2024年2月 福岡県久留米市を訪ねました。戦時下の久留米市には、帝国軍の拠点がおかれました。久留米は軍都と呼ばれたのです。また、ゴム工場などの軍需工場もありました。それゆえ、米軍空襲の目標とされました。その苛烈な爆撃の傷痕が残されています。ここ小頭町は家屋が密集していて、雨のように焼夷弾が降り注ぎ、火の海となりました。20分以上続いた爆撃により、久留米市の死者は200名を越えました。久留米市全体の60から70%が被災したのです。その7年後、この小頭町公園に戦災死者慰霊の碑が建立されました。毎年、慰霊祭が行われています。
碑
碑文
犠牲者氏名
碑と私
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