専門英語(歴文)06(2014/ 6/19) ルネサンスとイタリア式整形庭園

ルネサンス(仏 Renaissance ふネッソァーンス; ドイツでも仏語をそのまま借用; 英国でも仏語をそのまま借用しながら発音は「れネイサンス」; 伊 Rinascimento りナメントォ)

伊語で「再生」を表すrinascita(りナシータ)に端を発し、それを仏語訳したRenaissance(re- 再び + naissance 誕生)という語が世界中で使われるようになったのは、19世紀中盤のこと。かつて日本では「文藝復興」と訳されたが、この訳語では説明が不十分なので、近年はカタカナの「ルネサンス」または「ルネッサンス」が用いられる。

十五世紀(1401-1500年)初頭に、国際金融業と毛織物の製造販売で財を成した商業国家のフィレンツェ共和国(現在のイタリア中北部の都市)で反ゴシックの機運が高まった。

人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とする。後のバロック建築と新古典主義建築にも継承される。幾何学的なイメージを重視したため、半球体のドームを好ん だ。フィレンツェ共和国では傑出した藝術の才の持ち主が崇められ、人材発掘のためのコンクールも開かれた。ここに藝術家が誕生した。

「ルネサンス」の定義(三省堂『スーパー大辞林』による)

一四~一六世紀、イタリアから西ヨーロッパに拡大した人間性解放をめざす文化革新運動。都市の発達と商業資本の興隆を背景として、個性・合理性・現世的欲 求を求める反中世的精神運動が躍動した。この新しい近代的価値の創造が古代ギリシャ・ローマ文化の復興という形式をとったので、「再生」を意味するルネサ ンスという言葉で表現された。文化革新は文学・美術・建築・自然科学など多方面にわたり西欧近代化の思想的源流となった。文芸復興。

「ルネサンス建築」の定義(三省堂『スーパー大辞林』による)

一五世紀のイタリアで起こりヨーロッパ全土に広がった、古代ローマ建築を規範とする古典主義建築。均衡のとれた明瞭さが特徴的。

ルネサンス建築の例

例1)フィレンツェ大聖堂(伊 Duomo di Firenze ドゥオーモ・ディフィれンツェ; 英 Florence Cathedral フロウれンス・カシードろー)

正式名称は、「花の聖母マリアの聖堂」を意味するBasilica di Santa Maria del Fiore (バジーリカ・ディ・サンタ・マりーア・デル・フィオーれ)。 1296年に身廊からゴシック様式で着工されたが、百数十年後の15世紀初頭になってドーム状の大屋根を架構する段になって建設が中断された。大変な難事 業が予想されたので、設計コンクールを開き、優勝者のブルネッレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377-1446)に事業を託した。大聖堂のドームは16年の工事を経て、1436年に完成したが、外観も内部もゴシックの要素をまったく感じさせな い。戦争を好まず、秩序と整合性の中で商売に勤しむ商業国家の精神がよく体現されている。1982年にフィレンツェの旧市街が丸ごとユネスコ世界文化遺産 に登録済。

http://en.wikipedia.org/wiki/Florence_Cathedral

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

http://www.italian-architecture.info/FL/FL-002.htm

http://in.images.search.yahoo.com/yhs/search?_adv_prop=image&fr=yhs-Babylon-004&va=Florence+Cathedral&hspart=Babylon&hsimp=yhs-004

例2)ローマ市内に在るヴァティカン(日本ではしばしばバチカン)市国の聖ペテロ大聖堂(伊 Basilica di San Pietro in Vaticano バジーリカ・ディ・サン・ピエートロ・イン・ヴァティカーノ; 英 St Peter’s Basilica in the Vatican)のドーム

ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti, 1475-1564)の作品。1984年にヴァティカン市国全体がユネスコ世界文化遺産に登録済。聖ペテロ大聖堂そのものには、後にバロック様式が加わる。

http://en.wikipedia.org/wiki/St._Peter%27s_Basilica

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AD%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

http://www.sacred-destinations.com/italy/rome-st-peters-basilica

例3)ローマ市内に在るヴァティカン(日本ではしばしばバチカン)市国のシスティーナ礼拝堂(伊 la Cappella Sistina ラカッルラ・システィーナ; 羅 Sacellum Sixtinum サケルム・シクスティヌム; 英 Sistine Chapel システィーン・チャポォ)

ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti, 1475-1564)の作品。国全体が1984年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sistine_Chapel

http://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナ礼拝堂

(参考)

