前期32「イギリス文化論」(2021/ 7/22) 英国のスポーツ(前編)

スポーツsport)とは

スポーツ(sport ポートゥ)という語は十九世紀(1801-1900年)から二十世紀(1901-2000年)にかけて欧米の各国語を中心に国際的に使用されるようになった英単語であり、労働から切り離された遊戯性が特徴である。

スポーツの語源は羅典(ラテン)語(羅 lingua Latīna; 英 Latin)の dēportāre (デーポるターれ)であり、1.「運ぶ、持っていく」、2.「持ち帰る」、3.「追放する、島流しにする」、4.「人間の生存に不可欠な事柄から一時的に離れさせる」から転じて、5.「気晴らしする、休養する、楽しむ、遊ぶ」の意味である。この単語は中世フランス語(仏 français médiéval; 英 Mediaeval French)で desport (デポーふ)となり、十四世紀(1301-1400年)にイングランド人が中英語(Middle English)の単語 disport (ディストゥ)として借用した。これが十六世紀(1501-1600年)から十七世紀(1601-1700年)にかけて sporte (トゥ)または sport (トゥ)と省略されるようになり、十八世紀(1701-1800年)から十九世紀(1801-1900年)にかけて完全に現在と同じ sport (ポートゥ)になった。

当初、スポーツとは必要な義務としての真面目(まじめ)な仕事からの気分転換や羽(はね)休め・骨休めなどの広い意味で使われていた。そのためチェス (chess)や、和製英語で言うトランプ(card game; playing cards)、それに歌(singing)や踊り(dancing)までもがスポーツに含まれていた。また、現在でもイギリス英語では魚釣り (fishing)や乗馬を伴う狩猟(hunting)や徒歩による狩猟(shooting)もスポーツとされる。

スポーツが現在のように激しい身体的運動を伴なう意味になったのは、十八世紀(1701-1800年)から十九世紀(1801-1900年)にかけて産業革命(Industrial Revolution インストりォれヴォリューション)が起こった後のことである。それまでなかった競争が始まり、資本主義(capitalism キャピタリズム)が拡散されて行き、従来までの娯楽的要素が強かったスポーツは新興ブルジョワジー(newly emerging bourgeoisie)という中産階級(middle class)によって整備され、現在のような競技スポーツ(competitive sports)へと変化した。

サッカー(football; Association football; soccer)

連合王国に於いてダントツで人気のあるスポーツ。尚(なお)且()つ世界一の人気を誇るスポーツである。Biggest Global Sports(直訳「最大の地球規模スポーツ複数」)というウェブサイト( http://biggestglobalsports.com/worlds-biggest-sports/4580873435 )によれば、サッカー(イギリス発音でソッカー)の人気がバスケットボールを抑え、1位となっている。しかしながら、連盟への加入者数に基(もと)づく競技人口では約2億5千万人(250 million)で世界第2位となっている。世界第1位は米国発祥のバスケットボール(basketball)で、約4億5千万人(450 million)の競技人口を誇っている。

八世紀(701-800年)頃のイングランドでは戦争で敵に勝つと、負けた将軍の首を刈り、それを蹴って戦争の勝利を祝った風習があり、それこそがサッカー(イギリス発音でソッカー)の起源だと考えられている。また、イタリアは八世紀頃から行なわれていた、賞金を懸けたボール蹴りであるルチョ(calcio)こそが起源と主張。そのため現在でもイタリアはサッカー籤(くじ)のことをトト・ルチョ(toto calcio)と称している。近代のサッカーは英国イングランドで1863年(ロンドン地下鉄開業と薩英戦争の年)にラグビー(rugby)と枝分かれし(厳密には話し合いが物別れに終わり)、その際に最終的な統一ルールが成立したので、イングランドこそがソッカー(サッカー)発祥の地と一般には考えられている。

ところが2014年6月、国際サッカー連盟(仏 FIFA: Fédération Internationale de Football Association)ワールドカップ・ブラジル大会の直前に、こともあろうにFIFA(本部はスイス連邦のチューリッヒ市)が公式ウェブサイト内の「フットボールの歴史」というウェブページ( http://www.fifa.com/classicfootball/history/the-game/origins.html )で、「フットボールの元祖は古代中国の漢(Han dynasty, 206BC - 220AD)である」としたことで、英国、特にイングランドで当惑が拡(ひろ)がった。「ブラッター(Sepp Blatter, b.1936; 会長在任1998-2016)会長はそれほどまでにサッカー後進国の中国のカネが欲しいのか?!」と揶揄(やゆ)する声も上がる。2014年6月9日(月)付のロケットニュース24(Rocket News 24)の報道の見出しにも、「FIFA会長が「サッカーの起源は中国」に認定書を送る → 英国学者がブチギレて強烈な不満を表したと話題」( http://rocketnews24.com/2014/06/09/450921/ )とある。しかし一般的には上述したように、1863年にラグビーと正式に枝分かれしてルールが整備されたのが、サッカーの元祖と考えられている。

サッカー」はアメリカ発音であり、イギリスの発音は「ソッカー」。イギリスで「サッカー(sucker)」と言えば「バカな奴」という意味になる。世界的にはフットボールや、それが現地風に訛(なま)ったフトボル(フランス語: le football; スペイン語: el fútbol)や、自国言語に直訳したフースバル(ドイツ語: Fußball)やツーチオー(中文: 足球 Zúqiú)で知られる。日本語には独自表記の「蹴球(しゅうきゅう)」があるが、英語に逆翻訳すれば、*kickball (キックボール)となってしまう。

フットボール(football)という英単語の初出は十四世紀中盤の1350年頃とされる。しかしそれより前の1174-1183年頃の文献にある 「球技」(a ball game)とはフットボールを指していたと見てほぼ間違いないと現在推測されている。1280年の文献にある「ボールをプレイ中に」(while playing at ball)という表現もフットボールを指していたと現在推測されている。また、1321年の文献にある「彼がボールを蹴った際に」(as he kicked the ball)という表現は、より明白にフットボールを指していた可能性が高い。

中世の頃のフットボールは町や村の独自のルールに基づいて告解(こっかい)火曜日(Shrove Tuesday シュろウヴ・チューズデイ: 「懺悔(ざんげ)の火曜日」とも訳され、2月上旬から3月上旬の間を毎年動く移動祝祭日で、フランス語圏のマルディグラ(Mardi gras マふディグは)と同じ日を指し、英国やアイルランドではこの日にパンケーキを食べる習慣がある)に行われていた。また、その翌日の灰の水曜日(Ash Wednesday アェッシュ・ウェンズデイ: 「聖灰水曜日」とも訳され、懺悔(ざんげ)の象徴として額に聖灰で十字の印をつける日)に行なわれることもあったし、復活祭(Easter: 春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われる移動祝祭日)や聖誕祭(Christmas: 毎年12月25日)に行なわれることもあった。当時のフットボールを現在の視点でモブ・フットボール(mob football: 「暴徒のフットボール」の意)とも呼ぶが、これはフットボールが非常に粗暴なものであったためである。

具体的には数百人や数千人の規模で行なわれ、祝祭で気分の高揚した住民の男たちが1個のボール(a ball)を奪い合ってゴール(the goal)を目指した。現代のようなグラウンド(playground)などはなく、町または村の通りや商店街や丘や川などがフィールド(field)となった。ボール(ball)をパス(pass)する発想も技術も当時はまだなく、ゴールまで服や鞄(カバン)の中にボールを隠し持つなど考えられるあらゆる手段と知恵(現代の感覚ではズルい反則技)を用いてでもゴールを目指した。住民たちがボールを争奪する間に死傷者が続出した。また、日頃評判の芳(かんば)しくない商店が格好の標的となり、現代で言うヴァンダリズム (vandalism: 「故意の器物損壊」の意)の如(ごと)く店の窓や入口が破壊された。また、不人気な者や、良い身なりをした人物めがけて小麦粉などを詰めた袋を投げつける無礼講も起こった(当時はまだアメリカ大陸原産のトマトは欧州に伝わっておらず、卵は貴重品だったので投げられなかった)。モブフットボール(暴徒のフットボール)には日頃の鬱憤(うっぷん)晴らしの側面もあったので、支配階層であった貴族(aristocrats)やそれに準ずるジェントリー(gentry)階級といった地主層も民衆の荒っぽい娯楽を概(おおむ)ね容認し、それどころか行事のために大盤振る舞いして多額の寄付金を出し、民衆に気前の良さ(generosity ジェネセティ)を印象づけた。同時に汗を流す農民としての民衆の労働力の確保と、上流階級による支配の承認をも、支配層は巧妙に取り付けた。農民たちも気前の良い(generous ジェネらスな)地主を自分らの支配層として承認した。

しかしこのような荒々しいフットボールに対して1314年にロンドン市長(Lord Mayor of the City of London ロードメェー・オヴザティオヴランドゥン)が当時の上流階級の言語とされたフランス語で禁止令を出した。その法令には中世フランス語で rageries de grosses pelotes de pee (はジェひー・ドゥグほスプロットゥドゥペ)を禁止の対象とすると書かれていた。これを現代フランス語に直せば des bousculades de grandes pelotes de pied (デブースキュラードゥ・ドゥグはンドゥプロットゥドゥピェ)であるが、現代英語に訳せば hustling over large balls of foot (スリング・オウヴァラーボールゾヴフッ)となり、日本語では「大きな足球の騒ぎ」である。

