西曆1971年のラーキンの詩「これこそ韻文であれ」
なお、日本でも、、、
運転免許の更新時に聞かされる曲としておなじみだが、ある時、傷害致死容疑で起訴された少年犯に対して裁判官が「君たちはさだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか。この歌のせめて歌詞だけでも読めば、君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう。」と諭したことがある。裁判官が具体的な曲名を挙げて説諭したのは異例中の異例で、新聞でも大きく取り上げられた。「さだまさし」こと、本名 佐田雅志(さだ まさし, b.1952; 國學院大學中退)というミュージシャンの、「日本のフィリップ・ラーキン」とも呼べるような詩人としての溢れるような才能を物語るエピソードではある。(2020年5月31日(日)付の日刊ゲンダイDigitalの桧山珠美署名コラム 「昭和の名曲聴いて納得!歌詞に力がないからヒット曲が誕生しない【あれもこれも言わせて】」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/273900 / https://news.yahoo.co.jp/articles/b73b89ae4ca715a2838f8b64b9ca87ba834bc4a5 リンク切れ )
‘This Be The Verse’ (1971)
「これこそ韻文であれ」(1971年)
by Philip Larkin (1922–85)
フィリップ・ラーキン
from High Windows (1974)
詩集 『高窓』より
著者本人による朗読音声
https://www.youtube.com/watch?v=qahT62n8tcA (0:08-0:46 of 1:02)
https://www.youtube.com/watch?v=tRp3MfTScds
They fuck you up, your mum and dad.
君はクソみたいにされちまう[訳者註1]、君のママとパパにな。
They may not mean to, but they do.
両親に悪気はないかしれないけど、そうなるんだ。
They fill you with the faults they had
君は両親の持ってた短所で一杯にさせられる
And add some extra, just for you.
それにおまけの短所も加えられる、君だけの短所がな。
訳者註1: 原文の fuck という英単語、fuck up という英熟語は原義に性的なニュアンスを含むが、日本語で「ヤラれちまう」としてもインパクトは弱すぎる。また、各社の英和辞典に依拠して、「ダメにされちまう」や「滅茶苦茶にされちまう」や「台無しにされちまう」と訳してもインパクトは皆無(かいむ)である。そこで敢(あ)えてスカトロ的(scatological)なニュアンスに変えて、「クソみたいにされちまう」とした。
But they were fucked up in their turn
でも両親だってクソみたいにされちまったんだ
By fools in old-style hats and coats,
昔風の帽子や外套を着た馬鹿ども[訳者註2]に、
Who half the time were soppy-stern
ほとんどいつもめそめそいかめしく
And half at one another’s throats.
またほとんどいつもお互い喧嘩ばかりしてた奴らに。
訳者註2: 両親のそのまた両親、つまり「君」の祖父母を指す。
Man hands on misery to man.
人は悲惨を人に引き渡す。
It deepens like a coastal shelf.
それは沿岸の暗礁のように深くなる。
Get out as early as you can,
できるだけ早く逃げろ、
And don’t have any kids yourself.
そして自分の子供なんか持つな。
原田俊明(はらだ としあき, b.1968)試訳(2017年)
[別訳]
「これも詩であれ」
君のトウちゃんとカアちゃんが✖✖してお前を生む
そんなつもりじゃなかったんだが、そうなる
二人は持てる短所を正にお前さんに詰め込む
さらに余計なものまでお前さんのために
ところが二人も ひと昔まえに流行の帽子をかむり服を着た
愚か者の✖✖で生まれてきたのさ
この者たちの人生の半分は亭主関白と涙
あとの半分はガミガミガミの言い合いさ
人は悲惨さを人に伝える
それは海辺の岩のくびれのように深まる
おまえさんはヨ できるだけ早く抜け出ろよ
ガキは持つなよ お前さんはヨ
児玉実用(こだま さねちか, 1905-93)、村田辰夫(むらた たつお, 1928-2020)、薬師川虹一(やくしがわ こういち, b.1929)、坂本完春(さかもと よしはる, b.1933)、杉野徹(すぎの とおる, b.1942)[共訳] 『フィリップ・ラーキン詩集』(国文社, 1988年)
[xapaga解説]
上記の和訳2種は飽くまでも意味だけの訳であり、脚韻(rhyme らイム)や弱強五歩格(iambic pentameter アイアェンビクペンタミトゥア)という音声面については翻訳できないので考慮していない。昭和末期の1988年に国文社から刊行された既訳は fuck up という熟語・他動詞の意味を取り違え、「✖✖して」(註: 「ペケペケして」或いは「チョメチョメして」と読める昭和末期の性行為の表現)という具合に性的な意味に限定してしまっているため、明らかに誤訳(mistranslation)である。公平を期して言えば、当時の辞書に fuck という見出し語は載っていなかったし、況(ま)してや fuck up という他動詞熟語の説明もなかったので、「✖✖して」や、他の箇所での「亭主関白」などという誤った訳語の選択は、昭和期翻訳の限界を示していると言える。比較対象として、2015年6月のロバート・デニーロ(Robert De Niro, b.1943)によるニューヨーク大学ティッシュ芸術学部(New York University Tisch School of the Arts)卒業式祝辞( https://www.youtube.com/watch?v=pN6q5XFkxmI )の冒頭で “Tisch graduates, you made it! And you’re fucked.” (ティッシュ卒業者諸君、君らは成し遂げた! そして君らはもうクソみたいにされちまった。)とある。
