう。西南戦争などにもかりだされたという

  ※3もうどう。軍艦のこと

  ※4はくぼ。夕方。黄昏の頃

  ※5いぎょ。天皇などが移動すること

  ※6がして。(乗り物などに)乗って

  ※7あんぐう。天皇臨幸などの折に設けられる宿泊施設

  ※8西暦1872年

  ※9かんぎょ。天皇などが帰ること

  ※10ぜいせず。贅するは必要以上に言う事などを意味する語

  ※11うんじ。内容の強調などのために漢文の文末に置かれる語

戦跡写真部

碑文

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