1363年にはイングランド国王エドワード三世(Edward III, 1312-77; 在位1327-77)が勅令を発し、「ハンドボール、フットボール、ホッケー、猟犬を使った狩猟、闘鶏(とうけい)やその他の無為徒食(むいとしょく)なゲーム(handball, football, or hockey; coursing and cock-fighting, or other such idle games)」を禁止した。十九世紀中盤までの五百年の間に42回もフットボール禁止令が出た。

荒っぽい遊びだったフットボールだが、十九世紀に入ると名門私立中高である各パブリックスクール(和訳の試みとして「義塾」や「共立学校」)が体育の授業でフットボールを健全な競技として取り入れた。当時は上級生が下級生を苛(いじ)める悪習が蔓延(はびこ)り、寄宿舎で体力を持て余して暴れる生徒たちがいたので、学校側はフットボールを生徒の心身の鍛錬(たんれん)に利用しようと考えたのだった。

そうした金持用のパブリックスクールの卒業生たちが卒業後に職場の労働者にフットボールを教えることで、労働者階級の間にフットボール人気が徐々に拡がった。十九世紀当時の労働者階級の娯楽(entertainment)は血のスポーツ(blood sport)と呼ばれる闘鶏(cock-fighting)などや、賭博(gambling)や飲酒(drinking)だったので、フットボールは健全で合理的な娯楽になるだろうと期待された。身体を鍛えるだけでなく、徳性(virtue)を高めるものとも期待され、世界中に拡散していた英帝国(the British Empire)の現地人エリート層に、そして現地の庶民層へと浸透していった。

十九世紀(1801-1900年)は交通機関が発達した時期とも重なり、学校間の移動が容易になり、学校間の対抗戦を行なう機会が増えた。ところがルールが各学校でバラバラだったため、試合前に逐一(ちくいち)ルールを確認しておく必要があった。たとえばラグビー校(Rugby School)ではボールを手に持って走り、ゴールすることが認められていた一方で、イートン校(Eton College)では認められていなかった。両校からケンブリッジ大学(University of Cambridge; 通称 Cambridge University)へ進学した学生の間で対立が起き、大学内で委員会が作られた。そして1846年にケイムブリヂ・ルール(Cambridge Rule)が整備され、ボールを手に持ったままゴールする行為は認めないこととなった。またハッキング(hacking)という相手を蹴り倒す危険な行為も禁止した。これが現在のフットボールの基(もと)になったルールだが、それでも「キーパー(goal keeper)以外でも手を使うことを許可するルール」と「キーパー以外の者がスローイン(throw in)以外の局面で手を使うのを禁止するルール」に分かれていた。1863年10月26日(月)、ロンドンの12のフットボール・クラブ(football clubs)が集まり、最終的なルール統一とフットボール協会(FA: Football Association)設立を目指した協議が開かれたが、物別れに終わった。そしてここにアソシエイション・フットボール(Association football; 通称 soccer ソッカー)とラグビー(rugby)が正式に枝分かれした。ラグビー派は1871年にラグビー協会を設立することになる。

サッカー(イギリス発音でソッカー) はイギリスでは伝統的に労働者階級の男性のみが楽しむスポーツだが、「庶民派」を気取りたいブレア(Tony Blair, b.1953; 首相在任1997-2007)氏などの政治家(引退済)も、選挙での票が目当てでサッカー狂(a soccer fan)を自認・自称する。しかしブレア元首相のような金持ちが応援するのはロンドンのチェルシー(Chelsea Football Club)と相場が決まっているのがイギリスらしい。また、英国王位継承順位第二位のウィ リアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)も大のサッカー好きで、プレミアリーグ(Premier League)のアストン・ヴィラ(Aston Villa Football Club)のファンということになっていて、庶民派を気取っている。王子は足球協会(The Football Association; 略称 the FA; 日本では意図的に誤訳して「イングランドサッカー協会」)の総裁(President)という名誉職にも就いている。

プレミア・リーグ(Premier League: 俗称 Prem )を頂点とする職業選手(プロ)のリーグは、8月から翌年5月にかけてリーグ戦を行なう。アーセナル(Arsenal)、アストン・ヴィラ(Aston Villa Football Club)、チェルシー(Chelsea Football Club)、フラム(Fulham Football Club)、リヴァプール(Liverpool Football Club)、マンチェスター・シティ(Man C: Manchester City Football Club)、マンチェスター・ユナイテッド(Man U: Manchester United Football Club)、サンダーランド(Sunderland Association Football Club)といったイングランドの強豪ティームや、ケルティック(Celtic Football Club: 日本では誤って米国式に「セルティック」)やレインヂャーズ(Rangers Football Club)のようなスコットランドの有名ティームは土曜日には数万人の観客をスタジアム(stadium テイディアム)に集め、膨大な数のテレビ観戦者を引き寄せる。その中で傑出した選手(footballers)や監督(coaches)には一代限りの勲爵士の称号(knighthood ナイトフッド)が女王から授与されることもある。勲爵士(knight ナイト)になるとファーストネームの直前にサー(Sir)の肩書をつけて呼ばれるようになる。

なお、サッカー(イギリス発音でソッカー)の試合を契機にして、試合会場やその周辺、または近郊や近隣の都市や公共交通機関で集団的に暴力行為を働く者をフーリガン(hooligan)と呼ぶ。十九世紀末にロンドンのテムズ川南岸のサザーク(Southwark)地区に住んで粗暴な行ないをしたアイルランド人のならず者一家の姓フーリハン(Houlihan)に由来するとされる。

原因の一つとして考えられるのが、英国特有の悪習である「ビンヂ・ドリンキ ング(binge drinking)」という痛飲(つういん)・飲みまくり(drinking alcoholic beverages with the primary intention of becoming intoxicated by heavy consumption of alcohol over a short period of time 短時間でのアルコール大量摂取で酩酊(めいてい)することを第一の目的としてアルコール飲料を飲むこと)である。そのためサッカー(イギリス発音でソッカー)の試合会場ではアルコール飲料(酒類)の持込も消費も禁止されている(ラグビーやクリケットでは堂々とアルコール飲料が売られているにも拘(かか)わらずである)。それどころかサッカー会場方面へ向かう一部列車(時間帯による)でも酒類の持込・消費が禁止されている。

乱闘に参加する者の多くは10代や20代の若い男で、石やガラス瓶や木材やナイフなどを持って暴れるため、死傷者が出ることもある。人種差別 (racism)や宗教的不寛容(religious intolerance)といった危険思想を抱き、ヘイトスピーチ(hate speech: 「憎悪口撃」の意)を吐いては仲間内で団結する。過去には海外でも人を殺したことがあり(下記参照)、イングランド・サポーター(English fans)は世界的に嫌われている。

2002年のFIFAワールドカップ日韓共催大会の際には英国政府が危険人物からパスポートを取り上げたため、フーリガンはイギリスから出国できなかった。ワールドカップではホスト国の日本の人々が行く先々で一様にイングランド・サポーターを歓迎したため、イングランド人の対日観は 2002年(奇()しくも日英同盟締結百周年記念の年)を機に大いに改善した。

英国内外の足球(フットボール; ソッカー; サッカー)会場で起こった2件の有名な人災

・ヘイゼル・スタジアムの大惨事(Heysel Stadium disaster)

https://en.wikipedia.org/wiki/Heysel_Stadium_disaster

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘイゼルの悲劇

1985年5月29日(日)にベルギー王国首都ブリュッセル(仏 Bruxelles ブひュクセル; 蘭 Brussel りュッセル; 独 Brüssel りュッセル; 英 Brussels らッセルズ)市に在るヘイゼル・スタジアム(仏 Stade du Heysel スタドゥデュエゼル; 蘭 Heizelstadion ヘイゼルスターディオン; 独 Heysel-Stadion ハイゼルシュターディオン; 英 Heysel Stadium ヘイゼルステイディアム)で行なわれた、欧州足球連盟(UEFA: 英 Union of European Football Associations; 仏 Union des associations européennes de football)チャンピオンズカップ1984-85決勝の試合前に、イングランド代表クラブのリヴァプール(Liverpool)とイタリア代表クラブのユヴェントゥス(Juventus)のサポーター同士の衝突がきっかけとなり、観客席で群衆事故が発生。

会場では試合に先立ち公開模範試合(exhibition match エクシシュンマェッ)として11歳から12歳の少年選手で構成されるベルギー代表選手による紅白戦が行なわれていたが、本試合開始の約1時間前から酒に酔ったリヴァプール・サポーターがユヴェントゥス・サポーターに空き缶や旗を投げつけるなどして挑発した。ユヴェントゥス側もこれに応じ、両サポーターは小競り合いを繰り返したが、両者を隔てていた防御用フェンスをリヴァプール側が破壊すると、手薄な警備の隙(すき)を突いて煉瓦(レンガ)や鉄パイプを武器にユヴェントゥス・サポーターの居たゾーンへと雪崩(なだ)れ込んだ。

ユヴェントゥス側はパニックに陥(おちい)り、高さ3メートルのコンクリート壁に押し寄せた。グラウンドへ飛び込んで難を逃れた者もいたが、数千人のユヴェントゥス・サポーターが脱出できず壁際へと追い詰められ、リヴァプール・サポーターに包囲された。リヴァプール・サポーターたちは包囲した観客の背後から投石や威嚇(いかく)を行なったが、包囲された観客は壁に阻(はば)まれて鮨(すし)詰()め状態になった。しかしその壁は老朽化していて、殺到した観客の重量に耐え切れず倒壊し、群衆雪崩(stampede スタンピード: 日本のマスコミの言う「将棋倒し」)が発生し、先頭部にいた観客は崩れ落ちた壁や後方から殺到した観客に押し潰(つぶ)された。