フィリップ・ラーキン(Philip Larkin, 1922-85)はイングランド中部地方(the Midlands; the English Midlands)のコヴェントリー(Coventry)市近郊のラドフオッド(Radford)で生を受けたが、未来の詩人が5才のとき、一家はコヴェントリー駅近くの中産階級向けの大きな家に引っ越した(なお、イギリスには「駅前の一等地」という概念は無く、駅前はあまり社会的ステータスの高い場所ではない)。一家は1940年11月14日(木)夕刻のドイツ空軍(Luftwaffe ルフトヴァッフェ)によるコヴェントリー大空襲を奇跡的に生き延びた。
父親のシドニー・ラーキン(Sydney Larkin, 1884-1948)は苦労人でコヴェントリー市役所の収入役(Treasurer)にまで上り詰めたが、文学愛好家でもあった。母親のイーヴァ(Eva Emily Day Larkin, 1886-1977)は神経質で受け身的な女性だったという。後の詩人ラーキンが16歳で受験した、現在のGCSEに相当する中等教育修了国家試験での成績はひどく悪かったが、学校に残ることを許された。18歳時点では成績が大いに向上し、オクスフオッド大学聖ヨハネ学寮(St John’s College, Oxford)に進学することができ、そこで英文学を専攻した。3年間の大学生活は第二次世界大戦(the Second World War; World War II, 1939-45)の最中だったが、ラーキンは弱視のため兵役免除となり、1943年に同大学を本人も驚くほど優秀な成績で卒業すると、イングランド西部のシュロプ州ウェリントン(Wellington, Shropshire)の公立図書館の図書館長(librarian)として就職した。1950年には北アイルランドの国立ベルファスト女王大学(Queen’s University of Belfast)の副図書館長(sub-librarian)として奉職した際に婚約者と破局し、それ以来様々な女性と性的関係を持ったが、生涯独身で子無しだった。
ラーキンは1955年にイングランドに返り咲き、北東部の貧しく陰鬱な都市であるキングストン・アポン・ハル(Kingston upon Hull)市に所在する国立ハル大学(University of Hull)の図書館長(University Librarian)として奉職し、1985年に歿するまで三十年間もその地位にあった。同大学でラーキンと個人的に親しくしていたブレット(Raymond L. Brett, 1917-96)教授の述懐によれば、ラーキンの仕事ぶりは真面目で、朝早く出勤してきて夜遅く帰宅した。しかしながら、図書館内の個人事務室で図書館の事務仕事をこなすことに加えて自分の詩も書いていたとのこと。詩人フィリップ・ラーキンは、満63歳という比較的短命で食道癌(英 cancer of oesophagus; 米 cancer of esophagus)のため世を去った。
ラーキンが上記の短い詩で意図した意味を考えてみると、英国階級社会の中にあって「蛙の子は蛙」なのだし、その両親だってそうだった(昔風の帽子や外套を着た馬鹿ども=君の祖父母)のだから、悲惨の再生産なんぞはせず、新しい世代(子供)を作るのは俺(=ラーキン)のようにやめようじゃないか、ということなのだろう。つまり反出生主義(anti-natalism アンティ・ネイタリズム)を謳った詩というわけである。
イギリス本国ではラーキンという作者名を知らない人でもこの詩の本文は知っているほど人口に膾炙(かいしゃ)している。2009年4月30日(木)付のガーディアン紙(The Guardian)によると( https://www.theguardian.com/uk/2009/apr/30/divorce-judge-philip-larkin )、上訴裁判所(Appeal Court or Court of Appeals: 他国で言う「控訴裁判所」、日本で言う「高等裁判所」=高裁)の判事(judge)が裁判の中で、上記の詩の最初の4行(つまり第一連)をいきなり引用し、しかも通常の裁判で耳にすることがありえないような(但し、イギリスの街中ではよく聞こえてくる) fuck という単語が厳粛な法廷内で響いたため、大いに話題になった。判事は元夫婦による子供の養育権(custody)を巡る泥沼の法廷闘争を諌(いさ)めるべく、この詩を引用したのだった。このことからも分かるが、上述したように fuck up という熟語・他動詞の意味を「✖✖して」とするのは明らかな誤訳である。
【参考記事集】
ネットスラング、法廷にもキタ――!! 殺人事件で検察官が読み上げた「ww」
まいどなニュース
神戸新聞社編集委員 竹内章(たけうち あきら)署名記事
2021年3月1日(月)
https://maidonanews.jp/article/14230285?p=25589369
https://news.yahoo.co.jp/articles/b35963ef00e5e8c40d919a0f49c0aea7ef492a6b
https://news.yahoo.co.jp/articles/b35963ef00e5e8c40d919a0f49c0aea7ef492a6b/comments
「なぜ私を産んだ!」親や医師を訴えるロングフル・ライフ訴訟とは何か
「反出生主義」という思想
現代ビジネス
明治学院大学教授 加藤秀一(かとう しゅういち, b.1963)
2019年3月21日(木)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63516
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63516?page=2
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63516?page=3
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63516?page=4
本人の同意なしに子どもを生んではならない!?
