西曆2008年 2月 個人電子書簡(フランケンシュタインの件で日本テレワークへ回答)

フジテレビ「トリビアの泉」製作スタッフ(一連の不祥事を経た2011年12月、株式会社NEXTEP(ネクステップ)に吸収合併されることになる日本テレワーク株式会社の社員)から、「小説『フランケンシュタイン』こそが、SF小説の元祖である」という内容で放映して宜しいかと電話で打診があり、以下のようにメールで懇切丁寧に解説。しかしその後音沙汰が一切なく、結局ボツ(不採用)にされた模様。

日本テレワークス

荻原様

電話でご相談を受けた件、小説『フランケンシュタイン』はSF小説の元祖なのか否かについて回答します。

何を以て元祖SFとするのかは専門家の間でも議論が別れます。また、不毛な議論とも言えます。したがって残念ながら日本テレワークさんの喜びそうな回答はできません。

おそらく「世界最古」ということでは、西暦2世紀アッシリアのギリシア語作家ルキアノス(Lucianos または Lucianus, 英語ではLucian of Samosata, AD120年頃-AD180年以後)にまで遡るでしょう。彼の『イカロ・メニッパス』(Ikaro Menippas)という小説では、主人公のメニッパスが両手に翼をつけてオリュンポス山からギリシア神話のイカロスのように(イカロ)飛び立って月面着陸を果たし月の哲学者と会見します。哲学者に目を千里眼にしてもらって地球を見て、世界の小ささを実感します。ルキアノスは他に金星への旅や惑星間の戦争も描いています。

しかしこれとてもギリシア神話を踏まえたものです。そうなると「元祖」はギリシア神話となりましょうか。否、ギリシア神話とてバビロンやらフェニキアやらペルシアやらの神話や故事に由来する話の変形がありますので、何を以て「元祖」とするのかは難しいところです。

日本の「竹取物語」(10世紀半ばまでに成立)では月から人が来ます。「浦島太郎」は783年頃に全巻が成立したとされる『萬葉集(万葉集)』の巻九に既に言及が見られます。が、現在伝わる話の型が定まったのは室町時代(1336-1573年)の『御伽草子』によるとされています。「浦島太郎」では時間の流れの歪みが描かれています。これについては豊田有恒など複数のSF作家によると、浦島太郎が亀すなわち宇宙船に乗って竜宮城すなわち異星へ光速移動したために地球との時間の進み方にズレが生じたとする解釈になります。

14世紀にイタリアの詩人ダンテ(Dante, 1265-1321)によって書かれた『神曲』(La Divina Commedia, 1321年成立)も、当時の科学的知見が盛り込まれ、「天国篇」では主人公ダンテが天動説宇宙に基づいて構想された天界を遍歴し、恒星天の上まで昇天します。

まだ天動説が主流だった17世紀には、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)が地動説の考えに基づいて幻想小説『夢』(Somnium, 死後出版1634年)をラテン語で書きました。地球と月を自由に往復する精霊に連れられて月世界へと旅行する物語です。ケプラーは作品中、月面に降り立った人が地球の動く様子(自転と公転)を観察することで、コペルニクスの地動説を擁護しようと考えました。この小説を以て初の本格的SF小説とする向きもあります。

そこでご質問の小説『フランケンシュタイン』ですが、これは1816年の記録的冷夏の中で弱冠19才のイギリス娘メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Shelley, 1797-1851)が書きました。題名は『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』(Frankenstein; or, the Modern Prometheus, 1818)です。この小説では若き科学者ヴィクター・フランケンシュタイン(Victor Frankenstein)が死体のパーツを集めて人造人間を作ることに成功します。この名無しの人造人間は精神を持ち、自分の伴侶となる異性を一人造るよう創造主フランケンシュタインに要求します。一旦は聞き入れたフランケンシュタインでしたが、醜い人造人間が増殖するのを恐れて、女の人造人間を自らの手で破壊してしまいます。人造人間は自己の存在に悩み、人間への絶望からフランケンシュタインの周囲の人々を次々に殺害します。最後は船上でフランケンシュタインの死を看取るや自らの死をウォルトン船長に仄めかし、北極の海へと消えて行きます。