リヴァプールの監督や両ティームの主将がマイクロフォン越しにサポーターに対して冷静になるよう直(じか)に呼びかけたが、効果は薄かった。

死者は当初38人とされたが、負傷者のうち1人のイタリア人男性が昏睡状態(coma)から後に死亡したため、結局10歳の少年を含むイタリア人32人、ベルギー人4人、フランス人2人、北アイルランド出身の英国人1人の計39人が死亡した。また、他に約600人が負傷した。

ユヴェントゥスの監督は試合の延期を求めたが、主催者側は「試合が中止になれば、騒動は更に過熱化する」と主張し、予定より1時間半遅れで試合を強行した。結局ユヴェントゥスが1対0でリヴァプールを下し、三度目の決勝進出で初優勝を成し遂げた。

事件は国際問題にまで発展し、事件翌日の同年(1985年)5月30日(月)にはサッチャー(Margaret Thatcher; Baroness Thatcher, 1925-2013; 首相在任1979-90)首相は事件の全責任がリヴァプール側の英国人にあることを認めてイタリア政府に謝罪し、遺族に対し見舞金として暫定的に25万ポンド(当時の為替レートで約8000万円)を支払った。同日(1985年5月30日(月))、同首相は暴動の再発防止策として、警察の警備権限強化、スタジアムでのアルコール販売と飲酒の禁止、凶器となり得る瓶缶類の持込禁止、観客の身元を確認するためのIDカードの発行などを盛り込んだ規制法案を議会に提出した。また、同日にベルギーの内務大臣(法務担当大臣)はイングランドの全ての足球クラブに対してベルギーへの入国を拒否する声明を発表した。英国国家元首の女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)は事件への弔意(ちょうい)を示すメッセージをイタリアとベルギーの両国政府に送った。

一方、欧州各国では反英感情(Anglophobia; anti-British sentiments)が高まり、事件の二日後の同年(1985年)5月31日(火)にはベルギーの隣国であるフランスの首都パリ市(Paris, France)内で英国ナンバープレート(英 number plate; 米 license plate)を付けた自動車50台が破壊される事件が発生した。事件で多数の犠牲者を出したイタリアでは事件の三日後の同年(1985年)6月1日(水)に北西部のリグーリア州(Liguria)でイギリス系企業の所有するバスが襲撃され、北部のミラノ市(伊 Milano; 仏英 Milan; 独 Mailand)内では事件と無関係の英国人男性が暴行を受ける事件が発生した。事件四日後の同年(1985年)6月2日(木)にはミラノ市内のイギリス系専門学校に火炎瓶が投げ込まれ、首都ローマ市内の英国大使館(英 British Embassy; 伊 Ambasciata britannica)前で数百人が抗議集会を行なった。

UEFAは制裁措置(sanction)としてFA所属の全クラブ(要するにイングランドの全プロクラブ)には当初は無期限、後に変更して向こう五年間の大会参加禁止処分を、四度の優勝経験を持っていたリヴァプールには六年間の大会参加禁止処分を下した。また、暴動に関与した故殺(manslaughter マンスローター: 日本で言う過失致死)の罪により14人のサポーターがベルギーの法廷で有罪判決を受け、禁固三年の刑に処された。

・ヒルズボロの大惨事(Hillsborough disaster)

https://en.wikipedia.org/wiki/Hillsborough_disaster

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒルズボロの悲劇

1989年4月15日(土)にイングランド北部のシェフィールド(Sheffield)市に在るヒルズボロ・スタジアム(Hillsborough Stadium ルズボロステイディアム)で行なわれたFAカップ準決勝のリヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦(Liverpool v Nottingham Forest)の観客席で群衆事故が発生。この試合ではテラス(terrace)と呼ばれるゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せて観客が鮨(すし)詰(づ)め状態となり、96人が死亡し、重軽傷者766人を出した。イギリスのスポーツ史上最悪の大惨事である。

事故原因について当初はフーリガニズム(hooliganism: フーリガン行為)との関連性が指摘され、約四年前の1985年5月29日(日)にベルギーに遠征してヘイゼル・スタジアムの大惨事(Heysel Stadium disaster)を起こしていたリヴァプール・サポーターが今回も当事者となり、再び強い非難に晒(さら)された。

しかしながら同年8月と翌年(1990年)1 月に公表されたイングランド&ウェールズ主席法官(Lord Chief Justice of England and Wales)のゴスフォース男爵テイラー卿(Peter Taylor, Baron Taylor of Gosforth, 1930-97)による報告書(Taylor Report)は、警察当局による入場時の観客誘導の不備が大惨事を招いたと結論づけた。試合主催者はスタジアム西側の入場ゲートの混雑を緩和するために出口専用ゲートを開放したが、その際に警備側が人員を配して新たに流入する群集を適切に誘導し、分散するなどの対策を講じなかったため、多くの観客が直近の立見席に殺到したのだった。同報告書はスタジアムの安全性確保のため立見席の廃止を提唱し、この提言に基づきイングランド足球界に新たな施策が導入され、1992年プレミアリーグからは全席指定の着席式に改められ、スタジアムの環境は一変した。しかしながら、責任者や責任団体に対する追及はほぼ無いも同然に終わった。

事故から二十周年を迎えた2009年には全記録文書の開示を求める機運が高まり、ヒルズボロ独立調査委員会(Hillsborough Independent Panel)が設立され、2012年9月12日(水)に公表された報告書により観客誘導の不備のほか、緊急サービスの遅延や不十分な医療措置、警察関係者による捜査資料の改竄(かいざん)や意図的な情報誘導が行なわれていたことも明るみに出た。同年12月19日(水)に高等法院(High Court)は死因審問の評決を破棄して審理のやり直しを命じ、2016年4月26日(火)に警備責任者の過失を認め、「犠牲者は不当に亡くなった」とする評決を下した。

1980年代に発生した2つの大惨事(ヘイゼルとヒルズボロ)はスタジアムに於()ける観客の安全性確保の大きな警鐘となった。1990年代に入ると労働者階級(working class)に混じって中産階級(middle class)のファンが増加したことと、過去の反省から警備が強化されたお蔭で暴力事件は減少し観客のマナーも向上したため、スタジアム内でのトラブルはもはや過去の出来事と考えられるようになった。興味深い取り組みとして、プレミアリーグのサンダーランド(Sunderland)が1997年に新会場「光のスタジアム」(Stadium of Light テイディアモヴライ)を本拠地としてオープンさせて以来、試合開始直前にソ連のプロコフィエフ(露 Сергей Сергеевич Прокофьев = Sergej Sergejevič Prokofjev; 英 Sergei Prokofiev, 1891-1953)作曲のバレエ音楽 『ロミオとジュリエット』(Romeo and Juliet, Op.64, 1938 & ’40)から「モンタギュー家の面々とキャピュレット家の面々」(‘Montagues and Capulets’: https://www.youtube.com/watch?v=-LSxpxjMQ9c 1:12-2:48)の一部を必ず流すことで暴力沙汰を減らしたとされる。この独特の緊張感を持ったソ連の管弦楽(orchestral music)は、日頃クラシック音楽に縁遠かった労働者階級の人々に新鮮な驚きを持って迎えられ、人気が急上昇した。その一方で英国全土の都市部では路上やパブ(public house =英国式公衆居酒屋の略)や交通機関での場外乱闘は依然として頻発していて、フーリガン問題の根本的な解決には至っていない。

(参考リポート)

イングランド・プレミアリーグのレスター・シティー(Leicester City FC)の9選手がキャンプ地のスペインで家宅侵入・強姦などの容疑で逮捕される。ディフェンダー(DF: defender)のダビザス、キーパー(GK: goal keeper)のコインは保釈で、ミッドフィールダー(MF: midfielder)のフロイントは無罪。フォワード(FW: forward)のディコフ、ミッドフィールダー(MF: midfielder)のナリス、ディフェンダー(DF: defender)のエリオット、ミッドフィールダー(MF: midfielder)のギレスピ、ディフェンダー(DF: defender)のシンクレア、フォワード(FW: forward)のスコウクロフトは拘留される。

2004年3月5日(金)

http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/leicestershire/3534827.stm

http://news6.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1078457208/l50

イングランド・プレミアリーグのレスター・シティー(Leicester City FC)の3選手がタイで人種差別・乱交事件を起こす。タイ人売春婦と乱交セックスをした挙句に、「細い目(slit eye)」「気持ち悪い(minging)」と差別暴言を吐く。ナイジェル・ピアソン前監督の息子であるジェイムズら3選手 が解雇。

2015年5月30日(土)

http://www.mirror.co.uk/sport/football/news/leicester-city-racist-orgy-video-5794654

http://www.afpbb.com/articles/-/3050416

http://www.bbc.com/sport/0/football/33175820

イングランド・プレミアリーグのレスター・シティー(Leicester City FC)に所属し、イングランド代表にも選出されているヴァーディ(Jamie Vardy, b.1987)選手がレスター市内の賭博場(casino)で国籍不明の東アジア人客に向かって人種差別発言「ヨー、ジャップ!出て行け。おい! うせろ!(Yo Jap! Walk on. Oi! Fuck off!)」と暴言を吐く。後に謝罪するもサッカーに復帰できる見込みは薄い。それはカジノに来るような東洋人は中国人である可能性が高く、中国人を罵倒(ばとう)した白人選手は英国内の華人コミュニティーから職業上の復讐に遭うことが考えられるからである。

