西曆2014年11月16日(日) 日本アマゾンのレビュー、『試験勉強という名の知的冒険』

富田一彦著『試験勉強という名の知的冒険』(大和書房, 2012年)

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レビュー題字: 入試問題の質について批判的考察が一切ないのが残念

英語を中心に有名大学の試験問題の解法を教えてくれる本であるが、一般の受験参考書とは一線を画し著書の個人的見解が開陳されていく。多少のユーモアも意図したのだろうが、それらは悉くスベッていて笑いには乏しい。しかし出題者の意図を正確に読んで解答していく遣り方はなるほど正攻法だ。この本に欧米の試験問題に関する知見はないが、少なくとも文系に関しては日本の入学試験問題が欧米の半世紀ほど後を行くことが一読してよく分かり、私は暗澹たる気持ちになった。大切な青春の一時期、「痕跡から手がかりを引き出す『見る目』こそが、実は出題者が解答者に求めている能力の一つであり、出題者の関心事なのだ。」という程度の小手先型の試験問題ばかりに腐心していた日本のエリートが、外交や商務の交渉時に他国のエリートにやり込められてしまうのも無理はないと思う。不甲斐ない日本のエリートに同情はしないが、一番割を喰っているのは我々国民だ。著者の富田氏のような一介の予備校講師を責めるのはお門違いだと重々承知しているが、入試問題の質について批判的考察が一切ないのが同書の価値を下げている。それとは別に、以下に単純な誤植(p.142)も含めた誤記や著者の陥っている誤謬を指摘して措く。

p.68英文下から8行目

(誤)What symbolic meanings have found?

(正)What symbolic meanings have they found?

(註)他にも What symbolic meanings have been found? が可能だが、前後の文脈から判断すると、What symbolic meanings have they found? の方が良い。いずれにせよ、この誤植のままでは意味を為さない。

同頁下から3行目

(誤)Snow has been a constant in American history.

(正)Snow has been a constant occurrence in American history.

(備考)編集者の所為(せい)ということもあるが、著者は英語講師なのだから、この程度の誤植(脱字)には気づいてほしい。

p.100の5行目

(誤)この He は a person と全く同一の意味を持つ名詞だと考えればいいのだ。

(正)この He は A man と全く同一の意味を持つ名詞だと考えればいいのだ。

(註)ここでは he という単語の持たざるを得ない男性性(印欧語の名詞の性のうちで男性)の要素を無視した文法上中性的な person なる単語(しかも語源的には女性)で言い換えているのが誤りである。

pp.107-108

(誤)これだけ見ればもうわからない人はいないだろう。そう、James は「オシッコ」をしに行った(relieve himself)のだ。そこで「想定されている行き先」は「トイレ」である。天下の東大が正解に「トイレ」と書かせるのも相当なものだが、これがまさに「あるがままの東大」なのである。言われてみれば誰でもわかるようなことしか問わないが、いざ試験会場で出会うと手も足も出ない受験生が続出するのが「東大の問題」なのだ。

(正)これだけ見ればもうわからない人はいないだろう。そう、ジェイムズが生垣の蔭で用足しできるようにとストーン夫人は車を停めねばならなかった(Mrs. Stone had to stop the car so that James could relieve himself behind a hedge)のだ。そこで「想定されている行き先」は立ちション用の場所としての生垣の蔭である。天下の東大が正解に「立ち小便用の場所」と書かせるのも相当なものだが、これがまさに「あるがままの東大」なのである。言われてみれば誰でもわかるようなことしか問わないが、いざ試験会場で出会うと手も足も出ない受験生が続出するのが「東大の問題」なのだ。