反出生主義とは何か
「生まれたこと自体が損害」?
医療関係者を訴えるケースが増加
生まれて存在することをめぐる謎
[関連動画]
https://www.youtube.com/watch?v=QItcMixuiaU
「反出生主義」はなぜ哲学的に「ありえない」のか
山口大学教授、哲学者 小川仁志(おがわ ひとし, b.1970)
2020年4月27日(月) サンデー毎日×エコノミスト
2020年5月29日(金) ヤフーニュース転載
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200512/se1/00m/020/060000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb748fa18929265aae56fca614c4c3c870788726 (リンク切れ)
(前略・改行)
実際に、南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターは、『生まれてこないほうが良かった』という著書の中でそうした主張を展開しています。「反出生主義」と呼ばれる思想です。ベネターは「快楽と苦痛の非対称性」を指摘し、人間が生まれきて必ず苦痛を経験するのなら、生まれてこないほうが良いということになると論証したのです。
さらに、自らの主張を裏付けるかのように、世界では毎日約2万人が餓死し、毎年事故によって350万人が死に、2000年には81万5000人が自殺しているという事実も摘示しています。
だからこそ私たちは、道徳的義務として、避妊や人工妊娠中絶をすべきで、さらには段階的に人類を絶滅させていかねばならないとまで言うのです。極端に聞こえるかもしれませんが、こうした思想には一定の説得力があることから、イギリスでは「反出生主義の党」という政党まで結成されていると言います。
(改行・後略)
昔から存在した反出生主義を「誕生肯定」で突破したい
中央公論新社 『中央公論』2021年2月号より
中央公論編集部
早稲田大学教授 森岡正博(もりおか まさひろ, 1958)
2021年2月8日(月)
https://chuokoron.jp/culture/116723.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f6c2f3a19093cd62fb493d2d722511ca9d5186b
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f6c2f3a19093cd62fb493d2d722511ca9d5186b/comments
(前略・改行)
反出生主義の思想自体は、実はずっと前から存在しました。例えば、一九九八年のポケモンのアニメ映画『ミュウツーの逆襲』や、七〇年のジョージ秋山の漫画『アシュラ』、四七年の太宰治『斜陽』です。ミュウツーは人工的に造られましたが、「なぜ自分を造ったのだ」と、恨みから物語が展開していきます。さらに遡れば、厭世主義のショーペンハウアーが大正から昭和にかけて知識人の間でよく読まれました。
最近の特徴と言えば、インターネットやSNSの登場によるものです。それまで発言力のなかった人たちが、自分は反出生主義を持っているということを呟いて、それが共有されて可視化されやすくなっていると思います。もう一つは、反出生主義という言葉の発明です。英語ではanti-natalismと言い、これは中国の一人っ子政策など、人口抑制政策の文脈で昔から使われていました。哲学の中で言われていた「生まれないほうが良かった」を指すようになったのは二十一世紀に入ってからです。言葉の発明で、思想が見えやすくなったことはあり得ます。
(改行・中略・改行)
ショーペンハウアーの考えは、生きることは一切が苦しみだから、生への執着や欲望を減らし、無意志の状態になって、心が晴れ晴れする境地に至ろうというものです。その意味で、古代インドの聖典『ウパニシャッド』や、仏教の影響を強く受けています。ただし彼は、それを達成するために、原始仏教のように物の所有をやめるとか、出家や修行をするとかは、考えていません。その点、馴染みやすいですが実践が見えにくく、欲望とどう闘うかは彼もクリアーには書いていません。
(改行・後略)