専門英語(歴文)11(2014/ 7/31) 西洋音楽史(ウィーン古典派)

ウィーン古典派(独 Wiener Klassik ヴィーナークラシーク; 仏 Classicisme viennois クラシスム・ヴィエノワ; 伊 Prima scuola di Vienna プマスクオーラ・ディヴィエンナ; 英 First Viennese School フアスト・ヴィエニーズスクール)。ちなみに楽都(音楽の都)ウィーンは、正しくは独語でヴィーンと発音し、仏語でヴィエンヌ、伊語でヴィエンナ、英語でヴィナと発音する。

ところで石井宏 『ベートーヴェンとベートホーフェン』(2013年)にはこうある。

死んでから半世紀もすると、"ウィーン古典派音楽の巨匠"という栄称で呼ばれるようになる。ウィーン古典派? そんなものは初めからありはしなかった。後世の作り出した虚像である。ハイドンとベートホーフェンのつながりは数回のレッスンだけだ。なるほどモーツァル トはハイドンを尊敬していて"パパ"と呼んでおり、自作の四重奏曲を献呈した。だが、彼らは互いに知り合いではあっても、"派(シューレ)"と呼ばれるよ うな芸術上の連帯意識などはカケラも持ち合わせなかった。だいいちウィーンの宮廷楽長はイタリア人のアントーニオ・サリエリではなかったか。

(同掲書p.50)と。

例1)神聖ローマ帝国(現在の墺太利)の作曲家ハイドン(Joseph Haydn, 1732-1809)。提示部・展開部・再現部から成るソナタ形式を管弦楽に応用した交響曲(伊 sinfonia シンフォーニア; 独 Sinfonie ジンフォニー または後に Symphonie ジュンフォニー; 仏 symphonie サンフォニ; 英 symphony スィンフォ ニー)という音楽ジャンルを確立したため、「交響曲の父」と呼ばれる。第1番から104番までの番号付き交響曲と、番号なしの数曲の交響曲とで、軽く百曲 を超える。まだハイドンの時代は貴族のお雇い作曲家として食いつなぐしかなかったが、海の向こうの英京倫敦の金持ち商人の作曲依頼も受けるようになる。

1791年作曲(ハイドン59歳頃)、翌’92年ロンドン初演の交響曲第94番ト長調 「驚愕(きょうがく)」(独 Sinfonie Nr. 94 G-Dur, „mit dem Paukenschlag“; 英 Symphony No. 94 in G major, “Surprise”; 仏 Symphonie nº 94 en sol majeur, «La Surprise»; 伊 Sinfonia n. 94 in sol maggiore, “Sinfonia della sorpresa”)を聴く。

ハイドン円熟期の作品で、全12曲ある所謂(いわゆる) 「倫敦交響曲集(London symphonies)」の内のひとつで、ハイドンの特徴がよく表れている。英仏での愛称が「驚き」なので、日本でも「驚愕」とし、中文でも「惊愕」とし ているが、本場の独墺両国では「ミッデム・パウケンシュラーク」、つまり「ケトルドラム付き」としている。居眠り貴族の客を起こそうと作曲者が企んで、第二楽章でわざと音を増幅させる。

第一楽章 I. Adagio - Vivace assai(アダージョ - ヴィヴァーチェ・アッサイ = ゆっくりと - 充分に快活に)、第二楽章 II. Andante(アンダンテ = 歩く速度で)、第三楽章 III. Menuetto: Allegro molto(メヌエットォ: アッグろ・ルトォ = とても迅速に)、第四楽章 IV. Finale: Allegro di molto(フィナーれ: アッグろ・ディルト = 終盤: とても迅速に)。

速さの指定はすべてイタリア語。つづく後輩作曲家たちも同様にイタリア語を多用。第三楽章に優雅なメヌエット(貴族社会で流行した4分の3拍子の社交舞 踏)を入れるのがハイドンの特色。この形式はモーツァルトにも継承されたが、後にベートーヴェンがスケルツォ(諧謔 かいぎゃく)楽章を導入することで打ち破る。

レヴィンによる解説(ヤンソンス指揮ベルリン・フィル)

http://www.youtube.com/watch?v=Oruqnrg-idk

ヴァレンティノ指揮イサカ大学室内管(第一楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=vPaNX5SxoEE

ジョーンズ指揮ロンドン小管(第二楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=mNwMXj0Y1_Y

ワーズワース指揮カペッラ・イストロポリターナ(第三楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=JrZkH22V6D0

リッツィオ指揮カメラータ・ロマーナ(第四楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=yb9DM9Tf5fo

例2)神聖ローマ帝国(現在の墺太利)の作曲家モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-91)。既に幼少の頃から作曲を始め、ピアノ曲、器楽曲、管弦楽曲、協奏曲、交響曲、歌劇(オペラ)、宗教音楽など、当時のほぼありとあらゆる ジャンルの音楽を600曲以上も後世に遺した。世俗貴族(代々の世襲貴族)や宗教貴族(基督教の高位聖職者)の庇護を離れて一個の藝術家として自活しよう とした最初の作曲家だったが、そのことが禍(わざわい)して僅か35歳と10ヶ月で命を落とした。死因については単なる浪費と貧困なのか、同業他者による 妬(ねた)みや陰謀による毒殺なのか、今でも謎とされる。

