鉾納社の殉国碑

熊本県阿蘇郡小国町黒渕

小国町黒渕にある鉾納社(ほこのみや)。樹齢700年を超える夫婦杉で有名な神社です。ここに殉国碑があります。日清戦争から太平洋戦争まで、地域(小国郷 黒渕地区)の戦没者の碑です。ご冥福を祈るとともに、このような山間の里も戦争と無縁ではなかった時代を知る碑でもあります。

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夫婦杉

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碑文

皆さん私達は日本民族の血をうけついで祖国日本の小国郷に生をうけ育ち且生を營んでいますこの殉国碑に其の名を刻まれた方々は祖国日本の危急存亡の時に際し身命を賭して戦場に出征しあらゆる苦難とたたかって祖国を守り日本民族の生命と幸福の為尽して下さったのです中には戰死戰病死された方もあります私達は先輩の国に殉じた此尊い祖国愛と日本伝統の精神に其功績をしのびたいといふ黒渕区民の美しい心が結集して慈に殉国碑が建設された事を喜び且後世永く其栄誉を讃えられん事を祈ってやみません 

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千年余の昔、この地の黒牟田と云う所から二振の鉾が出土した。その鉾を納め祀ってある神社である。その鉾の現物は存在しないが恐らく特別な銅鉾だろう。その時鉾を洗った所と云い伝えられている池がある。今も清水が湧き、部落の人の飲料水として使われ、「御手先様」として持ち回りで清掃が続けられている。又年に一回は、細やかながら祭りも行なわれている。かつては神職の参加は常で盛大であったと古い交章にある。さて、神社について郷土史の大家である佐藤弘先生の著した本には、次のように記されている。

「境内より上器の破片が出たこともあり、又社の前の丘より石棺も出土しており、付近には古墳と思われる所もあり、古代から人が住んでいた……」 

次にこの神社は不思議な面が伝承されている。東京大学の駒井博士の艦定によると、

「この面は平安時代に伎楽に用いた崑崙面と云われる物であるう。この種の面は、奈良の東大寺に見られるものの、九州では唯一の貴重なものである」と。

又この神社は、明治初年に国龍命を併祭して吉見神社となっているが、古くから鉾納社と称され、土地の人は「ほこみやさん」と親しみをこめ崇拝している。この神社は年五回の神事を行う。持に十一月末に行なわれる大祭には、神官の司宰のもと氏子一同並びに多くの参拝者が集い、奉納相撲や多くの催しが行なわれ盛大に挙行される。

昔は、この神社には専属の神職が居られた。住居の〇もあり氷宝家累代の墓と書かれた石碑が近にある。コンロン面の桐の箱には「万延元年庚申八月作之人永室平大夫代」と記され江戸時代に代々この社の 神官をした家系だ云うことが察せられる。

次に地名について述べてみよう。江戸末期の人の話を記したものの中に、次の様に書かれたものがある。 

「この村は元は『ほこあらい』と考っていた。それが『ほあろい』『ほうらい』となった。」事実、江戸期の文書には「宝来」とか「鳳来」と書かれ「蓬萊」と書くようになったのは割と歴史が浅いのではなかろうか。今後の 研究の材料であろう。

最後に最近美術館や鍋ヶ瀧と兼ね合いで参拝に訪れる人を見かける。大木に囲まれた崇高な雰囲気を称える言葉を残して旅立つ人も時々ある。

平成二十一年吉日 文責 吉良