出征紀念・砲弾碑
大分県宇佐市桜岡神社
2022年10月 大分県宇佐市を訪ねました。宇佐市四日市の桜岡神社に「出征紀念・砲弾碑」が残されています。大正3年つまり1914年ですので、第一次大戦への出兵です。出兵や帰還に際して、兵器奉納は慣例となっていました。現在の平和を願う神社とは異なる、軍部との関連がある神社の時代があったのです。
関連資料
碑
碑と私
氏名
手水
由緒
由緒
蛭子宮(祭神 事代主命・天照大神・豊受大神)
人皇第百六代正親町天皇ノ御代永録元年(西暦一.五五八年)地頭築後守渡邊光其ノ重臣ヲシテ旧居城タリシ肥前国松浦郡波多郷鬼子嶽城ニ遣ハシ、祭神ヲ土地繁栄ノ氏神トシテ当地ニ奉遷セルナリ
稲荷宮(祭神 倉稲魂命)
元錄十一年(一.六九八年)徳川幕府ノ布政所ヲ四日市ニ設置スルニ当リ現在地ニ接セル禅宗源昌院ノ鎮守ナリシヲ正徳元年(一.七一一年)土地繁昌五穀豊饒ノ祈願所トシテ勧請セルナリ
天満宮(祭神 菅原道真)
境内ニ在ル天満宮ハ慶安三年(一.六五〇年)当地ノ住人田所権之丞屋敷内ニ勧請シタリシヲ後年当神域内ニ奉遷セルナリ
後記
四日市町ノ西北字伊勢山ニ鎮座ノ天照大神豊受大神モ亦明治四十三年本社ニ合祀セリ
解説
由緒
蛭子(ひるこ)宮(祭神 事代主命《ことしろぬしのみこと》・天照大神・豊受大神《とようけのおおかみ》)
人皇第106代正親町天皇(おおぎまちてんのう)の御代永録元年(西暦1,558年)地頭築後守渡邊光其の重臣をして旧居城たりし肥前国松浦郡波多郷鬼子嶽城に遣はし、祭神を土地繁栄の氏神として当地に奉遷 (※1)せるなり
稲荷宮(祭神 倉稲魂命《ウガノミタマノミコト》)
元錄11年(1,698年)徳川幕府の布政所を四日市に設置するに当り現在地に接せる禅宗源昌院の鎮守なりしを正徳元年(1,711年)土地繁昌五穀豊饒の祈願所として勧請(かんじょう)せるなり
天満宮(祭神 菅原道真)
境内に在る天満宮は慶安3年(1,650年)当地の住人田所権之丞屋敷内に勧請したりしを後年当神域内に奉遷せるなり
後記
四日市町の西北字伊勢山に鎮座の天照大神豊受大神も亦明治43年本社に合祀せり
※1ほうせん。神体などを別の場所へ移動させること
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