立石神社の壮行会
杵築市立石
2022年10月、大分県杵築市を訪ねました。立石神社は立石地区の天神社です。古くからの地域の神社でした。戦時下、神社は地域のコミュニケーションの場であり、地区行政をも担当する公民館的な存在とされました。ゆえに、出兵時の壮行会なども行われたのです。ここが、家族との永久の別れとなった人たちも少なくありません。
関連資料
碑
碑
社殿
狛犬
参考碑文(解説は参考程度にしてください)
創祀千百年祭碑
人皇五十五代文徳天皇の斉衡元年従五位下山口宿称稲床朝臣は豊後介となり立石に館し物部天神を創祀せり 其後大永年間に山志手城主波多野善人廃祀を修したること文献に明なり
寛永十五年木下延由依立石領主として入國し史実の不明なりし為か菅原天神を祭神として祀って現在に至れり 此の由緒〇〇物部天神を再具二柱を祀ることの道なるを思い氏子相謀りて之を〇す
昭和二十九年十月十三日石見國物部神社に於て物部連豊即宮司御分霊の祭典〇奉仕し総代伊東村上捧持陪従して本社に奉還す 翌三十年偶創祀千百年に當れるを以て十月二十五日奉祝大祭を執行せり
創祀千百年祭碑
人皇[1]五十五代文徳天皇[2]の斉衡元年[3] 従五位[4]下 山口宿称[5]稲床[6]朝臣[7]は豊後介[8]となり 立石に館し物部天神を創祀[9]せり
其後 大永年間に 山志手城[10]主波多野善人 廃祀[11]を修したること文献に明なり
寛永十五年[12] 木下延由[13]依立石領主として入國し 史実の不明なりし為か 菅原天神を祭神として祀って現在に至れり
此の由緒〇〇物部天神を再具二柱を祀ることの道なるを思い 氏子相謀りて之を〇す
昭和二十九年十月十三日 石見國[14]物部神社に於て 物部連豊即宮司[15] 御分霊[16]の祭典〇奉仕し 総代伊東村上捧持[17]陪従[18]して本社に奉還[19]す
翌三十年 偶[20]創祀千百年に當れる[21]を以て 十月二十五日 奉祝[22]大祭を執行せり
[1] じんこう。神武天皇以後の天皇のこと
[2] もんとくてんのう。827年~858年
[3] さいこうがんねん。西暦854年
[4] じゅうごい。日本の位階制度における位のひとつ
[5] 宿祢はすくね。古代の姓のひとつ
[6] やまぐちすくねいなとこ。平安時代前期の貴族で豊後介
[7] あそん。八色の姓における姓のうち上から2番目
[8] ぶんごのすけ?介は昔の階名である。国司の次官
[9] 神を祀り始めること?
[10] 漢字読み間違いかもしれないが詳細不明
[11] 神を祀ることを止めること?
[12] 西暦1638年
[13] 豊後日出藩主四男
[14] いわみのくに。現在の島根県あたり?
[15] 漢字読み間違いか詳細不明
[16] ぶんれい/わけみたま。他の神社でも祀るため神霊を分けること
[17] ぼうじ。捧げて持つこと?
[18] べいじゅう。付き従うこと。随行すること
[19] ほうかん。お返し申し上げること
[20] 漢字読み間違い?詳細不明
[21] あたれる?
[22] ほうしゅく。つつしんで祝うこと
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