2015年8月9日(日)

http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/6581386/England-ace-Jamie-Vardy-in-racism-storm.html

http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/1520545.html

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150810-00010002-soccermzw-socc (リンク切れ)

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1439125868/

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1439140293/

英サッカー(イギリス発音でソッカー)プレミアリーグの選手が児童に対する性犯罪の疑いで逮捕

https://www.ruetir.com/2021/07/20/pedophilia-case-at-everton-icelandic-newspapers-mention-sigurdssons-name/

https://www.mirror.co.uk/sport/football/news/breaking-premier-league-footballer-arrested-24571071

https://www.dailymail.co.uk/sport/sportsnews/article-9804037/Married-Premier-League-player-arrested-suspicion-child-sex-offences.html

https://www.thesun.co.uk/sport/15638522/everton-player-suspended-police-investigation/

https://www.bbc.com/news/uk-england-57899127

https://www.skysports.com/football/news/11095/12359438/premier-league-player-arrested-on-suspicion-of-child-sex-offences

2021年7月19日(月)、プレミアリーグの名門クラブであるエヴァトン(Everton)の選手(氏名非公開)が、三日前の同年(2021年)7月16日(金)に児童への性犯罪の疑いで警察の家宅捜索を受けて逮捕されたというニュースが世界を駆け巡る。大マンチェスター警察(Greater Manchester Police)の発表を受けてのことだが、イングランド&ウェールズの法律上の理由で氏名は公表できないとしている。容疑者は31歳既婚の非英国人で、自国のナショナル・ティームの代表選手でもあり、既に保釈金を支払って保釈されているという。この警察発表を受け、名門クラブのエヴァトンは公式ウェブサイトに声明(Club Statement: https://www.evertonfc.com/news/2193203/club-statement )を掲載し、「エヴァトンは警察の捜査を受ける間、一軍選手を出場停止処分にしたと確証することができます。当クラブは引き続き当局の捜査に協力しつつ、現時点ではこれ以上コメント致しません。」(Everton can confirm it has suspended a First-Team player pending a police investigation. The Club will continue to support the authorities with their inquiries and will not be making any further statement at this time.)としている。当てはまる人物として、アイスランド代表ミッドフィールダー(MF: midfielder)ギルフィ・シグルズソン(Gylfi Sigurðsson, b.1989)との見方が強まっている。それというのも本国の代表的な新聞モルキュンブラージス紙(Morgunblaðið: 「朝刊」の意)が同年(2021年)7月20日(火)朝の段階で既に名指しで報じていて( https://www.mbl.is/frettir/innlent/2021/07/20/gylfi_sakadur_um_brot_gegn_barni/ )、それを追う形で同国の英文メディア( https://www.ruv.is/frett/2021/07/20/claims-icelandic-footballer-centre-of-child-sex-case / https://icelandmonitor.mbl.is/news/news/2021/07/20/icelandic_everton_star_investigated_for_alleged_chi/ )も名前を報じているからである。なお、アイスランド人に苗字は無いため、男性は「〇〇の息子」、女性は「〇〇の娘」という呼び名をアイスランド国外では恰(あたか)も苗字であるかのように扱っている。したがって、今回の逮捕者は「シグルの息子ギルフィ」である。なお、妻アレクサンドラ・イヴァールスドッティル(Alexandra Ivarsdottir, b.1989)=「イヴァールの娘アレクサンドラ」=32歳は元ミス・アイスランドであり、夫妻のセレブ(celebs = celebrities)ぶりから「アイスランドのベッカム夫妻」(the Posh and Becks of Iceland)の異名を持つ。

足球協会(FA: the Football Association)とオリンピック(Olympic Games)

日本では「イングランド・サッカー協会」と誤訳されるのが慣わし。実際には1863年に世界に先駆けて発足されたサッカー協会(FA: the Football Association)であることを誇りにしているため、敢()えて国名は冠さない。これは世界の郵便切手の中でも1840年以来の切手発祥国であるイギリスだけが国名を書かないことと共通している。

現在のサッカーのルールをこの協会が定めたことから、サッカーを正式にはAssociation football(協会足球)と言う。その愛称がsoccer(ソッカー)であるが、日本ではアメリカ発音の「サッカー」の名称が定着している。イギリスで「サッカー」と発音すると、sucker(バカな奴)になってしまうため、英国人足球ファンはこの発音を特に嫌う。

1863年に世界初のサッカー協会である上記のFAが結成された際は、その地理的範囲を明確にしていなかった。イングランドのみなのか、当時の連合王国全 土(現在のアイルランド共和国を含む)なのか、それとも当時のイギリス帝国全土(世界の陸地の約6分の1)なのか、はたまた国境に関係なく全世界なのか (つまり後に四十一年遅れて組織されるFIFAのような団体なのか)誰にも分からなかった。しかしこの疑問は1873年に世界で2番目のサッカー協会とし てスコットランド・サッカー協会(SFA: Scottish Football Association)が設立された際に解決された。1876年には世界で3番目のサッカー協会としてウェールズ・サッカー協会(FAW: Football Association of Wales)が、1880年には世界で4番目のサッカー協会としてアイルランド・サッカー協会(IFA: Irish Football Association)が組織されたが、アイルランド島の大部分が連合王国から離脱した1921年以降は、北アイルランドしか権限が及ばず、アイルラン ド島の大部分(現在のアイルランド共和国)は1921年設立の新アイルランド・サッカー協会(FAI: Football Association of Ireland)が管轄している。なお、スポーツの世界では、連合王国を構成するイングランドとウェールズとスコットランドと北アイルランドの4国のこと をホーム・ネイションズ(home nations: 直訳「国内の国々」)と称している。

サッカー(イギリス発音でソッカー) は英国内それぞれの協会とナショナルティームで発展し、「連合王国サッカー協会」が結成されることはなかった。サッカーが1900年パリオリンピックにお いて公開競技(仏 un sport de démonstration; 英 a demonstration sports: 開催国で根付いていたり、多くの国に広まっているという理由でオリンピックで実験的に実施する競技)として開催された際、アプトン・パーク(Upton Park FC; 現存せず)を始めとするクラブティームが参加した。アプトン・パークが優勝し、後に国際オリンピック委員会(仏 CIO: Comité international olympique; 英 IOC: International Olympic Committee)によって遡及(そきゅう)的に金メダルが贈られた。

1908年ロンドンオリンピックにサッカー競技が採用されるよう上記のFAはIOCに対して説得工作を行ない、これに成功し、この大会にはイングランド人選手で占められたナショナルティームが出場した。当時はプロ選手のオリ ンピック出場が認められておらず、一部の資料ではこのナショナルティームをアマチュアサッカーイングランド代表と言及しているが、他の資料ではグレートブ リテンとしている。このティームは英国(GB: Great Britain)代表として参加し、そのように記載されていたにも拘(かか)わらず、公式試合リポートでは「イングランドのティーム」(English team)と呼ばれ、表記が混乱している。そしてこのグレートブリテンは、ロンドンで行なわれたオリンピックに於ける初の公式サッカー競技で優勝し、金メダルを獲得した。

1912年ストックホルムオリンピックでも英国(GB: Great Britain)は優勝し、金メダルを獲得した。その後、英国はプロ選手の参加を拒(こば)むIOCと対立し、1924年パリオリンピックや1928年ア ムステルダムオリンピックへのサッカーティームの出場を辞退した。

その後、英国(GB: Great Britain)は1948年ロンドンオリンピックから1972年ミュンヘンオリンピックまでサッカー競技に参加したが、1960年ローマオリンピックに参加した後は予選負けが続き、1964年東京オリンピックも、1968年メキシコオリンピックも、1972年ミュンヘンオリンピックも、本大会出場が叶(かな)わなかった。1972年以降、IOCはそれまでの頑(かたく)なな態度を改め、プロ選手の参加規制を緩和した。

プロ選手の参加規制の緩和を受けて、オリンピックのヨーロッパ予選を兼ねた欧州サッカー連盟(UEFA: Union of European Football Associations)主催U-21欧州選手権(European Under-21 Championship)には、英国(GB: Great Britain)としてではなく、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという具合にバラバラで出場していて、1991年と1995 年にはスコットランドが、2007年にはイングランドが高位置につけ、翌年のオリンピック(それぞれ1992年バルセロナオリンピック、1996年アトラ ンタオリンピック、2008年北京オリンピック)の出場資格を得た筈(はず)だったが、IOCはバラバラでの本大会出場を認めていないため、結局出場は逃している。2007年にはイングランド女子代表ティームも好成績で翌年のオリンピック(2008年北京オリンピック)の出場資格を得た筈(はず)だったが、やはりIOCはイングランドとしては出場を認めない方針を堅持(けんじ)した。しかしイングランドは連合王国の中でも人口規模が極端に大きく(63分の53)、他の3つのFA(スコットランドのFAとウェールズのFAと北アイルランドのFA)がイングランドティームを英国(GB: Great Britain)代表と認めさえすれば、IOCも許可すると見られている。