ローマ旅行の必訪スポット! バチカン美術館に行くなら「閉館後ツアー」がオススメ

小学館 『サライ』

2016年11月26日(月)

http://serai.jp/tour/111098

例4)聖パウロ天主堂跡(葡 Ruínas de São Paulo るイス・ヂサンパウロ; 英 Ruins of St Pauls るーインゾヴセントポールズ; 中文で「大三巴牌坊」または「聖保祿大教堂遺址」)

ルネサンス末期のマニエリスム(マンネリ化した様式)

旧ポルトガル領(現中国領)マカオにあるポルトガルの17世紀の大聖堂の遺跡であり、アジアに於ける旧ポルトガル領のマカオに残るカトリックの司教座聖堂 (大聖堂)の廃墟。1582年から1602年にイエズス会士によってアジアの布教活動の拠点として建築された。南側の石造りのファサードはイタリア人のイ エズス会士カルロ・スピノラ(Carlo Spinola, 1564-1622)の指導のもとで、本国の禁教令で追放されてやって来た日本人切支丹(キリシタン)と現地職人によって1620年から1627年の間に 複雑に彫刻されたものである。1835年の颱風の最中に起こった火災でファサードのみ残して消失。2005年にマカオ歴史地区とともにユネスコ世界文化遺 産に登録済。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ruins_of_St._Paul%27s

http://ja.wikipedia.org/wiki/聖ポール天主堂跡

http://www.youtube.com/watch?v=ED1y5C4bftA

http://www.youtube.com/watch?v=3ziRhAxnB_M

例5)オランダ王国のアムステルダム中央駅の赤レンガ駅舎(蘭 Station Amsterdam Centraal スタシヨン・アムステるダッム・セントらール; 英 Amsterdam Central Station エァムスタダム・センツろー・ステイション; 仏 Gare centrale d’Amsterdam ガーふ・ソァントはッル・ダムステふダム)

新古典様式のネオ・ルネサンス様式とネオ・ゴシック様式を融合した建築

1889年10月15日(火)開業。この煉瓦(レンガ)造り3階建ての駅舎は、オランダの著名建築家ピエール・カイペルス(Pierre Cuypers, 1827-1921)とドルフ・ファン・ヘント(Dolf van Gendt, 1835-1901)による設計。カイペルスは1885年にアムステルダム国立博物館(蘭 Rijksmuseum Amsterdam れイクスミュセーウム・アムステるダッム; 独 Reichsmuseum Amsterdam らイヒスムゼーウム・アムステふダム; 英 State Museum, Amsterdam ステイトミュージーアム・エァムスタダム) を設計した実績を持つせいか、中央駅舎と国立博物館は外見が似通っている。駅舎の中央には駅を「新たな港」の象徴とすべく2本の塔を建て、東塔に時計が、 西塔に風向計が取り付けられている。辰野金吾(たつの きんご, 1854-1919)と葛西萬司(かさい まんじ, 1863-1942)の設計による東京駅赤レンガ駅舎はアムステルダム中央駅をモデルにしたとする俗説が昭和期にはあったが、現在ではほぼ否定されてい る。しかし2006年4月11日(火)にアムステルダム中央駅と東京駅は姉妹駅になった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Amsterdam_Centraal_railway_station

http://ja.wikipedia.org/wiki/アムステルダム中央駅

http://www.youtube.com/watch?v=bZa1ajT99JA

例6)京都府庁旧本館

新古典様式のネオ・ルネサンス建築

松室重光(まつむろ しげみつ, 1873-1937)の設計により、3年がかりで建築。日露戦争中の明治37年=1904年12月20日(火)竣工。1997年から屋根の全面葺替工事を行ない、1999年8月に修復工事完了。竣工からほぼ一世紀を経た2004年12月10日(金)に日本国の重要文化財に指定登録済。

http://ja.wikipedia.org/wiki/京都府庁旧本館

http://www.pref.kyoto.jp/qhonkan/

http://www.pref.kyoto.jp/rikatuyou/outline.html

正面から入る

http://www.youtube.com/watch?v=T82C9si3t5Q

内部の様子

http://www.youtube.com/watch?v=1tvoiAOF4dE

中庭

http://www.youtube.com/watch?v=Qy79AiYgo1g

例7)旧中央停車場、現在の東京駅の赤レンガ駅舎

新古典様式のネオ・ルネサンス建築(英国クィーン・アン様式)

