15「イギリス文化論」(2021/11/30) 英訳聖書に由来する慣用表現

NHKニュースウェブ

2020年1月11日(土)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200111/k10012242391000.html (リンク切れ)

東京のJR日暮里駅で11日未明、目の不自由な男性がホームから転落し、最終電車にはねられて死亡しました。ホームドアは設置されていませんでした。

11日午前1時前、東京 荒川区のJR日暮里駅で東京 足立区の会社員、森政和さん(53)がホームから転落し、京浜東北線の最終電車にはねられて死亡しました。

警視庁によりますと、森さんは目が不自由で、事故の直前、白いつえをついてホームを1人で歩いていたということです。

転落した場所は階段があるため、幅約1.5メートルと、ほかの場所より狭くなっていたということで、警視庁は森さんが誤って転落したとみて、詳しい状況を調べています。

(改行・後略)

視覚障害男性が転落、電車とホームに挟まれ死亡…はい上がろうとするが間に合わず

讀賣新聞

2020年7月27日(月) 配信

2020年7月28日(火) 更新

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200727-OYT1T50233/(リンク切れ)

https://news.yahoo.co.jp/articles/34a2dc0d8d0707087da238362dddca4b65f795ab (リンク切れ)

東京都杉並区のJR阿佐ヶ谷駅で26日、視覚障害を持つマッサージ師の吉本充伸さん(51)(東京都小平市)がホームから線路に転落し、電車とホームの間に挟まれて死亡した。同駅に転落防止用のホームドアは設置されておらず、警視庁杉並署は吉本さんが誤って転落したとみて調べている。

(改行・後略)

目の見えない人になんて声をかけますか?コロナ禍での安心な誘導法とは…

介護ポストセブン

2020年9月8日(火) 配信

2020年9月10日(木) 更新

https://www.news-postseven.com/kaigo/84909

目が不自由とみられる男性 ホームから転落し死亡 東京メトロ

NHKニュースウェブ

2020年11月29日(日)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201129/k10012736981000.html (リンク切れ)

https://www.youtube.com/watch?v=kvgd19EtD4E

29日午後、東京メトロ東西線の東陽町駅で目が不自由とみられる男性がホームから転落し、死亡しました。この駅で11月からホームドアを設置するための工事が始まっていましたがまだ完成していませんでした。

29日午後1時前、東京・江東区の東京メトロ東西線の東陽町駅で男性がホームから転落し、直後に進入してきた電車にはねられ、死亡しました。

警視庁によりますと死亡したのは東京・江戸川区に住む60代の目が不自由な男性とみられるということで、身元の確認を進めています。

(改行・後略)

東陽町駅で転落 別ホームの電車と誤認の可能性 視覚障害者団体

NHKニュースウェブ

2020年11月30日(月)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201130/k10012737591000.html (リンク切れ)

29日、東京メトロ東西線で目が不自由とみられる男性が電車にはねられ死亡した事故で、設置されたカメラにはホームの端で立ち止まることなく転落する男性の姿が写っていたことが分かりました。当時、反対側のホームには電車が止まっていて、視覚障害者の団体は、男性が電車が来ていると誤認した可能性もあるとしています。

(改行・中略・改行)

現場では、ホームドアの設置工事が進められ、来年の2月に運用が開始される予定でした。

現場を調査した江東区視覚障害者福祉協会の山本恭子会長は、「電車が止まった状態だと別のホームにいる電車を自分の側に止まっていると間違えてしまうことがある。あと少しでホームドアが出来ていたと思うととても残念です」と話していました。

【独自】駅で視覚障害者死亡 東武鉄道の国への“自殺”報告に批判

TBS系JNNニュース

2021年2月16日(火)

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4200341.html (リンク切れ)

https://news.yahoo.co.jp/articles/a0f1a609ad92dc2669df272e193a6f258f13f753 (リンク切れ)

https://www.nanbu-union.org/wp/?p=4908

【実行犯と事実上共犯関係にある日本の野次馬】

【Cold Case】Japanese citizens killed the student. Ikebukuro University Student Murder.

あるごめとりい(Algometry)

2021年3月9日(火)

https://www.youtube.com/watch?v=V-NeWYoEEXo

「日本の技術や歴史は優れている」 カナダ人記者が驚いた“交通案内手段”に大反響

Hint-Pot

2021年8月23日(月)

https://hint-pot.jp/archives/89357

https://hint-pot.jp/archives/89357/2/

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

2021年8月24日(火)

https://news.yahoo.co.jp/articles/bac22fe4012c21650a97979970e6edc8ade111fc

https://news.yahoo.co.jp/articles/bac22fe4012c21650a97979970e6edc8ade111fc/comments

小見出し: 1967年、岡山県で世界初の点字ブロックを敷設

1) And God said, Let there be light: and there was light.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

神(かみ)光(ひかり)あれと言()ひたまひければ光(ひかり)ありき。(大正期文語譯)

『旧約聖書』「創世記」1章3節(Genesis 1:3 from The Old Testament)。 ヘブライ語の原文で「光あれ」は יְהִי אוֹר (yehi 'or イェヒ・オる)。古典希臘(こてんギリシア)語訳聖書では γενηθήτω φῶς (genēthētō phōs ゲネートートー・プース)。英訳聖書では Let there be light (レッゼアビー・ライトゥ)。昭和女子大学8号館正面入口の標語 FIAT LUX (fīat lūx: フィーアトゥ・ルークス)は羅典(ラテン)語訳聖書から「光あれ」の引用。

2) my brother’s keeper

弟の番人

And the Lord said unto Cain, Where is Abel thy brother? And he said, I know not: Am I my brother’s keeper?(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

Then the Lord said to Cain, “Where is Abel your brother?” He said, “I do not know. Am I my brother's keeper?” (1982年口語英訳 NKJV=新欽定版)

ヱホバ、カインに言(いひ)たまひけるは汝(なんぢ)の弟(おとぅと)アベルは何處(いづこ)にをるや彼(かれ)言()ふ我(われ)しらず我(われ)あに(わが)(おとぅと)の守者(まもりて)ならんやと。(大正期文語譯)

主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。(昭和戦後期口語訳)

主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」 (昭和末期新共同訳)

