西曆2016年 4月 7日(木) 日本アマゾンのレビュー、『どうしてこの国は「無言社会」となったのか』

シャイな聴衆への工夫、欧米事情の理解に疑問

投稿者 原田俊明

投稿日 2016/4/7

形式: 単行本

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4782571038/ref=cm_cr_arp_d_viewopt_srt?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=recent&pageNumber=1

この著者は大学教授と著述業の他に講演も引き受けているそうだ。本の中に次のような記述(pp.14-15)がある。

(引用開始)

講演後、質問してくれる人は案の定いない。(中略・改行)質問は出ないが、だからといって参加者に質問したいことがないわけではない。その証拠に、参加者はアンケート用紙にいろいろと疑問・質問・感想を書いてくれる。(中略・改行・中略)講演の中身についての質問・疑問もある。それに関しては、質疑応答時間に質問してくれるとありがたい。アンケートで質問されても、質問者に直接回答できないからだ。(引用終わり)

講演者=本著者の姿勢には疑義を抱いた。私(評者)がシャイな日本の聴衆の前で講演するときは講演終了時に15分ほどの休憩時間を設ける。休憩直前に感想・質問用紙を聴衆から回収し、休憩終了後に質問者名を匿名にして質問に答えることにしている。大学の授業やロータリークラブの例会といった性質上、休憩時間を設けるのが無理な場合は、後日ウェブ上で回答することにしている。聴衆には私のURLを教えておく。

紙による質問は学会の全国大会などでも有効である。普段なら声の大きな重鎮の教授連中しか手が挙がらない質疑応答時間であるのに対して、紙を使えば少壮学者や院生も知的議論に参加できるようになる。著者もシャイな日本の聴衆について知り尽くしているなら、私のような一工夫が慾しい。

話変わって、欧米の習慣について次のような件り(p.16)がある。

(引用開始)

海外に出かけた体験では、たとえばデパートに入るときなど、次の人はそのまた次の人のためにドアに手を添える。特徴的なのは、前でドアを支えている人は、後ろから人が来ているかどうかを目で確かめ、後ろの人と目を合わせることだ。もうひとつは、ドアを支えてもらっている、後から来た人の口から、ソーリーやパルドンなどのことばが出てくることである。(引用終わり)

“Sorry.”は英語圏、« Pardon. » は仏語圏や蘭語圏で使う軽い謝罪の詞だが、ドアを押さえて(著者の関西風な言い回しでは「支えて」)もらったお礼に西洋人の口から謝罪の詞が出てくるわけがない。“Sorry.”や « Pardon. » を使うのは観光や出張で短期滞在中の日本人ぐらいなものだ。西洋人がこれらを使うのは雑踏の中で人にぶつかった場面である。ドアを押さえてもらったら、英語圏なら“Thank you.”または“Thanks.”または“Thank you so much.”(女ことば)または“Cheers, mate.”(男ことば)または“Ta!”(英国のみ)であり、仏語圏では « Merci. » または « Merci beaucoup. » であり、蘭語圏では“Dank U.”または“Dank U wel.”である。この著者の「海外に出かけた体験」は極度に短いのだろうと察しが付くし、旅先でもサービス業の人に注文する以外は終始日本語で会話していたのだろうと思う。それ自体は別段悪いことでもなく、なにも日本人ばかりが海外で自己の存在を卑下して母語でない言語に平伏する必然性は無い。しかしながら乏しい体験だけで本を書いてしまうのは危険であると私(評者)は思う。