若宮神社の忠魂碑
大分県佐伯市
2023年2月、佐伯市の若宮神社を訪ねました。ここに忠魂碑があります。約5mの巨大な碑で、昭和3年の建立です(1928年)。つまり、日清戦争、日露戦争、第一次大戦までの戦没者への忠魂碑です。時代は、翌年の世界大恐慌から、満州事変へと進んでいく頃です。塔頂には陸軍をあらわす星と海軍の錨印が刻まれています。碑銘の書は毛利高範によるもの。彼は、最後の佐伯藩主毛利家に養子に入りました。毛利式速記術の創始者でもあります。軍人ではない人物の忠魂碑は、珍しいと思います。
関連資料
忠魂碑
若宮神社
裏面
鳥居
碑文
忠魂碑
天之所覆地之所載人之所履莫大乎忠臨國家有事義勇奉公奮戰致命者忠莫大乎之我郷人在軍籍從清露二〇之出征○命於戰場竭報國之至誠者前後十〇餘人其盡忠貽範於永遠使郷人奮起義勇奉公之精神者甚大也在郷軍人會鶴岡分會發建碑勒功傳之於不朽且欲鎮將來爲國家致命者之忠魂之議而村賛之工將成村正染矢君問文予予因記本碑建設之主眼○焉〇爾
昭和三年四月
鶴谷 佐藤○太郎 撰
○峰 染矢 〇次郎 書
解説
忠魂碑
天之所覆地之所載人之所履莫大乎 (※1) 忠臨国家有事 義勇奉公 奮戦致命者 忠莫大乎 之我郷人在軍籍従清露二〇之出征○命於戦場 (※2)竭 (※3)報國之至誠者 前後十〇余人 其尽忠 (※4)貽範 (※5)於永遠使郷人奮起義勇奉公之精神者甚大也
在郷軍人会鶴岡分会 発建碑勒功 (※6)伝之於不朽且欲鎮将来為国家致命者之忠魂之議 而村賛之工将成村正染矢君問文予予 (※7)因記本碑建設之主眼○焉〇爾
昭和3年4月
鶴谷 佐藤○太郎 撰
○峰 染矢 〇次郎 書
※1中国の古典に「天之所覆、地之所載」という表現があるようである。ここでは、天子の恩恵があまねく世を覆っていることのたとえ。(参考文献:県立広島大学『柳田順子の中国文学研究室 04-06喜雨』http://yanagawa2019.sakura.ne.jp/soushoku_product/04-06-%e5%96%9c%e9%9b%a8/
《2023年2月21日閲覧》)
※2清露二○というのは日清・日露の二つの戦争のことだろうか?該当の村から日清日露戦争において出征し命を落とした方が十数名?といった内容の文章が書かれているのではないかと推測される
※3ここでは出しつくす・高く掲げるといった意味?
※4じんちゅう。国家等に忠義をつくしてつかえること
※5いはん。手本(範)を残すこと。
※6ろくこう。功績を碑銘に刻むこと
※7かねがね。以前から
戦跡写真部
扁額としめ縄
碑文
関連地図