皇居に面する東京駅は、第一次世界大戦開戦から4ヶ月足らずの大正3年=1914年12月18日(金)に営業を開始。俗に「コンドルさん」として知られた 英国人建築家ジョサイア・コンダー(Josiah Conder, 1852-1920)の教えを受けた日本人建築家2名、辰野金吾(たつの きんご, 1854-1919)と葛西萬司(かさい まんじ, 1863-1942)による建築。第二次世界大戦末期の1945年5月25日(金)、米空軍による猛爆で炎上し、ドーム型天井屋根が吹き飛ばされたが、幸 い全焼には至らずに済んだ。ピエール・カイペルス(Pierre Cuypers, 1827-1921)とドルフ・ファン・ヘント(Dolf van Gendt, 1835-1901)設計のアムステルダム中央駅をモデルにしたとする俗説が昭和期にはあったが、現在ではほぼ否定されている。しかし2006年4月11日(火)に東京駅とアムステルダム中央駅は姉妹駅になった。2012年10月1日(月)に復原工事が完成し、戦前の瀟洒な外観が甦った。

http://www.youtube.com/watch?v=PXwkLmjVbTk

http://www.youtube.com/watch?v=bWJ_jh-_RU0

上記ユーチューブ・サイトの説明文(英仏独和)から英和のみ抜粋

- Opened on Friday 18th December 1914 in the early stage of the First World War (in which Japan played a part by declaring war on the German Empire on Sunday 23rd August 1914 and the ceasefire was brought about on Monday 11th November 1918), Tokyo Station is the central station of Japan's capital city, facing the Imperial Palace. The original Queen Anne style building was designed by Kingo TATSUNO (1854-1919) and Manji KASAI (1863-1942), both of whom were pupils of the British architect, Josiah CONDER (1852-1920), or popularly known as “Kondoru-san” in those days in Japan. The building caught fire and the fashionable domes were completely blown off in the bombing raid by the US Air Force on Friday 25th May 1945. More than six decades passed, and the extravagant pre-war condition appeared before the public eyes on Monday 1st October 2012, when the restoration project was completed.

皇居に面する 舊國鐵(現JR)の東京驛は、第一次世界大戰(極東に於ては大正三年八月廿三日(日)日本による對獨宣戰布告から同七年十一月十一日(月)停戰迄)が勃發 してから四箇月足らずの大正三年十二月十八日(金)に其榮業を開始した帝都東京の中央驛である。俗に「コンドルさん」として知られた英國人建築家ジョサイ ア・コンダー(嘉永五年生、大正九年歿)の敎へを受けた日本人建築家二名、辰野金吾(嘉永七年生、大正八年歿)と葛西萬司(文久三年生、昭和十七年歿)に よる英國アン女王樣式の赤煉瓦驛舎が有名である。是は昭和廿年五月廿五日(金)、米空軍による猛爆で炎上し、ドーム型天井屋根が吹き飛ばされたが、幸ひ全 焼には至らずに濟んだ。平成廿四年十月一日(月)に復原工事が完成し、戰前の瀟洒な外観が甦つた。

例8)國立臺灣博物館(英 National Taiwan Museum; 日「国立台湾博物館」)

新古典様式のネオ・ルネサンス建築

大日本帝國の遺産で、完成時の旧称は「兒玉總督後藤民政長官記念館」。本館は野村一郎(のむら いちろう, 1868-1942)の設計で大正4年=1915年完成。鉄鋼コンクリートとレンガを組合せ、主要建材は日本の黒大理石と白寒水石、木材には台湾ヒノキを 使用し、外壁には洗い石をあしらった。台湾近代に於いて貴重な建築宝物であることから、1988年に中華民國の國定史跡に指定登録済。

http://formosa.ntm.gov.tw/web/jp/2-1.html

http://www.youtube.com/watch?v=xbZ7omUYipQ

http://www.youtube.com/watch?v=8NC3LjSusuY

http://www.youtube.com/watch?v=rhAqChcoW_g

例9)山形県旧県庁舎及び県会議事堂(現、山形県郷土館「文翔館(ぶんしょうかん)」)

