津房・八坂神社の戦没者墓地

大分県 宇佐市 安心院町

2022年11月 大分県宇佐市を訪ねました。安心院町の津房、八坂神社裏に地域の戦没者墓地があります。この津房地区で戦死した132基の墓碑には戦没日時や戦没地も刻まれています。それは、世界全体に広がる地域です。一番若い人は戦没の齢は14歳だそうです。あらためて、戦争というもののおぞましさを感じます。この八坂神社は出兵兵士の壮行会が行われた場所でもあります。4mの高さの殉国の碑が中央奥に建っています。

関連写真・資料

殉国の碑と私

鳥居

八坂神社

碑文

氏は明治三十三年十二月速見郡上村上河内望月栄太郎の長男に生れ幼時父に伴はれ尾立に移住す爾来五十年貧困と〇〇刻苦勉励田弐町歩畑四反植林地四十町を保有するに至る資性素朴温厚にして勤労を無上の樂とし工作の餘力を養蚕製炭に尽し数年耒特に意を植林に注ぎ其の偉大なる業績は人を驚嘆せしむ其の間篤行を表彰せらる数度特に過くる昭和三十三年四月別府市外志高湖畔に畏くも天皇皇后両陛下の〇御を仰き執り行はれし植樹祭に選はれて植樹奉仕者たる光栄に浴す今囬英〇顕彰〇族団結との念願により基本林として七反歩を地区〇族会に寄贈さる依って茲に碑を建てその篤行を記す 昭和三十四年一月建立 津房地区 〇族会

解説

氏は明治33年(1) 12月 速見郡上村上河内 望月栄太郎の長男に生れ 幼時父に伴はれ尾立に移住す

爾来50年 貧困と〇〇刻苦(2) 勉励(3)  田2町歩 畑4反 植林地40町を保有するに至る

資性素朴温厚にして 勤労を無上 の樂とし 工作の余力 を養蚕製炭に尽し数年耒 特に意を植林に注ぎ 其の偉大なる業績は人を驚嘆せしむ

其の間篤行(4) を表彰せらる数度 特に過くる昭和33年(5) 4月 別府市外志高湖畔に 畏くも天皇皇后両陛下の〇御を仰き執り行はれし植樹祭 に選はれて 植樹奉仕者たる光栄に浴す

今回英〇顕彰〇 族団結との念願により 基本林として7反歩を地区〇族会に寄贈さる 依って茲に碑を建てその篤行を記す

昭和34年1月建立 津房地区 〇(6)族会

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 (1) 西暦1900年

 (2)こっく。苦しみながら勉学などに励むこと

 (3)べんれい。努力すること。刻苦勉励は、苦しみながら仕事や勉学に尽力すること

 (4)とっこう。人情に厚く誠実なおこない

  (5)西暦1958年

  (6) 本石碑の数か所に出てきた漢字。しんにょうを部首とする漢字のようだが、該当するものが見つからない。〇族会

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