『旧約聖書』「創世記」4章9節(Genesis 4:9 from The Old Testament)が描く人類最初の殺人事件で、弟アベル(Abel: 羅典(ラテン)語読みでアベールだが、英語読みではエイバルまたはエイブルであり、「できる~」や「頭の出来の良い~」を表す able と結果的に同音となる)を殺害したカイン(Cain: 英語読みではケインであり、「杖(つえ)」や「鞭(むち)」を表す cane と結果的に同音となる)が、アベルの所在を神に問われて苦し紛れに答えた言葉。なお、英語で書かれた二十世紀文学の金字塔とされる長篇小説 Ulysses (1922)、邦題 『ユリシーズ』を刊行したジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882-1941)との関わりで、弟スタニスロース(Stanislaus Joyce, 1884-1955)による死後出版の追想録に My Brother’s Keeper (1957)、邦題 『兄の番人』がある。近年では米国の女性小説家ジョディ・ピコー(Jodi Picoult, b.1966)による長篇小説 My Sister’s Keeper (2004) 、邦題 『わたしのなかのあなた』とそれに基づく同名のアメリカ映画 My Sister’s Keeper (2009) 、邦題 『私の中のあなた』があるが、『姉の番人』と 『姉の命を長らえるための者』の両義(=二つの意味)がある。その作品では姉ケイト(Kate)が2才で急性前骨髄球性白血病(acute promyelocytic leukaemia)という難病を患(わずら)うが両親や兄ジェシー(Jessie)の白血球HLA(human leukocyte antigen)型がケイトと適合しないという理由から受精卵(zygote)の段階で遺伝子操作(genetic modification)を行なうことでデザイナーベイビー(designer baby)の妹アナ(Anna)を誕生させる。こうして姉ケイトへの臓器提供のためだけに生まれてきた妹のアナは幼い頃から過酷な犠牲を強()いられてきたが、13才時(映画版では11才時)に腎臓の片方(one of the kidneys)の提供を求められたことを機に遂(つい)に我慢の限界となり、辣腕(らつわん)弁護士キャンベル(Campbell)を雇い、両親を相手取って訴訟を起こすという内容である。欧米には他にも My Brother’s KeeperMy Sister’s Keeper と銘打った作品が多々あり、ウィキペディア英語版が特設ページ( https://en.wikipedia.org/wiki/My_Brother's_Keeper_(disambiguation) / https://en.wikipedia.org/wiki/My_Sister's_Keeper )を設けて列挙するほどである。もちろんそれらは全て『旧約聖書』「創世記」4章9節にある殺人犯カイン(英語読みでケイン)の言葉を踏まえている。

3) an eye for an eye (and a tooth for a tooth)

目には目を(歯には歯を)

ケイムブリヂ(剣橋)大学出版局(CUP: Cambridge University Press)の無料オンライン辞典による定義

https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/an-eye-for-an-eye-and-a-tooth-for-a-tooth

said to show that you believe if someone does something wrong, that person should be punished by having the same thing done to them

他人が何か悪いことをしでかしたら、その人間は自分にやったことと同じだけの罰を受けるべきであると信じていることを示すために言われる。

[...] And if any mischief follow, then thou shalt give life for life, Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, Burning for burning, wound for wound, stripe for stripe. And if a man smite the eye of his servant, or the eye of his maid, that it perish; he shall let him go free for his eye’s sake. And if he smite out his manservant’s tooth, or his maidservant’s tooth; he shall let him go free for his tooth’s sake. [...](1611年文語英訳 KJV=欽定版)

[...] But if any harm follows, then you must take life for life, eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, burning for burning, wound for wound, and bruise for bruise. “If a man strikes his servant’s eye, or his maid’s eye, and destroys it, he shall let him go free for his eye’s sake. If he strikes out his male servant’s tooth, or his female servant’s tooth, he shall let him go free for his tooth’s sake. [...](1901年口語英訳 WEB=世界英語聖書)

[...] If any harm follows, then you shall give life for life, eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, burn for burn, wound for wound, stripe for stripe. When a slave owner strikes the eye of a male or female slave, destroying it, the owner shall let the slave go, a free person, to compensate for the eye. If the owner knocks out a tooth of a male or female slave, the slave shall be let go, a free person, to compensate for the tooth. [...](1989年口語英訳 NRSV =新改訂標準版)

[前略] 若(もし)害(がい)ある時(とき)は生命(いのち)にて生命(いのち)を償(つぐな)ひ、()にて目()を償(つぐな)ひ齒()にて齒()を償(つぐな)手()にて手()を償(つぐな)ひ足(あし)にて足(あし)を償(つぐな)ひ、烙(やき)にて烙(やき)を償(つぐな)ひ傷(きず)にて傷(きず)を償(つぐな)ひ打傷(うちきず)にて打傷(うちきず)を償(つぐな)ふべし。人(ひと)もしその僕(しもべ)の一(ひとつ)の目()あるひは婢(しもめ)の一(ひとつ)の目()を擊()てこれを喪(つぶ)さばその目()のために之(これ)を釋(はな)つべし。又(また)もしその僕(しもべ)の一箇(ひとつ)の齒()か婢(しもめ)の一箇(ひとつ)の齒()を打落(うちかゝ)ばその齒()のために之(これ)を釋(はな)つべし。[後略](大正期文語譯)

[前略] しかし、ほかの害がある時は、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。もし人が自分の男奴隷の片目、または女奴隷の片目を撃ち、これをつぶすならば、その目のためにこれを自由の身として去らせなければならない。また、もしその男奴隷の一本の歯、またはその女奴隷の一本の歯を撃ち落すならば、その歯のためにこれを自由の身として去らせなければならない。[後略](昭和戦後期口語訳)

[前略] もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。人が自分の男奴隷あるいは女奴隷の目を打って、目がつぶれた場合、その目の償いとして、その者を自由にして去らせねばならない。もし、自分の男奴隷あるいは女奴隷の歯を折った場合、その歯の償いとして、その者を自由に去らせねばならない。[後略](昭和末期新共同訳)

上記の引用は『旧約聖書』「出エジプト記」21章23~27節(Exodus 21:23-27 from The Old Testament)であり、「目には目を、歯には歯を」という文言(もんごん)が書かれていることで有名である。しかしながら、下記7番で後述するように『新訳聖書』「マタイによる福音書」5章38~44節(Gospel according to Matthew 5:38-44 from The New Testament)に登場するイエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)が、その内容を完全に否定することになる。

「目には目を、歯には歯を」とは、元来バビロニア(Babylonia: 現在のイラク共和国南部)で今から三千七百年以上前の紀元前1792-1750年頃(c.1792-50 BC)に書かれたと考えられ、玄武岩(げんぶ がん: basalt)にアッカド語楔形(くさび がた)文字(英 Akkadian cuneiform scripts; 仏 l’écriture cunéiforme en langue akkadienne)で彫り込まれた 『ハンムラビ法典』(俗に『ハムラビ法典』; 英称 the Code of Hammurabi; 仏称 le Code de Hammurabi)の全282条の条文(第282条で条文が終わっているためだが実は専門家によれば誤り)中の第196条から201条に在()る。なお、その玄武岩は現在はフランス共和国首都パリ市内のルーヴル美術館(仏 Musée du Louvre ミュゼデュルーヴ)で収蔵・展示されている。これらの条文は「人が誰かを傷つけた場合、その罰は同程度のものでなければならない、もしくは相当の代価を受け取ることでこれに代えることもできる」という意味である。したがって「目をつぶされた報復には目をつぶせ、歯を折られた報復には歯を折れ」などという過激な内容ではない。つまり「誰かの目をつぶしてしまった罪には自分の目を潰(つぶ)すことで償(つぐな)う」「誰かの歯を折ってしまった罪には自分の歯を折ることで償う」とされ、今でいう「倍返し」のような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめている。それは報復の応酬(おうしゅう)を回避するのが目的だった( https://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/バビロンの王のハンムラビ法典 / http://www.y-history.net/appendix/wh0101-020.html / https://www.tamagawa.jp/graduate/educate/column/detail_6305.html / https://www.tamagawa.jp/graduate/educate/column/detail_6308.html )。この考えが古代ローマに伝わると、羅典(ラテン)語で LEX TALIONIS (lēx tāliōnis: レークス・ターリオーニス)=同害復讐法となり、話が少々ややこしくなる。