1768年(モーツァルト12歳)作曲のオペラ『バスティアンとバスティエンヌ』 ケッヘル番号50(独 Bastien und Bastinne, KV50)から序曲(仏伊 Ouverture; 独 Ouvertüre; 英 Overture)を聴く。

セリャ指揮クィーンシティ室内管ライブ収録(2012年6月10日)

http://www.youtube.com/watch?v=TT82bNz0PmY

1772年(モーツァルト16歳)作曲の嬉遊曲(ディヴェルティメントォ) ニ長調、ケッヘル番号136番(独 Divertimento in D-Dur, KV136; 英 Divertimento in D major, K.136; 仏 Divertimento en ré majeur, K 136; 伊 Divertimento in Re maggiore, K 136)を聴く。

弦楽器の絶妙な技が冴え、爽快感があり、耳に心地よく響く。

エベーヌ弦楽四重奏団による弦楽四重奏版(第一楽章、2008年8月1日ヴェルビエ音楽祭ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=w_xgawaHILc

小澤征爾指揮水戸室内管(第一楽章、1990年4月8日定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=kYpdeUvXr0U

ラフレフスキー指揮クレムリン室内管(2011年新春演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=kC6rKShLLas

1773年10月(モーツァルト17歳)作曲の交響曲第25番ト短調 ケッヘル番号183(独 Sinfonie Nr. 25 g-Moll, KV183; 英 Symphony No. 25 in G minor, K.183; 仏 Symphonie nº 25 en sol mineur, KV.183; 伊 Sinfonia n. 25 in Sol minore K183)を聴く。

第一楽章 I. Allegro con brio(アッグろ・コン・ブオ = 迅速に元気よく)、第二楽章 II. Andante(アンダンテ = 歩く速度で)、第三楽章 III. Menuet et Trio(メヌエットォ・エ・トオ = メヌエットとトリオ)、第四楽章 IV. Allegro(アッグろ = 迅速に)。

当時としては珍しい短調の悲しい曲。突っ走る青春。疾走感がモーツァルトのその後の人生を物語るのか。しかしまだハイドン以来の伝統だったメヌエット楽章 (第三楽章)はここでも保持されている。なお、トリオとは、三部形式の楽曲の中間部のことだが、庶民階級の舞踏である(貴族階級のメヌエットとともに仲良 く配置されているのがミソ)。

第一楽章は1984年公開の映画『アマデウス』(Amadeus)の予告編で効果的に使われたため広く知られることとなった。なお、モーツァルト最後の交響曲は第41番ハ長調。

マリナー指揮、聖マーティン教会アカデミー(第一楽章、映画『アマデウス』サウンドトラックから)

http://www.youtube.com/watch?v=7lC1lRz5Z_s

http://www.youtube.com/watch?v=uGcFDYLr8Co

ピノック指揮ベルリン・フィル(第一楽章部分、2008年10月10日定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=wVjh1YmlKYk

バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(第一楽章、1988年定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=kmzbTo14uos

ベーム指揮ウィーン・フィル(1978年収録)

http://www.youtube.com/watch?v=rDZWJJXX9gQ

クレンペラー指揮フィルハーモニア管(全4楽章、1956年ステレオ録音)

http://www.youtube.com/watch?v=rC07RyBBGDU

1778年(モーツァルト22歳)作曲のピアノソナタ第8番イ短調 ケッヘル番号310(独 Klaviersonate Nr. 8 in a-Moll, KV310; 英 Piano Sonata No. 8 in A minor, K.310; 仏 Sonate pour pianoforte nº 8 en La mineur, KV.310; 伊 Sonata per pianoforte n. 8 in La minore K310)を聴く。

第一楽章 I. Allegro maestoso(アッグろ・マエストーゾ = 迅速に堂々と)、第二楽章 II. Andante cantabile con espressione(アンダンテ・カンタービレ・コンエスプれッシーヴォ = 歩く速度で表現を帯びて歌うように)、第三楽章 III. Presto(プストォ = 非常に速く)。当時としては珍しい短調の悲しい曲。短調で書かれたモーツァルトのピアノソナタは他に1曲(ピアノソナタ第14番ハ短調)しかない。

ソコロフによる演奏(2012年11月18日ゲヴァントハウス・ライプツィッヒでのライブ録音)

http://www.youtube.com/watch?v=ZKs1WpMJ0X8

グルダによる演奏

http://www.youtube.com/watch?v=MKd1TEfAqoI

ギレルスによる演奏

http://www.youtube.com/watch?v=B7KV6ykHeyI

リヒテルによる演奏

http://www.youtube.com/watch?v=Whnb2v_2Nm8

1787年(モーツァルト31歳)完成(初演も同年)のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』 ケッヘル番号527(伊および各国語 Don Giovanni ドン・ジョヴァンニ)の中からここでは序曲(仏伊 Ouverture; 独 Ouvertüre; 英 Overture)を聴く。

