西曆1905年3月11日(土)、夏目漱石講演記錄「倫敦のアミユーズメント」(前篇)

十九世紀(1801-1900年)の英國で動物愛護が進んで行く前の實情を見る爲(ため)に、

夏目漱石(なつめ そうせき, 1867-1916)こと、本名 夏目金之助(なつめ きんのすけ, 1867-1916)著

『漱石全集 別冊』(漱石全集刊行會[註], 1912年)から

(註: 漱石全集刊行會は全集初版本限定の名稱であり、實際には岩波書店の刊行。

pp.437-446 (岩波書店の1967年版 『漱石全集 第16巻 別冊』では pp.369-390)

「倫敦(ロンドン)のアミユーズメント」(英譯假題 “The Amusements of London”)を讀む。

明治卅八年=西曆1905年3月11日(土)、明治大學(在東京府東京市神田區、現東京都千代田区)に於(おけ)る講演記錄

初出は、明治卅八年=西曆1905年4月8日(土)~5月8日(月)の明治大學發行 『明治學報』

【ウェブ上で閲覧】

国立国会図書館(NDL: National Diet Library, Tokyo, Japan)近代デジタルライブラリー(1925年版を掲載)

コマ番号232から246まで

https://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986233

個人サイト「図書カード」にも全文掲載(但し、新かな・新漢字表記で文字化け・誤記多し)

http://books.salterrae.net/amizako/html2/sousekilondonaumse.txt

(漱石の全文章は、1967年1月1日(日・祝)以来著作権フリー)

【原文の大部分】

(半角括弧内にルビを新たに補充)

諸君(しよくん)私(わたくし)が夏目(なつめ)先生(せんせい)です。(笑聲起る) 一體(いつたい)私(わたくし)は斯()ういふ所(ところ)で話(はなし)をしたことがないのですけれども隈本(くまもと)さんが無理(むり)にしろと云()ふので、ツイ引受(ひきう)けたものですから何(なに)かやらなければならぬことになつて仕舞(しま)ひました。然(しか)し當分(たぅぶん)はそれなりに濟()んで居()りましたが、モウ趣向(しゆかぅ)がついたらぅと思(おも)ふから此(この)二月(にがつ)には是非(ぜひ)やれといふ話(はなし)であつたが、然(しか)し二月(にがつ)といつても差迫(さしせま)つて居()りまして、私(わたくし)は斯()う見えても大變(たいへん)忙(いそが)しいのです。なか/\遊(あそ)んでる身體(からだ)ぢやないのですから斷(ことは)つた。其(その)代(かは)り、三月(さんがつ)になれば必(かなら)ず何(なに)かやりますと言質(げんしつ)を取()られた譯(わけ)であります。それで三月(さんがつ)になつて見()ると、今度(こんど)は先方(せんぽぅ)から十一日(じふいちにち)に是非(ぜひ)何(なに)かやれといふ譯(わけ)でございますから、筆記(ひつき)なんかされるということとは少(すこ)しも考(かんが)へずに出()て參(まい)つたのです。(笑聲起る) それでどぅも非常(ひじゃぅ)に忙(いそが)しいのですから、其爲(そのため)に何(なん)の用意(よぅい)も出來(でき)ませんが、仕方(しかた)がない、モウ時日(じじつ)が差迫(さしせま)つたものですから本(ほん)を持()つて來()ました。詰(つま)り此本(このほん)の中(なか)にある事(こと)を饒舌(しやべ)るのです。別(べつ)にどうもえらい演說(えんぜつ)をする材料(ざいれう)もありませず、さぅいふ蓄(たくわ)へもないのですから、唯(ただ)此本(このほん)のことに就()いて一寸(ちよつと)御話(おはなし)をします。然(しか)も本(ほん)のことを能()く吞込(のみこ)んで居()れば、本(ほん)を持()つて來()ないで覺(おぼ)えて居()るやぅな顏(かほ)をして御話(おはなし)をしますが、それも出來(でき)ませんから、閊(つか)へたら本(ほん)を見()るといふことに致(いた)します。(笑聲起る)

