大浜飛行場跡/正門と標柱
熊本県玉名市
2022年11月、熊本県玉名市を訪れました。ここには大浜飛行場が建設されています。大刀洗陸軍飛行隊の玉名教育隊が置かれたのです。地域の方が、たくさんの案内板などを作り、その様子を後世へとつなげてくれています。地区全体が資料館の様相なのです。今回は門柱と標柱を紹介します。
関連資料
門柱
案内板
案内地図
案内板
案内板
大浜飛行場跡(陸軍大刀洗飛行学校玉名教育隊)
大浜・北牟田の中央部水田一帯に、昭和十九年三月(一九四四)縦横一五〇〇m、総面積二百四十町歩を飛行場施設・滑走路として使用開始した。
滑走路は遂土工法で暗渠をはさみ、全長千m幅七十五mの二本で、航空隊本部・大小格納庫八基、兵舎棟などの関連建物があり、昭和二十年(一九四五)に完成した。
昭和十九年三月、各地から操縦指導員五十名が当地に着任、同年四月陸軍少年飛行兵操縦十五期生百二十名が入校開隊し、四ヶ月間の訓練の後各航空隊に配属された。
八月には、陸軍特別幹部候補生第一期生百二十名が入隊、赤とんぼ・ユングマン九七戦改等の練習機を使用し訓練をはじめた。
昭和二十年五月十日と十三日朝、連合軍B二九(二機)と艦載機(グラマン)五十九機による空襲を受け、飛行場付帯施設は壊滅的な被害を受けた。
※五月十日二百五十kg爆弾二十発(うち時限爆弾八発)を投下
※五月十三日 五十〜二百五十kg爆弾三百五十発を投下
また、瀬戸・天神・下町は空襲による被害もうけた(死者十八名・家屋の損害七棟)
その後教育隊は改編され、二十年夏鳥取県米子市へ移転、八月十五日の終戦までは守備隊・実戦部隊が残り使用した。
現在、正門・大小格納庫基礎・風呂・井戸・診療所基礎が良好な状態で残っている。
戦後、昭和二十二年三月(一九四七)跡地に玉名農地開拓団として六十四戸が入植し現在に至っている。
※大刀洗飛行学校は現在の福岡県三井郡大刀洗町にあった。
戦跡写真部
門柱
門柱の鉄筋
説明板
標柱
関連地図