当時流行のイタリア語による歌唱。女性を誘惑して肉体関係を結ぶことを至上の道楽にしていた17世紀スペイン伝説上の女たらし貴族ドン・フアン(Don Juan)が主人公。ドン・フアンをイタリア語でドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)と呼ぶので、この題名になった。作中ではドン・ジョヴァンニの従者レポレッロ(Leporello)がコミカルな役どころで客を笑わせ る。しかし結局は暗い展開になる。ドン・ジョヴァンニに夜這いをかけられた実の娘を救うべく騎士団管区長(騎士長)が駆けつけるが、決闘になり騎士長は殺 される。最後には殺された騎士長の石像がドン・ジョヴァンニの屋敷にやってきて、館の主人ドン・ジョヴァンニを永遠の地獄に突き落として幕という勧善懲悪 (かんぜんちょうあく)物。

カラヤン指揮ウィーン・フィル(1987年ザルツブルク音楽祭ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=hWMhfKBJf2g

最晩年の1791年(モーツァルト35歳)完成(初演も同年)のオペラ『魔笛』 ケッヘル番号620(独 Die Zauberflöte, KV620 ディツァウバーフルェーテ; 英 The Magic Flute, K.620; 仏 La Flûte enchantée, KV.620; 伊 Il flauto magico, K620)を聴く。

当時としては比較的珍しく現地語(ドイツ語)による歌唱。序曲(仏伊Ouverture; 独Ouvertüre; 英Overture)と夜の女王(独 die Königin der Nacht ディキュェーニギン・デァナト; 英 the Queen of the Night)のアリアが特に有名。ただ、夜の女王のアリアは劇中に2回登場するが、通常は2度目の「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」(独 „Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen“ デァホェッらッコッホト・インマイネムるツェン; 英訳 “Hell’s vengeance boils in my heart”)を指す。コロラトゥーラ・ソプラノのための曲で、超絶技巧(極めて高い技術)を要する。

なお、コロラトゥーラ(伊 coloratura コロらトゥーら)とは、原義が「色づけ」の意味だが、転じて「速いフレーズの中に装飾を施し、華やかにしている音節」のこと。

序曲(ムーティ指揮ウィーン・フィル2006年ザルツブルク音楽祭ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=s2Gedb05J5M

夜の女王のアリア(ルーキアネッツ・ヴィクトリアによる歌唱)

http://www.youtube.com/watch?v=wCkBiKmp--I

例3)神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のボン出身で神聖ローマ帝国(現在の墺太利)内のウィーンへ移住した作曲家ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)。独語発音はルートヴィヒ(またはルートヴィク)・ファン・ベーホーフェンだが、仏語発音はリュドヴィグ・ヴァン・ベートーヴェンで、英語発音はルードヴィグ・ヴァン・ベイトウヴェン。日本ではなぜか仏式にベートーヴェンと呼んでいる。

初期の頃は先輩作曲家のハイドンとモーツァルトの大きな影響下にあり、ピアノ曲、器楽曲、協奏曲、交響曲を作曲した。音楽で生計を立てるつもりが、難聴 (耳が聞こえなくなる)という最悪の悲運に見舞われる。1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」(ハイリゲンシュタットは当時のウィーン市郊外、現 在のウィーン市内の地名)を記し自殺も考えたが、思い直して独自の音楽性を開拓した。モーツァルトが果たせなかった一個の藝術家としての自活(家庭教師稼 業や貴族の注文にこたえての作曲のみならず、楽譜出版や予約制演奏会の興行収入)の道は、ベートーヴェンが実現させた。

生涯にわたる引越狂であり、ベートーヴェンが職業人生のほぼすべてを過ごしたウィーン(正しくはヴィーン)市内や市外のあちこちにベートーヴェンが暮らしたことのある部屋が無数に残っている。それらのいくつかが記念館として観光名所になっている。

後に続くロマン派の作曲家でベートーヴェンの音楽の影響を受けていない者は一人としていない(皆がその影響を受けた)。また、ベートーヴェンこそがロマン派の元祖とも言われている。

1798年(ベートーヴェン27歳)作曲のピアノソナタ第8番ハ長調 作品番号13 「悲愴」(独 Klaviersonate Nr. 8 C-Dur, op.13, „Pathétique“; 英 Piano Sonata No. 8 in C minor, Op.13, “Pathétique”; 仏 Sonate pour piano n° 8 en do mineur, op.13, «Grande Sonate pathétique»; 伊 Sonata per pianoforte n. 8 in do minore op.13, “Patetica”)を聴く。

仏のみ「大悲愴ソナタ」(楽譜表紙にそうある)で、独英では仏語表記の「悲愴(パテティーク)」、伊では伊語表記の「悲愴(パテーティカ)」の表題を持つ。出版は翌1799年。

第一楽章 I. Grave – Allegro di molto e con brio(グらーヴェ - アッグろディルト・エコンブオ = 重々しく – とても迅速に元気よく)、第二楽章 II. Adagio cantabile(アダージョ・カンタービレ = ゆっくりと歌うように)第三楽章 III. Rondo: Allegro(ろンドォ: アッグろ = 輪舞曲形式で: 迅速に)。

この曲の第二楽章をポップス風に編曲してイギリスの女性歌手ルイーズ・タッカー(Louise Tucker, b.1956)が男性歌手のチャーリー・スカーベック(Charlie Skarbek, 生年不明)とのデュエットの形で1982年にリリースした“Midnight Blue”(邦題「ミッドナイト・ブルー」)が同年から翌’83年にかけてヨーロッパでヒット。

