明治天皇臨幸

熊本県熊本市水前寺成趣園

2022年11月 熊本県熊本市を訪ねました。水前寺成趣園に明治天皇臨幸が残されています。明治天皇は明治5年6月17日(新暦・7月)に船で熊本を訪れ、ここに上陸したのです。西郷隆盛も一緒でした。そして、翌日、猛暑の中、涼を求め水前寺に立ち寄りました。熊本を20日に旅立ち、鹿児島へと向かったのです。そのがここに残されているのです。

関連資料

碑文

塔と碑文

水前寺公園

碑文

成趣園ハ往昔藩主ノ苦心經營セシ所翠緑常ニ地ニ滴リ池水永ニ清列タリ加フルニ泉石布置ノ妙ヲ得洵ニ天下ノ名園タルニ恥チサル也

明治天皇曾テ西國巡幸ノ途次ヲ以テ炎暑ノ玉塵ヲ此ノ水境ニ拂ハセ給ヒシコト故ナキニ非ズ竊ニ聞ク之の日

天皇醉月亭ニ坐シテ涼ヲ掬シ漁夫ノ網中羣魚ノ潑剌タルニ興シツツ上ル所ノ供御ヲ嘉シ給ヘリト是實ニ明治五年六月十九日ノ事ニ屬ス惜ムラクハ其ノ亭モ亦丁五ノ兵燹ニ罹リテ悉ク烏有ニ歸セリ而シテ碑側ノ古今傳授ノ閒ハ畧其ノ故阯タルニ庻幾カラム歟

昭和七年二月十一日

明治天皇聖蹟光揚會

解説

成趣園は 往昔 (※1)藩主の苦心経営せし所 翠緑 (※2)常に地に滴り池水永に清列たり

加ふるに泉石布置の妙を得 洵(まこと)に天下の名園たるに恥じざる也

明治天皇 曽(かつ)て西国巡幸の途次 (※3)を以て炎暑の玉塵 (※4)を此の水境に払はせ給ひしこと故なきに非ず 窃に (※5)聞く之の日

天皇 酔月亭に坐して涼を掬し (※6) 漁夫の網中郡魚の溌剌たるに興しつつ 上る所の供御 (※7)を嘉し (※8)給へりと 是実に明治5年 (※9)6月19日の事に属す

惜むらくは其の亭も亦丁五 の兵燹(へいか)に罹りて 悉(ことごと)く烏有 (※10)に帰せり

而して碑側の古今伝授の間は略其の故阯 (※11)たるに 庶幾 (※12)からむ歟(や)

昭和7年2月11日

明治天皇聖跡光揚会


※1おうせき。昔。過去

  ※2すいりょく。緑色のこと

  ※3とじ。道中

  ※4ぎょくじん。美しいちりの意味で雪の異名であるらしいが、今回の場合直前に「炎暑の~」とあるので雪ではなく単にちりの意味だろうか.

  ※5ぬすみに。ひそかに

  ※6きくし。水などを手ですくうこと

  ※7くご。天皇などのお食事の意味

  ※8よみす。ほめる

  ※9西暦1872年

 ※10うゆう。何もないこと

  ※11もとい。あと

  ※12庶幾(しょき)は「心から何かを願うこと」の意味である。庶幾からんやで「いかにこい願ったことか」のような意味になるのではないかと思う

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