4) the apple of his eye

「眼の中のリンゴ」、転じて「非常に大切にしているもの、掌中(しょうちゅう)の珠(たま)」の意。『旧約聖書』「申命記(しんめいき)」32章10節(Book of Deuteronomy 32:10 from The Old Testament)から。但し、これは意図的な誤訳(deliberate mistranslation)であり、ヘブライ語(Hebrew)の原典では、「目の黒い部分」となっている。イギリス人で黒い目をしている人が少ないため、意味が伝わりにくいと英訳者が考えたからであり、喩(たと)えとして、イギリスで最も身近な果物である林檎(apple)を使って英訳している。

5) Blessed are the meek: for they shall inherit the earth.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

幸福(さいはひ)なるかな、柔和(にうわ)なる者(もの)。その人(ひと)は地()を嗣()がん。(大正期文語譯)

『新約聖書』「マタイによる福音書」5章5節(Gospel according to Matthew 5:5 from The New Testament)のイエスのことば。

6) the salt of the earth

「地の塩」、転じて「世の腐敗を防ぐ健全分子、社会の中堅」の意。『新訳聖書』「マタイによる福音書」5章13節(Gospel according to Matthew 5:13 from The New Testament)から。

『新訳聖書』「マタイによる福音書」5章13節~16節(Gospel according to Matthew 5:3 to 5:16 from The New Testament)までの全文を以下に引用。

Ye are the salt of the earth: but if the salt have lost his savour, wherewith shall it be salted? it is thenceforth good for nothing, but to be cast out, and to be trodden under foot of men. Ye are the light of the world. A city that is set on an hill cannot be hid. Neither do men light a candle, and put it under a bushel, but on a candlestick; and it giveth light unto all that are in the house. Let your light so shine before men, that they may see your good works, and glorify your Father which is in heaven.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

汝(なんぢ)らは()の鹽(しほ)なり、鹽(しほ)もし效力(かうりよく)を失(うしな)はば、何(なに)をもてか之(これ)に鹽(しほ)すべき。後(のち)は用(よぅ)なし、外(そと)にすてられて人(ひと)に踏()まるゝのみ。汝(なんぢ)らは()の光(ひかり)なり。山(やま)の上(うへ)にある町(まち)は隱(かく)るゝことなし。また人(ひと)は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下(した)におかず、燈臺(とぅだい)の上(うへ)におく。斯(かく)て燈火(ともしび)は家(いへ)にある凡(すべ)ての物(もの)を照()らすなり。斯(かく)のごとく汝(なんぢ)らの光(ひかり)を人(ひと)の前(まへ)にかゞやかせ。これ人(ひと)の汝(なんぢ)らが善()き行爲(おこなひ)を見()て、天(てん)にいます汝(なんぢ)らの父(ちゝ)を崇(あが)めん爲(ため)なり。(大正期文語譯)

あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(昭和戦後期口語訳)

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(昭和末期新共同訳: 昭和戦後期口語訳に鉤括弧を付しただけ)

[参考] 13節と14節を合わせて青山学院モットー「地の塩、世の光 The salt of the earth, the light of the world.」が完成。14節を流用して昭和女子大学モットー「世の光となろう Be a light to the world.」が完成。

7) turn the other cheek

「もう片方の頬を向ける」、転じて「(仕返しをせずに)人の仕打ちをうける、ひどい仕打ちに対して仕返しをしようとしない」の意。

Ye have heard that it hath been said, An eye for an eye, and a tooth for a tooth: But I say unto you, That ye resist not evil: but whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also. And if any man will sue thee at the law, and take away thy coat, let him have thy cloak also. And whosoever shall compel thee to go a mile, go with him twain. Give to him that asketh thee, and from him that would borrow of thee turn not thou away.

Ye have heard that it hath been said, Thou shalt love thy neighbour, and hate thine enemy. But I say unto you, Love your enemies, bless them that curse you, do good to them that hate you, and pray for them which despitefully use you, and persecute you; [...](1611年文語英訳 KJV=欽定版)

“You have heard that it was said, ‘An eye for an eye, and a tooth for a tooth.’But I tell you, don’t resist him who is evil; but whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also. If anyone sues you to take away your coat, let him have your cloak also. Whoever compels you to go one mile, go with him two. Give to him who asks you, and don’t turn away him who desires to borrow from you.

“You have heard that it was said, ‘You shall love your neighbour and hate your enemy.’But I tell you, love your enemies, bless those who curse you, do good to those who hate you, and pray for those who mistreat you and persecute you, [...](1901年口語英訳 WEB=世界英語聖書)

“You have heard the law that says the punishment must match the injury: ‘An eye for an eye, and a tooth for a tooth.’ But I say, do not resist an evil person! If someone slaps you on the right cheek, offer the other cheek also. If you are sued in court and your shirt is taken from you, give your coat, too. If a soldier demands that you carry his gear for a mile, carry it two miles. Give to those who ask, and don’t turn away from those who want to borrow.

Teaching about Love for Enemies

“You have heard the law that says, ‘Love your neighbour’ and hate your enemy. But I say, love your enemies! Pray for those who persecute you! [...](1989年口語英訳 NRSV =新改訂標準版)

「目()には目()を、齒()には齒()を」と云()へることあるを汝(なんぢ)ら聞()けり。されど我(われ)は汝(なんぢ)らに告()ぐ、惡()しき者(もの)に抵抗(てむか)ふな。(ひと)もし汝(なんぢ)の右(みぎ)の頬(ほゝ)をうたば、左(ひだり)をも向()けよ。なんぢを訴(うつた)へて下衣(したぎ)を取()らんとする者(もの)には、上衣(うはぎ)をも取()らせよ。人(ひと)もし汝(なんぢ)に一里(いちり)ゆくことを強()ひなば、共(とも)に二里(にり)ゆけ。なんぢに請()ふ者(もの)にあたへ、借()らんとする者(もの)を拒(こば)むな。

「なんぢの隣(となり)を愛(あい)し、なんぢの仇(あだ)を憎(にく)むべし」と云()へることあるを汝等(なんぢら)きけり。されど我(われ)は汝(なんぢ)らに告()ぐ、汝(なんぢ)らの仇(あだ)を愛(あい)し、汝(なんぢ)らを責()むる者(もの)のために祈(いの)れ。[後略](大正期文語譯)

「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。

「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。[後略](昭和戦後期口語訳)

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 [後略](昭和末期新共同訳)

上記は、『新訳聖書』「マタイによる福音書」5章38~44節(Gospel according to Matthew 5:38-44 from The New Testament)。キリスト教思想のひとつの根幹。イエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)のことば、山上(さんじょう)の垂訓(すいくん)が、本ウェブページの3番目に掲げた『旧約聖書』「出エジプト記」21章23~27節(Exodus 21:23-27 from The Old Testament)の内容を真っ向から否定する。

