西曆2018年 2月18日(日) 日本アマゾンのレビュー、『同時通訳はやめられない』

袖川裕美(そでかわ ひろみ) 『同時通訳はやめられない』(平凡社新書, 2016年8月)

レビュー題字: 少々気になるエラーは有るが読み物として面白い

投稿者 原田俊明

投稿日 2018/2/18

形式: 新書

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4582858228/

1990年代後半、BBCの女性英日通訳者と言えば、ひどく滑舌の悪い通訳者がいたのを思い出す。1998年5月の天皇皇后両陛下国賓訪英の折、英人元捕虜の話が出た時のことだ。Her father-in-law is a former PoW. という原文を「義理の父親が元捕虜で、」と訳した積りが、実際の日本語吹替放送では「下痢の父親が、、、」になっていた。深刻な話なのに笑いが止まらなくなって困ったものだ。果たして「下痢の父親」と宣(のたま)ったのが本書の著者だったのか否かは知らない。が、少々気になるエラー(下記参照)が編集者の目をすり抜けて本書に載ってしまっている。

「国境なき医師団」の原語(フランス語)表記(p.94)

(誤)medicins sans frontieres

(正)Me'decins sans fronti'eres

(註)英単語の medicine が本著者の念頭にあったのか、何やら混濁した綴りになっている。ここではアマゾン日本の文字化け対策のため、e鋭アクセント(accent aigu アクサォンテギュ)を e' とし、e重アクセント(accent grave アクサォングはーヴ)を 'e とした。天下の平凡社がフランス語のアクセント記号も印字できないなどとは考えられないので、もし改訂版か訂正版を出すなら、きちんと直してほしい。

「中進国」の英訳(p.120)

(誤)more developed country

(正)古くは medium developed country だが、現在では newly industrialised [industrialized] country または new economy

(註)原文通りだと、「もっと発展した国」になってしまい、本来の意味を為さない。

「部族間対立」の英訳 sectarian conflict の説明(p.120)

(誤)ここに出てくる sectarian は sector (部門、地域、地区)の形容詞です。

(正)ここに出てくる sectarian は sectary (分派に属する者、信徒、門徒、心酔者)の形容詞です。「部族間」に限定すれば、tribal disputes も使えます。

(註)よくある思い込み。通訳者は言語学者ではないので大目に見ても良いが、本を書くなら事前の調べは必要だ。

表現が難しい尖閣諸島(p.128)

(誤)一般に、呼称は「日本名、尖閣諸島 Senkaku Islands、中国名、釣魚島(ちょうぎょとう) Diaoyu Islands」と併記します。

(正)一般に、呼称は「日本名 尖閣諸島 Senkaku Islands、中国名 釣魚島(ちょうぎょとう) Diaoyu Islands、英語名 Pinnacle Islands」と併記します。日本語の尖閣と英語の Pinnacle はお互いの意味が対応します。

(註)英語通訳者なら政治的立場に関係なく最も中立的な英語呼称も併記すべし。

「おいしい」の英訳(p.135)

(誤)yammy

(正)yummy

(註)よくある思い込みだが、発音まで間違って覚えられてしまうと、雇用者・通訳依頼者としては困る。

魚の「かれい」の英訳(p.135)

(誤)halibut

(正)flounder または plaice

(註)原文の儘(まま)だと、「大鮃(オヒョウ)」の意。最後に挙げた plaice は北大西洋の角鰈(ツノガレイ)。

タージマハールの英語表記(p.141)

(誤)Taji Mahal

(正)Taj Mahal

(註)よくある思い込み。発音まで間違って覚えているのだろうが、インドでは大して問題にならない。

治安の体感(p.145)

(誤)最近は残念ながら凶悪事件が起きるようになったが、

(正)最近は凶悪事件が減っているにも拘(かか)わらず大々的に報道されるので治安に対する体感が悪化してきているが、

(註)よくある思い込み。

さて、ここで得た教訓として、通訳を依頼する側は通訳者が訳したことをその儘(まま)鵜呑みにはせず、まずは疑ってかかるべきだと思う。但し、それも程度の問題であり、疑ってばかりだと交渉事が進捗しない。したがって通訳を依頼する側も最低限の知識を身に着け、誤訳を指摘できるぐらいにどっしりと構えて交渉事に臨むべきである。何事も通訳任せ・丸投げでは危険だということだ。

そうは言っても本書は現場の緊迫感を伝えることに成功している。通訳とは黒子に徹しながら膨大なストレスが課される仕事であり、その気苦労は想像を絶するし、本レビューワーには到底務まらない。今でこそ片仮名の「サイコパス」として日本語に定着した感のある英語の psychopath だが、本著者がかつて現場で訳せなかったことを告白していて意外の感に打たれた。