16「イギリス文化論」(2021/11/30) イスラム教の聖典 『クルアーン』=通称 『コーラン』から見るイスラム教の本質

イスラム教の聖典で、アッラー(Allah)の神が預言者ムハンマド(Muḥammad, c.570-632)=俗にマホメット(Mahomet, c.570-632)の口を通して語ったとされる言葉を記した書 『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)の日本語訳と英訳を以下に引用する。なお、太字ボールド体)は引用者 xapaga によるものである。

二 牝牛 フリューゲル版189節、カイロ版193節

騒擾(そうじょう)がすっかりなくなる時まで、宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条(ひとすじ)になる時まで、彼らを相手に戦い抜け。しかしもし向うが止めたなら、(汝らも)害意を棄てねばならぬぞ、悪心抜きがたき者どもだけは別として。(岩波文庫版上巻, p.47)

2 雌牛の章 193節

迫害がなくなるまで、宗教が神のものになるまで、彼らと戦え。しかし、彼らがやめたならば、無法者にたいしては別として、敵意は無用である。(中公クラシックスⅠ巻, p.xxx)

2 雌牛章 193節

迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。[改行] だがもしかれらが(戦いを)止めた[註]ならば、悪を行う者以外に対し、敵意を持()つべきではない。(日本ムスリム協会版, p.35)

註: 相手が圧迫をやめるならば、かれらに対する敵意は解消するが友になるわけではない。戦争はアッラーの道に従うムスリムの多神、邪神の徒にたい(原文のママ)する自衛のためで単に人びとに対する憎悪からではない。

第2章 雌牛

迫害がなくなり、宗教がアッラーに帰されるまで彼らと戦え。しかし彼らが止めたなら[註]、不正をなす者以外には敵対はない。(2:193)(黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集版, p.59)

註: 不信仰者が自分たちから仕かけた戦いを止めること。または、不信仰者が多神崇拝(フィトナ)を止め、イスラームに入信するか、ジズヤ(人頭税)を支払うこと。

2 Cow 193

And fight them on until there is no more persecution or oppression, and the religion becomes Allah’s. But if they cease. Let there be no hostility except to those who practice oppression.

[Translated by Yusuf Ali]

https://www.theholyquran.org/?x=s_main&y=s_middle&kid=14&sid=2

2 The Cow 193

And fight them unil there is no persecution, and religion is only for Allāh. But if they desist, then there should be no hostility except against the oppressors.

[Translated by Muhammad Ali]

http://www.ahmadiyya.org/english-quran/quran.htm

四 女 フリューゲル版38節、カイロ版34節

アッラーはもともと男と(女の)間には優劣をおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの。 だから貞淑(ていしゅく)な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘()めごとを他人(ひと)に知られぬようそっと守ることが肝要(この一文は色々な解釈の可能性がある)。反抗的になりそうな心配のある女はよく諭(さと)し、(それでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それも効がない場合は)打擲(ちょうちゃく)を加えるもよい。だが、それで言うことをきくようなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。(岩波文庫版上巻, p.115)

4 女人の章 34節

男は女より優位にある。というのは、神が、おたがいのあいだに優劣をつけたもうたからであり、また男が自分の金を出すためである。それゆえ、善良な女は従順であり、神が守りたもうたものを留守中も守るものだ。逆らう心配のある女たちにはよく説諭し、寝床に放置し、また打ってもよい。もし彼女たちが言うことを聞くなら、それ以上の手段にはしってはならない。まことに神は高く、かつ偉大であらせられる。(中公クラシックスⅠ巻, p.105)

4 婦人章 34節

男は女の擁護者(家長)である。/ それはアッラーが、一方を他より強くなされ、/ かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。/ それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。/ あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所(ふしど)に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。 / それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。/ 本当にアッラーは極(きわ)めて高く偉大であられる。(日本ムスリム協会版, p.98)

第4章 女性

男たちは女たちの上に立つ管理人である。アッラーが一方に他方以上に恵み給うたことゆえ、また、彼らが彼らの財産から費やすことゆえに。それゆえ、良き女たちとは、従順で、アッラーが守り給うたがゆえに留守中に守る女たちである。おまえたちが不従順を恐れる女たちには、諭し、寝床で彼女らを避け、そして、彼女らを打て。もし彼女らがおまえたちに従うなら、彼女らに対し道を求めるな。まことにアッラーは崇高にして大いなる御方であらせられた。(4:34)(黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集版, p.113)

4 Women 34

Men are the protectors and maintainers of women, because Allah has given the one more (strength) than the other, and because they support them from their means. Therefore the righteous women are devoutly obedient, and guard in (the husband’s) absence what Allah would have them guard. As to those women on whose part ye fear disloyalty and ill-conduct, admonish them (first), (next), refuse to share their beds, (and last) beat them (lightly); but if they return to obedience, seek not against them means (of annoyance): For Allah is Most High, Great (above you all). [Translated by Yusuf Ali]

https://www.theholyquran.org/?x=s_main&y=s_middle&kid=14&sid=4

Ch. 4: The Women 34

Men are the maintainers of women, with what Allāh has made some of them to excel others and with what they spend out of their wealth. So the good women are obedient, guarding the unseen as Allāh has guarded. And (as to) those on whose part you fear desertion, admonish them, and leave them alone in the beds and chastise them. So if they obey you, seek not a way against them. Surely Allāh is ever Exalted, Great. [Translated by Muhammad Ali]

http://www.ahmadiyya.org/english-quran/ch004-44.pdf

なお、佛敎(仏教)でも『增壹阿含經』(ぞぅいつあごんきやぅ; 増一阿含経; ぞういつあごんきょう; Ekottara Āgama)がこう説いている。釈迦(仏陀)は長老に「女には9つの悪い属性がある」と仰った。つまり女は、1) 汚なくて臭く、2) 人の悪口ばかりを言い、3) 浮気で、4) 嫉妬深く、5) 強欲で、6) 遊び好きで、7) 怒りっぽく、8) おしゃべりで、9) 軽口である、ということである。

また、『無量壽經』(むりやぅじゆきやぅ; 無量寿経; むりょうじゅきょう; Longer Sukhāvatīvyūha Sūtra, or Infinite Life Sutra)によると、女は汚ならしくて成仏(じやぅぶつ; じょうぶつ)できないため、今生(こんじやぅ; こんじょう)で德を積んでから死後に「變成男子」(へんじやぅ なんし; 変成男子; へんじょう なんし)に生まれ変わり、男として德を積み、死後漸(ようや)く成仏できると釈迦(仏陀)は説いている。

チンカマナヴィカ(Cincamanavika; Cinca-Manavika; Cinca Manavika)という女が、「私はこの男に妊娠させられた」などと釈迦(仏陀)を誣告(ぶこく: 他人を罪に陥れようとして事実を偽ること)したとされているが、仏教が女を侮蔑する理由がここにある。東南アジアや南アジアの仏教国(タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマー、スリランカ)に点在する壁画( https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/Buddha_with_Cincamanavika.jpg / http://ariyamagga.net/cinca-manavika-making-false-accusation-buddha/ / http://suttanta.tripod.com/khuddhaka/dhammapada/dha144.html )に屡々(しばしば)この誣告事件の様子が描かれている。

八 戦利品 17節(フリューゲル版・カイロ版とも)

彼ら(敵軍)を殺したのは汝ら(回教徒)ではない。アッラーが殺し給うたのだ。射殺(いころ)したのはお前(マホメット)でも、実(じつ)はお前が射殺したのではない。アッラーが射殺した給うたのだ。これは信者たちに有難い恩寵を経験させようとし給うたことだ。まことにアッラーは耳敏(さと)く、一切に通じ給う。(岩波文庫版上巻, p.239)

8 戦利品章 17節

おまえたちが彼らを殺したのではなくて、神が彼らを殺したもうたのである。おまえが射とめたとき、射とめたのはおまえではなくて、神が射とめたもうたのである。これは、神がよい試練として信者を試したもうたためであった。まことに神はあまねく聞き、よく知りたもうお方である。(中公クラシックスⅠ巻, p.220)

8 戦利品章 17節

あなたがたがかれらを殺したのではない。アッラーが殺されたのである。/ あなたが射(い)った時、あなたが当てたのではなく、アッラーが当てたのである。/ (これは)かれからの良い試練をもって、信者を試みになられたためである。/ 本当にアッラーは全聴にして、全知であられる。(日本ムスリム協会版, pp.212-3)

第8章 戦利品

そしておまえたちが彼らを殺したのではなく、アッラーが彼らを殺し給うた。また、お前が投げた時、おまえが投げたのではなく、アッラーが投げ給うた。そしてそれは、信仰者をそれによって良い試練として試み給うためであった。まことに、アッラーはよく聞きよく知り給う御方。(8:17)(黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集版, p.208)

8 The Spoils Of War 17

It is not ye who slew them; it was Allah. When thou threwest (a handful of dust), it was not thy act, but Allah’s: in order that He might confer on the Believers a gracious benefit from Himself: for Allah is He Who heareth and knoweth (all things). [Translated by Yusuf Ali]

https://www.theholyquran.org/?x=s_main&y=s_middle&kid=14&sid=8

Ch. 8: Voluntary Gifts 17

So you slew them not but Allāh slew them, and thou smotest not when thou didst smite (the enemy), but Allāh smote (him), and that He might confer upon the believers a benefit from Himself. Surely Allāh is Hearing, Knowing. [Translated by Muhammad Ali]

http://www.ahmadiyya.org/english-quran/ch008.pdf

九 改悛 5節

だが、(四ヵ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。ひっ捉(とら)え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待伏せよ。しかし、もし彼らが改悛(かいしゅん)し、礼拝の務(つと)めを果()たし、喜捨(きしゃ)もよろこんで出すようなら、その時は遁()がしてやるがよい。まことにアッラーはよくお赦(ゆる)しになる情(なさけ)深(ぶか)い御神におわします。(岩波文庫版上巻, p.239)

