女性が書いた慰霊碑
パトリア日田
2021年3月 大分県日田市を訪ねました。天領でもあった日田は、戦時下においては軍都でもありました。パトリア日田(日田市民文化会館)という施設に戦没者の慰霊塔が建設されています。これは、明治維新後の西南の役からの地域の戦没者を記録した貴重なものです。慰霊祭も行われっており、折り鶴も供えられている地域の慰霊碑です。この碑の特筆すべきことは女性が碑銘を書いていることです。
関連資料
像
像
折り鶴
戦没者の名塔
碑文
建設の言葉
西南の役以降日清・日露を経て今次日支事変より大東亜戦争に於て祖国のために英霊となられた方々の塔である 特に軍人・軍属の中でともに散った特攻隊や学拓を半ばに銃を執り参戦された学徒義勇軍 しかも最後まで勇戦奮闘せる全員の功績をたたえると共に永遠の世界平和を祈念して茲に三千百拾余柱の忠勇を万古に申し伝えんとするものなり 最後に母の名を呼びつつ散華した特攻隊や学徒義勇軍の心中を祭しあえて優しき女性に〇筆をお願いしたものである
碑文 本川武夫
昭和五十七年五月吉日建立
久留米市陸上自衛隊幹部候補生学校 事務官 渡辺昭子 謹書
解説
建設の言葉
西南の役以降日清・日露を経て今次 (※1)日支事変 (※2)より大東亜戦争に於て祖国のために英霊となられた方々の塔である
特に軍人・軍属の中でともに散った特攻隊や学拓 (※3)を半ばに銃を執り参戦された学徒義勇軍 しかも最後まで勇戦奮闘せる全員の功績をたたえると共に永遠の世界平和を祈念して茲(ここ)に3,110余柱の忠勇を万古に申し伝えんとするものなり
最後に母の名を呼びつつ散華した特攻隊や学徒義勇軍の心中を祭しあえて優しき女性に取筆をお願いしたものである
碑文 本川武夫
昭和57年5月吉日建立
久留米市陸上自衛隊幹部候補生学校 事務官 渡辺昭子 謹書
※1こんじ。この度
※2にっしじへん。この場合は日中戦争(1937年~1945年)の事を指していると思われる
※3詳細不明。漢字の読み取り間違いかもしれない
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