それで問題(もんだい)は—「演題(えんだい)未定(みてい)」としてあります。誰(だれ)も知()らなかつた。唯今(たゞいま)まで當人(たぅにん)も能()く分(わか)らなかった。此本(このほん)は The Amusements of Old London [註1] と云()ふ名()の本(ほん)で二卷(にかん)ありますが、是()れは其(その)一卷(いつかん)であります。二卷(にかん)持()つて來()ても仕方(しかた)がございません。それで此中(このなか)の或(ある)部分(ぶゞん)[註2]に就()いて御話(おはなし)をするといふので、詰(つま)り今日(けふ)言()ふことは是(これ)だけが資本(もとで)なんですな。此本(このほん)は併(しか)し好()い本(ほん)であります。(笑聲起る) 斯()ういふ繪()が這入(はい)つて居()りますから[註3]。(此時書物を示す) 此繪(このゑ)は普通(ふつぅ)の繪()ではないのです。手()で以()つて繪()の具()を使(つか)つたので高(たか)い本(ほん)です。是()れは餘(あま)りないでせうから、此中(このなか)の御話(おはなし)は少(すこ)しは珍(めずら)しいかと思(おも)ふのです。中(なか)にどんなことが書()いてあるかと云()ふと、餘(あま)り面白(おもしろ)くはありませんかも知()れませんが、倫敦(ロンドン)の昔(むかし)の、此(この)表題(へぅだい)にもある通(とほ)り、「アミユーズメント」ですな、娛樂(ごらく)と云()ひますかな、先()づ日本(につぽん)で云()ひますと興行物(こぅぎゃぅもの)です。見世物(みせもの)、今(いま)はないのですけれども、昔(むかし)どんなものが流行(はや)つたかといふやぅなことが書()いてありますから、—尤(もつと)も今日(けふ)御集(おあつ)まりになつた方(かた)は法律(はふりつ)などを御遣(おや)りになる方(かた)も大分(だいぶ)ござんせうが、併(しか)し此(この)英語(えいご)の本(ほん)などを御讀(およ)みになる方(かた)には、大變(たいへん)知()つて居()つて便利(べんり)になるやぅなことが書()いてございます。それを二三(にさん)搔摘(かいつま)んで御話(おはなし)をしよぅかと思(おも)ふのです。

註1: 漱石の蔵書にあった William B. Boulton (or William Biggs Boulton), The Amusements of Old London, 2 vols. (London: J. C. Nimmo, 1901-02) のことを指す。2009年に日本のアティーナ・プレス(Athena Press)が完全複製版を刊行(昭和女子大学図書館地下1階で所蔵)。2011年11月に英国のケイムブリヂ大学出版局(CUP: Cambridge University Press)が廉価(れんか)なペーパーバックで復刻版を刊行。

【参考ウェブサイト】

米コーネル大学図書館(Cornell University Library)が原書を公開

https://archive.org/stream/cu31924082088042#page/n0/mode/2up

英ケイムブリヂ大学出版局の宣伝

https://www.cambridge.org/us/academic/subjects/history/british-history-after-1450/amusements-old-london-being-survey-sports-and-pastimes-tea-gardens-and-parks-playhouses-and-other-diversions-people-london-17th-beginning-19th-century-volume-2

註2: 此中(このなか)の或(ある)部分(ぶゞん)とは、第一卷の第1章 “The Diversions of Hockley in the Hole, and at the Figgs” (ホックリー・イン・ザ・ホウルに於(おけ)る娛樂(ごらく)及(およ)び、フィグズに於る夫(それ))と、第5章 “The Cockpit” (鬪鷄) を指す。

註3: それらの絵のうちで、漱石が講演で語つた内容に該当する物は下記ウェブサイトを閲覧のこと。

http://yahoo.jp/box/LJESt8 (リンク切れ)