9 悔い改めの章 5節

神聖月が過ぎたならば、多神教徒どもを見つけしだい、殺せ、これを捕えよ。これを抑留せよ。いたるところの通り道で待ち伏せよ。しかし、もし彼らが悔い改めて、礼拝を守り、喜捨を行なうならば、放免してやれ。神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。(中公クラシックスⅠ巻, p.232)

9 悔悟章 5節

聖月が過ぎたならば、/ 多神教徒を見付()け次第(しだい)殺し、 またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡(すべ)ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。/ だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。/ 本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方(かた)であられる。(日本ムスリム協会版, p.223)

第9章 悔悟

それで諸聖月が過ぎたら、多神教徒たちを見出し次第殺し、捕らえ、包囲し、あらゆる道で彼らを待ちうけよ。だが、もし彼らが悔いて戻り、礼拝を遵守し、浄財を払うなら、彼らの道を空けよ。まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深き御方。(9:5)(黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集版, p.217)

9 Repentance 5

But when the forbidden months are past, then fight and slay the Pagans wherever ye find them, and seize them, beleaguer them, and lie in wait for them in every stratagem (of war); but if they repent, and establish regular prayers and pay Zakat, then open the way for them: for Allah is Oft- forgiving, Most Merciful. [Translated by Yusuf Ali]

https://www.theholyquran.org/?x=s_main&y=s_middle&kid=14&sid=9

Ch. 9 The Immunity 5

So when the sacred months have passed, slay the idolaters, wherever you find them, and take them captive and besiege them and lie in wait for them in every ambush. But if they repent and keep up prayer and pay the poor-rate, leave their way free. Surely Allāh is Forgiving, Merciful. [Translated by Muhammad Ali]

http://www.ahmadiyya.org/english-quran/ch009-66.pdf

四十七 マホメット フリューゲル版4-7節、カイロ版4-6節

さて、お前たち(回教徒)、信仰なき者どもといざ合戦という時は、彼らの首を切り落せ。そして向うを散々殺したら、(生き残った者を捕虜として)枷(いましめ)かたく縛りつけよ。それから後は、情をかけて放してやるなり、身代金(みのしろきん)を取るなりして、戦いがその荷物をすっかり下ろしてしまう(完全に終わる)のを待つがよい。まずこれが(戦いの道というもの)。勿論アッラーの御心次第では、(こんな面倒な道を踏まずとも)一度に彼ら(異教徒)を打って仇を討つこともおできになろう。だが、お前たち(人間)を互いに(ぶつからせて)それを試みとなそうとのおはからい。アッラーの道に(聖戦において)斃れた者の働きは決して無になさりはせぬ。/ きっと御自ら手をとって、その心を正し、/ 前々から(現世にいた時から)知らせておいて下さった楽園にはいらせて下さろう。(岩波文庫版下巻, pp.134-5)

47 ムハンマド章 4-6節

背信者に相まみえるときは、彼らの首を打て。おまえたちが多くを殺害してしまったら、次は縛りあげるがよい。戦いが重荷をおろすまでに、自由にしてやるなり贖(あがな)いをさせるなりすればよい。もし神が欲したまえば、ご自身だけで彼らに復讐(ふくしゅう)することもおできになる。しかし、おまえたちおたがいを試すためになしたもうたことである。神の道で斃(たお)れた者たち、神は、けっしてこのような者の行為を迷わしたもうことはない。/ 彼をお導きになり、心を正しくしたもうのである。/ 彼らにお知らせになっていた楽園にはいらせたもうであろう。(中公クラシックスⅡ巻, pp.271-2)

47 ムハンマド章 4-6節

あなたがたが不信心な者と戦場で(まみ)える時は、(かれらの)首を打ち切れ。 / かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。/ もしアッラーが御(お)望みなら、きっと(御()自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたが互いに試みるために(戦いを命じられる)。/ 凡(およ)そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚(むな)しいものにはなされない。/ かれは、かれらを導きその状況を改善なされ、/ かねて告げられていた楽園に、かれらを入らせられる。(日本ムスリム協会版, pp.631-2)

第47章 ムハンマド

それゆえおまえたちが信仰を拒んだ者たちと出会った時には、彼らを殺戮するに至るまで首を打ち(切り)、そして戦いがその重荷を置くまでは、(捕虜の)束縛を引締め、後は、恩情か、身代金かである。そのようである。だがもし、アッラーが御望みなら、彼(アッラー)が彼らに報復し給うであろうが、おまえたちのある者を(別の)ある者によって試み給うためである。アッラーの道で殺された者たち、彼が彼らの行いを迷誤させ給うことはない。(47:4)。/ いずれ彼は彼らを導き、彼らの状態を改善し給うであろう。(47:5) / そして、彼らに知らせ給うた楽園に彼らを入れ給う。(47:6)(黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集版, p.540)

47 Muhammad 4-6

Therefore, when ye meet the Unbelievers (in fight), smite at their necks; at length, when ye have thoroughly subdued them, bind (the captives) firmly: thereafter (is the time for) either generosity or ransom: until the war lays down its burdens. Thus (are ye commanded): but if it had been Allah’s Will, He could certainly have exacted retribution from them (Himself); but (He lets you fight) in order to test you, some with others. But those who are slain in the Way of Allah,—He will never let their deeds be lost. / Soon will He guide them and improve their condition, / And admit them to the Garden which He has made known to them. [Translated by Yusuf Ali]

https://www.theholyquran.org/?x=s_main&y=s_middle&kid=14&sid=47

Ch. 47: Muḥammad 4-6

So when you meet in battle those who disbelieve, smite the necks; then, when you have overcome them, make (them) prisoners, and afterwards (set them free) as a favour or for ransom till the war lay down its burdens. That (shall be so). And if Allāh please, He would certainly exact retribution from them, but that He may try some of you by means of others. And those who are slain in the way of Allāh, He will never allow their deeds to perish. / He will guide them and improve their condition. / And make them enter the Garden, which He has made known to them. [Translated by Muhammad Ali]

http://www.ahmadiyya.org/english-quran/ch047.pdf

【出典】

・ 井筒俊彦(いづつ としひこ, 1914-93)訳 『コーラン(上)』(岩波書店 岩波文庫, 1957年; 1961年改訳版)

・ 同氏訳 『コーラン(下)』(岩波書店 岩波文庫, 1958年; 1964年改訳版) 他に中巻もあり

・ 藤本勝次(ふじもと かつじ, 1921-2000)、伴康哉(ばん こうさい, 1918-2013)、池田修(いけだ おさむ, b.1933)共訳 『コーラン Ⅰ』(中央公論社 世界の名著, 1970年; 中央公論新社 中公クラシックス, 2002年)

・ 同氏共訳 『コーラン Ⅱ』(中央公論社 世界の名著, 1970年; 中央公論新社 中公クラシックス, 2002年)

・ 宗教法人日本ムスリム協会(英称 Japan Muslim Association)訳編 『日亜対訳注解 聖クルアーン』(宗教法人日本ムスリム協会, 初版1972年; 改訂版1982年)

・ 中田考(なかた こう, b.1960)監修、中田香織(なかた かおり, b.1961)・下村佳州紀(しもむら かずき, b.1975)・松山洋平(まつやま ようへい, b.1984)共訳、黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集 『日亜対訳 クルアーン [付] 訳解と正統十読誦注解』(作品社, 2014年)

・ 印度人回教徒アブドゥッラー・ユスーフ・アーリー(Abdullah Yusuf Ali, 1872-1953)による英訳(訳出年・発表年ともに不詳)

・ 印度人回教徒マウラーナ・ムハンマド・アーリー(Maulana Muhammad Ali, 1874-1951)による英訳(初訳出1917年; 改訂新版2002年)

【xapaga解説】

イスラム教(Islam)は苛烈(かれつ)である。イスラム教の聖典 『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)に書かれたことは、真面目な信者であればあるほど絶対に守らなければならない。千年以上前に書かれた 『クルアーン』は、奴隷制(slavery)や一夫多妻制(polygamy)を否定しないどころか、むしろ積極的に肯定する時代錯誤的(じだい さくご てき: anachronistic アナクろスティック)な記述が今も残るし、上記に掲げたように「多神教の信者(要するにヒンドゥー教徒や仏教徒や神道の氏子(うじこ)など)を殺せ!」とか、「不信心者(要するにイスラム教を信じない者すべて)の首を刎()ねろ!」とか、「そ奴らを殺しても、それはアッラーの神がやったのだ」などと、まるで二十一世紀(2001-2100年)のテロリストの思想を肯定するかのような記述が目を引く。こんな物騒な内容が公然と書かれた聖典だが、アッラー(Allah)の神が預言者ムハンマド(Muḥammad, c.570-632)=俗にマホメット(Mahomet, c.570-632)の口を通してアラビア語で語ったとされる聖なる言葉を記(しる)した書であるため、一切の改訂は認められない。そのことが時代に合わせた改革を阻(はば)んでいる。英語や日本語など他言語への翻訳は奨励されないが、「注釈書」の扱いで一応黙認されている。しかしながら、アラビア語以外の言語で読んだり聞いたりするのは無意味であるとされている。キリスト教の『聖書』(The Holy Bible)に比べてイスラム教は言語学的にも硬直している。

