戦時下、海軍航空隊が置かれた宇佐。ゆえに米軍の空襲の標的になりました。その銃撃、爆撃はすさまじく、当時の米軍空中写真にさえ、その跡がはっきりと残っています。しかし、時を経て、その激しさを伝える物は時代の波に流されていきました。今回訪れたのは宇佐市立柳ヶ浦小学校です。この場所は航空隊から1kmもはなれていません。ですから空襲にさらされたのです。塀に残るその銃撃痕をこの小学校は、あえて残しています。校舎が新築されても、塀はそのまま残したのです。そして、案内柱まで設置しているのです。他にも、戦禍を生き延びた柳の木、銃撃で折れた顕彰碑、航空隊門なども残しているさながらミュージアムです。こうして後世へと伝わっていくのです。(一社)普久原未来のための事業団(大分県別府市)は戦跡を訪れ、その声なき声を聴く活動をしています。戦争遺跡、軍事遺跡を巡りレポートしています。この動画シリーズはその記録です。平和教育、平和学習にもご利用ください。
関連資料
柳ヶ浦小学校
生き残りの柳
案内柱
案内柱
銃撃痕
航空隊門柱
スローガン
半壊の碑
門柱
門柱
門柱
柳ヶ浦小学校
関連地図
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