続いてアメリカの男性歌手ビリー・ジョエル(Billy Joel, b.1949)が1983年にリリースした“This Night”(邦題「今宵はフォーエバー」)もこの第二楽章をポップス風に編曲したもの。

また、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したイギリスの作曲家エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)が1899年に作曲した『エニグマ変奏曲』(‘Enigma’ Variations)の中で最も有名な「ニムロッド」(『旧約聖書』に登場する狩人ニムロデのこと)も、この第二楽章がモチーフになっている。但し、盗作や借用ではない。エルガーの「ニムロッド」はイギリスでは毎年11月第二日曜日の戦歿者追悼式典の際に必ず演奏される曲にもなっている。

バレンボイムによる2006年ベルリンでのライブ収録(第一楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=79gzdskOGu4

同上(第二楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=vGq3-Fi_zQY

同上(第三楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=lJpSqC86vaw

英国の女性歌手ルイーズ・タッカーの「ミッドナイト・ブルー」(1982年)

http://www.youtube.com/watch?v=Cxk4bD6LoKM

米国の男性歌手ビリー・ジョエルによる1984年ロンドンのウェンブリー競技場でのライブ収録(2:26以降に「悲愴」ソナタ第二楽章の旋律)

https://www.youtube.com/watch?v=aDGC8a1pXVw

エルガーの「ニムロッド」吹奏楽版(2011年戦歿者追悼式典での女王陛下の近衞軍樂隊による演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=Aen4P1bCJlw

1801年(ベートーヴェン30歳)作曲のピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品番号27-2 「幻想曲風に」(独 Klaviersonate Nr. 14 cis-moll, op.27-2, „Quasi una Fantasia“; 英 Piano Sonata No. 14 in C-sharp minor, Op.27-2, “Quasi una fantasia”; 仏 Sonate pour piano n° 14, op.27-2, en do dièse mineur, «Sonata quasi una fantasia»; 伊 Sonata per pianoforte n. 14 in Do diesis minore op.27-2, “Sonata Quasi una fantasia”)。

伊語で「幻想曲風ソナタ」の表題を持つ(楽譜表紙にそうある)が、通常は「月光ソナタ」(独 „Mondscheinsonate“ モントシャインゾナーテ; 英 “Moonlight Sonata” ムーンライト・ソナータ; 仏«Sonate au clair de lune» ソナット・オクレーふドゥリュッヌ; 伊“Chiaro di luna” キろ・ディルーナ)の通称で世界的に知られる。クラシック名曲の中では比較的真似がしやすい。なお、1940年11月にナチス・ドイツがイギリスの産業都市コヴェントリーを焼き尽くした空爆の作戦名は、この作品から名前を採り、「月光ソナタ(モントシャインゾナーテ)」と呼んだ。

第一楽章 I. Adagio sostenuto(アダージョ・ソステヌートォ = ゆっくりと持続して)、第二楽章 II. Allegretto(アレグれット = やや迅速ぎみに)、第三楽章 III. Presto agitato(プストォ・アジタートォ = 非常に速く興奮して)。

ピアノ教則

http://www.youtube.com/watch?v=VpFtKi_HYGI

リシツァによる演奏(第一、第二楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=UHd8jwXBzXE

リシツァによる演奏(第三楽章)

http://www.youtube.com/watch?v=zucBfXpCA6s

1801-’02年(ベートーヴェン30-31歳)完成の交響曲第2番ニ 長調 作品番号36(独 Sinfonie Nr. 2 in D-Dur, op.36; 英 Symphony No. 2 in D major, Op.36; 仏 Symphonie n° 2, op.36, en ré majeur; 伊 Sinfonia n. 2 in Re maggiore op.36)を聴く。

第一楽章 I. Adagio molto - Allegro con brio(アダージョ・ルトォ = とてもゆっくりと - アッグろ・コンブオ = 迅速に元気よく)、第二楽章 II. Larghetto(ラルゲットォ = やや遅く)、第三楽章 III. Scherzo. Allegro(スるツォ。アッグろ = 諧謔。迅速に)、第四楽章 IV. Allegro molto(アッグろ・ルト = とても迅速に)。ハイドン以来の伝統だったメヌエット楽章をやめて、遊び心に満ちたスケルツォ(諧謔)楽章を置いた。交響曲の起承転結の「転」の部分がこれで確立された。

1980年10月6日(月)、昭和女子大学人見記念講堂の杮(こけら)落とし公演で最初に響いた交響曲。演奏は老巨匠カール・ベーム(Karl Böhm, 1894-1981)指揮ウィーン・フィル(独 Wiener Philharmoniker ヴィーナーフィルハーモニカー; 英 Vienna Philharmonic Orchestra ヴィナフィルハーモニックォーケストラ)。

バーンスタインによる解説

http://www.youtube.com/watch?v=waB1ReEB5nA

シュミット・イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル(1968年録音)

http://www.youtube.com/watch?v=L2Vg_uTd_8k (リンク切れ)

ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2013年定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=JNsIe5AeEwI

第一楽章 0:16-12:10

第二楽章 12:25-24:27

第三楽章 24:42-27:54

第四楽章 28:02-34:20

1804年(ベートーヴェン33歳)完成、翌’05年初演の交響曲第3番変ホ長調 作品番号55 「英雄」 (独 Sinfonie Nr. 3 in Es-Dur, op.55, „Eroica“; 英 Symphony No. 3 in E flat major, Op.55, “Eroica”; 仏 Symphonie n° 3, op.55, en mi bémol majeur, «Eroica»; 伊 Sinfonia n. 3 in Mi bemolle maggiore op.55, “Eroica”)を聴く。