イスラム教では奴隷(slave)になったら最後、使役者の思うが儘(まま)に扱われる。特に捉(とら)えられた女性は何度も強姦(rape)され、男の性欲の捌()け口として利用されるため、その境遇は悲惨きわまりない。しかしその男に気に入られれば、結婚できる(4人の妻のうちの1人に成れる)というこ とになっているが、これはどう考えても女性の人権を無視した考えである。女性に選択肢の無い結婚とは、要するに男の性欲の捌()け口という意味である。一部のイスラム教国では女性蔑視の度合いも甚(はなは)だしく、女性は生理中に『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)に触るのを禁じられている。イスラム教では男性を伴わない女性の外出は良しとされず、夫または父親または兄などが外出している間、女性は家に引き籠(こも)って居なければならない。また、イスラム教には性的少数者(sexual minorities)に対する寛容(tolerance)の概念も無く、同性愛(homosexuality)が発覚すれば、アフガニスタン(Afghanistan)、ブルネイ(Brunei)、イラン(Iran)、イラク(Iraq)、リビア(Libya)、モルディヴ(Maldives)、モーリタニア(Mauritania)、ナイジェリア(Nigeria)、サウジアラビア(Saudi Arabia)、ソマリア(Somalia)、スゥダーン(Sudan: 日本では誤って「スーダン」)、それにアブダビ(Abu Dhabi)やドゥバーイ(Dubai: 日本では誤って「ドバイ」)で有名なアラブ首長国連邦(UAE: United Arab Emirates)、そしてイエメン(Yemen)の計13イスラム教諸国で死刑と規定されている。女性が姦通(かんつう: adultery アルタりィ: 夫以外の男性を性行為をすること、現在の日本で言う「不倫」)の罪を犯すと、複数の者から石を投げつけられて処刑される。そのくせ男性から女性に対する小児性愛(しょうに せいあい: paedophilia ピードォフィーリア)=俗に言うロリコン型の性行為(sexual intercourse)は容認どころか奨励されている。それは預言者(事実上の開祖にして教祖)ムハンマド(Muḥammad, c.570-632)=俗にマホメット(Mahomet)の言行を記した聖典『ハディース』(Hadith; Al-ḥadīth)に、ムハンマドが53歳の時に6歳の女児アーイシャ(ʿĀ'isha)が嫁(とつ)いできて、9歳で正式に結婚(つまり性交)し、3番目の妻として迎えられたと書かれているからである。

竹下節子(たけうち せつこ, b.1976)著 『不思議の国サウジアラビア パラドクス・パラダイス』(文藝春秋 文春新書, 2001年)によれば、男性が非常に強い権限を持つ絶対王制国家サウジアラビア王国(Kingdom of Saudi Arabia)では、男たちに性欲を起こさせるのは女であり、したがって女は諸悪の根源であるという。イスラム世界で最大の悪とされるアルコール飲料(alcoholic drinks)と麻薬(narcotics)の取り締まりは可能であり、現に厳しく取り締まっているが、女(women)だけは根絶できない。だから只管(ひたすら)女たちをアバヤ(عباية‎ = ʿabāyah; 英 abaya)という衣服で覆って黒ずくめにし、家に閉じ込めて隠してしまう。もちろん女性の就労も(フィリピン人女性やスリランカ人女性などによる住み込みメイド業務を別にすれば)事実上皆無(かいむ)である。女性にスポーツ参加の機会すら認めてこなかったサウジアラビアだが、上記の著書の刊行から九年後、遂(つい)にサウジ王朝=サウジアラビア政府は国際オリンピック委員会(仏 CIO = Comité International Olympique; 英 IOC = International Olympic Committee)の圧力に屈し、2010年夏季青年オリンピック(開催地: シンガポール)への女性選手1名(馬術)の派遣、2012年夏季ロンドン五輪への女性選手2名(女子78キロ超級柔道と女子陸上800メートル競走に各1名)の派遣、2016年夏季(但し、南半球の現地では非常に温暖な冬季)リオデジャネイロ五輪への女性選手4名(因(ちな)みに男子選手は9名)の派遣を認めた。そして同国王朝=同国政府は2017年9月に漸(ようや)く女性の自動車運転を許可する勅令を発した(実施は2018年上半期)。2018年1月12日(金)には史上初めて女性のサッカー(イギリス発音でソッカー)観戦を認めた。その際、女性観客は男性観客と区別された専用の入口から入場し、「家族専用」とされる観客席で国内リーグの試合を観戦した。また、同年(2018年)2月28日(水)には同国軍隊への女性の入隊が初めて許可されたという一報が届いたが、年齢、高等教育修了、欠員がある場所での男性保護者(夫、父親、兄弟、息子のいずれか)との同居など12項目の要件を満たす必要があるという。高齢のサルマーン国王(سلمان بن عبد العزیز آل سعود; Salmān ibn ‘Abd al-‘Azīz Āl Sa‘ūd; 英 King Salman of Saudi Arabia, b.1985; 在位2015-)に代わって辣腕(らつわん)を振るう同国のムハンマド皇太子(محمد بن سلمان بن عبدالعزيز آل سعود; Muhammad bin Salmān bin ‘Abd al-‘Azīz Āl Sa‘ūd; 英 Crown Prince Mohammad bin Salman, b.1985)が推()し進めるこれらの小さな国策柔軟化で、厳格なイスラム解釈で悪名(あくみょう)高い同王国にも少しだけ変化の兆しが見えてきた。しかしながら、2018年10月2日(火)にトルコの在イスタンブール・サウジアラビア領事館内で、政権批判の急先鋒だった在米サウジ人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ(جمال خاشقجي‎; Jamāl Khāshuqjī; 英 Jamal Ahmad Khashoggi, 1958-2018)氏が殺害(拷問死とも言われる)されると、ムハンマド皇太子が殺害の指示を出していたことが噂(うわさ)され、トルコのみならず人権問題にうるさい欧米諸国をも巻き込んだ国際問題に発展している。一方で中東の問題に深入りしたくない日本国政府は静観を決め込んでいる。

2019年1月には次のようなニュースが世界を駆け巡った。同年(2019年)1月6日(日)、満18歳のサウジアラビア人女性ラハフ・クヌーン(Rahaf Mohameed al-Kunun, or Rahaf Mohammed al-Qunun, or Rahaf Mohammed Alqunun, or Rahaf Mohammed Mutlaq Alqunun, b.2000?)嬢が、家族と隣国クウェート(Kuwait)を旅行中に単独で抜け出し、豪州(Australia)へ亡命申請するつもりで東へ飛ぶ飛行機で経由地のバンコック(Bangkok, Thailand)へ向かった。クヌーン嬢の家族から通報を受けたサウジアラビア王国大使館の要請を受けたタイ王国当局は、首都バンコックの空の玄関口であるスワンナプーム国際空港(BKK: Suvarnabhumi International Airport)でクヌーン嬢の旅券(passport)を没収した上で、同空港内のホテルで身柄を拘束した。パスポートは取り上げられたものの、スマホ(smartphone)を持参していたクヌーン嬢は、ツイッター(Twitter)で次々とツイート(tweet)した。そして今回の逃亡が「親による結婚の強制から逃れるため」であることを明確にし、「故国(=サウジアラビア)に強制送還されたら殺される!」と当初はアラビア語で、次に英語で切々と訴えた。英語での情報発信には世界中から大きな反響があり、フォロワー(followers)は17万(170 thousand)人を超えた。クヌーン嬢の訴えを受け、早くも同年(2019年)1月6日(日)には署名サイトChange.orgでクヌーン嬢を助けようという署名が立ち上がった。この署名サイトは数日間で9万人以上が署名し、国際問題になった。同年(2019年)1月6日(日)から7日(月)の間にクヌーン嬢はタイの弁護士と連絡を取り、弁護士がクヌーン嬢に対する強制送還を差し止めるための仮処分申請をしたが、タイの裁判所はこれを認めなかった。

しかしながら、遂には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR: United Nations High Commission for Refugees)がクヌーン嬢を保護する事態となった。クヌーン嬢を保護したUNHCRは同年(2019年)1月8日(火)にスイスのジュネーヴ(Geneva, Switzerland)で記者会見(press conference)を開き、「現在、タイの安全な場所で国連(UN: United Nations)の保護下にあり、国連が難民として認定する手続きを進めている」とした上で、「国連は人々が危険に晒(さら)されると感じる場所に送還することはない」と強調し、タイを訪れている父親との面会は認めないとした。クヌーン嬢の父親はタイを訪れて娘の身柄の引き取りを要求したが、クヌーン嬢が面会を拒否したという。

サウジアラビアには、対立する家系に若い娘を嫁に差し出すという意味不明な風習があり、大抵の女性は敵方の家で性的・肉体的・精神的に凄まじい暴力を受けるという。顔に硫酸(sulfuric acid; 化学式 H₂SO₄)をかけられた女性が他国に逃げた事例もある。また、サウジアラビアをはじめとする一部のイスラム教諸国や、インドをはじめとするヒンドゥー教諸国では、少女が親(特に父親)によって強制的に結婚させられる悪習が残っている。当の少女が一家(特に父親)の命令に従わなかった場合、そのような不名誉な女が家にいることは「一族の恥」だととして、「家族の名誉のため」と称し、その少女は親族(兄や伯父・叔父等)によって殺害されてしまう。これを「名誉殺人」(英 honour killing; 米 honor killing)と言う。したがって「故国に戻ったら殺される!」というクヌーン嬢の主張は決して誇張ではないし、だからこそUNHCRが介入したのだった。ちなみにイスラム文化圏の「名誉殺人」に於ける殺害対象には同性愛者も含まれる。

UNHCRはクヌーン嬢から詳しい聞き取り調査を行ない、これを受けてカナダ(Canada)と豪州(Australia)が受け入れを検討する考えを示した。タイ王国司法当局は同年(2019年)1月11日(金)夜に記者会見を開き、クヌーン嬢がカナダを選び、タイを出国したことを明らかにした。韓国(South Korea)の仁川国際空港(ICN: Incheon International Airport)経由だった。クヌーン嬢はカナダ政府と国連の一機関である国際移住機関(IOM: International Organization for Migration)の保護を受けることになるという。カナダのトルドー(Justin Trudeau, b.1971; 首相在任2015-)首相は同年(2019年)1月11日(金)の記者会見で、サウジ出身のクヌーン嬢を難民として受け入れることを明らかにした上で、「それ(=クヌーン嬢の受け入れ)は我々カナダ政府が喜んでやることです。というのも、カナダは世界中で人権のために立ち上がり、女性の権利のために立ち上がることが如何(いか)に重要かということを理解している国だからです。私は我々カナダ政府が国連の要請を受け入れたことを確証できます。」(That is something that we are pleased to do because Canada is a country that understands how important it is to stand up for human rights and to stand up for woman’s rights around the world. I can confirm that we have accepted the UN’s request.)と述べた。そして同年(2019年)1月12日(土)には一躍時の人となったクヌーン嬢が無事にカナダ最大の空の玄関口であるトロント・ピアソン国際空港(YYZ: Toronto Pearson International Airport)に到着し、フリーランド(Chrystia Freeland, b.1968; 外相在任2017-19; 副首相在任2019-)外務大臣(当時)を筆頭とするカナダ政府関係者の温かい出迎えを受けた。(出典: 2019年1月8日(火)付と同年(2019年)1月12日(土)付のNHKオンラインの記事と、同年(2019年)1月12日(土)付の英 The Guardian 紙のオンライン記事と、同年(2019年)1月14日(月・祝)付のヤフーニュースに載った伊藤和子(いとう かずこ, b.1966)国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長・弁護士による記事「強制結婚からの自由を求めたサウジの少女。なぜ国際政治が動き、カナダ政府に受け入れられたのか。」 https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20190114-00111108/ に依拠した上で加筆)