2005年7月6日(水)のIOCシンガポール会議でロンドンが2012年夏季オリンピック(2012 Summer Olympics)の開催地に決定すると、英国は開催国として予選を経ずしてサッカー競技にティームを送る権利を自動的に獲得した。英国オリンピック協会(BOA: British Olympic Association)は英国(GB: Great Britain)ナショナルティームを編成しようと動いたが、スコットランド・サッカー協会(SFA: Scottish Football Association)は統一ティームの可能性を討論する会議への出席を拒否し、ウェールズ・サッカー協会(FAW: Football Association of Wales)も交渉から撤退した。2007年10月には、北アイルランドを管轄するアイルランド・サッカー協会(IFA: Irish Football Association)もまた統一ティームに参加しないことを発表した。そのため英国(GB: Great Britain)統一ティームでの参加を望む協会は、イングランドのみを管轄する世界最古のサッカー協会(FA: the Football Association)だけとなった。イングランド人選手のみからなるティームがイギリス代表として参加することで、最終的に4協会間で合意に達した。 スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのサッカー協会は、自分らは参加しないがイングランド単独での参加に反対しないとした共同文書をチューリッヒ の国際サッカー連盟(FIFA: Fédération Internationale de Football Association)宛に送付した。しかし英国オリンピック協会(BOA)は反対を表明した。結局男子はイングランドから13名、ウェールズから5名が選出された。史上12回目の統一ティーム編成であり、オリンピック本大会への出場は9度目だった。女子の統一ティームは史上初めて結成されたが、イングランドから16名、スコットランドから2名が選出された。男子はグループステージを2勝1分けで勝ち進んだが、準決勝では韓国にPK戦の末、惜しくも敗れた。女子はグループステージを3勝0敗で突破したが、準々決勝でカナダに敗れた。したがって男女ともにメダルを逃した。

2016年リオデジャネイロオリンピック(2016 Summer Olympics)では、イングランドの協会(FA)が他の3国の協会に統一ティーム再結成を打診したが、冷たく拒絶されたため、次のオリンピックのサッカー大会で英国の活躍を観る可能性は完全に潰(つい)えてしまった。

国際サッカー連盟(仏 FIFA: Fédération Internationale de Football Association フェデはシヨン・アォンテふナシヨナル・ドゥ・フトボル・アソシアシヨン; 参考までに中文繁體字で國際足球聯合會; 中文簡体字で国际足球联合会)と世界杯(ワールドカップ)

http://www.fifa.com/worldcup/index.html

http://en.wikipedia.org/wiki/FIFA_World_Cup

世界中のサッカー協会を統括する国際組織。本部はスイス連邦のドイツ語圏最大の都市チューリッヒ(独 Zürich ツューリヒ; 仏英 Zurich ヂューリック; 伊 Zurigo ズゥリゴォ)だが、団体名はフランス語であり、略称はFIFA(仏 フィファ; 英 フィーファ)。 発足は1904年と、かなり新しいため、イングランドのFA(1863年発足)に歴史と伝統に於(お)いて頭が上がらない。1894年に発足した国際オリ ンピック委員会(英 IOC: International Olympic Committee; 仏 CIO: le Comité international olympique)と違い、連合王国を構成する所謂(いわゆる)「ホーム・ネイションズ」(home nations: 直訳「国内の国々」)であるイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドでバラバラに国際試合に出場することを認めている。但し、ヨーロッパ予選で勝ち残るのは大抵イ ングランドのみである。ちなみに英国海外領土6協会(モントセラトサッカー協会、英領ヴァージン諸島サッカー協会、ケイマン諸島サッカー協会、タークス・カイコス諸島サッカー協会、バミューダ 諸島サッカー協会、アンギラサッカー協会)の各代表もそれぞれFIFAによって「国」のように認可されている。

1930年第1回ウルグアイ大会以来、四年毎にワールドカップ(FIFA World Cup)を開催している。1930年7月13日(日)から30日(水)に開催された第1回大会に出場したのは予選リーグを勝ち残ったのではなく招待された僅(わず)か13ヶ国だけだった。その内9ヶ国が南北アメリカ大陸国家、4ヶ国が欧州大陸国家だった。優勝は開催国のウルグアイ、準優勝が隣国のアルゼンチン、三位にアメリカという具合に南北アメリカ大陸が上位を独占した。そして四位に漸(ようや)く欧州勢からユーゴスラヴィア(現在はセルビア、クロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、モンテネグロ、マケドニアに分離)が入った。

1934年第2回イタリア大会がムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883-1945; 首相在任1922-43; 首領(ドゥーチェ)在任1925-43)独裁体制下のイタリアで開催され、16ヶ国が出場した。その内12ヶ国が欧州勢で、南北アメリカ大陸からはアメリカ、ブラジル、アルゼンチンの3ヶ国しか出場せず、他に北アフリカのエジプトが初出場した。優勝したのは開催国のイタリアで、準優勝がチェコスロヴァキア、三位がナチス体制下のドイツ、四位が墺太利(オーストリア)という具合に欧州勢が上位を総舐(な)めした。このように初期の段階では世界杯(World Cup)とは名ばかりで、第1回が実質的にほぼ南米杯、第2回が実質的にほぼ欧州杯だったのは、当時はまだ蒸気船による大陸間移動が主流だったことが関係している。

第二次世界大戦(1939-45年)中の1942年大会と戦後復興期の1946年大会は開催できず幻の大会となり、1938年第3回フランス大会と1950年第4回ブラジル大会の間には十二年もの空白期間が存在した。サッカー発祥の地を自認するイングランドが初出場できたのは、戦後初の大会となった1950年第4回ブラジル大会だった。グループ2の中で1勝2敗となり、決勝リーグ行きの権利はスペインに持って行かれた。この第4回大会では第1回大会に続いて二十年ぶりにウルグアイが優勝した。

イングランドの優勝は、1966年第8回イングランド大会が今のところ最初で最後である。直近の2014年第20回ブラジル大会でイングランドは、グループDの中で0勝2敗1分けという不本意な成績で敗退し、決勝リーグ行きの権利を逃している。連合王国(UK: United Kingdom)の中でイングランド以外のティーム(スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)はヨーロッパ予選で既(すで)に敗退しているため、2014年第20回ブラジル大会ではプレイしていない。

日本代表ティームがアジア予選を勝ち抜いて本大会に参加できるようになったのは、かなり最近のことで、1998年第16回フランス大会からである。フランス大会で日本は結局一勝もできず、最終戦で1点を返しただけという無様な状態で敗退した。また、日本でも過去に一度だけ隣国との共催という前代未聞の形ながら2002年第17回日韓共催大会を開催したことがある。その時は開催国の特権を生かし、初めて16強入りして決勝トーナメントに進んだが、初戦のトルコに対して0対1で敢()え無く敗退した。ドイツ対ブラジルの決勝戦は横浜国際総合競技場で戦われ、0対2でブラジルが勝利した。これは史上最多の5度目の優勝という快挙でもあった。

1998年以来コンスタントにアジア予選を勝ち抜いて(但し、2002年大会は開催国特典で予選免除)、本大会に出場している日本(人口127m)だが、2018年ロシア大会の直前の2018年6月のランキングでは61位と振るわなかった。男子ランキングの更新は第21回FIFAワールドカップ・ロシア大会が2018年7月15日(日)=日本時間では7月16日(月・祝)に終わった後に集計することになっており、2018年7月19日(木)に発表される筈(はず)だったが、集計に予想外の時間を要した。2018年8月16日(木)に更新されたFIFA男子ランキングで、1位はロシア大会で優勝したフランス(人口67m)、2位がロシア大会3位のベルギー(人口11.25m)、3位がブラジル(人口202m)、4位がロシア大会準優勝のクロアチア(人口4.2m)、5位がウルグアイ(人口3.4m)となった。イングランド(人口55m)は6ランク上昇して6位となり、ロシア大会に出場できなかったウェールズ(人口3.1m)は1ランク落として19位、同じくロシア大会に出場できなかった北アイルランド(人口1.8m)は2ランク上げて27位、同じくロシア大会に出場できなかったアイルランド共和国(人口4.7m)は2ランク上げて29位、同じくロシア大会に出場できなかったスコットランド(人口5.3m)も2ランク上げて40位となった。小国ウェールズの評価がこれほど高いのは、2016年7月2日(土)に当時FIFAランキング2位(元1位)だったベルギー(人口11.25m)に勝利した大金星の影響が大きい。ウェールズも北アイルランドもスコットランドもほぼ毎回ヨーロッパ予選で敗退してしまい、本大会に出場できていないことを考えると、アジアの出場枠は甘すぎると言わざるを得ない。2018年ロシア大会では日本(人口125m)が予想外の活躍と予選リーグ突破=世界16強入りを果たし、日本男子の順位は大きく上昇することが期待されたが、6ランク上昇の55位だった。反対に予選リーグで敗退したドイツ(人口83m)は1位から14ランクも下がった屈辱的な15位となった。2018年12月20日(木)更新のFIFA男子ランキングで日本は50位だったが、2019年2月7日(木)更新では一挙に27位にまで急浮上し、2021年5月27日(木)更新の最新版FIFA男子ランキング( https://www.fifa.com/fifa-world-ranking/ranking-table/men/ )でも28位という具合に日本(人口125m)としては上出来である。1位ベルギー(人口11.25m)、2位フランス(人口67m)、3位ブラジル(人口202m)、4位イングランド(人口55m)の順位は2019年10月の更新から不動であるが、不動なのは新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)の影響で国際試合が激減したからである。ドイツ(人口83m)は同国にしては振るわず12位で、ウェールズ(人口3.1m)は17位、スコットランド(人口5.3m)は44位、北アイルランド(人口1.8m)は48位である。