それで先()づ吾々(われ/\)の考(かんがへ)では西洋人(せいやぅじん)といふものは大變(たいへん)人道(じんだぅ)を重(おも)んずる。マア畜生(ちくしやぅ)[註4]、犬(いぬ)牛馬(ぎぅば)などに大變(たいへん)叮嚀(ていねい)である。叮嚀(ていねい)であると云()つても挨拶(あいさつ)は致(いた)しませんけれども、取扱方(とりあつかひかた)が頗(すこぶ)る鄭重(ていちよぅ)である。現(げん)に今世紀(こんせいき)[註5]になつてから動物(どぅぶつ)を優待(いぅたい)するといふ會(くゎい)が出來(でき)た。優待(いぅたい)といふのは可笑(おか)しいですけれども、苛酷(かこく)に取扱(とりあつか)はないといふ會(くゎい)が出來(でき)て居()ります。それで吾々(われ/\)の考(かんがへ)や、又(また)吾々(われ/\)が平生(へいぜい)犬(いぬ)や何(なに)かを取扱(とりあつか)つて居()る所(ところ)を西洋人(せいやぅじん)に見()せては恥(はづか)しい位(ぐらい)吾々(われ/\)は慘酷(ざんこく)である、と斯()う自分(じぶん)も思(おも)ひ又(また)西洋人(せいやぅじん)も言()ふのです。併(しか)しながら西洋人(せいやぅじん)だつて吾々(われ/\)だつて人間(にんげん)としてそんなに異(ことな)つたことはない。少(すこ)し前(へ)に遡(さかのぼ)つて見()ますといふと、隨分(ずいぶん)猛烈(まぅれつ)な慘酷(ざんこく)な娛樂(ごらく)をやつて樂(たの)しんだものである。現(げん)に今(いま)でも西班牙(スペイン)では、彼()の鬪牛(とぅぎぅ)と言()ひまして、牛(うし)をじらして、傷付(きずつ)けて樂(たの)しむといふことは今日(こんにち)でも皆(みな)やつて居()る。それはマア西班牙(スペイン)邊(あたり)に限(かぎ)ることで、英吉利(イギリス)、佛蘭西(フランス)邊(あたり)には迚(とて)も行(おこな)はれない[註6]。又(また)行(おこな)はれさせない位(ぐらい)に慘酷(ざんこく)なるものとなつて居()りますが、それと似寄(にかよ)つたやぅなことが此(この)十八世紀(じふはつせいき)、今(いま)から百年(ひやくねん)ばかり前(まへ)[註7]には英國(えいこく)にも行(おこな)はれた。百年前(ひやくねんまへ)と言()はんよりも十九世紀(じふきぅせいき)に這入(はい)つて、十九世紀(じふきぅせいき)の始(はじ)め頃(ごろ)には、隨分(ずいぶん)慘酷(ざんこく)な、まさか是()れ[註8]と同樣(どぅやぅ)でもありますまいが、餘程(よほど)近(ちか)いやぅな亂暴(らんぼぅ)な娛樂(ごらく)がありました。

註4: 平成日本語で「チクチョー」や「チキショー」や「コンチキショー」はこれといった意味の無い罵(ののし)り言葉だが、明治期の日本語で「畜生」は、犬猫牛馬等、人間にとって身近な動物を指す。

註5: これは漱石の思い違い。実際イギリスに動物虐待防止協会(SPCA: Society for the Prevention of Cruelty to Animals)が設立されたのは十九世紀前半の1824年のことであり、この団体は早くも1840年にヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)率いる王室の庇護を得て、王立動物虐待防止協会(RSPCA: Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)に改名して今日(こんにち)に至っている。