そして2019年9月27日(金)からサウジアラビア王国政府は史上初の措置として、日本人を含む外国人(非サウジ人)の観光目的での入国を認め始めた( https://www.visitsaudi.com/en/about-evisa.html / https://www.ksa.emb-japan.go.jp/files/000521503.pdf )。これも上述したムハンマド皇太子による改革の一環であるが、2020年以降は新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)の世界的感染拡大(pandemic)の影響で、サウジは再び事実上の観光鎖国状態になっている。

2020年12月28日(月)のこと、女性による自動車運転の解禁や、旅行に出る際などに父や夫、兄弟らの許可を必要とする「男性後見人」制度の廃止を訴えてきた女性人権活動家ルジャイン・ハズルール(لجين الهذلول‎; Loujain al-Hathloul, b.1989)女史=31歳に対してサウジアラビアの裁判所が「国益を損なう罪」などで禁錮5年8月(ごねん はちげつ; five years and eight months)の実刑判決を言い渡した。なお、女性による自動車運転は2018年6月に解禁されているが、ハズルール女史は恰(あたか)も生贄(いけにえ: sacrifice)にされたような格好である。また、「男性後見人」制度も既に撤廃されている。

【参考】諷刺画(作者不詳)

テロ組織の自称「イスラム国」(“Islamic State”)こと IS(英語圏では Isis アイシス; 仏語圏では Daech デッシュ)とサウジアラビア王国(Kingdom of Saudi Arabia)との違い

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小室直樹(こむろ なおき, 1932-2010)東京工業大学世界文明センター特任教授・現代政治研究所所長著 『日本人のためのイスラム原論』(集英社インターナショナル, 2002年)によれば、イスラム教では「ムハンマド(Muḥammad, c.570-632)=俗にマホメット(Mahomet, c.570-632)が最後の預言者」とされているため、ムハンマド以後の変革はあり得ず、よって伝統主義の呪縛から逃れられず、革命思想は否定される。また、皮肉なことに西欧より一千年も早く「平等」思想が確立されたがために、絶対王政への反撥として起こる筈(はず)の近代デモクラシー(民主政)への道も開かれなかったという。

イスラム教とは対照的に、キリスト教(Christianity)は「赦(ゆる)し」(remission; absolution; forgiveness)の宗教である。罪を犯したとしても、悔い改める(repent)ことで赦(ゆる)される。また、キリスト教の良いところは何度も改革(reform りフォーム: その最大の物は Reformation れッフォメイション こと宗教改革)や教義(dogma)の見直し(review)を経ているため、二千年以上前に書かれた 『旧約聖書』(The Old Testament)や、二千年近く前に書かれた 『新約聖書』(The New Testament)の内容をその儘(まま)実践しなくても良い。カトリック教会の権威に対抗してプロテスタントが出現し、啓蒙(けいもう: Enlightenment エンライトゥンメントゥ主義の時代を経て、市民革命が王権神授説を倒した。西欧には宗教との取っ組み合いの末、人権や民主政を確立した長い歴史がある。また、カトリックの側も史上21回にも及ぶ公会議(こう かいぎ: 羅 Concilium Oecūmenicum コンキリウム・オェクーメニクム; 英 Ecumenical Council イーキューニクゥカウンスル)を開くことで時代に合わせて変化を遂げてきた。したがってキリスト教徒の中でもキリスト教を無批判に受け入れる者は極めて少ない。時代に合わせて 『聖書』(The Holy Bible) の解釈を変えていく余地がある。西洋では政教分離(separation of Church and State)がほぼ全面的に行き届いているので、日常生活に於()いて宗教が介入してくることはまず無いと言って良い。明治以降の近代日本も(昭和戦前・戦中期の軍國主義と國家神道の融合という例外はあるものの)欧米の政治体制を懸命に模倣してきた。

反対にイスラム教は、預言者ムハンマドとその弟子たちの時代を理想とし、『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)の教えを至上とする愚かな考え方から抜けられないでいる。イスラム教では宗教改革や時代に合わせた変革ができないし、してはならないとされている。イスラム教の「改革」は常に教祖ムハンマドの時代の信仰に立ち戻り、他の宗教を軽蔑して否定するイスラム原理主義に帰結することを意味する。イスラム教徒に自由は無い。他宗教からイスラム教に改宗する自由があるから、「イスラム教は自由な教えだ!」と信者は喜々として主張するが、実はイスラム教を棄教(ききょう)する自由は無く、棄教すれば多くのイスラム諸国で死罪となる。イスラム教について深く学べば学ぶほど、『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)に書いてあることをそのまま実行せねばならなくなり、宗教的には雁字(がんじ)搦(がら)めになる。イスラム教は教義自体に大きな欠陥を孕(はら)む洗脳思想なのである。

英語の語彙(ごい: vocabulary ヴォキャビュラりィ)には1237年頃から使われ出した assassin (アサッシン)という物騒(ぶっそう)な単語があり、現代英語では「暗殺者」を意味する。これは、『オクスフオッド英語辞典』(OED: Oxford English Dictionary)によれば、麻薬の「ハッシシ(hashish)常用者」を意味するアラビア語の単語ハシュシャーシーン(ḥashshāshīn)とハシーシィーン(ḥashīshiyyīn)、及びそれらの複数形ハシュシャーシュ(ḥashshāsh)とハシーシィ(ḥashīshiyy)とに由来する単語である。元来(がんらい)の意味は、「十字軍(Crusade)時代に山中に籠(こも)り若者にハッシシを与えて洗脳し、『我らの不倶戴天(ふぐ たいてん)の敵であるキリスト教指導者を暗殺すれば、死んでからあの世で美しい72人の処女たちといくらでも性行為(sexual intercourse)ができるぞ!』という催眠術をかけていたイスラム教徒の古老」 を指した。古老による洗脳・催眠術は二十一世紀の現代にも受け継がれ、テロ組織の自称「イスラム国」(“Islamic State”)こと IS(英語圏では Isis アイシス; 仏語圏では Daech デッシュ)や、テロ組織「アルカーイダ」(Al-Qaeda)や、「ボコ・ハラム」(Boko Haram)や、「ヌスラ戦線」(Al-Nusra Front)のテロ活動や残虐行為に見ることができる。

