熊本県護国神社の各種碑
熊本県熊本市
2022年12月 熊本県熊本市を訪ねました。熊本城域にある護国神社にいろいろな戦争関連碑があります。たくさんの人々が亡くなってしまった戦争というものの悲惨さを語ってくれる碑たちです。それぞれの碑が、当時の様子を知る貴重な資料としての役割をも持っています。
関連資料
境内
台湾歩兵第2連隊碑
熊本県海軍戦没者の碑
支那事変4周年碑
二宮金次郎像
従軍看護婦慰霊碑
満蒙開拓青少年義勇軍碑
第23師団の碑
大東亜殉国英霊顕影碑
忠魂台湾軍
聖戦重砲兵部隊ノ碑
パナイ島戦没者碑
海軍戦没者の碑文
建立の記
昭和二十年八月十五日終戦の詔勅を拝し尔来三十有八年 一億国民の困窮耐乏の努力の結晶が今や世界の経済大国にまで発展するに至った 然しその陰に先の大戦に於いて全国二百五十万内熊本県海軍関係者二万六千余柱の尊い犠牲があったことを忘れてはならない 我が海軍部隊は祖国を遙か南方洋上に将又北洋に勇戦奮闘よく殉国の志誠を貫き敢然と散華された勇士の英霊を顕彰することは尚武熊本県旧軍人生存者の責務である 思えば戦火の御代に生まれ海軍軍人としてその本分を全うされた先輩同僚らの英霊に対し心からなる慰霊の誠を捧げる 茲に戦友有志相計り護国神社の庭に慰霊の碑を建立し永久に敬仰の場として恒久の平和を乞い願う遺芳千秋に伝えられんことを
解説
建立の記
昭和20年 (※1)8月15日終戦の詔勅を拝し爾来30有8年 一億国民の困窮耐乏 (※2)の努力の結晶が今や世界の経済大国にまで発展するに至った 然しその陰に先の大戦に於いて全国250万内熊本県海軍関係者2万6,000余柱の尊い犠牲があったことを忘れてはならない
我が海軍部隊は祖国を遙か南方洋上に将又(はたまた)北洋に勇戦奮闘よく殉国の志誠 (※3)を貫き 敢然と散華された勇士の英霊を顕彰することは尚武 (※4)熊本県旧軍人生存者の責務である
思えば戦火の御代に生まれ海軍軍人としてその本分を全うされた先輩同僚らの英霊に対し 心からなる慰霊の誠を捧げる
茲(ここ)に戦友有志相計り護国神社の庭に慰霊の碑を建立し 永久に敬仰 (※5)の場として恒久の平和を乞い願う 遺芳 (※6)千秋に伝えられんことを
※1西暦1945年
※2たいぼう。物資などの乏しい生活を耐え忍ぶこと
※3しせい。まごころ
※4しょうぶ。武道や軍事などを大切にすること
※5けいぎょう。敬ってあおぐこと
※6いほう。後世に残る名誉
従軍看護師慰霊の碑文
従軍看護婦
昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。
しかし従軍したのは日赤の看運婦だけでなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職名の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。
戦跡写真部
支那事変4周年碑文
従軍看護師慰霊の碑
大東亜殉国英霊顕影碑
関連地図(googlemap)