註6: これは漱石の勘違い。フランス南部(たとえばニーム市)では現在も闘牛が大観衆の中で行なわれている。

註7: 現在から見ると二百年程前。

註8: スペインの闘牛のことを指す。

それがどぅいふ所(ところ)で行(おこな)はれるかと云()ふと、矢張(やはり)淺草(あさくさ)の(中略)やぅな所(ところ)である。—倫敦(ロンドン)は御承知(ごしょぅち)の通(とほ)り今(いま)では非常(ひじゃぅ)に廣(ひろ)い所(ところ)になつて居()りますが、昔(むかし)は極()く狹(せま)い、今(いま)から百年前(ひやくねんまへ)は、—二百年前(にひやくねんまへ)に遡(さかのぼ)れば尙更(なほさら)でありますけれども、—今(いま)の殆(ほとん)ど何十分(なんじうぶん)のー(いち)位(くらい)なもので、現(げん)に此(この)世紀(せいき)の始(はじ)めには、彼()の動物園(どぅぶつゑん)のある所(ところ)—Zoological Garden と云()つて非常(ひじゃぅ)に廣(ひろ)い所(ところ)で、一度(いちど)私(わたくし)は行()つたことがありますが、半日(はんにち)位(くらい)、中(なか)で十分(じふぶん)費(ついや)される所(ところ)です。中(なか)には料理店(れうりや)などがありまして一日(いちにち)でも暮(くら)せます。尤(もつと)も寐()て居()れば何時(いつ)までも暮(くら)せますが、休(やす)まず歩(ある)いても半日(はんにち)位(ぐらい)掛(かゝ)る非常(ひじゃぅ)に廣(ひろ)い所(ところ)です。其處(そこ)へ十九世紀(じふきぅせいき)の初(はじ)め、未()だ動物園(どぅぶつゑん)の出來(でき)ない時(とき)には兎(うさぎ)や何(なん)かが出()て來()て樹木(じゆもく)を齧(かじ)りましたり作物(さくもつ)を荒(あら)して大變(たいへん)いかぬといふ事(こと)でした。現(げん)に今(いま)生()きて居()る人(ひと)の阿父(おとぅ)さん位(ぐらい)な年輩(ねんぱい)に當(あた)る人(ひと)の若(わか)い時分(じぶん)には其邊(そのへん)で能()く獵(れふ)をしたのですな。獵(れふ)と云()つてししシシ)なんかは居()ますまいが、一寸(ちよつと)した鳩(はと)とか雉(きじ)とかといふものが捕()れたさぅです。今(いま)ではそれが殆(ほとん)ど倫敦(ロンドン)の中央(ちゆぅあぅ)でもありませんけれども、先()づマア決(けつ)して外廓(がいくゎく)といふ方(ほぅ)の側(がわ)には屬(ぞく)して居()らない。で、是(これ)で見()ても倫敦(ロンドン)の延長(えんちゃぅ)する激(はげ)しい度合(どあひ)は恐(おそろ)しいものであります。隨(したが)つて娛樂(ごらく)の場所(ばしよ)も人口(じんこぅ)に比例(ひれい)し、面積(めんせき)に比例(ひれい)して非常(ひじゃぅ)に殖()えて居()りますから何處(どこ)に何(なに)があるといふことを數(かぞ)へたら大變(たいへん)でありませうが、今(いま)御話(おはなし)を仕よぅといふのはさぅいふ繁華(はんくゎ)な今日(こんにち)の御話(おはなし)でなく極()く昔(むかし)の御話(おはなし)でありますから、隨(したが)つて娛樂(ごらく)の場所(ばしよ)といふものも先()づー二(いちに)指(ゆび)を屈(くつ)すれば大概(たいがい)分(わか)る筈(はず)です。殊(こと)に取立(とりた)てゝ御話(おはなし)をしよぅといふのは、Hockley-in-the-Hole [註9] と云()ひまして、是()れは Clerkenwell といふ所(ところ)にあります。其(その) Hockley-in-the-Hole といふのは一(ひと)つの建物(たてもの)、興行場(こぅぎゃぅぢゃぅ)ですな。(中略) 其處(そこ)で娛樂(ごらく)のため、いろ/\興行(こぅぎゃぅ)をやつた。其事(そのこと)に付()いて御話(おはなし)をしよぅと思(おも)ふ。さぅすれば外(ほか)のものも自(おのず)から分(わか)らぅといふ、斯()ういふだけの話(はなし)です。