2002年第17回日韓共催大会で5度目の優勝という快挙を成し遂げたブラジル(人口202m)だったが、2014年第20回ブラジル大会で優勝したのはドイツ(人口83m)であり、 準優勝がアルゼンチン(人口43m)、3位オランダ(人口17m)と続いた。開催国で尚且(なおか)つ歴代最多優勝国(通算5回)のブラジルは準決勝でドイツに1対7で大敗し、3位決定戦でもオランダに0対3で敗れ、国辱的な4位に甘んじることとなった。ブラジルのサッカー界に暗雲が立ち込めた。ちなみにブラジルは1996年7月21日(日)、1996年夏季オリンピック(アトランタ五輪)の一環として遥(はる)かに格下の日本代表と公式戦を戦い、0対1で敗れたこともある。当時の日本はFIFAアジア予選を勝ち抜いたことも、FIFAワールドカップ本戦への出場経験もない弱小ティームだった(上述したように日本の本戦デビューは1998年フランス大会)。日本ではこの勝利を「マイアミの奇跡」と呼んでいる。当時の英国でも「あのブラジルが日本に負けた!」という驚きの声が聞かれた。しかしそれでも世界の壁は高く、日本は決勝リーグへ進むことができなかった。そしてFIFAワールドカップ・ブラジル大会から僅(わず)か二年後の2016年リオデジャネイロオリンピック(2016 Summer Olympics)で2016年8月7日(日)に開催国のブラジル代表(当時のFIFAランキング9位)は予選リーグでFIFAランキング当時99位のイラク(人口37m)と対戦したが、屈辱的な0対0の引き分けに終わったため、地元の観客からブーイングが起こったのだった。

FIFAワールドカップの2018年第21回ロシア大会が、2018年6月14日(木)~7月15日(日)=日本時間では7月16日(月・祝)に開催された。当時のFIFAランキングで61位だった日本(人口126m)は長期低迷中で何も期待されていなかったにも拘(かか)わらず予選リーグを突破して16強入りを果たした。その日本は決勝リーグの1試合目でFIFAランキング3位のベルギー(人口11.25m)に善戦むなしく3対2で惜敗してトーナメントから姿を消した。このロシア大会は波乱含みの大会であり、FIFAランキング1位のドイツ(人口83m)が予選リーグで早々と敗退し、FIFAランキング5位のアルゼンチン(人口43m)と同2位のブラジル(人口202m)も8強まで勝ち上がったところで、FIFAランキング7位のフランス(人口67m)、同3位のベルギー(人口11.25m)にそれぞれ敗北してトーナメントから姿を消した。そして4強に残ったのは、FIFAランキング7位のフランス(人口67m)、3位のベルギー(人口11.25m)、20位のクロアチア(人口4.2m)、12位のイングランド(人口55m)の欧州勢のみだった。イングランドの4強入りは1990年イタリア大会以来実に二十八年振りである。また、イングランドの優勝は、半世紀以上も遡(さかのぼ)る1966年イングランド大会で開催国としてただ一度だけである。7月11日(水)=日本時間では7月12日(木)の準決勝にて120分にも及ぶ死闘でイングランドはクロアチアに逆転負けした。7月14日(土)にイングランドは同じく準決勝の敗者であるベルギーと3位決定戦で戦ったが、2対0で敗れたため、二十八年前の1990年イタリア大会と同様に4位という結果に終わった(結果が決まったのは日本時間では既に7月15日(日))。7月15日(日)=日本時間では7月16日(月・祝)の決勝はフランス対クロアチアという史上初のカードとなった。決勝戦はフランスの勝利に終わり、フランス(人口67m)は二十年前の1998年フランス大会で開催国として優勝して以来二度目の優勝となった。そして複数回優勝国としては、南米のブラジル(人口202m)、アルゼンチン(人口43m)、ウルグアイ(人口3.4m)、欧州のドイツ(人口83m)、イタリア(人口60m)に続いて6ヶ国目の仲間入りをした。

次回は2022年第22回カタール大会の開催が決まっているが、2018年第21回ロシア大会と同様に、開催国の選考過程に絡(から)み多額の賄賂(わいろ)が飛び交(か)ったという黒い噂(うわさ)もあり、2015年5月27日(水)、アメリカ合衆国司法省(United States Department of Justice)によるFIFA副会長を含む幹部14名の起訴と、その内7名のスイス当局による逮捕という事態に発展した。世界を揺るがした「2015年FIFA汚職事件」(2015 FIFA corruption case)である。1998年以来十七年も会長職に在(あ)ったブラッター(Sepp Blatter, b.1936; 会長在任1998-2016)氏本人の逮捕・起訴は避けられたが、辞任に追い込まれた。しかし新会長が選出されるまでは会長職に留まるとして、これにはFIFAも同意した。そして2016年2月26日(金)、スイスとイタリアの二重国籍所持者で弁護士のジョヴァンニ・インファンティーノ(Giovanni Infantino, b.1970; 会長在任2016-)氏が2回目の投票で過半数の票数を獲得して会長に選出され、会長に就任して現在に至っている。

2016年4月3日(日)にドイツの有力地方日刊紙、南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung ジュードイチェ・ツァイトゥン)が中心となって米非営利組織、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ: International Consortium of Investigative Journalists)が公益(the common good)のために暴露した過去三十年分の所謂(いわゆる)「パナマ文書」(Panama Papers)事件でも、世界の有力政治家や大富豪や大企業と並んで、FIFAをはじめとした足球協会連盟の役員たちがタックス・ヘイヴン(tax haven: 租税回避地)を悪用した疑惑の矢面(やおもて)に立たされている( https://panamapapers.icij.org/ )。スイス警察による捜査も始まった。「パナマ文書」に関連して、2016年4月7日(木)付のフランス通信社(AFP: Agence France-Presse)と時事通信のオンライン記事によると、スイス警察は2016年4月6日(水)、「パナマ文書」流出によって明るみに出たサッカー欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League)のテレビ放映権の取引をめぐる不正疑惑で同国ニヨン(Nyon)に在()る欧州足球連盟(UEFA: Union of European Football Associations)=6つ地域別に分かれたFIFAの下部組織の一つ=本部を家宅捜索した。

2020年は新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)のパンデミック(pandemic: 世界的感染拡大)の所為(せい)で欧州サッカー連盟主催 ユーロ2020大会(UEFA Euro 2020)が開催できず、翌年(2021年)6月11日(金)~7月11日(日)に一年遅れで欧州各地で史上初の分散開催の形で開催される。同年(2021年)6月29日(火)には大ロンドン市内のウェンブリー球技場(Wembley Stadium)で開かれた16強トーナメント戦(Round of 16 tournament match)の対ドイツ戦でイングランド代表が2対0で快勝(two nil victory against Germany)した。公式の国際試合でドイツに勝利したのは1966年FIFA世界杯(FIFA World Cup 1966)イングランド大会以来、実に五十五年ぶりのこと。なお、1966年と言えばイングランドが世界杯で優勝した最初で最後の年でもある。イングランドはその後も同年(2021年)7月3日(土)にイタリア共和国首都ローマで開かれた準々決勝(Quarter-final)の対ウクライナ戦で4対0で圧勝し、同年(2021年)7月7日(水)に大ロンドン市内のウェンブリー球技場(Wembley Stadium)で開かれた対デンマークの準決勝(Semi-final)でも2対1で勝利した。同年(2021年)7月11日(日)=日本時間では12日(月)=大ロンドン市内の最大収容人数9万人の約72%に相当する6万4千人余りを擁したウェンブリー球技場(Wembley Stadium)で開かれた対イタリアの決勝戦(Final)で試合は1対1で勝負がつかず、延長戦でも勝負がつかず、最後はPK(penalty kick)戦の3対2でイタリアが優勝。シュート数(shots)で19対6、ボール占有率(posession)で66%対34%と圧倒されていたイングランドは準優勝に終わる。イングランドは1966年のFIFA世界杯(FIFA World Cup)での優勝以来五十五年ぶりの本格的な国際大会での決勝戦進出なるも、五十五年ぶりの優勝には至らず。五日前の同年(2021年)7月6日(火)にジョンソン(Boris Johnson, b.1964; 首相在任2019-)内閣総理大臣は、23:15までパブ(pubs = public houses)の営業時間延長を許可すると発表していた。延長戦やPK(penalty kick)戦になった場合を考えての時間延長だという。コロナ渦に在って営業は22:30迄と定められているが、45分間の延長がこの日(2021年7月11日(日))に限り許可されたのだった。なお、このサッカー(soccer: イギリス発音でソッカー)決勝戦のキックオフ(kickoff)直前にはテニスの2021年ウィンブルドン選手権(2021 Wimbledon Championships)の男子シングルズ決勝戦が大ロンドン市内ウィンブルドンのセンターコート(Centre Court, Wimbledon)で二年ぶりに開催されていて、満員の1万5千人近い観客が詰めかけていた。この決勝戦ではイタリアの新星マッテーオ・ベッレティーニ(Matteo Berretini, b.1996)=25歳がセルビアのノヴァク・ジョコヴィッチ(Новак Ђоковић; ラテン文字転写 Novak Đoković; ロシア語キリル文字表記 Но́вак Джо́кович; 英語名 Novak Djokovic, b.1987)=34歳を倒せず、イタリア人ファンたちは悔しい思いをしていたが、イタリア代表サッカーティームの敵地(away)での勝利に留飲を下げて酔い痴れたのだった。イタリアとしては1968年以来五十三年ぶりのユーロ大会優勝であった。