(註)英文中の再帰動詞表現 relieve oneself は*「オシッコする」などというあからさまな表現ではなく(それを言いたいなら piss という古フランス語起源の単語がある)、「用を足す」というやや持って回った言い回しである。予備校の授業では「オシッコ」と言った方が受講生の受けはいいのだろうが、苟(いやしく)も語学講師としての矜持を持つなら各表現の持つニュアンス(しかもたいして微妙でもない)についても教えるべきだ。

p.142の9行目

(誤)そのあとはいきなり購読に入ったと記憶している。

(正)そのあとはいきなり講読に入ったと記憶している。

(註)単純な誤植(パソコンの変換ミス)。

pp.186-188

【引用開始】

一度など、こんなことがあった。ある学生が東大の過去問を持ってきて言った。「先生、ここに Unless it were necessary と書かれていますが、辞書には unless は仮定法では使わない、と書いてあります(一言断っておくと、単数形の it が主語なのに動詞が複数に対応する were なのは、「仮定法」だと考えないと解決できない)。どうしてくれるんですか?」

「どうしてくれるって、これはアポロ11号のアームストロング船長が実際に言ったセリフだろ?」

「でも、unless は仮定法では使わないと辞書に書いてあるんです。おかしいじゃないですか、この文は!」

(中略)

「(中略)じゃあ今の君の状況を考えてみよう。君の持っている英和辞典は言いました。『unless は仮定法では使わない』。で、アームストロング船長は言いました。『unless it were necessary』。他にもそういうことを言うアメリカ人はたくさんいます。可能性その1『辞書が間違っている。もっと実際の英語を調べてからものを言うべきだった』。可能性その2『アームストロング船長以下アメリカ人は間違っている。彼らはもっと英文法を勉強すべきだった』どっちだと思う?」

【引用終わり】

とあるが、研究社『ルミナス英和辞典』による unless の語法説明(下記参照)を引用しておくべきだと思う。

【辞書引用開始】

(2) 主節が否定を表わすときは仮定法でも用いる.

【言い換え】 I would not have come unless I loved you. (=I would not have come if I did not love you.) もし私があなたを愛していなければ来なかったでしょう. しかしそれ以外の場合, 特に事実に反する仮定を表わす仮定法では普通は用いない.

【辞書引用終わり】

富田氏は英和辞典の「ほとんどが大学院生のバイトで書かれたもの」(p.185)とまで断言していて、英和辞典という活字の権威がお嫌いなようだ。「辞書には間違いが書かれている」という何やら捻(ひね)くれた理由で予備校生に辞書の使用を思いとどまらせようとするのは語学講師として本末転倒も甚だしい。ここまで見てきたように研究社や小学館の英和辞典に比して(私は他社の英和辞典はあまり評価しない)、実際は富田氏の著書こそ誤りが多い。著者には猛省を促したい。

【3日後の追記】

本書の続編たる『キミは何のために勉強するのか: 試験勉強という名の知的冒険2』の第二章「指導者・出題者への言葉」を読んだところ、その最後に「あるべき試験を取り戻せ」と小見出しがついた呼びかけを見つけた。

【引用開始】

けれども私は東大をはじめとする大学の出題者に呼びかけたい。是非入試の本分に立ち戻ってもらいたい。あなた方がどのような試験を行うかで、多くの若い世代が正しい方向に向けて勉強するか、ただ無意味な知識の上辺だけの暗記に走るかが決まる。それが、将来のこの国の、あるいはこの星の運命に関わる可能性もある。

(中略)必然性と再現性、知識と観察のバランス、そういうことをうまく導くような試験であり試験制度であって欲しい。無駄に多くを覚えるより、必要最小限のことを正しく理解し、それを臨機応変に使いながら現実と向かい合って、最も合理的な解をその場で探していく、という、「人間の知性」の本来のありどころを正しく示し続けるような試験をしてもらいたいと思う。(pp.111-112)

【引用終わり】

私(評者)はこれを以て大学入試問題の批判的考察とは呼ばないが、続編では少なくとも著者の理想論は吐露されている。具体的に過去問を俎上に載せて「斯様な作問は怪(け)しからんから斯々(かくかく)然々(しかじか)なようにすべし」という提言・提案が欲しい。