この小説はメアリー・シェリーが、夫で詩人のパーシー・シェリー(Percy Bysshe Shelley, 1792-1822)とともに、スイスのジュネーヴ郊外にあった詩人バイロン卿(Lord Byron, 1788-1824)の別荘に行った時に書いたものです。バイロン卿は自身の侍医ジョン・ポリドーリ(John Polidori, 1795-1821)を含む4人でそれぞれ怪奇小説を書いて互いに見せ合おうと提案しました。しかしパーシー・シェリーとバイロン卿はすぐに小説創作を投げ出してしまいました。バイロンの構想を借りてポリドーリ医師が短篇小説「吸血鬼(ヴァンパイア)」(“The Vampyre”, 1819)を書いています。メアリー・シェリーはここで得た着想を仕上げました。本作はSF的テーマを扱いながら飽くまでも怪奇小説として書かれています。メアリー・シェリーはSF小説を書こうとして書いたわけではないのです。しかし今では多くの作家や評論家がメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』こそ「SFの元祖」と捉えています。メアリー・シェリーは1824年に第2版を、そして1831年に第3版を出しています。初版と第3版の間には、粗筋や登場人物の性格にかなりの違いがあります。現在日本語で読めるのは第3版です。

ご参考までにロシア生まれのアメリカのSF作家アイザック・アシモフ(Isaac Asimov, 1919 or 1920-92)が名づけた用語にフランケンシュタイン・コンプレックス(the Frankenstein complex)があります。人間が創造主(一神教の神; 天主)に成り代わって人造生命を創造することへの憧れと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情のことです。これはもちろんメアリー・シェリーの小説に由来します。

件(くだん)のメアリー・シェリーは後年『最後の人間』(The Last Man, 1826)を書いています。この小説は共和制となった21世紀の英国を舞台に人間の文明が終焉する寓話です。「幸福なサークル」(“a happy circle”)という少人数のグループの精神的冒険を描き、その構成員たちは蔓延するペストによって一人また一人と死んでいきます。やがて人類で独り生き残った男が今や廃墟となったローマ市街(ヨーロッパ文明の中心地)を彷徨(さまよ)い歩きます。一種のディストピア(dystopia)小説としてはSF的と言えましょうが、科学の粋や先端技術を匂わせるところが何もないので、一般にはあまりSF小説とはみなしません。

アメリカの作家エドガー・アラン・ポー(Adgar Allan Poe, 1809-49)もSFの開祖の一人とされています。ポーの作品は人間心理の異常性に踏み込んだ怪奇小説が多いのですが、特に短篇小説「ハンス・プファールの無類の冒険」(“The Unparalleled Adventure of One Hans Pfaall”, 1842)は気球による月世界旅行を描いたもので、当時の最新の科学知識を用いた正統派のSF小説とされています。後述のヴェルヌやウェルズにも影響を与えています。

しかし一般に元祖SF作家として認知されているのはフランスの作家ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-1905)です。ヴェルヌは上述のポーの小説にある科学技術を織りまぜて現実性をより高めるという手法に着目しました。ヴェルヌの本格的な科学小説としては『地球から月へ』(De la Terre à la Lune, 1865)と『月を周って』(Autour de la Lune, 1870)が最初です。この2作は日本では両方併せて『月世界旅行』または『月世界探検』という題名で刊行されています。砲弾に乗って月へ行くという科学的な宇宙旅行が初めて描かれており、SF小説の嚆矢(こうし)としての意義は大きいです。ヴェルヌはその後も『海底二万リーグ』(Vingt mille lieues sous les mers, 1869; 日本では他に『海底二万里』、『海底二万リュー』、『海底二万マイル』とも訳されます)など多くの科学小説を書きました。ヴェルヌの作風は正しい科学知識を活用していて現実味があります。科学を賞賛した一方で、近年偶然に発見された初期作品『二十世紀のパリ』(Paris au XXe Siècle, 1863)では人間が科学に支配されることに強い警鐘を鳴らしています。

ヴェルヌの次に元祖SF作家として認知されるのがイギリスの作家H・G・ウェルズ(H. G. Wells, 1866-1946)です。ウェルズは小説『タイム・マシーン』(The Time Machine, 1895)の作者としてよく知られています。この小説は、操縦者の意思と選択によって時間旅行を行なう乗り物であるタイム・マシーンを導入した最初の作品として高く評価されています。主人公が時間を移動する機械を発明し、西暦80万2701年の世界へ行く物語です。人類が二種に分岐した未来の世界では、美しい体つきをしたエロイ(the Eloi)という人類が理想郷的な世界で無為に暮らしています。地下にはモーロック(the Morlocks)というもう一種の不気味な人類がいて、エロイ達を喰って生きています。タイム・マシーンをモーロック達に持ち去られた主人公は、恋人となったエロイ族の一人とともにタイム・マシーンを探し出し、地下世界から奪い返します。そしてさらに未来へと旅立ち、人類の終焉、生物と地球の終焉を見た後に現代(すなわち19世紀末)に帰還する、という話です。

以上、何がしかのご参考になれば幸いです。

原田俊明