註9: 漱石が持ってきた原著 The Amusements of Old London (1901-02)では、Hockley in the Hole という具合にハイフン(hyphen: 短い横棒)が入っていないが、通常はハイフンを入れるので、ここではハイフン付の表記にする。ホックリー・イン・ザ・ホウルについては、下記のウェブサイトが参考になる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hockley-in-the-Hole

https://www.british-history.ac.uk/old-new-london/vol2/pp306-309

https://www.google.co.jp/search?q=Hockley+in+the+Hole&biw=1366&bih=635&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwj15bfX56rJAhUhM6YKHX9EDZgQsAQIJg

扨(さて) Hockley-in-the-Hole はどんな所(ところ)かと云()ふと、今(いま)ではないのです。是()れは大變(たいへん)濕地(しつち)でありまして、東京(とぅきやぅ)で申(まう)すと本所(ほんじよ)、深川(ふかゞは)といふやぅなヂク/\した濕(しめ)つぽい所(ところ)で、始終(しじゆぅ)水(みず)が出()て大變(たいへん)不潔(ふけつ)な所(ところ)である。そこで市區(しく)改正(かいせい)の結果(けつくゎ)として其處(そこ)は土臺(どだい)を高(たか)くして仕舞(しま)つたのです。高(たか)くして仕舞(しま)ひましたから今(いま)では其家(そのいへ)は無論(むろん)取拂(とりはら)はれて居()て其(その)場所(ばしょ)も何處(どこ)だか、分(わか)らなくなつて居()りますが、前(まへ)には隨分(ずいぶん)汚(きた)なさぅでございました。併(しか)し御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り・・・・・・ではない、御承知(ごしよぅち)でないかも知()れませんが、今(いま)申(まぅ)す通(とほ)り、大變(たいへん)ヂク/\した所(ところ)で邊鄙(へんぴ)な所(ところ)であります。本所(ほんじよ)、深川(ふかゞは)といふやぅな場末(ばすゑ)でありますからして近所(きんじよ)近邊(きんぺん)餘(あま)り其(その)品格(ひんかく)の善()い人(ひと)が住(すまは)つて居()りません。汚(きた)ない家(いへ)がズツと建()て列(つら)ねてありまして其(その)周圍(しぅゐ)には、博勞(ばくらぅ)とか或(あるひ)は破落漢(ごろつき)とか butcher とか何(なん)とかいふ人(ひと)が澤山(たくさん)住()んで居()て甚(はなは)だ危険(きけん)な場所(ばしよ)になつて居()る。無暗(むやみ)にそんな所(ところ)へ足(あし)を踏込(ふみこ)むとどんな目()に遇()ふか分(わか)らない。それで品格(ひんかく)のある人(ひと)、身分(みぶん)のある人(ひと)は容易(よぅい)に足(あし)を踏込(ふみこ)まない。縱令(たとい)踏込(ふみこ)んでも餘(あま)り人(ひと)に知()らせないやぅに隱(かく)れて行()く。また行()つた所(ところ)が汚(きたな)くつて仕樣(しやぅ)がない所(ところ)である。

そこで其()の時(とき)の廣吿(くゎうこく)を見()ると、gentlemen といふ宇()[註10]が殊更(ことさら)に書()いてある。—Gentlemen といふと紳士(しんし)、今(いま)では紳士(しんし)といふことを誰(だれ)でも使(つか)ひます。日本(につぽん)でもさぅです。(中略)だから gentleman と云()ふと今(いま)ではそれが通俗(つうぞく)になりましたが、本統(ほんとぅ)の意味(いみ)を云()ふと六ケ敷(むつかし)いものであります。

