観海寺温泉の皇太子殿下行啓の

大分県別府市観海寺地区

20226月、大分県別府市観海寺地区を訪ねました。観光温泉街地区です。大正天皇が皇太子だった頃、(明治40年11月7日)ここを訪問しています。当時、保護下に置いていた韓国行啓の帰路でした。 その碑が残されています。本碑は東郷平八郎の書です。自然石の碑を囲う部分は、大正元年に建てられています。軍部は天皇の権威を利用し、肥大化していきます。この碑にも天壌無窮、つまり天皇の治世は永遠であると刻まれています。2023年に碑文確認と花壇造成について再訪しました。

関連資料

天壌無窮

天壌無窮

東郷平八郎書

花壇

つつじ

碑文

碑文

碑文

畏くも

今上天皇隆下 皇太子の御位に在せしとき明治四十年十一月七日駕ヲ此地にせ給ふ實に千の一隅なり縣民欣喜謹て 御所を設けて迎奉れり嗚呼此 御座所恐くは永久に堪る能はず他日終に朽没に歸せん〇〇乎本會 行啓紀念碑を樹の議を建て發起人世話人を擧け相共に力して當時本縣知事千葉貞幹現任知事昌谷彰前衆議院議員毛利莫等の内助を得且尊王同志の士の金を出して費を援けるもの亦多し今や成る謹て記す

大分縣南立石青年會長 帆足

大正元年十一月七日 

解説

畏くも 今上天皇隆下 皇太子の御位に在せしとき 明治40年[1]11月7日 駕[2]ヲ此地にせ給ふ 実に千載の一隅なり

県民欣喜[3]謹て(つつしみて) 御[4]を設けて迎奉れり

嗚呼此 御座所恐くは永久に堪る能はず 他日終に朽没に帰せん〇〇乎本会 行啓紀念碑を樹の議を建て 発起人世話人を挙け相共に[5]力して 当時本県知事千葉貞幹(ちばていかん) 現任知事昌谷彰(さかやあきら) 前衆議院議員毛利莫(もうりさだむ)等の内助を得 且尊王同志の士の金を出して費を援けるもの亦多し

今や成る謹て記す

大分県南立石青年会長 帆足

大正元年[6]11月7日


[1] 西暦1907年

[2] 御駕(ぎょが)とは天皇の乗る車のことのようである

[3] きんき。大変喜ぶこと

[4] ござしょ。貴人などのいらっしゃるところの意

[5] しゅうせん。なかだちや世話などをすること

[6] 西暦1912年

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