山浦戦没者墓地

杵築市山香・山浦神社

2022年10月、大分県杵築市を訪ねました。山香の山浦地区戦没者墓地あります。墓碑は104基です。この山間の地域に、たくさんの戦没者いたことに驚かされます。墓碑の裏面の戦没地をみると、世界中で犠牲者が出たこともわかります平和の塔(忠魂碑)や殉国の碑も建立されています。

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碑と私

全景

碑文

戦争の惨たる悲痛を再度返さる熱烈なる希願をこめて茲に平和塔を建立し併せて〇〇に祖国のを〇〇して一死殉國の百余柱の英霊〇親しく葬る上〇を代表する殉之碑を建設の一大願の達成を〇〇村当局を始め金村氏の絶大なる支援を仰ぎて昭和三十年二月に工を起し族一同〇〇〇る心を捧げ日夜心の努力をいて仝年九月が施行をみる時恰も町村合併に依り山浦村消えて新山香町発足の年に会す旧山浦村の最終一大施設となるも奇縁なり穂石の平和殉国之碑の大文字は時の清〇神社宮司〇濱〇廣氏の魂こめたる揮毫にして永不滅の〇〇〇〇つべし惟に旧山浦村の中心地眺望絶佳なる髙台に三島神社と相對して高〇〇へ立つ平和其のも〇〇し英霊が静にあ〇〇〇を結ばれ偉徳を永遠に〇へられ〇〇〇の教訓をさる〇〇〇〇〇何物が〇に加ふべき兵等遺族亦殉国の精神を永に生すべく物心両面の〇雑克服生目力更生に勵み以て平和なる文化國家の建設祖国日本の再建に力邁進の覚悟なかるべからず茲に建設の所以を録て決意を更に

当代 遺族会長 阿部 〇〇 

解説

戦争の惨たる悲痛を再度返さる熱烈なる希願をこめて茲に平和塔を建立し 併せて〇〇に祖国のを〇〇して 一死殉国の100余柱の英霊〇親しく葬る

上〇を代表する殉之碑を建設の一大願の達成を〇〇村当局を始め 金村氏の絶大なる支援を仰ぎて 昭和30年2月[1]に工を起し 族一同〇〇〇る心を捧げ日夜心の努力をいて 同年9月が施行をみる

時恰(あたか)も町村合併に依り山浦村消えて新山香町発足の年に会す[2] 旧山浦村の最終一大施設となるも奇縁なり

穂石の平和殉国之碑の大文字は時の清〇神社宮司〇濱〇廣氏の魂こめたる揮毫にして 永不滅の〇〇〇〇つべし

惟(おもう?)に旧山浦村の中心地眺望絶佳[3]なる高台に三島神社と相対して高〇〇へ立つ平和其のも〇〇し 英霊が静にあ〇〇〇を結ばれ 偉徳[4]を永遠に〇へられ 〇〇〇の教訓をさる〇〇〇〇〇何物が〇に加ふべき

兵等遺族亦殉国の精神を永に生すべく 物心両面の〇雑克服生目力更生[5]に励み 以て平和なる文化国家の建設 祖国日本の再建に力邁進の覚悟なかるべからず

茲に建設の所以を録て決意を更に

当代 遺族会長 阿部 〇〇



[1] 漢字の判別が難しいが、山香町に山浦村が合併されたのは昭和30年なのでここでも昭和30年とした

[2] 昭和30年、立石町と山浦村が合併し新山香町が発足した

[3] ちょうぼうぜっか。景色がとても良いこと

[4] いとく。厳かで人徳があること

[5] 詳細不明。漢字の読み取り間違いかもしれない


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