各国語とも表題には伊語の「エろイカ」を用いている。これは決してエロい曲ではなく、ナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769-1821; 皇帝在位1804-14 & 1815)の活躍と凋落(ちょうらく)を描いた曲とされる。当初は楽譜をナポレオンに献呈しようとしたが、フランス皇帝になったという一報が入ると、怒っ たベートーヴェンが楽譜の表紙を破り捨てたというエピソードが有名。伊語のeroica (エろイカ)とは、「英雄的」を表すeroico (エろイコ)の女性形。「交響曲」を表す伊単語sinfonia (シンフォーニア)が女性名詞のため、女性形の形容詞を用いたが、作品は良く言えば男性的、少し悪く言えば男臭い曲。

第一楽章 I. Allegro con brio(アッグろ・コンブオ = 迅速に元気よく)、第二楽章 II. Marcia funebre: Adagio assai(るチヤフネーブれ: アダージョ・アッサイ = 葬送行進: 充分にゆっくりと)、第三楽章 III. Scherzo: Allegro vivace(スるツォ: アッグろ・ヴィヴァーチェ = 諧謔: 迅速に快活に)、第四楽章 IV. Finale: Allegro molto(フィナーれ: アッグろ・ルトォ = 終盤: とても迅速に)。

第一楽章の第一主題はモーツァルト(12歳)のオペラ『バスティアンとバスティエンヌ』(1768)の盗作盗用疑惑が今日指摘されている。第三楽章では前 作第二番で成功したスケルツォ(諧謔)楽章を組み込んで、起承転結をうまくつなげた。これ以降の十年間は後に「傑作の森」と呼ばれることになる、ベートー ヴェンの創作活動にとって最も油の載った時期となる。

バーンスタインによる解説

http://www.youtube.com/watch?v=CNyla5QfN-Y

リストによるピアノ編曲版(カツァリスの演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=UgdSR0N08fM

ドゥダメル指揮シモン・ボリバル青年管(録音年月日不明ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=3luWkda0Wfo (リンク切れ)

ヘレヴェッヘ指揮室内放送フィル(2011年2月20日ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=kwRVR-TmKYw

ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2013年定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=UmvVi3CCqRg

第一楽章 0:29-19:56

第二楽章 20:28-38:14

第三楽章 38:37-44:14

第四楽章 44:27-57:20

1804年頃(ベートーヴェン33歳)にスケッチが開始され、1807年から翌’08年(ベートーヴェン37歳)にかけて作曲された交響曲第5番ハ短調 作品番号67 「運命」 (独 Sinfonie Nr. 5 in c-Moll, op.67; 英 Symphony No. 5 in C minor, Op.67; 仏 Symphonie nº 5, op.67, en ut mineur; 伊 Sinfonia n. 5 in Do minore op.67)を聴く。

日本で使われる「運命」という表題は、海外ではあまり使われない。独語で„Schicksalssymphonie“(シックザールスジュンフォニー = 「運命交響曲」)と呼ばれることはあるが、あまり使われる名称ではない。しかし「運命」と呼んで間違いとも言えない。主題展開の技法や「運命」の主題、「暗から明へ」というドラマチックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされた。

第一楽章 I. Allegro con brio(アッグろ・コンブりーオ = 迅速に元気よく)、第二楽章 II. Andante con moto(アンダンテ・コンモートォ = 歩く速度で動きをもって)、第三楽章 III. Scherzo. Allegro(スるツォ。アッグろ = 諧謔。迅速に)、第四楽章 IV. Allegro(アッグろ = 迅速に)。

ピアノ教則

http://www.youtube.com/watch?v=sgfZ4fKWfAc

バーンスタインによる解説(1954年11月14日(日)CBS放送によって全米放映)

http://www.youtube.com/watch?v=Paqj1Nz_2g4

ベートヴェン「運命」 聴き比べ

http://www.youtube.com/watch?v=5MSTKrZGY5Q

リストによるピアノ編曲版(グールドの演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=8aNvjLLh5GY

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1937年録音のモノラル音源)

http://www.youtube.com/watch?v=Cz87Gxxqs18

シフ指揮室内放送フィル(2010年9月26日(日)ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=GZxN57CC_AA

ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2013年定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=7jh-E5m01wY

第一楽章 0:25-7:50

第二楽章 8:05-18:47

第三楽章 19:08-24:45

第四楽章 24:45-35:01

マゼール指揮ウィーン・フィルによる第四楽章(1980年11月15日(土)NHKホールでのライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=Oe2HaTzWayc

1807年から翌’08年(ベートーヴェン37歳、前作5番と同じ時期)にかけて作曲された交響曲第6番ヘ長調 作品番号68 「田園」 (独 Sinfonie Nr. 6 F-Dur, op.68, „Pastorale“; 英 Symphony No. 6 in F major, Op.68, “Pastorale”; 仏 Symphonie nº 6, op.68, en fa majeur, «Pastorale»; 伊Sinfonia n. 6 in fa maggiore op.68, “Pastorale”)を聴く。