近現代史では、中華民國の指導者(悪く言うとナチス・ドイツ国防軍将官らと仲良しだった独裁者)でキリスト教徒の蔣介石(しょう かいせき; Jiǎng Jièshí; 英名 Chiang Kai-shek, 1887-1975; 國民政府主席在任1928-31 & 1943-48; 總統在任1948-75)が、1945年8月に日本の本土に放たれた米軍の2発の原爆と、ソ連軍の参戦のお蔭で八年間も戦ってきた宿敵日本軍に辛くも勝利した。蔣介石はその際にキリスト教精神を発揮し、しかも中国の古典である『老子』第六十三章にある「以德報怨」(いとく ほうおん; Yǐ dé bào yuàn: 德(とく)を以(もつ)て怨(うら)みに報(むく)ふ; 怨(うら)みに報(むく)ゆるに德(とく)を以(もつ)てす; 怨(うら)みに報(むく)ひるに德(とく)を以(もつ)てせん)という四字熟語に言及し、日本への復讐心に燃える部下たちを諫(いさ)め、大日本帝國(Empire of Japan)の支那(China)方面派遣軍と在華日本人たち(Japanese residents in China)を無事に日本へ送還してやった。国土を日本軍に蹂躙(じゅうりん)され、戦後復興も儘(まま)ならない状態であったにも拘(かか)わらず、対日賠償も放棄した。キリスト教徒蔣介石のこうした好意に感動し、感謝を表明する日本人も多い。1951年9月8日(土)に調印された Treaty of Peace with Japan (「日本国との平和条約」の意; 通称 Treaty of San Francisco サンフランシスコ講和条約)にはこうある。(b) Except as otherwise provided in the present Treaty, the Allied Powers waive all reparations claims of the Allied Powers, other claims of the Allied Powers and their nationals arising out of any actions taken by Japan and its nationals in the course of the prosecution of the war, and claims of the Allied Powers for direct military costs of occupation.((b) この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。)(14条 (V) http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html )と。同時に台湾と結ばれた日華平和条約には、こうある。中華民国は、「日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約第十四条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」(同議定書1(b))と。これらは、蔣介石が「以德報怨」で寛大に臨んだため、と言われている。

但し、蔣介石の側にも自己都合の思惑があり、蔣介石の軍勢(國民黨軍=国民党軍)から迫害(虐殺や拷問)を受けた臺灣(台湾)独立派の人たちは違うとして反論している( http://www.ritouki.jp/index.php/info/20020708/ / http://ilha-formosa.org/?tag=以直報怨%E3%80%80以徳報怨%E3%80%80蔣介石%E3%80%80蒋介石%E3%80%80日本に與 )。

【参考記事】

[アメリカの話題]

自転車を盗まれたバージニアの牧師が140台を無償修理したワケに絶賛の声

日刊ゲンダイ

2021年1月20日(水)

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284080

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/284080/2

https://news.yahoo.co.jp/articles/e9dba558b49e570c5b23e9273811158b9019c66b

https://news.yahoo.co.jp/articles/e9dba558b49e570c5b23e9273811158b9019c66b/comments

[もとの米語記事]

His bike was stolen in Virginia. His response was to collect bikes to fix and give away to people in need.

(彼の自転車がヴァージニア州で盗まれた。彼の反応は自転車を集めて直し、必要としている人たちに配ることだった。)

米ワシントン・ポスト紙(The Washington Post)

カイル・メルニック(Kyle Melnick)記者署名記事

2021年1月10日(日)

https://www.washingtonpost.com/lifestyle/2021/01/11/bike-repair-giveaway-ashburn-virginia/

【比較参考】

【お寺の掲示板74】やられてもやり返さない

半沢直樹の逆を行くのが仏教

ダイヤモンド・オンライン

浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭(えだ ともあき, b.1976)&ダイヤモンド・セレクト編集部

2020年10月12日(月)

https://diamond.jp/articles/-/250848

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e4f90391998f7cbd3d0cfdad0fec80d905373d1 (リンク切れ)

【比較参考】イスラム教の聖典 『クルアーン』、通称 『コーラン』から見るイスラム教の本質

https://sites.google.com/site/xapaga/home/quran_koran

8) Lord’s Prayer (主の祈り)=『新約聖書』「マタイによる福音書」6章9~13節(Gospel according to Matthew 6:9-13 from The New Testament

6:9 After this manner therefore pray ye: Our Father which art in heaven, Hallowed be thy name.

6:10 Thy kingdom come, Thy will be done in earth, as it is in heaven.

6:11 Give us this day our daily bread.

6:12 And forgive us our debts, as we forgive our debtors.

6:13 And lead us not into temptation, but deliver us from evil: For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

6:9 In this manner, therefore, pray:

6:10 Our Father in heaven,

Hallowed be Your name.

Your kingdom come.

Your will be done

On earth as it is in heaven.

6:11 Give us this day our daily bread.

6:12 And forgive us our debts,

As we forgive our debtors.

6:13 And do not lead us into temptation,

But deliver us from the evil one.

For Yours is the kingdom and the power and the glory forever. Amen.(NKJV=新欽定版)

6:9 この故(ゆゑ)に汝(なんぢ)らは斯()く祈(いの)れ。「天(てん)にゐます我(われ)らの父(ちゝ)よ、願(ねがは)くは御名(みな)の崇(あが)められん事(こと)を。

6:10 御國(みくに)の來(きた)らんことを。御意(みこゝろ)の天(てん)のごとく地()にも行(おこな)はれん事(こと)を。

6:11 我(われ)らの日用(にちよぅ)の糧(かて)を今日(けふ)もあたへ給(たま)へ。

6:12 我(われ)らに負債(おひめ)ある者(もの)を我(われ)らの免(ゆる)したる如(ごと)く、我(われ)らの負債(おひめ)をも免(ゆる)し給(たま)へ。

6:13 我(われ)らを嘗試(こゝろみ)に遇(あは)せず、惡(あく)より救(すく)ひ出(いだ)したまへ」(大正期文語譯)

6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

6:13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。(昭和戦後期口語訳)

6:9 だから、こう祈りなさい。「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。

6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。

6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

6:12 わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」(昭和末期新共同訳)

【参考】

古典希臘(ギリシア)語原典の文章と音声

https://www.youtube.com/watch?v=dJRRA_IHR_o

原典の希臘(ギリシア)文字

羅典(ラテン)文字転写(学習者向け長音記号付き)

カタカナ表記(参考程度)

6:9 Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς· ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου·

6:9 Pāter hēmōn ho en tois ūrānois hagiasthētō to onoma sū.

6:9 パーテる・ヘーモーン・ホ・エン・トイス・ウーらーノイス・ハギアストートー・ト・オノマ・スー。

6:10 ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου· γενηθήτω τὸ θέλημά σου, ὡς ἐν οὐρανῷ καὶ ἐπὶ τῆς γῆς·

6:10 elthetō hē basileia sū. genēthētō to thelēma sū, hōs en ūranō, kai epi tēs gēs

6:10 エルトトー・ヘー・バシレイア・スー。ゲネートートー・ト・トレーマ・スー、ホース・エン・ウーらーノー・カイ・エピ・テース・ゲース。

6:11 τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον·

6:11 ton ārton hēmōn ton epiūsion dos hēmīn sēmeron.

6:11 トン・アーるトン・ヘーモーン・トン・エピウーシオン・ドス・ヘーミーン・セーメろン。

6:12 καὶ ἄφες ἡμῖν τὰ ὀφειλήματα ἡμῶν, ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφίεμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν·

6:12 kai aphes hēmīn ta opheilēmata hēmōn, hōs kai hēmeis aphiemen tois opheiletais hēmōn.

6:12 カイ・アペス・ヘーミーン・タ・オペへイレーマタ・ヘーモン、ホース・カイ・ヘーメイス・アピエメン・トイス・オペイレタイス・ヘーモーン。

6:13 καὶ μὴ εἰσενέγκῃς ἡμᾶς εἰς πειρασμόν, ἀλλὰ ῥῦσαι ἡμᾶς ἀπὸ τοῦ πονηροῦ.

6:13 kai mē eisenenkēs hēmās eis peirasmon, alla rhysai hēmās apo tū ponērū.

