重光葵資料館
大分県国東市 山渓偉人館
大分県国東市 山渓偉人館
2022年3月 国東市を訪ねました。ここには、重光葵の資料館館・山渓偉人館があるのです。彼は昭和の外務大臣、終戦後、アメリカ戦艦ミズーリ号船上で『ポツダム宣言』受諾の降伏文書に記した人物です。ちなみに、梅津 美治郎(うめづ よしじろう)中津市出身とともに調印式に臨みました。重光は明治20年(1887)に、大野郡三重町(現豊後大野市)に士族の次男として生まれ、3歳の時に父の実家の杵築に移住し、少年期のほとんどを杵築で過ごしました。ちなみに杵築市その家が残っています。「無迹庵(むせきあん)」と名付けられた家は、資料館にもなっています。大分県に2つの記念館があるほど、重光の果たした役割は大きかったのです。
関連資料
案内板
重光の胸像
使用した机
シルクハット
関連地図
GoogleMapより