軍神・松尾敬宇中佐の像

熊本県菊池市菊池神社

2021年12月 熊本県菊池市を訪ねました。観光スポットでもある「菊池神社」。ここに軍神の像があります。松尾敬宇中佐です。太平洋戦争でシドニー湾に対して特殊潜航艇(甲標的)にて体当たり攻撃を行い、戦死の様を当時のオーストラリア海軍より称賛されたそうです。ゆえに軍神とされました。 軍神は、もともと神話世界のことでしたが、戦時下、現実世界のものとされました。軍人の鏡となるような戦死を遂げた兵士を、公式非公式を問わず、「軍神」と称したのです。松尾中佐は熊本県出身。菊池神社を崇敬していました。彼の短刀は菊池神社ゆかりの菊池千本槍をもとにしたものだったそうです。 

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菊池神社

案内板

碑文

海軍中佐正六位勲五等功四級松尾敬宇君

大正六年七月十一日父鶴彦母マツエノ次男トシテ山鹿市三玉ニ生レ 鹿本中學校海軍兵學校ヲ卒ヘテ昭和十七年海軍大尉ニ任ズ 大東亜戦爭ニ際シ同年五月廿一日都竹兵曹ヲ伴ヒ中馬大尉伴中尉等ト共ニシドニー湾内ニ潜〇突撃シテ國〇ニ殉ズ敵將クルード提督ソノ豪勇ニ驚歎シ特ニ海軍葬豊ヲ以テ厚ク〇ヲ〇ル

相〇〇國三千ノ士ノ賛〇ヲ得テ母刀自

實施シ併セテ茲ニ中佐ノ胸像ヲ建テ不朽ニ傳フ

昭和四十四年十一月〇日

解説

海軍中佐正六位勲五等功四級 松尾敬宇君

大正6年(1917年)7月11日 父鶴彦 母マツエの次男として山鹿市三玉に生れ 鹿本中学校 海軍兵学校を卒へて昭和17年海軍大尉に任ず

大東亜戦争に際し同年5月21日 都竹兵曹を伴ひ 中馬大尉 伴中尉等と共にシドニー湾内に潜〇突撃して國〇に殉ず

敵将クルード提督 その豪勇に驚歎し特に海軍葬豊を以て厚く〇を〇る

相〇〇国3,000の士の賛〇を得て母刀自

實施し併せて茲に中佐の胸像を建て不朽に伝ふ

昭和44年11月〇日

戦跡写真部

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