副題だけ取りだして、独 Pastoral-Sinfonie、英 Pastoral Symphony、仏 Symphonie pastorale、伊 Sinfonia pastorale と呼ぶことも多い。「ストォらーレ」 の訳語として日本で使われる「田園」という表題は、ベートーヴェンが描いたウィーン市郊外(現在のウィーン市内)に田圃(たんぼ)がないことから誤訳。正 しくは「牧羊(ぼくよう)」とでも訳すべき。当時の交響曲としては珍しく5楽章構成であり、各楽章に表題がつけられた標題音楽の初期の例という点に於いて 画期的な作品と言える。

第一楽章 I. Allegro ma non troppo(アッグろ・マノントろッポ = 迅速にしかしやり過ぎずに)、第二楽章 II. Andante molto mosso(アンダンテ・ルトモッソ = 充分適度に歩く速度で)、第三楽章 III. Allegro – Presto(アッグろ - プストォ = 迅速に – 急速に)、第四楽章 IV. Allegro(アッグろ = 迅速に)、第五楽章 V. Allegretto(アレグれットォ = やや迅速ぎみに)。そして以下は、楽譜に書かれた表題。第一楽章表題「独原文 Erwachen heiterer Gefühle bei der Ankunft auf dem Lande; 英訳 Awakening of cheerful feelings upon arrival in the country; 和訳: 田舎に到着したときの晴れやかな気分」、第二楽章表題「独原文 Szene am Bach; 英訳 Scene at the brook; 和訳: 小川のほとりの情景」、第三楽章表題「独原文 Lustiges Zusammensein der Landleute; 英訳 Happy gathering of country folk; 和訳: 農民達の楽しい集い」、第四楽章表題「独原文 Gewitter, Sturm; 英訳 Thunderstorm; Storm; 和訳: 雷雨、嵐」、第五楽章表題「独原文 Hirtengesang. Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm; 英訳 Shepherds’ song; cheerful and thankful feelings after the storm; 和訳: 牧人の歌。嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」。

バーンスタインによる解説

http://www.youtube.com/watch?v=zewwjk6a8SA

バーンスタインとシェルの対話

http://www.youtube.com/watch?v=OuYY1gV8jhU

リストによるピアノ編曲版(グールドの演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=2kwQz0KyrQg&list=PL6glOhzJHUdSrAOcYEoBNCg2Wz6JXMYr-

ハイティンク指揮王立コンセルトヘバウ管(2009年アムステルダム祭でのライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=XAW_shGnugM

第一楽章 0:57-12:34

第二楽章 13:00-24:35

第三楽章 24:50-30:07

第四楽章 30:07-33:40

第五楽章 33:40-43:14

バレンボイム指揮西東ディヴァン管(2012年BBCプロムズでのライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=KKd3svv4-o4

1810年(ベートーヴェン39歳)の作曲と考えられているバガテル第25番イ短調 作品番号なし 「エリーゼのために」(独 Bagatelle Nr. 25 a-moll „Für Elise“; 英 Bagatelle No. 25 in A minor “For Elise”; 仏 Bagatelle nº 25 en La mineur «La Lettre à Élise»; 伊 Bagatella n. 25 in La minore “Per Elise”)を聴く。

仏語の副題だけが「エリーズへの手紙」(仏語ではエリーゼではなくエリーズ)となってい る。また、英米でも通常はわざと独語の「フュア・エリーゼ」を用いることが多い。曲名のバガテルとは、「ちょっとしたもの」「つまらないもの」「ふとした 思いつきで手すさびとして書いたもの」という意味だが、作曲者がボツにしてゴミ箱に捨てなかったことからして、意外な名作が隠れていることがある。

このバガテル第25番は作曲者の死後40年も経過した1867年に初めて出版された。エリーゼとは誰のことなのか、音楽史上の謎となり、今日でも詮索が続 く。本当は「テレーゼ(Therese)のために」と書いたのに、ベートーヴェンの悪筆のせいで誤読されたという説もある。

ロマンチックな曲調 はポピュラー音楽界でも受け入れられ、1959年にイタリア人の国際女性歌手のカテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente, b.1931)が「愛のすべて」を意味する仏題«Tout l'amour» (トゥーラムーふ)と「情熱の花」を意味する英題“Passion Flower”で、仏英の2言語で歌唱したのを皮切りに、同年にイタリア人(後にフランスに帰化)の国際女性歌手のダリダ(Dalida, 1933-87)も前者のフランス語版を歌った。英語版の「パッション・フラワー」は同1959年に早くも日本語詞がつけられ、日本のザ・ピーナッツ (The Peanuts)が「情熱の花」としてリリースされ、同年に日本で大ヒットした。1981年には日本のザ・ヴィーナス(The Venus)が「キッスは目にして!」として歌ってヒット。これはカネボウ化粧品の1981年秋のキャンペーンソングにもなった。2002年には宇多田ヒ カル(b.1983)「幸せになろう」もリリースされた。

ピアノ教則(ベルナションによる演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=-XBnXmanolw

