復旧された忠魂碑
大分県大分市春日公園
戦跡の声を聴くシリーズ
2022年7月 大分県大分市春日公園を訪ねました。春日神社に隣接する公園です。ここは、大分陸軍連隊や海軍航空隊から3km以内の中間点にあります。戦時下、春日神社では、軍の儀式なども行われていました。ここに忠魂碑が建立されたのです。戦後、GHQにより、忠魂碑撤去を命じられたこともあり、荒廃していましたが、現在は復旧され春日公園に移されています。復旧は大分市報で呼びかけられて、資金が集められました。金谷範三陸軍大将の書です。
関連資料
碑
以前の碑
金谷範三
碑文
【市報】
春日公園 忠魂碑の復旧
復旧募金にご協力下さい
市内春日公園内にある忠魂碑を戦前の姿に復旧しようという運動が起り、同復旧発起人会では、市内自治委員、自治運営委員を通じて市民の皆様に募金運動に協力するよう呼びかけています。
募金の方法は各家庭に紙の募金袋を配布致します。金額は一世帯平 均十五円となつていますので、何卒御協力の程お願い致します。
同忠魂碑は昭和四年大分縣在郷軍人会、並びに縣民奉仕により建設されたもので、日清、日露の役、済南、上海事変、大東亜戦争など、殉国の英霊を、とこしえに顕彰する碑としては、 市内では唯一のものでした。終戦後はマ政令により頂上の砲弾はじめ周囲の銅板も取除かれ、荒れるまま現在になつていたものです。
なお皆様の御協力で目標額三十五万円を年内に達成することができれば来年早々工事にかかる計画になつています。
【春日の社】
春日の杜 散策 vo.17
忠魂碑
かつて春日公園内東側で蓬菜山横に、高さ約十メートルほどにもなる「忠魂碑」がありました。この忠魂碑は昭和四年(一九二九)、大分県在郷軍人会並びに県民の奉賛によって建設されたもので、日清日露戦争・済南上海事変・大東亜戦争にて戦死された英霊をお祀りしたものです。また碑としては当時、市内では唯一のものでした。
終戦後、マ政令により塔の頂上の砲弾をはじめ周囲の銅板が取り除かれて荒れていたものを、昭和三十二年(一九五七)になって市民有志により復旧運動が起こります。 「忠魂碑復旧発起人会」を立ち上げ、 委員・自治運営委員・婦人会等を通して、市民一世帯あたり平均十五円の募金を目標に活動を展開しました。そして約半年で二十七万円が集まり、さらに市からの補助金十万円が追加されて目標に達したことから、念願の修復工事に着工。翌昭和三十三年十月、見事完成に至ったのです。その時の工事内容は碑の周囲に鉄柵を設け、塔の頂上には平和の象徴としての鉄球を取付けるというものでした。
その後、碑はひび割れや鉄さびなどの老朽化により危険な状況となったことから、惜しまれつつも平成六年(一九九四)二月に解体。修繕した上で胴の部分のみを公園西側に移設して今日に至っています。尚、「忠魂碑」 の文字は時の陸軍大将金谷範三(豊後高田市出身)揮毫によるものです。
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前編
後編