6:13 カイ・メー・エイセネンケース・ヘーマース・エイス・ペイらスモン、アッラ・ゥりューサイ・ヘーマース・アポ・トゥー・ポネールー。

ἀμήν.

Amēn.

アメーン。

【参考】

古典羅典(ラテン)語訳の文章と音声

https://www.sacred-texts.com/chr/lordpray.htm

https://www.youtube.com/watch?v=SLKdZhBsjoU

羅典(ラテン)語大文字表記=古代羅馬(ローマ)式

羅典(ラテン)語小文字表記(語頭のみ大文字、学習者向け長音記号付き)

カタカナ表記(参考程度)

6:9 PATER NOSTER, QUI ES IN CÆLIS, SANCTIFICETUR NOMEN TUUM.

6:9 Pater noster, quī es in cǣlīs, sanctificētur nōmen tuum.

6:9 パテる・ノステる、クィー・エス・イン・チェーリース(またはカェーリース)、サンクティフィケートゥる・ノーメン・トゥウム。

6:10 ADVENIAT REGNUM TUUM. FIAT VOLUNTAS TUA SICUT IN CÆLO ET IN TERRA.

6:10 Adveniat regnum tuum. Fīat voluntās tua sīcut in cǣlō et in terrā.

6:10 ドゥウェニアットゥ・ゥれグヌム(またはゥれッニュム)・トゥウム。フィーアトゥ・ウォルンタース・トゥア・シークットゥ・イン・チェーロー(またはカェーロー)・エットゥ・イン・テッらー。

6:11 PANEM NOSTRUM QUOTIDIANUM DA NOBIS HODIE,

6:11 Pānem nostrum quotīdiānum dā nōbis hodiē,

6:11 パーネム・ノストゥるム・クォティーディアーヌム・ダー・ノービス・ホディエー、

6:12 ET DIMITTE NOBIS DEBITA NOSTRA, SICUT ET NOS DIMITTIMUS DEBITORIBUS NOSTRIS.

6:12 Et dīmitte nōbis dēbitā nostrā, sīcut et nōs dīmittimus dēbitōribus nostrīs.

6:12 ットゥ・ディーミッテ・ノービス・デービター・ノストゥらー・シークットゥ・エットゥ・ノース・ディーミッテムス・デービトーりブス・ノストりース。

6:13 ET NE NOS INDUCAS IN TENTATIONEM; SED LIBERA NOS A MALO.

6:13 Et nē nōs indūcās in tentātiōnem; sed liberā nōs ā malō.

6:13 ットゥ・ネー・ノース・インドゥーカース・イン・テンターツィオーネム、セッドゥ・リベらー・ノース・アー・マロー。

AMEN.

Āmen.

アーメン。

9) cast pearls before swine

「豚に真珠を投げ与える」、転じて「真価を理解しない者に価値あるものを与える」( https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/to-cast-pearls-before-swine )。

『新訳聖書』「マタイによる福音書」7章6節(Gospel according to Matthew 7:6 from The New Testament)のイエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)のことば、山上(さんじょう)の垂訓(すいくん)から。

[参考] 上方(かみがた)=関西の諺(ことわざ)に「豚に真珠」、江戸の諺に「猫に小判」があるが、上方(かみがた)版は戦国時代に南蛮人(南欧のスペイン人やポルトガル人)切支丹(キリシタン)宣教師から伝わった可能性が高い。同様にこの時期には英語読みでイソップ(Æsop; Aesop, 619BC - c.564BC)こと、アイソーポス(Αἴσωπος = Aísōpos, 619BC - c.564BC)の寓話集(Aesop’s Fables: 日本ではイソップ童話)の中から「ウサギとカメ」=英題 ‘The Tortoise and the Hare’ (「カメと野ウサギ」の意)が伝わっている。この寓話は英米でもよく知られているため、数々の児童向けアニメが制作され( https://www.youtube.com/watch?v=SUngzUtFr7Q )、米国マサチューセッツ州ボストン市の繁華街コプリー広場(Copley Square, Boston, Massachusetts, USA)には銅像が置かれている( https://www.google.com/maps/place/Tortoise+and+Hare/@42.3481782,-71.0770785,207a,35y,39.48t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x89e37a0c867266bb:0xe89d2abd3ffbada4!8m2!3d42.3500288!4d-71.0761344 )。

10) Therefore all things whatsoever ye would that men should do to you, do ye even so to them:(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

Do unto others as you would have them do unto you.(口語英訳)

さらば凡(すべ)ての人(ひと)に爲()られんと思(おも)ふことは、人(ひと)にも亦(また)その如(ごと)くせよ。[後略] (大正期文語譯)

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。[後略] (昭和戦後期口語訳)

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。[後略] (昭和末期新共同訳)

イエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)のことば、山上(さんじょう)の垂訓(すいくん)。『新訳聖書』「マタイによる福音書」7章12節(Gospel according to Matthew 7:12 from The New Testament)。キリスト教思想のひとつの根幹で、英国の国家元首エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)は屡々(しばしば)口語英訳を引用する。

キリスト教文化にどっぷりと浸()かっている欧米文化圏(特に英米)では無神論者であっても躊躇(ちゅうちょ)無く、しかも無意識的にキリスト教的な言動を選び取る。そのため遠く視界の範囲内に盲人(もうじん: a blind person)が歩いているのを目にすれば近づいて、英 ‘Are you all right?’ (大丈夫かい?)や、米 “Easy.” (楽に。)と話しかけ、手を取って一緒に横断歩道を渡ってあげたり、駅のプラットフォームを一緒に歩いたりする。やっている当人は何か特別のことをしている積りは無いし、照れ臭さも無い。それに引き換え非キリスト教文化圏の日本では見ず知らずの他人に対して親切にする習慣が無いため、イギリス人が啞然とするような盲人用信号が多く存在する( https://sites.google.com/site/xapaga/home/cominthrotherye )。ここ数年だけを見ても、盲人(昨今の言葉狩りの時代には「目の不自由な方(かた)」)が駅のプラットフォームから転落して死亡するという痛ましい事故が日本では後(あと)を絶()たない。ニュース報道では「ホームドアの設置が急がれます。」としたり顔で話すが、他人に厳しい日本人の性格を直す必要がある。そもそも伝統的に日本人が身障者に冷たかったのはなぜだろうか。それは根底に佛敎(仏教: Buddhism ブゥデズム)輪廻轉生(輪廻転生; りんね てんしやぅ; りんね てんせい: reincarnation りィンカネイシュン)因果應報(因果応報; いんが おうほう: Karma カーマ; karmic retribution カーミックりトゥビューシュン)の思想があるからだ。つまり「あの者は前世に悪事を働いた報(むく)いとして現世で苦しい思いをしている」という考え方である。今日(こんにち)の日本で輪廻転生をまともに信じる人は少ないだろうが、まだ日本人の心情の奥底に昔の名残りがあると xapaga (原田)は見ている。

上記キリスト教倫理規範の比較参考として、孔子(こうし; Kǒng Zǐ; 英名 Confucius, 551BC-479BC)が言ったとされ、『論語』巻第八「衞靈公」第十五之二十四に載っている、儒敎道德(Confucianism; Confucian ethics)の根幹の一つである言葉、「不欲勿施於人」(漢文読み下し文: (おのれ)の欲(ほつ)せざる所(ところ)(ひと)に於(おひ)ても施(ほどこ)すこと勿(なか); 中文ピンイン: Jǐ suǒ bù yù wù shī yú rén.)との違いを考えてみたい。また、2015年以降、日本の教育界に大混乱を巻き起こしている「江戸しぐさ」( https://sites.google.com/site/xapaga/home/yedoshigusa )の問題も併せて考えてみる必要がある。