ヴァレンテの歌唱(仏語版)

http://www.youtube.com/watch?v=T74HiKVxVDI

ダリダの歌唱(仏語版)

http://www.youtube.com/watch?v=L7I08rJL-QQ

ザ・ピーナッツの歌唱(日本語版)

http://www.youtube.com/watch?v=rsIYY4oRGs8

ザ・ヴィーナスの歌唱(日本語版)

http://www.youtube.com/watch?v=3M4wxqoS3YI

1811年から翌’12年(ベートーヴェン41歳)にかけて行われ、1813年初演の交響曲第7番イ 長調 作品番号92(独 Sinfonie Nr. 7 in A-Dur, op.92; 英 Symphony No. 7 in A major, Op.92; 仏 Symphonie nº 7, op.92, en la majeur; 伊 Sinfonia n. 7 in La maggiore op.92)を聴く。

後に作曲家ヴァーグナー(Richard Wagner, 1813-83)が「舞踏の聖化・神格化」(独 „Apotheose des Tanzes“ アポテオーゼ・デスタンツェス; 英訳 “apotheosis of dance” アポシ゜オウシス・オヴデァンス)と述べたことで知られる律動(rhythm りズム)中心の音楽。

第一楽章 I. Poco sostenuto - Vivace(ポーコ・ソステヌート - ヴィヴァーチェ = 少し持続させて – 快活に)、第二楽章 II. Allegretto(アレグれットォ = やや迅速ぎみに)、第三楽章 III. Scherzo e trio. Presto(スるツォ・エトオ。プストォ = 諧謔とトリオ。急速に)、第四楽章 IV. Allegro con brio(アッグろ・コンブオ= 迅速に元気よく)。

1980年10月6日(月)、昭和女子大学人見記念講堂の杮(こけら)落とし公演でのメイン・プログラムに据えられた交響曲。演奏は老巨匠カール・ベーム(Karl Böhm, 1894-1981)指揮ウィーン・フィル(独 Wiener Philharmoniker ヴィーナーフィルハーモニカー; 英 Vienna Philharmonic Orchestra ヴィナフィルハーモニックォーケストラ)。

バーンスタインとシェルの対話(第7番については5:01以降)

http://www.youtube.com/watch?v=OuYY1gV8jhU

リストによるピアノ編曲版(カツァリスの演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=vl6_aJU0S4M

ティーレマン指揮ウィーン・フィル(2013年定期演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=f-PT0asvIU4

http://www.youtube.com/watch?v=ipquW6tmQ7Q

第一楽章 0:33-12:58

第二楽章 13:13-22:28

第三楽章 22:42-30:49

第四楽章 30:51-37:45

老巨匠カール・ベームによる最後の来日演奏会フィナーレ及び拍手喝采、熱狂覚めやらず

(1980年10月6日(月)、東京都世田谷区に在る昭和女子大学人見記念講堂にて)

http://www.youtube.com/watch?v=zziaBRdSaFM (リンク切れ残念)

1812年(ベートーヴェン41歳)作曲、’14年初演の交響曲第8番ヘ長調 作品番号93(独 Sinfonie Nr. 8 F-Dur, op.93; 英 Symphony No. 8 in A major, Op.93; 仏 Symphonie n° 8, op.93, en fa majeur; 伊 Sinfonia n. 8 in Fa maggiore op.93)を聴く。

第一楽章 I. Allegro vivace e con brio(アッグろ・ヴィヴァーチェ・エ・コンブオ=迅速に快活に元気よく)、第二楽章 II. Allegretto scherzando(アレグれットォ・スケるツァンドォ=やや迅速に諧謔的に)、第三楽章 III. Tempo di Menuetto(テンポ・ディメヌエットォ=メヌエットの速度で)、第四楽章 IV. Allegro vivace(アッグろ・ヴィヴァーチェ=迅速に快活に)。ベートーヴェンにとって自信作だったにも拘(かかわ)らず聴衆から芳(かんば)しい反応が得られず悔しがったという。

ティーレマン指揮ウィーン・フィル定期演奏会(2012年)

http://www.youtube.com/watch?v=Zegl7_zMj_Q

1817-24年(ベートーヴェン46-53歳)作曲、1824年初演の交響曲第9番ニ 短調 作品番号125 (独 Sinfonie Nr. 9 d-moll, op.125; 英 Symphony No. 9 in D minor, Op.125; 仏 Symphonie n° 9, op.125, en ré mineur; 伊 Sinfonia n. 9 in Re minore op.125)を聴く。