註10: 明治期の「字」は、現代日本語の「語」または「単語」に相当する。

そこで御話(おはなし)が元(もと)へ戾(もど)つて廣吿(くゎうこく)に gentlemen とある。—Gentlemen の爲(ため)に特(とく)に席(せき)を設(もぅ)けたから gentlemen に御光來(ごくゎうらい)を願(ねが)ふという廣吿(くゎうこく)がある。前(まへ)申(まぅ)す通(とほ)りの場所(ばしょ)柄(がら)ですから、夏(なつ)などでありますと、非常(ひじゃぅ)に臭(くさ)い。息(いき)が能()く通(かよ)はない。夫故(それゆゑ)に、殊(こと)に Gentlemen’s Cool Gallery と云()ひまして風通(かぜとほ)しの宜(よろ)しい二階(にかい)などを設(もぅ)けて、(中略) 此處(こゝ)に入()れた。其(その)廣告(くゎうこく)が未(いま)だに殘(のこ)つて居()るのである。其位(そのくらい)なことを態々(わざ/\)廣吿(くゎうこく)する所(ところ)でありますから、其他(そのた)の汚(きたな)かつたことは推()して想像(さぅざぅ)が出來(でき)るのであります。だから gentlemen などは滅多(めつた)にさぅいふ所(ところ)へ這入(はい)らなかつた。

汚(きたな)い所(ところ)でありますが、其中(そのなか)でやる事柄(ことがら)卽(すなは)ち娛樂(ごらく)は一般(いつぱん)英吉利人(イギリスじん)の大(おほ)いに嗜好(しかぅ)に投(とう)じたものでいろ/\なことをやりました。第一(だいゝち)にやるのが所謂(いはゆる) bear-baiting。あなた方(がた)が英吉利(イギリス)の本(ほん)を御讀(およ)みになると時々(とき/\゛)さういう宇()[註11]に御遇(おあ)ひになるでせう。Bear というのは熊(くま)です。Baiting は調戲(からか)ふ。Bear-baiting は熊(くま)に調戲(からか)ふ[註12]。熊(くま)に調戲(からか)つて遊(あそ)ぶのです。

註11: 明治期の「字」は、現代日本語の「語」または「単語」に相当する。

註12: 「熊(くま)に調戲(からか)ふ」という明治期の日本語は、現代語では「熊(クマ)をいじめる」となる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bear-baiting

https://www.google.co.jp/search?q=bear-baiting&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjch-LQnLfJAhVCG5QKHcRDA58QsAQIKQ&biw=1366&bih=635

どうして[註13]調戲(からか)ふかといふと是()れは又(また)面白(おもしろ)いのです。先()づ宇()の起源(きげん)から御話(おはなし)をするが、bear-baiting といふ娛樂(ごらく)の起源(きげん)は餘程(よほど)古(ふる)いものださぅです。能()く知()りませんけれども何(なん)でも King John [註14]の時(とき)に伊太利人(イタリーじん)が初(はじ)めて「熊(くま)」を英吉利(イギリス)ヘ持()つて來()まして、さぅして其時(そのとき)から此(この)娛樂(ごらく)が起(おこ)つたと傳(つた)へられて居()る。代々(だい/\)下等(かとぅ)社會(しやくゎい)のみならず上等(じゃぅとぅ)社會(しやくゎい)と雖(いへど)も隨分(ずいぶん)此(この)娛樂(ごらく)には熱中(ねつちゆぅ)したものです。彼()の有名(いぅめい)なる Queen Elizabeth [註15]は非常(ひじゃぅ)に是()れが好()きでありまして、其(その)時分(じぶん)には Bear Garden といふ一種(いつしゆ)の今(いま)御話(おはなし)する Hockley-in-the-Hole に似()たやぅな場所(ばしよ)があつて、其所(そこ)で bear-baiting の慰(なぐさ)みをして樂(たの)しみました。隨分(ずいぶん)盛(さか)んに行(おこな)はれたもので、其(その)盛(さか)んに行(おこな)はれたといふ事(こと)は下(つぎ)の御話(おはなし)でも分(わか)ります。

註13: この場合の「どうして」は、「どうやって」の意。

註14: ジョン王のこと。生歿年は1166-1216年。在位1199-1216年。

註15: エリザベス一世(Elizabeth I)のこと。生歿年は1533-1603年。在位1558-1603年。漱石が本講演を行なった1905年の時点で英国史上にエリザベスという女王が1人しかいなかったため、「一世」は付けなかった。