【衝撃!】日本は世界で最悪レベルの「他人に不親切な国」だった!2018年調査「見知らぬ人を助ける」項目で142位

2019年(令和元年)7月10日(水)

https://www.cafonline.org/docs/default-source/about-us-publications/caf_wgi2018_report_webnopw_2379a_261018.pdf?sfvrsn=c28e9140_4 (pp.35-36 of 44 pages)

https://twitter.com/plumyogamat/status/1134635333314682880?s=21

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562695802/

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562701620/

1974年に英国で組織された慈善援助財団(CAF: Charities Aid Foundation)が実施した最新版の「CAF世界分け与え指数2018年」(CAF World Giving Index 2018)の調査結果によると、日本は「見知らぬ人を助ける」(Helping a stranger)の項目で調査対象国144ヶ国中142位。なお、米国は10位で、英国は29位。トップ集団にはイスラム教の国々が目立ち、それに次いでキリスト教の国々が続く。下位集団では120位のモンテネグロ、123位のボスニア・ヘルツェゴヴィナ、125位のハンガリー、129位のアゼルバイジャン、130位のカザフスタン、131位のポーランド、132位のセルビア、133位のエストニア、134位のスロヴァキア、137位のベラルーシ、138位のマケドニア、139位のラトヴィア、140位のチェコ、141位のクロアチアといった具合に東欧及び旧ソ連の旧共産圏諸国(半世紀前後に亘って宗教が否定された国々)が目に付く。また、135位には1949年から現在に至るも中国共産党(中共)一党独裁体制が続いている(七十年も宗教が否定されている)中華人民共和国(中共・中国)がつけている。他に目に付くのが、127位のタイ、142位の日本、143位のラオス、144位(最下位)のカンボジアといった具合にアジアの仏教国または仏教の影響の強い国(日本)である。

視覚障害者の転落事故 各地で後を絶たず

毎日新聞

千脇康平記者署名記事

2017年12月18日(月)

https://mainichi.jp/articles/20171218/k00/00e/040/194000c

(前略・改行)

阪急電鉄、十三駅にホーム柵の新設を進めているが…

駅のホームで再び悲劇が繰り返された。阪急京都線の上新庄駅(大阪市東淀川区)で18日、視覚障害者とみられる高齢女性がホームから転落死した事故。各地で同様の事故が相次ぐ中、(中略・改行)

視覚障害者が駅のホームから転落し、命を落とす痛ましい事故は各地で後を絶たない。国土交通省によると、昨年度のホームからの転落事故は2890件。うち69件が視覚障害者が絡むものだった。

大阪府高石市のJR阪和線富木(とのき)駅でも今年10月、50代男性が白杖(はくじょう)をついてふらつきながらホーム上を歩いた後に転落し、電車にはねられて死亡する事故が起きたばかりだった。【千脇康平】

目の不自由な人がホームから転落した主な事故

2010年 1月 JR岐阜羽島駅(岐阜県)の新幹線ホームから視覚障害のある男性(66)が転落し重傷。大阪市営地下鉄御堂筋線なんば駅では弱視の男性(61)が転落し重傷(年齢はいずれも当時)

11年 1月 JR山手線目白駅(東京都)で全盲の男性(42)が転落、電車にはねられ死亡

10月 JR青梅線拝島駅(東京都)で視覚障害のある女性(69)が転落、電車にはねられ死亡

12年 3月 東武東上線川越駅(埼玉県)で視覚障害のある男性(62)が線路に転落、電車にはねられて死亡

15年 3月 阪急宝塚線服部天神駅(大阪府)で視覚障害のある男性(64)が転落、電車にはねられて死亡

16年 8月 東京メトロ銀座線青山一丁目駅(東京都)で、盲導犬を連れていた男性(55)が転落、電車にひかれて死亡

10月 近鉄大阪線河内国分駅(大阪府)で全盲の男性(40)が転落、電車にひかれて死亡

17年 1月 JR京浜東北線蕨(わらび)駅(埼玉県)で盲導犬を連れていた男性(63)が転落、電車にはねられて死亡

駅ホームから転落死 点字ブロック高さのズレが原因か

NHKニュースウェブ

2019年10月11日(金)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012122211000.html (リンク切れ)

今月、東京 葛飾区の駅で視覚障害者の女性が転落し死亡した事故で現場の点字ブロックの高さにズレがあったことが分かりました。障害者団体は転落の原因となった可能性があるとして改善を求めることにしています。

今月1日、葛飾区の京成立石駅でホームでつまずいたとみられる荒川区に住む視覚障害者の秋谷喜代子さん(66)が線路に転落し電車にはねられ死亡しました。

現場の点字ブロックは、突起状のブロックに沿ってホームの内側を示すための直線状のブロックが去年、追加で設置されましたが、事故のあと東京都盲人福祉協会が確認したところ、この追加で設置した部分が前からあった部分より3、4ミリ高く、ズレがあったことが分かりました。

盲人福祉協会によりますと、視覚障害者は特に駅のホームでは点字ブロックを慎重に確認しようとすり足気味に歩く傾向にあるため数ミリのずれでもつまずくおそれがあるということです。このため、今回の事故の原因となった可能性があるとして、鉄道会社に改善を求めることにしています。

(改行・後略)

視覚障害者が電車にはねられ死亡 誤ってホームから転落か

11) the eleventh hour

「11番目の時間」、転じて「最後のギリギリ」。以下に『新約聖書』「マタイによる福音書」第20章の6~7節(Gospel according to Matthew 20: 6-7 from The New Testament)を引用。

And about the eleventh hour he went out, and found others standing idle, and saith unto them, Why stand ye here all the day idle? They say unto him, Because no man hath hired us. He saith unto them, Go ye also into the vineyard; (1611年文語英訳 KJV=欽定版)

五時(ごじ)頃(ごろ)また出()でしに、なほ立()つ者(もの)どものあるを見()ていふ「何(なに)ゆゑ終日(しゆぅじつ)こゝに空(むな)しく立()つか」 / かれら言()ふ「たれも我(われ)らを雇(やと)はぬ故(ゆゑ)なり」主人(しゆじん)いふ「なんぢらも葡萄園(ぶだうゑん)に往()け」(大正期文語譯)

五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、「なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか」。彼らが「だれもわたしたちを雇ってくれませんから」と答えたので、その人々に言った、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」。(昭和期口語訳)

五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。(昭和末期新共同訳)