狂信的なイスラム教徒(或る意味では純粋な信仰者)にとって、キリスト教十字軍(その二十一世紀版がアメリカ主導の欧米諸国や一部中東諸国の有志連合や日本のような後方支援国)は憎悪(ぞうお)の対象であるが、キリスト教徒(Christians)やユダヤ教徒(Jews)は一神教 (monotheism ノシ゜ィズム)を信仰している「啓典(けいてん)の民(たみ)」(‎‎′Ahl al-Kitāb; people of the Book)であるため、殺すにしても一定の敬意をもって殺害する。しかしながら仏教徒(Buddhists)や神道信者(Shintoists)については、「一神教を知らぬ虫けらども」と考えるため、徹底的な侮蔑(ぶべつ)をもって殺す。狂信的なイスラム教徒にとって、日本人を殺すことは虫けらを殺すことに等しい。その日本人は 『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)も暗誦(あんしょう)できぬ、そして『聖書』すら読んでいない偶像崇拝(idolatry アイラトゥりィ)の多神教信者(pantheist パェンシ゜ィスト)か、無神論者(atheist エイシ゜ィスト)だからである。その根拠は聖典 『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)第9章に「多神教徒どもを殺せ」とあり、同書47章に「不信心者の首を切り落とせ」と書かれているからである(本ウェブページ上記の翻訳引用を参照)。それにしても異教徒・不信心者・無神論者をも含めて全知全能の創造神(Almighty Creator)であるアッラー(Allah)が万物(the universe)を創造(create)したされる論理(logic)でありながら、アッラーによる被造物(creature)である異教徒・不信心者・無神論者に人権を認めず、女性の人権を制限するイスラム教は論理が破綻(はたん)している。1994年12月24日(土)から26日(月)にかけて起きた武装イスラム集団(GIA: Groupe islamique armé グふゥピスラミッカふメ)によるエールフランス航空(Air France)機AF8969便ハイジャック事件でも、アルジェリア人警察官(アルジェリア警察はGIAにとっての不倶戴天の敵対勢力)に次いで殺害されたのは、在アルジェリア ・ベトナム大使館に勤務するベトナム人外交官・商務担当官の男性だった。「啓典(けいてん)の民(たみ)」ではない虫けらと思われて即座に殺害された。犯人の4人組は残ったイスラム教徒とキリスト教徒の乗客・乗員だけでパリのエッフェル塔(仏 la Tour Eiffel ラトゥーへッフェル; 英 the Eiffel Tower ジアイフルワー)に飛行機もろとも突っ込む計画であり、生き残った男性乗務員の証言ではテロリストが頬(ほお)にキスしてきたという。しかしフランス軍特殊部隊によるマルセイユ国際空港での急襲が成功したため、パリ市内に航空機を墜落させるテロ計画は実現を免(まぬが)れた。1997年11月17日(月)にはエジプトのピラミッド観光(pyramid tourism)の中心地ルクソール(Luxor, Egypt)で観光バスが武装テロリスト集団に襲撃され、日本人10人を含む計62人が殺害された。2013年1月16日(水)には北アフリカの準フランス語圏アルジェリア共和国南部の天然ガス精製プラントが武装テロリスト集団に人質拘束事件を引き起こされ、現地日本人社員10人を含む計80人とも67人(但し、32~37人程度はテロリスト側)とも言われる多くの死者を出した。2015年3月18日(水)には北アフリカの準フランス語圏チュニジア共和国首都チュニスのバルドォ国立博物館(仏 Musée national du Bardo; 英 Bardo National Museum)が武装テロリスト集団に襲撃され、日本人3人を含む計22人が殺害され、テロリスト2人も当局側の応戦で死亡した。2016年7月1日(月)夜から翌朝にかけてバングラデシュの首都ダッカ(Dhaka)の外国人向け飲食店「ホウリィパン工房カフェ」(Holey Bakery Café)で起きたテロ組織の自称「イスラム国」(“Islamic State”)こと IS(英語圏では Isis アイシス; 仏語圏では Daech デッシュ)の戦闘員による人質惨殺事件でも、日本人客は真っ先に虫けらのように殺され、イタリア人客は拷問用に暫(しばら)くは生かされた。イタリア人は敵ながら一神教であるキリスト教の信者なので、憎しみの標的としての人間の扱いを受け、拷問死させられたのであった。犯人たちはイタリア人を銃弾で傷つけて息のある状態で時間をかけて首や手足を切り落としたとされる。最終的にテロ実行犯たち全員はバングラデシュ治安部隊の銃撃で死んだが、「あの世で美しい72人の処女たちといくらでも性行為ができる!」と信じて死んでいったと考えられる。テロを計画し武器を供与したとして逮捕された8名のテロリストのうち7名は、三年あまり後の2019年11月27日(水)に現地の裁判所で死刑判決を言い渡されたが、1名は無罪となった。他に近年記憶に新しいところでは、2015年の1月7日(水)のフランス共和国首都パリ市内のシャルリー・エブド紙(Charlie Hebdo)編集部襲撃事件で死者12人(犯人兄弟2名は二日後に射殺)、同年(2015年)11月13日(金)夜のパリ同時テロ事件で死者138人(犯人グループ8名を含む)、2016年3月22日(火)のベルギー王国首都にして欧州連合(EU: European Union)の事実上の首都でもあるブリュッセル(仏 Bruxelles ブひゅクセル; 蘭 Brussel ブりゅッセル; 独 Brüssel ブりゅッセル; 英 Brussels ブらッセルズ)市近郊のブリュッセル国際空港、及びブリュッセル市中心部の地下鉄マールベーク(蘭 Maalbeek; 仏 Maelbeek)駅での爆弾テロ事件で死者35人(犯人グループ3名を含む)、同年(2016年)7月14日(木・祝)のフランス革命記念日(フランス国家として最も重要な祝日)の南仏ニース無差別テロ事件で死者85人(警察に射殺された単独犯を含む)という具合に、フランスとその隣国ベルギーではイスラム過激派による大規模なテロ事件が立て続けに起こっている。また、2017年にはイギリスでも3月と5月と6月に、それぞれ5人(犯人1人を含む)、23人(犯人1人を含む)、1人が死亡するイスラム教過激派によるテロ事件が起きている。

少々古いところでは、日本でも1991年7月11日(木)に 『悪魔の詩』訳者殺人事件が起きている。筑波大学構内のエレベーターホールで当時四十四歳の同大学助教授(現在で言う准教授)の五十嵐一(いがらし ひとし, 1947-91)氏が何者かによって首を斬りつけられて刺殺された。五十嵐助教授は1976年から’79年までパフラヴィー(Mohammad Rezā Shāh Pahlavi, 1919-80; 在位1941-79)皇帝の帝政時代のイランに留学してイラン王立哲学アカデミー研究員を務め、帰国後は1986年から筑波大学で助教授として勤務していた。在職中の1990年にはインド生まれの英国作家サルマン・ラシュディ(Sir Salman Rushdie, b.1947)の小説 『悪魔の詩』(The Satanic Verses, 1988)を日本語に翻訳刊行していた。この小説については1989年2月14日(火)にイランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニー師 (Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī, 1902-89; 最高指導者在任1979-89)が反イスラム的で冒瀆(ぼうとく)的だという理由で、著者のラシュディ氏及びその発行に関わった者に対する死刑宣告をイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告し、「処刑」を実行した者に懸賞金を出すとしていた。それから四ヶ月も経ていない同年6月3日(土) に当のホメイニーが心臓発作で死去したが、ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、撤回は永久に不可能となった。同年にはイタリアやノルウェーでも襲撃事件があり、翻訳者が重傷を負っていた。二年後の1993年にはトルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡する事件も起きている。筑波大学の事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されたが、茨城県警察の捜査には何ら進展が見られず、事件は迷宮入りした。但し、文藝春秋発行の『週刊文春』 1998年4月30日(木)号は治安当局の極秘報告書を同誌が独自に入手したとのことで、それによると東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていたが、この学生は事件当日昼過ぎに新東京国際空港(現在の成田国際空港)からバングラデシュに帰国したとのこと。しかしイスラム教の国々との関係悪化を恐れる日本国政府は及び腰となり、茨城県警に捜査の打ち切りを命じたとのことである。その後、1998年にイラン革命政府はファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明した。事件から十五年後の2006年7月11日(火)に公訴時効が成立し、五十嵐助教授殺害事件は未解決事件となった。2012年9月16日(日)にはイラン国内のイスラム強硬派宗教財団が著者ラシュディ氏らへの処刑実行者に対する懸賞金を上積みしたと報じられた。

2014年6月11日(水)には慶應義塾大学大学院在学中のサウジアラビア人学生が、東京都台東区浅草の浅草寺(せんそう じ)の境内で仏像4体を破壊した容疑で逮捕されている。イスラム教では偶像崇拝を禁止し、特に仏像の顔は「異教徒の像による邪視」だとして徹底的に打ち砕く。偶像崇拝の文化を破壊するのがイスラム教徒としての善行だと狂信的に信じた結果だった。この容疑者は他の寺院の仏像破壊もほのめかしている。仏像破壊を正しい行ないと信じているのである。

イスラム教には表現の自由(freedom of expression)や言論の自由(freedom of speech)がないため、諧謔(humour ヒューマー)や諷刺(satire サータイヤー)は通じず、もし言論によってイスラムの名誉が穢(けが)されたと感じると、苛烈な暴力に訴えるのがその特徴である。言論によって言論に対抗するという西欧近代社会の常識は通じない。2015年の1月7日(水)に起きたフランス共和国首都パリ市内の週刊シャルリ・エブドォ誌(Charlie Hebdo: 英語読みでチャーリー・ヘブドウ)編集部襲撃事件が恰好の例である。これに対してはフランスの多くの一般国民が「私はシャルリ」(Je suis Charlie ジュッスィシャふリ)と書かれたプラカードを掲げてデモ行進した。同年にはイスラムに関する欧米の諷刺画(caricature)を転載した日本の書籍の出版に対し、在日パキスタン人が抗議デモを行ない、多くの書店が恐怖を感じて販売自粛に追い込まれた。このときは抗議だけで済んで良かったが、日本の書店が販売自粛に追い込まれたのはイスラム教徒の暴力の発露としてのテロ犯罪を恐れたからだった。それでいて、同じパキスタン人(但し、既に亡命者にして2014年ノーベル平和賞受賞者)であるマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai, b.1997)嬢が女子教育の必要性を訴えただけでイスラム教徒の男から銃撃されて危うく一命を取りとめた事件を彼ら在日パキスタン人はどう考えているのか。サウジアラビアの女性たちがどんな差別(discrimination)と嫌がらせ(harassment)に苦しんでいるかマスコミは報じようとしないし、「イスラムは悪くない」と擁護(ようご)する偽善者たち(hypocrites ポクりッツ)は口を噤(つぐ)んだ儘(まま)である。