元來(ぐゎんらい)此(この) bear-baiting は、おもに月曜日(げつえうび)と木曜日(もくえうび)にやるのです。大抵(たいてい)晝(ひる)やります。所(ところ)が Queen Elizabeth 先生[註16]は大變(たいへん)此(この)遊(あそび)が好()きですから、bear-baiting をやる爲(ため)に當日(たぅじつ)は芝居(しばゐ)を禁(きん)じた事(こと)もある位(くらい)です。芝居(しばゐ)も興行(こぅぎやぅ)でありますから每日(まいにち)やらなければならぬ。けれども月曜(げつえう)は bear-baiting をやる爲(ため)に其方(そつち)へ見物(けんぶつ)を取()られてはいかないからといふので、Queen Elizabeth が態々(わざ/\)御觸(おふ)れを出()しまして芝居(しばゐ)をやつてはいかぬ、見()るなら bear-baiting を見()ろと云()ふ。眞(まこと)に盛(さか)んなことで、其(その)時分(じぶん)の熊(くま)は大層(たいそぅ)なもので、(中略) public character—public character といふと公(おほや)けな人物(じんぶつ)、熊(くま)だから人物(じんぶつ)ではありませんけれども、譯(やく)すればさぅです。一個人(いつこじん)の所有(しよいぅ)ではない、全體(ぜんたい)の人(ひと)が寄()ってたかつて彼()の熊(くま)はどぅとか、此(この)熊(くま)はどぅとか言()つて評判(ひやぅばん)したのです。

註16: 歴史上の人物をからかって紹介する際の常套句(じやぅたぅく; じょうとうく)である「先生」。

そこで baiting といふことを未(いま)だ說明(せつめい)しなかつた(の)ですが、baiting といふは何(なに)を嗾(けしか)けて調戲(からか)ふ(か)といふと犬(いぬ)を嗾(けしか)ける。下(くだ)らない話(はなし)です。熊(くま)に犬(いぬ)を嗾(けしか)けて樂(たの)しむといふ。どぅいふ了簡(れうけん)か分(わか)らないのです。けれども人間(にんげん)は、了簡(れうけん)が分(わか)らないでもやつて居()ると段々(だん/\)分(わか)るやぅになつて參(まい)ります。日本(につぽん)でも bear-baiting が始(はじ)まれば大變(たいへん)面白(おもしろ)い/\と騷(さわ)ぎ出()すに極(きま)つて居()ます。それでどんな具合(ぐあひ)に犬(いぬ)を熊(くま)に嗾(けしか)けるかと申(まぅ)すと先()づ杭(くい)を立()てる(の)です。此位(このぐらい)な杭(くい)を立()てましてさぅして鎖(くさり)を結付(むすびつ)ける。鎖(くさり)の長(なが)さが一丈(いちぢやぅ)五尺(ごしやく)(=10+5尺=15尺=約4.5メートル)、是()れは本統(ほんとぅ)です。其(その)先()きへ以(もつ)て行(いつ)て熊(くま)に頸輪(くびわ)をして其鎖(そのくさり)へ結付(むすびつ)ける(の)です。するといふと熊(くま)が杭(くい)の周圍(しぅゐ)をグル/\廻(まは)ることが出來(でき)ますな。圓(ゑん)を劃(かく)して熊(くま)は廻(まは)ることが出來(でき)ますけれども鎖(くさり)がありますから其外(そのそと)へ飛出(とびだ)すことが出來(でき)ない。其處(そこ)へ以(もつ)て來()て犬(いぬ)を嗾(けしか)ける。熊(くま)或(あるひ)は牛(うし)。— 牛(うし)の話(はなし)は後(あと)でしますが、熊(くま)などはあゝいふ厚(あつ)い皮(かは)を着()て居()ります。厚(あつ)い皮(かは)を着()て居()りますから犬(いぬ)が喰付(くひつ)いても容易(よぅい)に何(なに)か喰()ひ取()つて持()つて來()る譯(わけ)に往()かないですな。喰()ひ取()る譯(わけ)に往()かないでせう。そこでいろ/\考(かんが)へたものですな。此(この)眉間(みけん)ヘ薔薇(ばら)の花(はな)、造(つく)り花(ばな)ですよ、夫(それ)をチヤンとくつ付()けるのです。犬(いぬ)といふ奴(やつ)は何處(どこ)へ食()ひ付()くか分(わか)りませんけれども、斯()ういふ所(ところ)を目的(もくてき)にやつて來()ます。若()し犬(いぬ)が rosette、造(つく)り花(ばな)の薔薇(ばら)に食()ひ付()いてそれを持()つて來()ると名譽(めいよ)です。それからはえらい犬(いぬ)になつて仕舞(しま)ひます。犬(いぬ)の番附(ばんづけ)の順(じゆん)が昇(のぼ)る譯(わけ)です。大變(たいへん)珍重(ちんちよぅ)されたものです。

