秋葉神社の征清凱旋碑

大分県国東市安岐町

20232月 大分県国東市(くにさきし)を訪ねました。安岐町の灯火山の山頂に秋葉神社があります。ここに征清凱旋碑が残されています。高さは6mを超える大きさです。この碑は「日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変」の地域からの戦没者の慰霊碑ともなっていて、その氏名が刻まれています。揮毫は巌谷修。彼は明治の書家として「明治3筆」の一人とされている人物です。たくさんの若者が亡くなっていく戦争というものを考えるきっかけともなる碑です。

関連資料

巌谷修

碑と私

碑文

碑文2

碑文

明治甲午之秋清國渝盟 大〇〇發出師之連戰連勝将衝北京清主震懼納幣地以請和事全平是 皇上崇威盛徳我将校士卒忠誠勇武之致實為振古未有之偉績頃者豐後國東國東部安岐人相謀建碑燈山永紀盛功徴文余余嘉其美舉欣然書此

明治三十年五月

四位勲三等巌谷

解説

明治甲午[1]之秋 清國渝盟[2] 大〇〇發出師之連戰連勝将衝北京[3] 清主震懼[4]納幣[5]地以請和事[6]全平是 皇上[7]崇威盛徳[8]我将校士卒[9]忠誠勇武之致実為振古[10](※10)未有(みぞう?)之偉績[11]頃者[12]

豊後国東国東部安岐人 相謀建碑燈山[13]永紀盛功徴文余余[14]嘉其美挙欣然[15]書此

明治30年[16]5月

四位勲三等巌谷



[1] 日清戦争は明治27年(甲午)※西暦1894年7月に開始された。ここでの明治甲午とは明治27年のことを指す?

[2] ゆめい。誓いにそむいたり約束をたがえたりすること

[3] 1895年には制海権を制した日本軍が中国本土に上陸できる状態となった。「衝北京」とはそういった状態のことを指すのだろうか?

[4] しんく。震えるほど恐れること

[5] のうへい。供物をおさめること?

[6] 日本軍勝利の状態となり、中国側が講和条約に動いたことを指す?

[7] こうじょう。現在の天皇のこと?

[8] せいとく。すぐれた徳のこと

[9] しそつ。士官と兵卒(最下級の軍人/軍兵)

[10] しんこ。大昔

[11] いせき。偉大な功績

[12] 該当する言葉が出てこなかった。漢字の読み取り間違いかもしれない

[13] 山の名前?詳細不明

[14] 「予々」は「かねがね」だが余余の意味はわからなかった

[15] きんぜん。喜んで何かをする様子

[16] 西暦1897年


碑文2

明治三十年五月建碑 徴文修後陸軍大将大勲位彰仁親王題清凱旋碑五大字賜之盖嘉其美舉也有志諸氏喜其光榮又使

解説

明治30年[1]5月 建碑 徴文修後 陸軍大将大勲位彰仁親王[2]清凱旋碑五大字賜之盖[3][4]其美挙也

有志諸氏 喜其光栄又使



[1] 西暦1897年

[2] 日清戦争にも参加した陸軍大将である「小松宮彰仁親王」という人物がいるが、その人のことだろうか?

[3] 異体字は蓋。「なんぞ~せざる」や「けだし」と読む場合もあるそうだがここでの読み方・意味は不明

[4] 「よみする」と読めば「褒める」といった意味合いになる。ここでの読み方・意味は不明


地図

googlemapより