三女神社の大典紀念碑

大分県宇佐市安心院・三女神社

2022年10月、宇佐市安心院を訪ねました。三女神社には大典紀念碑があります。これは昭和13年(1938)の建立です。大典とは即位の礼を中心とした新天皇祝賀行事です。実際の即位の礼は昭和3年に行われていますので、この碑の建立は、やや遅い時期とも言えます。いずれにせよ、国家総動員法が施行され、ヒトラーユーゲントが来日するなど、戦争への道を大きく進み始めたころです。軍部は神社を利用し、地域住民の戦意高揚を狙います。そのような時代を語る貴重な戦跡です。

関連資料

鳥居

由緒

三女神社由緒

神代の昔高天原に於て天照大神は素盞鳴尊と盟約の結果

田心姫の命 一の御殿

湍津姫の命 二の御殿

市杵嶋姫の命 三の御殿

の三女神を生み給い。葦原の中国の宇佐嶋に降し給うた宇佐嶋とはこの地宇佐郡安心院邑にして豪族筑紫君等がこれを祀る。爾来一貫してこの地に鎮座して今日に至ると伝えられる。境域には現にこれに関する幾多の史蹟と伝説とを有している。江戸時代に至り島原藩主累代これを崇敬し社領十石を奉納し或は宮殿を造営し或は矢壺提灯ならびに釣灯篭等を奉納した。崇敬者は宇佐郡の一帯に及び江戸時代には島原藩山藏組大庄屋配下の二十二ヶ村の氏神として崇敬せられ、その内鎮座地の関係村の字下市・木裳・新原・原が常時奉仕の責任にあたり現在に至っている。産業振興、家内安全、交通安全の神として霊験あらたにして古今を通じ住民の厚い信仰をあつめている

解説

三女神社由緒

神代 の昔 高天原 に於て 天照大神は素盞鳴尊(すさのおのみこと) と盟約の結果

田心姫の命(たごころひめのみこと)一の御殿

湍津姫の命(みぎつひめのみこと)二の御殿

市杵嶋姫の命( いちきしまひめのみこと)三の御殿

の三女神を生み給い。葦原の中国(なかつくに)の宇佐嶋 に降し(くだし)給うた

宇佐嶋とはこの地宇佐郡安心院村 にして 豪族筑紫君 等がこれを祀る。

爾来 一貫してこの地に鎮座して 今日に至ると伝えられる。境域(1) には 現にこれに関する幾多の史蹟と伝説とを有している。

江戸時代に至り 島原藩主累代これを崇敬し 社領十石を奉納し 或は宮殿を造営し、或は矢壺提灯  ならびに釣灯篭(2) 等を奉納した。崇敬者は宇佐郡の一帯に及び 江戸時代には島原藩山蔵組大庄屋 配下の二十二ヶ村の氏神として崇敬せられ、その内鎮座地の関係村の字下市・木裳(3) ・新原・原が 常時奉仕の責任にあたり 現在に至っている。

産業振興、家内安全、交通安全の神として霊験あらたにして 古今を通じ住民の厚い信仰をあつめている

(1)けいいき。分野。領域。境界内の土地

(2)つりとうろう。軒などにぶら下げて照明とする

(3)きのも。安心院町の地名


戦跡写真部

鳥居扁額

鳥居柱

神社由緒

狛犬「あ」

狛犬「うん」

関連地図(googlemap)