そこで、熊(くま)は御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り犬(いぬ)が掛(かゝ)つて行()くと四()つ足(あし)にはして居()りません。立()つ(の)です。二本足(にほんあし)で立()つて仕舞(しま)ふ。是()れは日本(につぽん)でもさうです。北國(きたぐに)の方(ほぅ)で熊狩(くまが)りをします。槍(やり)で突()きますな、さぅすると、熊(くま)は立()つて應(おぅ)ずる。熊(くま)が手()で以(もつ)て槍(やり)を斯()う外(そと)へ撥(はね)る。これは英吉利(イギリス)の話(はなし)ではない日本(につぽん)の話(はなし)です。ですけれども何處(どこ)の熊(くま)でもさぅです。二本足(にほんあし)で立()つて犬(いぬ)を抱(かゝ)へて締()めるから犬(いぬ)が死()んで仕舞(しま)ふ。それでなければ犬(いぬ)の上(うへ)へ轉(ころ)がつて上(うへ)から締付(しめつ)ける。さぅすると犬(いぬ)の息(いき)が止(とま)つて仕舞(しま)ふ。そこで其(その)廣告(くゎうこく)を見()ますと、犬(いぬ)を何遍(なんべん)掛()けるといふ事(こと)が明記(めいき)してあります。Let-go と云()ひます。“Five let-go” と言()つたり、“Three let-go” と言()つたりする。三遍(さんべん)嗾(けしか)けたり、四遍(よんぺん)嗾(けしか)けたり、五遍(ごへん)嗾(けしか)けたり、或(あるひ)は二疋(にひき)嗾(けしか)けたり、三疋(さんびき)の犬(いぬ)を嗾(けしか)けたりいろ/\あります。それが非常(ひじやぅ)に流行(はや)つたもので其處(そこ)へ行()く者(もの)は無論(むろん)賭(かけ)をする爲(ため)に行()くのです。熊(くま)が犬(いぬ)に食()はれるか、食()はれないか、斯()ういふやぅなことを賭(かけ)をしに行()つて、マアいろ/\八釜(やかま)しいことを言()つて、其處等(そこら)で一日(いちにち)騷(さわ)いだものです。

熊(くま)は御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り餘(あま)り澤山(たくさん)居()りませんから、遠(とほ)くから持()つて來()なければなりません。だから成()るべく珍重(ちんちよぅ)したものです。珍重(ちんちよぅ)すると言()ひますと、熊(くま)を犬(いぬ)で責()めて殺(ころ)して仕舞(しま)ふまでに熊(くま)を痛(いた)めない、好()い加減(かげん)の時(とき)に、熊(くま)を元(もと)の通(とほ)りにして仕舞(しま)つてしまふ。夫(それ)から次囘(じくゎい)に又(また)熊(くま)を元(もと)のやぅに出()す。是()れが所謂(いはゆる) bear-baiting といふ奴(やつ)です。併(しか)しながら、bear-baiting はそんなに熊(くま)が澤山(たくさん)居()りませんからして、隨(したが)つてどぅもさぅ popular でないけれども、第二(だいに)の、是()れから御話(おはなし)するのは、其(その) bear-baiting よりは餘程(よほど)流行(はや)つたものです。それは bull-baiting です。

中篇( https://sites.google.com/site/xapaga/home/amusementsoflondon2 )へ續く。