この試合でペナルティーキック(PK)を外したイングランド代表の黒人選手3人が、人種差別的な中傷をSNS(英語圏では social media と言う)上で受けて問題となる。中でもマーカス・ラシュフォド(Marcus Rashford, b.1997)選手=23歳の地元である大マンチェスター市内ウィジントン(Withington, Greater Manchester)では、貧困問題の解決に取り組んだ同選手を讃えて描いた壁画(mural)の一部が何者かの破壊行為によって損傷を受け、大マンチェスター警察(Greater Manchester Police)が器物損壊(vandalism)容疑で捜査に乗り出す。差別に反対する人々が壁画に集まり、ハート型に切り取った紙や応援メッセージなどで破損個所を覆い隠す。壁に貼り付けられたメッセージには、「模範となる人」(role model)、「素晴らしい人間」(wonderful human)、「ヒーロー」(hero)といった言葉が並ぶ。ラシュフォド自身は「常に自分を抱きしめて受け入れてくれたコミュニティーは、今も僕を支えてくれる。」(The communities that always wrapped their arms around me continue to hold me up.)と語る。また、シュートを決められなかったことについては、「自分のプレーについての批判はいつまでも受け入れる。あのペナルティーは不十分で、入るべきだった。でも自分がどういう人間で、どこから来た人間かについて、僕は絶対に謝らない。自分はこの三頭のライオンを胸に付けたユニフォームを着て、自分の家族が数万人の群衆の中で応援しているのを見る時ほど誇りを感じる時はない。」(I can take critique of my performance all day long, my penalty was not good enough, it should have gone in but I will never apologise for who I am and where I came from. I’ve felt no prouder moment than wearing those three lions on my chest and seeing my family cheer me on in a crowd of tens of thousands.)とツイート(tweet)する。なお、今回被害に遭ったラシュフォドと言えば貧困層の子供たちに無料給食を配るチャリティー活動に尽力していることで知られている。今回の人種差別騒動については足球協会(FA: Football Association; 日本では誤訳して「イングランドサッカー協会」)名誉総裁のケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b/1982)や、ジョンソン(Boris Johnson, b.1964; 首相在任2019-)内閣総理大臣が非難する声明を出している。(2021年7月13日(火)付のヤフーニュースに転載された BBC News のオンライン記事に依拠)

女子

1930年ウルグアイ大会に遅れること六十一年、1991年女子第1回中国大会が開催され、以降は男子のように四年毎に、男子のワールドカップの翌年に開催されている。1999年第3回アメリカ大会まではFIFA女子世界選手権(FIFA Women’s World Championship)という名称だったが、2003年第4回アメリカ大会で現在の名称、FIFA女子ワールドカップ(FIFA Women’s World Cup)に改称した。過去8回の大会の内、1991年第1回中国大会と1999年第3回アメリカ大会と2015年第7回カナダ大会と2019年第8回フランス大会を制したアメリカ(人口321m)が優勝4回で最多優勝を誇り、次点が2003年第4回アメリカ大会と2007年第5回中国大会を制した優勝2回のドイツ(人口83m)である。他に1995年第2回スウェーデン大会を制したノルウェー(人口5.1m)と、2011年7月17日(日)に第6回ドイツ大会決勝戦を制した日本(人口126m)が各1度ずつ優勝している。

日本は優勝を狙える強豪国の一つとされ、これまでの8大会すべてに出場している。しかし決勝トーナメントまで勝ち残ったのは2011年第6回ドイツ大会の時が初めてで、その勢いで優勝をもぎ取った。2015年第7回カナダ大会でも日本は決勝リーグまで勝ち残ったが、決勝戦で因縁の相手アメリカに敗れ、準優勝となった。一方、イングランドがヨーロッパ予選で勝ち残ってFIFA女子ワールドカップに初出場できたのは意外に遅く、2007年第5回中国大会の時である。初出場ながら決勝トーナメントまで勝ち残った。それ以来、2011年第6回ドイツ大会、2015年第7回カナダ大会、2019年フランス大会とコンスタントに出場し、しかも常に決勝トーナメントまで勝ち残っている。

2015年第7回カナダ大会では同年7月2日(木)の準決勝で日本(人口125m)とイングランド(人口55m)が対戦し、日本は後半に相手方のオウンゴール(OG: own goal; 昭和期の和製表現では「自殺点」)を誘(さそ)い、2対1で勝利した。現地時間7月5日(日)午後、日本時間7月6日(月)朝、日本はアメリカ(人口321m) と決勝戦を戦ったが、2対5の大差で敗れ、準優勝に甘んじた。奇(く)しくも前回大会の2011年第6回ドイツ大会(結果は日本の勝利・優勝)と三年前の2012年ロンドンオリンピック(結果はアメリカの勝利・優勝)と同じ組み合わせで因縁の対決となった。第8回フランス大会は2019年6月7日(金)~7月7日(日)に開催された。グループD(Group D)内の日本対イングランドという好ゲームは同年(2019年)6月19日(水) 19:00(日本時間では20日(木) 2:00)開始され、日本は0対2で完敗したが、決勝トーナメント(knockout stage)に進むことはできた。同年(2019年)6月25日(火)には決勝トーナメントの初戦で日本はオランダ(人口17m)に2対1で敗れ去った。イングランド(人口55m)は同年(2019年)7月2日(火)に準決勝でアメリカに1対2で敗れ、同年(2019年)7月6日(土)の三位決定戦(Third place play-off)でもスウェーデン(人口10m)に1対2で敗れ、4位に終わった。そして同年(2019年)7月7日(日)の決勝戦(Final)でアメリカ(人口321m)がオランダ(人口17m)を2対0で下し、世界最多4度目の優勝を果たした。次回2023年第9回大会の開催国(host country)はまだ決まっていない。

男子版に較(くら)べると更新頻度が低い2021年6月25日(金)更新の最新版FIFA女子ランキング( https://www.fifa.com/fifa-world-ranking/ranking-table/women/ )で、1位はアメリカ(人口321m)であり、2位がドイツ(人口82m)、3位がフランス(人口67m)、4位がオランダ(人口17m)、5位がスウェーデン(人口10m)、6位がイングランド(人口55m)である。日本(人口125m)はFIFA女子ワールドカップ(FIFA Women’s World Cup)で優勝(2011年ドイツ大会)と準優勝(2015年カナダ大会)の経験を持ちながら徐々に順位を下げて10位圏外に一時的に落ちたり、圏内に一時的に入ったりしているが、最新版では10位である。

ラグビー(rugby)

パブリックスクール(私立名門の中高)のひとつであるラグビー校(Rugby School)で始まったと言われる一種のフットボールであり、サッカー(イギリス発音でソッカー) から正式に枝分かれした1863年(ロンドン地下鉄開業と薩英戦争の年)、或(ある)いはルールが整備された1871年(大陸ではドイツが統一されてドイ ツ帝国が成立した年)をラグビー元年とする。ラグビー校でサッカーをプレイ中に、一人の生徒、ウェブ・エリス少年、後のウェブ・エリス師(Reverend William Webb Ellis, 1806-72)が興奮してボールを手に持って走ってしまったことに端(たん) を発するとされる。ラグビーには中産階級向けと労働者階級向けの2種類がある。

まず、15人制のラグビーユニオン(rugby union)は最近まで素人(アマチュア)中産階級の紳士スポーツとされてきた。イングランドでは大抵南部でプレイされ、ウェールズでは あらゆる階級に人気がある。特にウェールズでは対イングランド戦で熱を帯びる。一方、13人制のラグビーリーグ(rugby league)はイングランド北部で長いこと職業集団(プロフェッショナル)としてプレイされていて、労働者階級スポーツである。

イングランドでラグビーは貴族のスポーツではないと捉えられていて、上述したように現に中産階級向けと労働者階級向けの2種類がある。隣のウェールズでラグビーは労働者階級の中でも比較的高給取りであった炭鉱夫たちの週末の余暇として普及し、結果として今ではウェールズ人の国民的スポーツとなった。スコットランドではサッカー(イギリス発音でソッカー) の方が盛んであり、ラグビーはザボーダー(the Border)と呼ばれるイングランドとの国境地帯の農民の間でのみ盛んであり、現在でもプレイヤー人口は伸び悩んでいる。アイルランドでは大学のスポーツとして普及したラグビーだが、1995年のラグビーのプロ化に際して各地方の代表チームを頂点とした全国規模でのデヴェロップメント・プグラム(development programme)の再編に成功し、強豪国の一角を占めるようになるほど人気がある。アイルランドでは北アイルランド とアイルランド共和国を併せたアイルランド島で1つの国代表ティームを形成している。

15人制のラグビーユニオンによるワールドカップ(Rugby World Cup)が1987年以来4年に一度(常にFIFAワールドカップの翌年で、夏季オリンピックの前年に)開催されている。直近では2015年9月18日(金)~10月31日(土)の第8回イングランド開催大会(2015 Rugby World Cup)で、優勝したのは前回のニュージーランド大会と同様にニュージーランド(人口4.9m)で、準優勝が豪州(人口25m)、三位が南アフリカ(人口57m)だった。日本(人口126m)は、予選リーグの初日9月18日(金)の公式試合で優勝候補とされた(実際には三位入賞)強豪国の南アを34対32という僅差で下し、今大会で最大の波乱を巻き起こした。フルバック(FB)の五郎丸歩(ごろうまる あゆむ, b.1986)選手の人気と相俟(あいま)って日本でも急速にラグビー人気が高まった。勢いに乗るかのように見えた日本代表だったが、世界の壁は厚く、決勝リーグに進むことはできず予選敗退となった。