『新約聖書』「マタイによる福音書」第20章の1節~16節(Gospel according to Matthew 20: 1-16 from The New Testament)に載っている「葡萄園の労働者の寓話」(“Parable of the Workers in the Vineyard” https://en.wikipedia.org/wiki/Parable_of_the_Workers_in_the_Vineyard )の中で、イエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)は「11番目の時間」(the eleventh hour)という用語を時期的に遅いことの譬(たと)えに使用するが、天上の王国(the Kingdom of Heaven)を示唆(しさ)するとされる「葡萄園」(the Vineyard)に入るのに遅すぎることはないのだと説く。英訳聖書の「11番目の時間ごろ」(about the eleventh hour)と、日本語訳聖書の「五時頃」(「五時ごろ」)とでは意味が全く違うように見えるが、イエスが活躍した約二千年前の中東パレスティナ(Palestine)では11時間労働が当然であり、朝7時から夕方6時まで働いた。したがって「11番目の時間ごろ」(about the eleventh hour)も「五時頃」(「五時ごろ」)も、ともに最後の1時間という意味になる。この故事を踏まえた上で、欧米の小説や映画の題名に頻出する「11番目の時間」は「最後のギリギリ」という意味である。また、1918年11月11日(月) 午前11時(ドイツ時間では正午)にフランス東部のコンピエーニュの森で休戦協定が結ばれ、第一次世界大戦(the Great War; the First World War; World War I, 1914-18)の停戦が英仏側とドイツ側で成立し、全ての銃撃が止んだこと、そしてそのことを記念して、戦歿者を追悼する意味を込めてイギリスでは毎年11月11日の午前11時に学校の授業を中断したり、公共交通を止めてまで2分間の黙祷を捧げる(observe a two-minute silence)が、意図的に11の数字を三つ重ねたわけである。

12) [前略] How hardly shall they that have riches enter into the kingdom of God! For it is easier for a camel to go through a needle’s eye, than for a rich man to enter into the kingdom of God.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

[前略] How hard it is for rich people to enter the Kingdom of God! It is much harder for a rich person to enter the Kingdom of God than for a camel to go through the eye of a needle.(口語英訳)

[前略] 富()める者(もの)の神(かみ)の國(くに)に入()るは如何(いか)に難(かた)いかな。富()める者(もの)の神(かみ)の國(くに)に入()るよりは、駱駝(らくだ)の針(はり)の穴(あな)をとほるは反(かへ)つて易(やす)し。(大正期文語譯)

[前略] 「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(昭和期口語訳)

[前略] 「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 (昭和末期新共同訳)

『新約聖書』「ルカによる福音書」18章24~25節(Gospel according to Luke 18:24 to 18:25 from The New Testament)のイエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)のことば。

13) Father, forgive them; for they know not what they do.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

父(ちゝ)よ、彼(かれ)らを赦(ゆる)し給(たま)へ、その爲()す所(ところ)を知()らざればなり。(大正期文語譯)

『新訳聖書』「ルカによる福音書」23章34節。ローマ軍によって十字架に磔刑(たっけい)=磔(はりつけ)の刑になったイエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)が言ったとされる赦(ゆる)しのことば。キリスト教思想のひとつの根幹。

14) In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神(かみ)と偕(とも)にあり、言(ことば)は神(かみ)なりき。(大正期文語譯)

はじめに言葉ありき。言葉は神とともにありき。言葉は神なりき。(人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した文語譯)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(昭和戦後期口語訳及び昭和末期新共同訳)

『新約聖書』「ヨハネによる福音書」1章1節(Gospel according to John 1:1 from The New Testament)。

15) cast the first stone 「最初に石を投げる」、転じて「まっさきに非難する」の意。イエスのことばに由来。

[前略] He that is without sin among you, let him first cast a stone at her.(1611年文語英訳 KJV=欽定版)

[前略] 『なんぢらの中(うち)、罪(つみ)なき者(もの)まづ石(いし)を擲(なげう)て。』(大正期文語譯)

[前略] 「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。(昭和期口語訳)

[前略] 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(昭和末期新共同訳)

『新訳聖書』「ヨハネによる福音書」8章7節(Gospel according to John 8:7 from The New Testament)。 姦通(かんつう: adultery ルタりィ=不倫・浮気の罪を犯した女が捕まった。この時代の姦通は死刑も必至(ひっし)の大罪であり、罪人に皆で石を投げつけて殺すという処刑方法だった。「罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とイエス(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)が言うと、年長者から順に人々は立ち去って行った。最初に石を投げつけることのできる者、すなわち、「私は 罪を犯したことがない」と言える者は皆無(かいむ)だった。聖書は「罪の無い者はひとりもいない」と説く。私たちは程度の差だけで人を裁くが、神の目からはみな罪人というキリスト教の思想が根底にある。

16) 『新約聖書』の中から「コリント人への第一の手紙」、別名「コリントの信徒への手紙一」第13章(1 Corinthians 13, or Chapter 13 of the First Epistle to the Corinthians from The New Testament)の全文(1節から13節まで)を下記に引用。この第13章は結婚式や葬式で屡々(しばしば)引用される。

Though I speak with the tongues of men and of angels, and have not love, I am become as sounding brass, or a tinkling cymbal. And though I have the gift of prophecy, and understand all mysteries, and all knowledge; and though I have all faith, so that I could remove mountains, and have not love, I am nothing. And though I bestow all my goods to feed the poor, and though I give my body to be burned, and have not love, it profiteth me nothing. Love suffereth long, and is kind; love envieth not; love vaunteth not itself, is not puffed up, doth not behave itself unseemly, seeketh not her own, is not easily provoked, thinketh no evil; rejoiceth not in iniquity, but rejoiceth in the truth; beareth all things, believeth all things, hopeth all things, endureth all things. Love never faileth: but whether there be prophecies, they shall fail; whether there be tongues, they shall cease; whether there be knowledge, it shall vanish away. For we know in part, and we prophesy in part. But when that which is perfect is come, then that which is in part shall be done away. When I was a child, I spake as a child, I understood as a child, I thought as a child: but when I became a man, I put away childish things. For now we see through a glass, darkly; but then face to face: now I know in part; but then shall I know even as also I am known. And now abideth faith, hope, love, these three; but the greatest of these is love. (1611年文語英訳 KJV=欽定版)

たとひ我(われ)もろ/\の國人(くにびと)の言(げん)および御使(みつかひ)の言(げん)を語(かた)るとも、愛(あい)なくば鳴()る鐘(かね)や響(ひゞ)く鐃鈸(ねぅはち)の如(ごと)し。假令(たとひ)われ預言(よげん)する能力(のぅりよく)あり、又(また)すべての奧義(おふぎ)と凡(すべ)ての知識(ちしき)とに達(たつ)し、また山(やま)を移(うつ)すほどの大(だい)なる信仰(しんかぅ)ありとも、愛(あい)なくば數(かぞ)ふるに足()らず。たとひ我(われ)わが財產(ざいさん)をことごとく施(ほどこ)し、又(また)わが體(からだ)を燒()かるゝ爲(ため)に付()すとも、愛(あい)なくば我(われ)に益(えき)なし。愛(あい)は寛容(かんよぅ)にして慈悲(じひ)あり。愛(あい)は妬(ねた)まず、愛(あい)は誇(ほこ)らず、驕(おご)らず、非禮(ひれい)を行(おこな)はず、己(おのれ)の利()を求(もと)めず、憤(いきど)ほらず、人(ひと)の惡(あく)を念(ねが)はず、不義(ふぎ)を喜(よろこ)ばずして、眞理(しんり)の喜(よろこ)ぶところを喜(よろこ)び、(およ)そ事(こと)(しの)び、おほよそ事(こと)信(しん)じ、おほよそ事(こと)望(のぞ)み、おほよそ事(こと)()ふるなり。愛(あい)は長久(ちやぅきぅ)までも絕()ゆることなし。然(しか)れど預言(よげん)は廢(すた)れ、異言(いげん)[註]は止()み、知識(ちしき)もまた廢(すた)らん。それ我(われ)らの知()るところ全(まつた)からず、我(われ)らの預言(よげん)も全(まつた)からず。全(まつた)き者(もの)の來(きた)らん時(とき)は全(まつた)からぬもの廢(すた)らん。われ童子(どぅじ)の時(とき)は語(かた)ることも童子(どぅじ)のごとく、思(おも)ふことも童子(どぅじ)の如(ごと)く、論(ろん)ずる事(こと)も童子(どぅじ)の如(ごと)くなりしが、人(ひと)と成()りては童子(どぅじ)のことを棄()てたり。今(いま)われらは鏡(かゞみ)をもて見()るごとく見()るところ朧(おぼろ)なり。然(しか)れど、かの時(とき)には顏(かほ)を對(むかひあは)せて相(あい)見()ん。今(いま)わが知()るところ全(まつた)からず、然(しか)れど、かの時(とき)には我()が知()られたる如(ごと)く全(まつた)く知()るべし。げに信仰(しんかぅ)と希望(きばう)と愛(あい)と此()の三()つの者(もの)は限(かぎ)りなく存()らん、而(しかぅ)して其()のうち最(もつと)も大(だい)なるは愛(あい)なり。(大正期文語譯)

たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義(おうぎ)とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言[註]はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(昭和戦後期口語訳)

たとえ、人々の異言[註]、天使たちの異言[註]を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言[註]はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(昭和末期新共同訳)

註: 文中の「異言(いげん)」とは『デジタル大辞泉』(三省堂)によれば、聖霊を受けて宗教的恍惚(こうこつ)境におちいった人が語る、一般の人には理解しがたい言葉のこと。また、『世界大百科事典』第2版(平凡社、株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)によると、一種の宗教的憑依状態において不明瞭な言葉を発する現象のこと。上記の英訳では単に tongues (複数の舌、言語、ことば)となっている。

【比較参考】

昭和廿年(西暦1945年)8月14日(火)付「大東亞戰爭(だいとうあ せんさぅ)終結(しゆぅけつ)の詔勅(せぅちよく)」、翌15日(水)正午にJOAK(ジェイ・オウ・エイ・ケイ)ラヂオ(現在のNHKラジオ第1放送の前身)で玉音(ぎよくおん: 天皇の聲)放送として流された文章の一部(太字は引用者 xapaga =原田によるもの)

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉音放送

https://en.wikipedia.org/wiki/Jewel_Voice_Broadcast

https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/017/017tx.html

https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPUS/index45-60.html

https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450814.O1J.html

https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450814.O1E.html

https://www.youtube.com/watch?v=UGcOEyakDGI (3:03-3:29 of 4:47)

https://www.youtube.com/watch?v=CiGtQ8mu1qc (英語字幕付 3:29-3:54 of 5:06)

[前略] 惟(おも)フニ今後(こんご)帝國(ていこく)ノ受()クヘキ苦難(くなん)ハ固(もと)ヨリ尋常(じんじやぅ)ニアラス(。)爾(なんぢ)臣民(しんみん)ノ衷情(ちゆぅじやぅ)モ朕(ちん)善()ク之(これ)ヲ知()ル(。)然(しか)レトモ朕(ちん)ハ時運(じうん)ノ趨(おもむ)ク所(ところ)(、)()へ難(がた)キヲ堪()へ(、)忍(しの)ヒ難(がた)キヲ忍(しの)(、)以(もつ)テ萬世(ばんせい)ノ爲(ため)ニ太平(たいへい)ヲ開(ひら)カムト欲(ほつ)ス(。)[後略](原文に加へて讀假名(よみがな)と句讀點を括弧内に補足追加)

[前略] 考えてみれば、今後我が国が受けようとしている苦難はきっと並大抵のものではない。あなたがた国民の心中(しんちゅう)も私はよく分かっている。しかしながら私は時の運に従い、耐えられないことに耐え、我慢できないことでも我慢し、全世代のためにも大きな平和への道を切り開いて行きたい。[後略](原田試訳の現代語訳)

The hardships and sufferings to which Our nation is to be subjected hereafter will be certainly great. We are keenly aware of the inmost feelings of all ye, Our subjects. However, it is according to the dictate of time and fate that We have resolved to pave the way for a grand peace for all the generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable.(訳者不詳日本国政府公式英訳)

The hardships and sufferings to which Our nation is to be subjected hereafter will be great. We are keenly aware of the inmost feelings of all of you, Our subjects. However, it is according to the dictates of time and fate that We have resolved to pave the way for a grand peace for all generations to come by enduring the unendurable and suffering what is insufferable. (訳者不詳 New York Daily News 字幕: 日本国政府公式英訳との違いは青字の箇所のみ)

【朗読例】

愛について述べた上記の章はイギリスの結婚式や葬式で屡々(しばしば)引用されるが、1997年9月6日(土)、大ロンドン市ウェストミンスター区(City of Westminster, London)に在るウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)で執り行なわれた故ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)の国民葬(national public funeral)で時の英首相ブレア(Tony Blair, b.1953; 首相在任1997-2007)氏が上記を朗読した。なお、ブレア氏は2007年6月27日(水)に、十年余り務めた内閣総理大臣の職を辞すと共に政界を引退したが、その僅(わず)か半年後の同年(2007年)12月にカトリックに改宗して国民を驚かせた。

https://www.bbc.co.uk/news/special/politics97/diana/order.html

https://www.bbc.co.uk/news/special/politics97/diana/order.html#blair

(動画)

Princess Diana’s Funeral Part 16: Tony Blair and Elton John

https://www.youtube.com/watch?v=NsZKQkVED_I (3:54-7:11 of 9:59)

【参考図書】

・ 西森マリー(にしもり マリー; Marie Nishimori, b.1961) 『聖書をわかれば英語はもっとわかる』(講談社パワー・イングリッシュ, 2013年)

・ 中村圭志(なかむら けいし, b.1958) 『信じない人のためのイエスと福音書ガイド』(みすず書房, 2010年)

・ 中村圭志(なかむら けいし, b.1958) 『聖書、コーラン、仏典 原典から宗教の本質をさぐる』(中央公論新社 中公新書 No.2459, 2017年)

【参考ウェブサイト】

BibleGateway

https://www.biblegateway.com/

Bible.com

https://www.bible.com/bible/1/GEN.1.KJV

Bible Hub

https://biblehub.com/kjv/genesis/1.htm

Bibleref (CHOOSE YOUR BIBLE VERSION のボックスから訳を選択)

https://www.bibleref.com/Genesis/1/Genesis-chapter-1.html

King James Bible Online

https://www.kingjamesbibleonline.org/Genesis-Chapter-1/

Wikisource The 1769 King James Bible, as revised by Benjamin Blayney (1728–1801)

https://en.wikisource.org/wiki/Bible_(King_James)

Wikisource 文語訳旧約聖書

https://ja.wikisource.org/wiki/明治元訳旧約聖書

Wikisource 文語訳新約聖書

https://ja.wikisource.org/wiki/大正改訳新約聖書

Wikisource 口語訳旧約聖書

https://ja.wikisource.org/wiki/口語旧約聖書

Wikisource 口語訳新約聖書

https://ja.wikisource.org/wiki/口語新約聖書

日本聖書協会ホームページ「聖書本文検索」

https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

一般財団法人 日本聖書協会

https://www.bible.or.jp/