2020年10月16日(金)にはフランスの中学校の歴史地理教師のサミュエル・パティ(Samuel Paty, 1973-2020)氏=47歳が、パリ郊外のコンフラン=サントノリーヌ(Conflans-Sainte-Honorine, Yvelines, Île-de-France)にある勤務先のオルヌの森中学校(Collège Bois-d’Aulne)からの帰途、チェチェン系ロシア人難民でイスラム教徒の男アブゥドゥラフ・アブゥイェドヴィッチ・アンゾロフ(Abdoullakh Abouyedovich Anzorov, 2002?-20)容疑者=18歳に襲われ、斬首されて殺害されている。十一日前の同年(2020年)10月5日(月)の授業中に自分の生徒たちにイスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の裸を描いた諷刺画(caricature)を見せたため、イスラム過激派の怒りを買ったのが原因だった。犯人は教師を殺害後にツイッター(Twitter)に切断した頭部の写真とともに「異教徒の指導者マクロン(大統領)へ、俺は処刑した、お前の地獄の犬の中の一匹を、(イスラム教の預言者)ムハンマドを侮辱した犬の中の。」(« A Macron le dirigeant des infidèles j’ai exécuté un de tes chiens de l’enfer qui a osé rabaisser Muhammad. »)という内容のツイート(tweet)を残している。容疑者は駆け付けた警察官の「地面に伏せろ! 武器を捨てろ! 伏せろ! 」(« Au sol ! Jette ton arme ! Allonge-toi ! »)という指示に従わず、BB弾を警察に向けて発射したため、突撃した警官隊に9発撃たれて即死した。フランスの捜査当局は事件に関与したとして11人を逮捕した。そして教師殺害から僅か五日後の同年(2020年)10月21日(水)にはフランス共和国(仏 la République française; 英 the French Republic)挙げての国家追悼式(国葬)がパリ市内のソルボンヌ大学(la Sorbonne)で挙行され、その中でマクロン(Emmanuel Macron, b.1977; 大統領在任2017-)大統領がスピーチし、「我々は風刺画をやめない。我々は続ける。そうだ、この戦いを。自由と理性のためのだ。その中であなた(=パティ先生)は今や顔(=象徴的存在)になっている。」(« Nous ne renoncerons pas aux caricatures. Nous continuerons, oui, ce combat pour la liberté et pour la raison, dont vous êtes désormais le visage. »(ヌヌふノンスほンパ・オカひカチューふ。ヌコンティニュほン、ウィ、スコンバ・プふラリベふテ、エプふラへゾン、ドーンヴゼットゥ・デゾふメ・ルヴィザージュ。 https://www.msn.com/ja-jp/news/world/字幕-フランスは-風刺画やめない-マクロン氏-教師国葬で宣言/ar-BB1agUNx / https://news.yahoo.co.jp/articles/13543a34f8df939a4699f1448949854d98edc60f )と高らかに宣言した。この事件に至るには伏線があった。五年前の2015年の1月7日(水)に起きた「シャルリ・エブドォ誌(Charlie Hebdo: 英語読みでチャーリー・ヘブドウ)事件」で起訴されたイスラム過激派14人に対する初公判が2020年9月2日(水)に開かれていた。これを記念してシャルリ・エブドォ誌が諷刺画を再掲載したことが影響し、物議を醸(かも)していた。更(さら)に同年(2020年)9月25日(金)には、そのことに怒りを感じたパキスタン出身の18歳の男がシャルリ・エブドォ元本社近くで(犯人は会社が移転した事実を知らなかったため)男女2人を刃物で襲うという事件が起こったばかりであった。

女性たち、特に英国の白人少女たちに対する男性イスラム教徒によるおぞましい性犯罪の数々については、本ウェブサイトの前期授業資料( https://sites.google.com/site/xapaga/home/shockingcrimes )の最下部に掲載し、後期授業資料( https://sites.google.com/site/xapaga/home/ethnicityuk )に拡大再掲した一連の事件からも窺(うかが)い知ることができる。日本のテレビ文化人たちが繰り返す「悪いのはイスラム過激派であ り、イスラム教もイスラム教徒も本来は悪くない。」や「イスラム教は平和の宗教だから、IS のようなテロ集団とは無関係だ。」といった言説が、如何(いか)に的(まと)外(はず)れで偽善(ぎぜん: hypocrisy ヒクりシィ)に満ちているかが分かる。確かにムスリム(イスラム教徒)の全てがテロリストではないが、テロリストのほぼ全てがムスリム(イスラム教徒)という事実は重く受け止めねばならない。そのことについてイスラム側からの謝罪も釈明も無い。イスラム教徒にとっては教典の『クルアーン』(Qur’ān)=通称 『コーラン』(Koran)こそが法である。したがって自分が移民として、または移民二世・三世として世話になっている西欧社会の法律は意に介さない。イスラム教徒の法律軽視は、イスラム教の教え自体に問題の根源があるのだ。英国社会は多文化主義(multiculturalism)を採用し、あらゆる宗教に対して平等に自由を認めているため、イスラム教徒も自由に活動できる。しかしその自由がイスラム教徒を増長させ、特別待遇の要求が出てくるようになる。あらゆる宗教の過(あやま)ちを正した(と彼ら信者たちが勝手に信じている)宗教であるイスラム教がなぜ他の宗教と平等に扱われねばならないのか理解できない。その(本来は理不尽な)要求が通らないと見ると、テロに走る者が出てくる。また、英国社会はイスラム教徒たちの地域社会からの孤立を放置してしまったこともテロの温床(おんしょう)になっている。他方、フランス革命の精神を体現しようとするフランス社会はあらゆる宗教を平等に規制するため、イスラム教徒の自由は制限され(たとえば女性のかぶるヴェールの2004年以降の学校での着用禁止、そして2011年以降の公共の場所での着用禁止)、イスラム教徒は益々反撥を強め、テロに走る者が出てくる。ドイツ社会も2016年に女性のかぶるヴェールを着用禁止に持ち込み、フランス型の社会を模倣つつある。2018年6月にはオランダとノルウェーでも関連法が成立し、デンマークも2018年8月1日(水)、公共の場で顔を覆う衣服を着用することを禁じる法律を施行した。全身を覆うブルカ(برقع Burquʿ)などの衣装が禁止対象となる。「イスラム差別」の懸念が強いものの、イスラム過激派によるテロを背景に、治安対策や移民・難民の社会統合を理由として、一般国民の間では許容する空気が浸透している。イギリスでは今のところ、こうした動きは無い。

しかしながら、日本のような極東の側から西の三大宗教(成立順にユダヤ教、キリスト教、イスラム教)を公平に見た場合、ユダヤ教及びキリスト教の『旧約聖書』(The Old Testament: 但し、ユダヤ教では旧約=古い証左などとは呼ばず唯一の『聖書』の扱い)にもイスラム教の暴力性を準備したような箇所は存在する。

たとえば『旧約聖書』「申命記」20章10~18節(The Book of Deuteronomy 20:10-18 from The Old Testament)の昭和戦後期口語訳にこうある(太字はxapagaによる)。

[引用開始] 一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。ただし女、子供、家畜およびすべて町のうちにあるもの、すなわちぶんどり物は皆、戦利品として取ることができる。また敵からぶんどった物はあなたの神、主が賜わったものだから、あなたはそれを用いることができる。遠く離れている町々、すなわちこれらの国々に属さない町々には、すべてこのようにしなければならない。ただし、あなたの神、主が嗣業(しぎょう: 受け継ぐべき物)として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。[引用終わり]

また、『旧約聖書』「民数記」31章14~18節(The Book of Numbers 31:14-18 from The Old Testament)の昭和戦後期口語訳にもこうある。

[引用開始] モーセは軍勢の将たち、すなわち戦場から帰ってきた千人の長たちと、百人の長たちに対して怒った。モーセは彼らに言った、「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。彼らはバラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ペオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った。それで今、この子供たちのうちの男の子をみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい。ただし、まだ男と寝ず、男を知らない娘はすべてあなたがたのために生かしておきなさい。(最後の箇所の意訳: 「処女についてはお前たちで喜んで強姦しろ。」の意)[引用終わり]

モーセの十戒(The Ten Commandments)の6番目「汝(なんぢ)、殺す勿(なか)れ。」と、7番目「汝(なんぢ)、姦淫(かんいん)する勿(なか)れ。」があるが、これらの掟(おきて)は人間が勝手に行なう場合の話であり、神に異民族や異教徒の強姦・殺戮(さつりく)の代理を命じられたのだとすれば、これらの戒律はその人物には当て嵌(はま)らない。したがって神の指示であれば疑問を持つことは許されないし、強姦・殺戮を行なった人物を批判することも許されない。その人物を批判すると神を批判することになるからである。極東の側から見た西の三大宗教(成立順にユダヤ教、キリスト教、イスラム教)のおぞましさは、『旧約聖書』にその起源を見出すことができるが、後発組たるイスラム教の各宗派こそが最も過激に成ったのである。

【参考1】イスラム教への安易な「理解」や「対話」に対する日本のイスラム研究者からの批判

池内恵「ムハンマド風刺画騒動が問う原則の問題」

(前略)

重要なのは、イスラーム教の観点からは、キリスト教徒であろうとデンマーク国内の新聞であろうと、イスラーム教の規範に従うのを当然とされることだ。価値相対主義がごく自然なものとして通用している世界では、このような論理が介在してくると、とっさには呑み込みがたいだろう。

西欧諸国の原則として通用している「信仰の自由」とは、諸宗教が「平等」であり、価値の優劣はつけがたいということを前提としている。その根底には、諸宗教は究極的には同一の真理や価値を志向している、という理想論あるいは楽観論がある。いずれかの宗教が「普遍であり絶対的に正しい」とは見なされないという前提のもとに「平等」は成り立っている。

しかしイスラーム諸国で通常理解され、イスラーム諸国の社会に貫徹している「信仰の自由」は、まったく異なる論理構造である。イスラーム教徒にとって、イスラーム教は「一つの宗教」などではない。他の宗教と同列に扱われることは、不当であり不愉快である、という以前に「道理に合わない」。神(アッラー)がムハンマドを通じて人類に最終啓示として『コーラン』を下した、その文言は一字一句、神の言葉である、といった基本的な教義は文学的な比喩でも、神話でも仮説でもない。信者にとっては純然たる「事実」である。

イスラーム教徒にとって、『コーラン』が「絶対的真理」を示す「普遍」であることはすべての議論の大前提である。この大前提を認めなければ、ものごとを考え、論じる基準が定まらないではないか、と不思議でならないようだ。この「当たり前の真実」を異教徒が理解し尊重しさえすれば共存は可能である。それゆえにイスラーム教ほど寛大な宗教はない、と彼らの大多数が誇りを持って説く。

イスラーム教の観点からは、「真理」であるイスラーム教とその他の宗教とは、非対称的な関係にある。西欧諸国から言えば、この非対称的な関係が、西欧諸国の内部にまで適用されることは、承服しがたい。西欧諸国の中で共存するには、あくまでも他の宗教と平等に、批判も受ければ揶揄もされる単なる一つの宗教としての地位を受け入れなければならない。正しい宗教の教えに従わせるためには、表現の自由、生命・身体の自由といった基本的な人権も踏み越えることができる(踏み越えることが義務である)というイスラーム教の要求には、そう簡単に屈することはないだろう。

(改行・後略)