第9回ラグビーワールドカップ(2019 Rugby World Cup)は日本をホスト国としたことで、アジアで開催された初のラグビーワールドカップとなった。2019年9月20日(金)から11月2日(土)にかけて北は札幌から南は熊本まで日本各地で開催され、南アフリカ(人口57m)が三度目の優勝杯を勝ち取った。準優勝がイングランド(人口55m)で、三位がニュージーランド(人口4.9m)だった。ラグビーに著(いちじる)しく力を入れているウェールズ(人口3.1m)は三位決定戦でニュージーランドに敗れ、惜しくも四位止まりだった。日本はホスト国としての地の利を生かして本大会一次リーグ(pool stage)を勝ち抜いて、史上最高の8強=決勝トーナメント(knockout stage)まで勝ち上がることができたが、決勝トーナメント初戦の対南ア戦(南アは後にも次々と勝ち抜いて優勝)で敗退した。次の第10回大会(2023 Rugby World Cup)は2023年秋にフランスでの開催が決定している。ラグビー競技発祥の地であるイングランドの優勝は、意外にも2003年に開かれた第5回豪州開催大会(2003 Rugby World Cup)の一度しかない。

上記のラグビーワールドカップよりも歴史と伝統を誇る国際大会にシックス・ネイションズ(Six Nations Championship)=6ヶ国対抗戦がある。ここで言う6ヶ国とは、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランド(但し、北アイルランドとアイルランド共和国の混成ティーム)、フランス、イタリアを指す。その歴史は1883年のホーム・ネイションズ(Home Nations Championship)にまで遡(さかのぼ)り、歴代最多優勝はウェールズの39回で、次いでイングランドの38回である。但し、全面的勝利(outright victory)という観点ではイングランドの28回に対し、ウェールズの27回である。人口に於(お)いて極めて劣勢なウェールズ(人口3.1m)が、ラグビー発祥の地を自認する強大なイングランド(人口55m)と互角に渡り合っているのは驚異的であり、ウェールズが如何(いか)にラグビーに力を注いでいるかが窺(うかが)い知れる。

2016年リオデジャネイロオリンピック(2016 Summer Olympics in Rio de Janeiro)では7人制のラグビーが初めて採用された。オリンピックではワールドカップと異なり、イングランドやウェールズなどとしての出場は禁じられているため、英国(GB: Great Britain)としての参加となった。日本(人口126m)の男子は準決勝(semifinal)で強豪のフィージー(人口0.9m)に20対5の大差で敗れ、3位決定戦ではこれまた強豪の南アフリカ(人口57m)に敗れ、メダルを逃した。男子で優勝したのは日本を大差で下したフィージーで、準優勝が英国(GB: Great Britain)だった。女子では豪州(Australia)が優勝し、準優勝はニュージーランド(NZ: New Zealand)だった。英国(GB: Great Britain)は3位決定戦でカナダ(Canada)に敗れ、メダルを逃した。なお、日本の女子は大会に出場すらできていない。2021年に延期された2020年東京オリンピック(2020 Summer Olympics in Tokyo)でも7人制のラグビーが行なわれる予定であり、日本や英国(GB: Great Britain)などが出場する。

2021年7月22日(木)には、奇()しくも東京五輪(2020 Summer Olympics in Tokyo)開会式の前日に、豪州(Australia)とニュージーランド(NZ: New Zealand)が同年(2021年)10月にイングランドで開催予定のラグビーリーグ世界杯(Rugby League World Cup)からの撤退を表明した。新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)に対する「選手福祉と安全への懸念」(player welfare and safety concerns)を理由に挙げている。この大会は2019年に日本各地で開かれたラグビー世界杯(Rugby World Cup)とは似て非なる大会で、男子のほかに女子と車椅子の部門がある。ラグビー世界杯が1987年に始まった歴史の浅い大会であるの対し、ラグビーリーグ世界杯は1954年にまで遡(さかのぼ)る。そして豪州は11回という最多優勝回数を誇り、次点の英国(GB: Great Britain)の優勝3回や、その次のNZの優勝1回を大きく引き離している。ラグビー足球リーグ(RFL: Rugby Football League)のサイモン・ジョンソン(Simon Johnson, 生年不詳)会長は、南半球の強豪二国の決定を「利己的で偏狭で臆病な決断」(selfish, parochial and cowardly decision)と強い言葉で非難した( https://www.bbc.com/sport/rugby-league/57925720 )。

(参考リポート)

「死んだネズミを口で…」新入部員に異常な儀式、英大学ラグビー人口激減

フランス通信社(AFP: Agence France-Presse)日本語版

2017年10月27日(金) 16:30

発信地:ロンドン/英国

http://www.afpbb.com/articles/-/3148210

http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1509104257/

英国の大学ラグビー界で、新入部員に死んだネズミをバケツから口で引き上げさせるといった儀式が横行しているのを受け、選手の数が激減していることが明らかになった。同国メディアが25日、報じた。(改行・後略)

ウェールズを歓迎 北九州少女の“可愛すぎる聖歌”に英ファン感激「本当に感動的だ」

The Answer (英音 ジ・アーンサ; 米音 ジ・エァンサる; 和製音 ザ・アンサー: 「その答え」の意)

2019年9月18日(水)

https://the-ans.jp/rugby-world-cup/83239/

https://the-ans.jp/rugby-world-cup/83239/2/

https://the-ans.jp/rugby-world-cup/83239/3/

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190918-00083239-theanswer-spo

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/articlemain?d=20190918-00083239-theanswer-spo

ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会は20日に開幕する。各国がすでに来日し、最終調整に入っているが、ウェールズ代表は北九州市で事前キャンプを実施。16日にはファンとの交流イベントが行われ、1万5000人が駆け付けたというが、子供たちが選手たちにウェールズの聖歌を歌って歓迎する粋な演出を披露。代表公式ツイッターが実際のシーンを公開すると、「日本人のファンタスティックな歓迎に称賛」「本当に感動的だ」と母国ファンも感激。英公共放送「BBC」も反応するなど、反響を呼んだ。

(改行・後略)

[BBCの記事]

Rugby World Cup: Japanese children sing Calon Lan to Wales players

(ラグビー世界杯: 日本の子供たちがカロン・ラーンをウェールズ選手たちに向けて歌う)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2019年9月16日(月)

https://www.bbc.com/news/av/uk-wales-49714999/rugby-world-cup-japanese-children-sing-calon-lan-to-wales-players

[ウェールズ本国では別の動画2種]

The adorable video of Japanese children belting out the Welsh national anthem

(日本の子供たちがウェールズ国歌を元気よく歌う可愛らしい動画)

Nailed it

(うまくやったぞ)

ウェールズ・オンライン(WalesOnline)

マシュー・サウスコム(Matthew Southcombe)記者署名記事

2019年7月11日(木)

https://www.walesonline.co.uk/sport/rugby/rugby-news/adorable-video-japanese-children-belting-16566179

A stadium full of 15,000 Japanese people just belted out the Welsh national anthem and it was simply beautiful

(1万5千人の日本人で一杯になったスタジアムがウェールズ国歌を元気よく歌い、それは単純に美しかった)

This is incredible!

(これは信じられない!)

ウェールズ・オンライン(WalesOnline)

ベン・ジェイムズ(Ben James)記者署名記事

2019年9月16日(月)

https://www.walesonline.co.uk/sport/rugby/rugby-news/stadium-full-15000-japanese-people-16924022

英国軍ラグビーチーム、靖国神社参拝 物議醸す 英紙タイムズ報道

產經新聞

2019年9月19日(木)

https://www.sankei.com/world/news/190919/wor1909190027-n1.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190919-00000582-san-spo

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190919-00000582-san-spo

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190919-00000582-san-spo&s=lost_points&o=desc&t=t&p=2

https://pbs.twimg.com/media/EEUg8RzUcAETJPH.jpg

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568888359/

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568897724/

【ロンドン=板東和正】英紙タイムズ(電子版)は19日までに、現役の英軍人で構成されるラグビーチームが訪日中に靖国神社を参拝し、物議を醸したと報じた。第二次大戦で日本と戦った英国内では「A級戦犯が合祀(ごうし)される神社を参拝した」との批判があり、ポール・マデン駐日英国大使が注意したという。

(改行・中略・改行)

同紙などは、英国内で「靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理解していたのか」と指摘する声が上がる一方、「戦争に対する和解だ」と称賛する反応もあったと伝えている。

[タイムズ紙のもとの記事]

UK military rugby team visit shrine for war criminals in Japan

(英国軍ラグビーティームが日本で戦争犯罪者らのための神社を訪問)

タイムズ紙(The Times

リチャード・ロイド・パリ―(Richard Lloyd Parry)記者署名記事

2019年9月18日(水)

https://www.thetimes.co.uk/article/uk-military-rugby-team-visit-tokyo-shrine-honouring-war-criminals-kmnb0b7ll

ラグビーワールドカップ2019(日本大会)に於けるイングランド代表成績

朝日新聞デジタル

2019年11月2日(土)

https://www.asahi.com/sports/rugby/worldcup/2019/team/england/

英国のスポーツ(後編)へ続く

https://sites.google.com/site/xapaga/home/sport2