英語圏ではChoral Symphony(英 コーろォ・スィンフォニー = 合唱交響曲)とも呼ばれる。ベートーヴェンはこの曲の初演から3年後に56歳で死去。

第一楽章 I.Allegro ma non troppo, un poco maestoso(アッグろ・マノントろッポ、ウンポーコ・マエストーゾ = 迅速にしかしやり過ぎずに、少し堂々と)、第二楽章 II. Scherzo: Molto vivace– Presto(スるツォ: ルトォ・ヴィヴァーチェ-プス トォ = 諧謔: とても快活に-急速に)、第三楽章 III. Adagio molto e cantabile – Andante moderato – Tempo I – Andante moderato – Adagio – Stesso tempo(アダージョ・ルト・エカンタービレ-アンダンテ・モデらート-テンポ・プりーモ-アンダンテ・モデらート -アダージョ-ステッテンポ = とてもゆっくりとそして歌うように-ほどほどに歩く速度で-第一テン-ほどほどに歩く速度で-ゆっくりと-同じテンポ)、第四楽章 IV. Presto / Recitativo - Allegro ma non troppo - Vivace - Adagio cantabile - Allegro assai - Presto / Recitativo - Allegro assai - Alla marcia: Allegro assai vivace - Andante maestoso - Adagio ma non troppo, ma divoto - Allegro energico, sempre ben marcato - Allegro ma non tanto - Prestissimo(プストォ / れチタティーヴォ-アッグろ・マノントろッポ-ヴィヴァーチェ-アダージョ・カンタービレ-アッグろ・アッサイ-プストォ / れチタティーヴォ-アッグろ・アッサイ-アッラるチア: アッグろ・アッサイ・ヴィヴァーチェ-アンダンテ・マエストーゾォ-アダージョ・マノントろッポ・マディヴォートォ-アッグろ・エるジコ・センプれ・ベンメるカートォ-アッグろ・マノンタントォ-プれスティッシ モォ = 急速に / 朗唱-迅速にしかしやり過ぎずに-快活に-ゆっくりと歌うように-充分に迅速に-急速に / 朗唱-充分に迅速に-行進して: 充分に迅速に快活に-歩く速度で堂々と-ゆっくりとしかしやり過ぎずに、しかし気持ちを込めて-迅速に精力的に、常に際立たせて-迅速にしかしたくさんで なく-最も急速に)。

最終楽章に歌手のソロ(男女それぞれ2人ずつ)や合唱を入れたことで、これまでの交響曲の歴史を塗り替えた。ベルリン国立図書館(Staatsbibliothek zu Berlin)が所蔵するこの曲の自筆譜資料は2001年にユネスコ「世界の記憶」に登録済。

バーンスタインによる解説

http://www.youtube.com/watch?v=eCiz9XMW_jA

http://www.youtube.com/watch?v=U14iJzdPtWI

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(ナチス時代の1942年3月定期演奏会ライブ録音)

http://www.youtube.com/watch?v=GHlPC3CAZ20

戦時中の昭和十九年=1944年の日本ニュース第241號

2:17-3:46に第一楽章、4:50-5:37に第四楽章を使用

http://www.youtube.com/watch?v=R6J89K9ENZ0

トスカニーニ指揮NBC響(1948年4月3日テレビ演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=DuK133dK6eQ

バーンスタイン指揮5ヶ国合同楽団・合唱団(1989年12月「ベルリンの自由」特別演奏会ライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=8xPuSzvCSQA

第一楽章 3:56-21:56

第二楽章 22:54-34:57

第三楽章 36:40-57:12

第四楽章 57:12-1:25:50

【参考1】

ベートーヴェンと同時代のスペイン画家、ゴヤ(Francisco Goya, 1746-1828)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%A4

http://en.wikipedia.org/wiki/Goya

1797年-1800年頃に描かれた『裸のマハ』(西 La maja desnuda ラマハ・デスヌダ; 英 The Nude Majaニュードゥハ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%8F

http://en.wikipedia.org/wiki/La_maja_desnuda

1800年-1805年頃に描かれた『着衣のマハ』(西 La maja vestida ラマハ・ベスティダ; 英 The Clothed Maja ザクロウズドハ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%80%E8%A1%A3%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%8F

http://en.wikipedia.org/wiki/La_maja_vestida

1814年に描かれた『マドリード、1808年5月3日』(西 El tres de mayo de 1808 en Madrid; 英 The Third of May 1808)、別名『プリンシペ・ピオの丘での虐殺』(西 Los fusilamientos de la montaña del Príncipe Pío; 英 The shootings on the Prince Pio Hill

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%811808%E5%B9%B45%E6%9C%883%E6%97%A5

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Third_of_May_1808

http://en.wikipedia.org/wiki/File:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_thin_black_margin.jpg

【参考2】

西洋的発想

(希)διαλεκτική = dialektikē or dialektikí̱ (ディアレクティケー; ディアレクティキー)

(独)Dialektik (ディアクティク)

(英)dialectic (ディアクティック)

(日)弁証法(辯證法 べんしょうほう)

の考え方

(希)θέσις = thésis (テシス; セシス) (希)ἀντίθεσις = antíthesis (アンティテシス; アンティセシス)

(独)These (テーゼ) ⇔ (独)Antithese (アンティテーゼ)

(英)thesis (シ゜ーセス) (英)antithesis (アンサ゜セス)

(日)正(せい) (日)反(はん)

↓↓↓↓

(希)σύνθεσις = sýnthesis (シュンテシス; シュンセシス)

(独)Synthese (ジュンテーゼ)

(英)synthesis (スィンセ゜セス)

(日)合(ごう)

【参考文献】

片桐功他 『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』(音楽之友社, 2009年)

田村和紀夫[他著] 『音楽と思想・芸術・社会を解く 音楽史 17の視座―古代ギリシャから現代まで』(音楽之友社, 1998年)

岡田暁生 『CD&DVD51で語る西洋音楽史』(新書館, 2008年)

岡田暁生 『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』(中央公論新社 中公新書No.1816, 2005年)

青山広志 『クラシック音楽をもっと楽しむ やさしくわかる楽典』(日本実業出版社, 2005年)

石井宏 『ベートーヴェンとベートホーフェン―神話の終り』(七つ森書館, 2013年)