池内恵(いけうち さとし, b.1973)東京大学先端科学技術研究センター准教授著

『増補新版 イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社, 2016年)から pp.341-2

2006年2月22日(水)執筆

月刊誌『中央公論』2006年4月号(中央公論新社)初出

池内恵「他者への寛容だけでは解決しない」

デンマークの新聞が二〇〇五年九月末に掲載した、イスラーム教の預言者ムハンマドを風刺したカリカチュアをめぐって生じた対立は、西欧諸国とイスラーム諸国との間の根本的な相違と、そこから生じてくる特有な摩擦をあらわにした。今回の問題は、(中略)西欧近代社会を基礎づけてきた理念と、イスラーム教との間の根本的な相違と隔絶に根ざしている。

(改行・中略)

「個人」を単位として基本的人権を保障する西欧諸国の社会の基本原則と、宗教信仰による「集団」を単位とした義務の履行を求めるイスラーム諸国の社会の基本原則の間には、乗り越えがたい相違がある。一方は個人主義の原則に基づいた人間の自由こそを価値とし、他方は「神」をすべての中心とする言わば「神中心主義」を確固とした規範の根幹とし、人間の神に対する義務を最優先する。これらは双方の社会の基本原則を形づくり、法と秩序の根幹になっているがゆえに、どちらにとっても譲りがたい。(中略)

(改行・中略)

これまでにも、イスラーム教をめぐって摩擦や対立が生じるたびに、「イスラーム教を理解せよ」と説かれてきた。しかし、イスラーム教を「理解」し、イスラーム教徒やイスラーム諸国と「友好的」であることを意図してきた従来の理解は、往々にして実際のイスラーム教徒が普遍的真理として、かけがえのない拠りどころとして受け止めている根本教義の数々を、意図的にか無意識にか無視してきた。厳として存在する神がムハンマドを通して下した『コーラン』の文言は一言一句神の言葉であり、イスラーム教はあらゆる他の宗教の過ちを正した普遍的真理である。あらゆる権利は神に属し、人間の権利とは、神が命じた義務を遂行して生きていくことである。この義務を履行することこそが、人間の真の自由である。この自由を実現するために、イスラーム諸国の政府は政策を実施する義務があり、イスラーム教徒の社会は相互に逸脱を阻止し、異教徒の不遜な行動を懲戒する義務がある。

こういった基本的な信条は、イスラーム教徒の大多数が規範と良識の礎(いしずえ)として守ってきたものである。そこには近代の西欧諸国に端を発し、日本も基本的には受け入れている、自由主義や世俗主義、政教分離の原則とは食い違う部分がある。それは、「欧米のメディアが貼ったレッテル」などではない。イスラーム諸国でごく通常の宗教教育の中で教えられ、伝えられてきた信条である。

皮肉なことに、これまでの「イスラーム教を理解せよ」という議論の多くは、イスラーム教徒の護持する信念を理解する努力を究極的には払ってこなかった。西洋近代の自由主義を否定する基本的な信条を、あたかも「一部の狂信者」による「特殊な思想」であると論じ、そして「真のイスラーム」は西欧諸国の近代的な自由主義の理念に等しいのであって、教育程度が高まり、経済発展がなされれば、自由主義を否定する「遅れた」宗教解釈は退いていく、という希望的観測に依拠してきた。また、「イスラームは一枚岩ではない」といった議論で、世界に広がるイスラーム諸国の各地に当然ながら存在する多種多様な文化的現象の断片を取り出して「イスラームの多様性」を論じ、中核的な信条や支配的解釈の均質性や、宗教をめぐって「異教徒」世界と対峙(たいじ)するときの結束力といった、より重要な側面から目を逸らすことが多かった。そして、西洋近代の基本的理念とは異なる規範が社会的に実践されているという、中東や南アジア諸国の実態を見ればあまりにも当然の事実すらも、指摘することが避けられてきた。あえて指摘した者には「偏見」「イスラーム教への敵対」といった本末転倒の非難を行い、圧殺していく傾向さえあった。これはある意味で、極端な西洋中心主義である。

(後略)

上掲書から pp.246-257

2006年2月23日(木)執筆

月刊誌『論座』2006年4月号(朝日新聞社)初出

池内恵「イスラーム教の律法主義と霊性主義—真の「対話」のために」

(前略)よく言われる「相手の立場を理解」すれば「対話」が成り立つといった考えがいかに甘いものであるかは、イスラーム教を「理解」するにつれて明らかになるだろう。イスラーム教を「正しく理解」すれば、対話の終着点は「イスラーム教に帰依するか、あるいはイスラーム教の優位性を認めて服す」しかない、という律法主義の自己完結的な論理体系に直面する。それに屈してしまえば、他者に自己が吸収されるということになり、そもそも対話の必要がなくなる。議論を避けて表向きだけ迎合するという姿勢は、他者を愚弄するものだろう。容易に解決策は見出せない。しかし、イスラーム教徒にとっても、このような自己完結的体系の中に立て籠もっていたのでは、現代世界に誇りある地位を見出すことが困難になる。原理的に異教徒を自分たちより下位の存在として位置づけるという、いまや維持することが困難な基本教義を根幹に置く宗教的規範体系を護持することでみずからを縛り、みずからの可能性を乏しいものにしているという側面は確かにある。

(後略)

上掲書から pp.436-7

2003年6月30日(月)執筆

宮本久雄(みやもと ひさお, b.1945)、大貫隆(おおぬき たかし, b.1945)編 『一神教文明からの問いかけ—東大駒場連続講義』(講談社, 2003年)初出

2002年11月12日(火)、東京大学教養学部のテーマ講義「一神教文明からの問いかけ」の本人講義記録に依拠

【参考2】「アフリカの角(つの)」(the Horn of Africa)とよく称されるソマリア(Somalia)にイスラム教徒として生まれながら、イスラム教を棄教して無神論者(atheist)に成り、同国人にしては裕福な境遇を偽(いつわ)ってオランダに政治亡命し、オランダ国会議員に当選するも、難民虚偽申請が暴露されてオランダから事実上追放され、現在は米国の保守系シンクタンク(think tank)であるアメリカン・エンタプライズ・インスティチュート(American Enterprise Institute: 直訳「米国事業研究所」)所属のアヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali, b.1969; 池内恵准教授によるカタカナ表記ではアーヤーン・ヒルスィ・アリ)女史によるイスラム教批判を東京大学先端科学技術研究センター(米称 RCAST: Research Center for Advanced Science and Technology, the University of Tokyo)の池内恵(いけうち さとし, b.1973)准教授が下記のように簡潔に纏(まと)める。

通説1: イスラームは平和的な宗教である。

反論: そんなことはない。『コーラン』を読めば、異教徒の殺戮を命じる章句が頻出する。

通説2: 異教徒の殺戮を命じる章句を文字通り解釈するのは、一部の狂信的な過激派だけである。

反論: そうではない。『コーラン』を一字一句真理として認めるのは、イスラーム教の基本中の基本である。

通説3: イスラーム教は他の宗教に寛容である。

反論: イスラーム教の絶対的な正しさと、他の宗教に対する優越性は強く主張され、信じられている。『コーラン』は三位一体への信仰、救世主としてのイエスへの信仰を繰り返し虚妄と断定しており、この教義も絶対的に正しい真理として大多数のムスリムに信じられている。

通説4: イスラーム教は宗教の自由を認める。

反論: 認められるのはイスラーム教に改宗する自由だけであり、イスラーム教からの改宗は厳しく禁じられ、死刑によって処罰されるべきものと信じられている。これは一部の狂信者ではなく、社会の圧倒的多数によって支持されており、現に無神論を表明した自分は殺害の脅迫を受けている。

通説5: 問題はイスラーム教徒ではなく、抑圧的な中東・アフリカの政権である。

反論: イスラーム教の規範による権利侵害をもたらすのは国家よりもむしろ社会であり、家族である。ムスリム女性の権利剝奪は、父、兄弟、夫によって行われている。

通説6: イスラーム教では女性の地位は高い。むしろヒジャーブ(ヴェール)を着用して社会参加することで、女性のエンパワメントを進めている。

反論: 自分の育ったソマリア社会では女性は結婚相手を選ぶ自由もなく、父、兄弟、夫など親族男性による支配と暴力のもとで生きている。この規範は部族的伝統とイスラーム教の規範が分かちがたく結びついたことで成り立っている。

(改行・中略)

アーヤーンの論点は、専門家の詳細な議論を踏まえてはおらず、単純ではあるけれども、行われているイスラーム信仰について、否定しがたい真実をついてしまっている面がある。多くのムスリム社会において改宗は身体への危害を覚悟しなければならないほど危険な行為であり、イスラーム教徒の側が信じる「寛容」は、他の宗教に平等な価値を認めるものではない。七世紀の現実を反映して、厳然と『コーラン』には戦闘を命じる章句があり、それらの章句を回避するためには回りくどい法解釈を積み重ねなければならず、その説得力が弱いがゆえに、過激派への教義面での対処は後手に回る。

(改行・後略)

池内恵 『増補新版 イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社, 2016年)から pp.456-9

参考書

Ayaan Hirsi Ali, De Maagdenkooi (Amsterdam: Augustus, 2004): オランダ語原題直訳 『乙女の叫び』

[英訳版] Ayaan Hirsi Ali, The Caged Vigin: A Muslim Woman’s Cry for Reason (London: Free Press, 2006): 英題直訳 『檻に入れられた乙女: ムスリム女性の理性を求める叫び』

Ayaan Hirsi Ali, Infidel: My Life (London: Free Press, 2007): 英語原題直訳 『不信心者: 我が人生』

[邦訳版] アヤーン・ヒルシ・アリ[著]、矢羽野薫[訳] 『もう、服従しない—イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』(エクスナレッジ, 2008年)

Ayaan Hirsi Ali, Nomad: From Islam to America: A Personal Journey Through the Clash of Civilizations (London: Simon & Schhuster, 2010): 英語原題直訳 『遊牧民: イスラムからアメリカへ: 文明の衝突を通ってきた個人的な旅』

【参考3】上記のアヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali, b.1969)女史に関連して

オランダでは二〇〇四年、イスラム社会の女性抑圧を告発した映画監督テオ・ファンゴッホがアムステルダムで暗殺された。八発の銃弾を浴びせた後、喉と胸を切り裂き、[p.68/p.69]ナイフを遺体に突き刺して逃走する、という残忍な手法だった。容疑者として逮捕されたのはモロッコ系オランダ人の二十六歳の青年だった。法廷で「不信心者に対する暴力は許される」と犯行を認め、終身刑判決を受けた。

三井美奈(みつい みな, b.1967)讀賣新聞記者、同新聞社元パリ支局長 『イスラム化するヨーロッパ』(新潮社 新潮新書, 2015年12月)からpp.68-9

二〇〇四年にはイスラム社会を告発した映画監督のテオ・ファンゴッホがアムステルダムの区役所前で暗殺された。八発の銃弾を浴びた後、喉と胸を切り裂かれ、脊髄に届くまでナイフを突き立てられた無残な遺体となって発見された。オランダでは、まれに[p.187/p.188]見る残虐犯罪だった。逮捕されたのはモロッコ系オランダ人の二十六歳の青年だ。遺体には、映画に協力したソマリア出身の女性国会議員アヤーン・ヒルシ・アリに対する脅迫状が添えられていた。

ファンゴッホは、画家ゴッホの弟の子孫にあたる。二〇〇四年に発表した短編映画「服従」で、裸体に「夫は妻を打ってよい」というコーランの文句を書きつけた女性を登場させた。ヒルシ・アリが、ソマリアで体験した父や夫からの虐待が映画の主題になった。ヒルシ・アリは事件後、難民申請でウソの申告をしていたことが発覚し、米国に移住した。

上掲書からpp.187-8

なお、アリ女史とは直接関係ないが、オランダでは2018年8月6日(月)、アンチ・イスラム強硬派の「自由を求める党」(蘭 Partij voor de Vrijheid パるテイ・フォーるデフらイハイツ; 蘭略称 PVV ペーフェーフェー; 英訳 Party for Freedom)の党員で、元国会議員でハーグ市(オランダ王国の事実上の首都)の市議会議員であるヴィリー・ディッレ(Willie Dille, 1965-2018)女史=53歳が、前年(2017年)3月15日(水)にイスラム教徒の集団に拉致強姦されたと、自分でYouTubeに投稿した動画( https://www.youtube.com/watch?v=y2y6Ko97Y50 )の中で主張した。ディッレ女史はその動画の中で、言論封じ目的の強姦(rape)であると主張し、自分の子供たちにも危害が及ぶことを恐れているのでハーグの市会議員を辞めると述べ、動画公開の二日後(2018年8月8日(水))に自殺した。オランダの警察当局はディッレ女史が主張するイスラム教徒らによる犯罪の事実を調査しようとしたが、ディッレ女史が詳細を何も語らずに命を絶ってしまった。イスラム教への憎悪(Islamophobia イズラモフォウビァ)から来る単なる被害妄想か濡()れ衣(ぎぬ)だとする見方もある。

上記のアヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali, b.1969)女史や、池内恵(いけうち さとし, b.1973)東京大学先端科学技術研究センター准教授の言説や、それらに同調する本ウェブサイトの管理人 xapaga こと、原田俊明(はらだ としあき, b.1968)が提起するイスラム批判に対しては、塩尻和子(しおじり かずこ, b.1944)筑波大学名誉教授、東京国際大学国際交流研究所所長・東京大学博士(文学)が訴えるような「『クルアーン』の中の一部の暴力的な文言(もんごん)だけを取り出し、イスラーム世界の現実に於()いて展開された諸宗教の共存や、ユダヤ・キリスト教の『旧約聖書』の中の暴力的文言を無視した不当なものである」とする批判・反対意見( https://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/11-05/11-05-26.pdf リンク切れ )があることも公平を期して付け加えておく。

【参考】

『旧約聖書』の暴力的な神(God)については、

中村圭志コラム「聖書の神の道徳性を診断する エリザベス・アンダーソンの診断」より抜粋

https://sites.google.com/site/xapaga/home/nakamuracolumn2019

を参照されたし。

イスラム批判の急先鋒アヤーン・ヒルシ・アリが分析

なぜフランスはこんなにも頻繁に「イスラム原理主義者の標的」になるのか

クーリエ日本版(Courrier Japon)

レティシア・ストローシュ=ボナール(Laetitia Strauch-Bonart)記者署名コラム

2020年12月18日(金)

https://courrier.jp/news/archives/224654/

「イスラム過激派のテロは戦争行為である」元ムスリム女性の論客が分析

クーリエ日本版(Courrier Japon)

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

レティシア・ストローシュ=ボナール(Laetitia Strauch-Bonart)記者署名コラム

2020年12月18日(金)

https://news.yahoo.co.jp/articles/537b05a0d456ea342583577c3aa4ff185723ae93

https://news.yahoo.co.jp/articles/537b05a0d456ea342583577c3aa4ff185723ae93?page=2

https://news.yahoo.co.jp/articles/537b05a0d456ea342583577c3aa4ff185723ae93?page=3

https://news.yahoo.co.jp/articles/537b05a0d456ea342583577c3aa4ff185723ae93?page=4

https://news.yahoo.co.jp/articles/537b05a0d456ea342583577c3aa4ff185723ae93/comments

フランス社会はイスラム過激派にどう向き合うべきなのか

アヤーン・ヒルシ・アリ「表現の自由について学ばなければ、それらは尊重されなくなる」

仏ル・ポワン誌(Le Point)

クーリエ日本版(Courrier Japon)転載

レティシア・ストローシュ=ボナール(Laetitia Strauch-Bonart)記者署名コラム

2020年12月18日(金)

https://courrier.jp/news/archives/224672/

[アヤーン・ヒルシ・アリ(Ayaan Hirsi Ali, b.1969)女史への最新インタビュー]

‘History is going backwards’ as violence against European women rises

「歴史は逆向きで繰り返す」と、欧州白人女性に対する暴力急増で

Sky New Australia (英国系スカイニューズ豪州)

2021年5月7日(金)

https://www.youtube.com/watch?v=UeVkGoRLJ_Y

[その他の参考書・動画・コラム]

飯山陽(いいやま あかり, b.1976)上智大学アジア文化研究所客員所員著 『イスラム教の論理』(新潮社 新潮新書、2018年、842円、ISBN9784106107528)

https://www.shinchosha.co.jp/book/610752/

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/410610752X/

【動画】

飯山陽×池内恵「イスラム法の真実」 #国際政治ch 29

2018年7月13日(金) ニコニコ生放送(ニコ生)アーカイブ動画

https://www.youtube.com/watch?v=z2e8IkVHrfM

【動画】

イスラム教徒の女性は「なぜ、髪の毛を布で覆い隠すの?」フィフィが答える!

フィフィ(Fifi, b.1976)

2020年2月18日(火) 公開

https://www.youtube.com/watch?v=VaHn4oM8qhY

なぜフランス文化とイスラム文化は風刺画を巡って争うのか 触れてはならない「文化的逆鱗」

The Page

名古屋工業大学 若山滋(わかやま しげる, b.1947)名誉教授署名コラム

2020年11月7日(土)

https://news.yahoo.co.jp/articles/494ac76ef08a3200d47929b20fb8acbff7244c46/

https://news.yahoo.co.jp/articles/494ac76ef08a3200d47929b20fb8acbff7244c46?page=2

https://news.yahoo.co.jp/articles/494ac76ef08a3200d47929b20fb8acbff7244c46?page=3

https://news.yahoo.co.jp/articles/494ac76ef08a3200d47929b20fb8acbff7244c46/comments

なぜフランスで「残酷な斬首テロ事件」が起きたのか、その「複雑すぎる背景」

はたしてムスリムとの対立が原因なのか

現代ビジネス

東京大学 伊達聖伸(だて きよのぶ, b.1975)准教授署名コラム

2020年11月18日(水)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77437

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77437?page=2

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77437?page=3

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77437?page=4

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77437?page=5

https://news.yahoo.co.jp/articles/b88a169e0363ecd03fcde4528f778d997cf70746 (リンク切れ)

フランス「斬首事件」の深層とは? 日本人が知らない「厳しすぎる現実」

現代ビジネス

東京大学 伊達聖伸(だて きよのぶ, b.1975)准教授署名コラム

2020年11月19日(木)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77451

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77451?page=2

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77451?page=3

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77451?page=4

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b245054820cd2b6f45757c6c55245695696c8e7 (リンク切れ)

仏、SNSで人生狂わせた少女

Japan In-depth

在仏ライター・ブロガー Ulala(本名非公開)署名記事

2020年12月13日(日)

https://japan-indepth.jp/?p=55504

https://news.yahoo.co.jp/articles/4959dbd8dfa54e292671c759544a5a9d41eb2446 (リンク切れ)

【まとめ】

・16歳少女がSNSでイスラム教批判。レイプ・殺害予告受ける事態に。

・「ミラ事件」は子供同士の“言い争い”が政府を巻き込む大問題に。

・イスラムが絡むことで事態が複雑化する仏社会の苦悩を映す事件。

ムハンマド風刺画がテロを触発 昨年フランスで起きた事件と表現の自由について考える

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)個人

在英ジャーナリスト 小林恭子(こばやし ぎんこ, b.1958)

2021年1月8日(金)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashiginko/20210108-00215388/

パキスタンで相次ぐ、宗教的少数派女性の誘拐と虐待、強制改宗

フォーブズ日本版(Forbes Japan)

エウェリナ・U・オチャブ(Ewelina U. Ochab)記者署名記事

日本語訳: 遠藤康子/ガリレオ

2021年2月21日(日)

https://forbesjapan.com/articles/detail/39867

https://forbesjapan.com/articles/detail/39867/2/1/1

https://news.yahoo.co.jp/articles/e250aa66283774f78cbbddd8fd9db01e82b28315 (リンク切れ)

【動画】

白人を奴隷として取り引きしたイスラム奴隷貿易

僕らの知らない物語

2021年8月16日(月) 公開

https://www.youtube.com/watch?v=pV7uyo4aojo