新古典様式のネオ・ルネサンス建築

大正5年=1916年6月に落成。俗に「コンドルさん」として知られた英国人建築家ジョサイア・コンダー(Josiah Conder, 1852-1920)の教えを受けた日本人建築家、田原新之助(たはら or たわら しんのすけ or あらたのすけ, 1876-1916)の設計。英国イングランドのルネサンス(English Renaissance)様式を基調としたレンガ造りで、外壁に花崗岩の石貼り、屋根は玄昌石のスレート。3年がかりで建てられたが、落成の年に設計者は 他界。1984年に日本国の重要文化財に指定登録済。それを機に1986年から10年かけて復原工事が完成。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%BF%94%E9%A4%A8

http://www.pref.yamagata.jp/ou/shokokanko/110001/him/him_24.html

http://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/

例10)旧臺灣総督府臺北病院(現在は國立臺灣大學醫學院附設醫院、略して臺大醫院; 英語名 National Taiwan University Hospital、略して NTUH)の舊館(旧本館)

新古典様式のネオ・ルネサンス様式

明治45年=1912年建築開始、大正10年=1921年に一旦完成し、大正13年=1924年に今日の姿になった大日本帝國の遺産。近藤十郎の設計。病院の設立はもっと古く、明治28年=1895年にまで遡(さかのぼ)る。それに対して臺北(たいほく)帝國大學の創立はやや新しく、昭和3年=1928年のこと。昭和13年=1938年に臺北帝國大學醫學部の管轄下に入り、臺北帝國大學醫學部附屬醫院に改制。第二次世界大戦の日本の敗戦と台湾の中華民國への編入に伴い、國立臺灣大學醫學院附設醫院となる。

今でも現役の病院で、完成当時は東アジア最大規模の病院。建物正面の装飾が素晴らしく、正面中央部は1階が防湿対策のため地上より高い場所に作られ、長方形の窓に背丈の高いドリス式オーダーの列柱であり、これも防湿や疫病への対策とされる。2階は長窓と半円形や丸型の窓に短いイオニア式オーダーの列柱、3階はアーチ式の窓と短いイオニア式オーダーの列柱という具合に、階ごとに異なる凝った意匠=デザイン。賑(にぎ)やかな装飾にはバロック的な要素も見られる。入口を入った広々とした正面ホールも見ごたえあり。内部は噴水のある中庭やその周りに部屋が配されている。床は上質のタイルを使い、ホールの天窓(トップライト)も美しい。中華民國臨時首都台北市の市定古蹟。

http://www.ntuh.gov.tw/jp/default.aspx

http://taiwaning.zening.info/taipei/modern-building-Taiwan-Univ1.htm

http://gipsypapa.exblog.jp/20915147/

http://en.wikipedia.org/wiki/National_Taiwan_University_Hospital

http://www.youtube.com/watch?v=nRUi43-Uvto

http://www.youtube.com/watch?v=w1ugNuJILYc

http://www.youtube.com/watch?v=upyvSiSr5No

上記ユーチューブサイトの説明文(英中和)から英和のみ

Established as “Taihoku Imperial University” in 1928 during the Japanese rule (1895-1945) in the colonial capital of Taihoku (today's Taipei), National Taiwan University (NTU) is considered the best higher education institution in Taiwan. This video footage depicts a Sunday morning scene in the University Hospital, whose majestic Neo-Renaissance building dates further back to 1921.

日本統治時 代(明治廿八年 - 昭和廿年)の昭和三年に「臺北(たいほく)帝國大學」として創立された國立臺灣大學(NTU)は、臺灣でも最髙水準の大學と考へられてゐる。此動畫は同大 學醫學院附設醫院(舊臺北帝國大學醫學部附屬病院)の日曜朝の樣子を捉へた物であるが、其建物は現地帝大創立よりも歷史を遡る大正十年完成のネオ・ルネサ ンス樣式の壯麗なる建造物である。

上記の公式動画日本語版

http://www.youtube.com/watch?v=vCQQTtQPunQ

例11)旧京城駅舎(韓国の首都ソウル駅旧駅舎)

新古典様式のネオ・ルネサンス様式とネオ・ビザンツ様式を融合した建築

大日本帝國の遺産で、完成時の旧称は「京城驛(けいじょうえき)」。関東大震災による資金難で、当初の予定より2年遅れの大正14年=1925年9月30日(水)竣工。塚本靖(つかもと やすし, 1869-1937)の設計ながら、東京駅赤レンガ駅舎の辰野金吾(たつの きんご, 1854-1919)の作と間違えられることが多い。全体はルネサンス様式ながらビザンツ様式のドーム屋根や、同じくビザンツ様式の半円アーチ型のファサードを併せ持つ。1981年8月25日(火)に大韓民國の史跡第284號に指定。2003年に駅舎としての機能を解かれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E9%A7%85#.E3.82.BD.E3.82.A6.E3.83.AB.E9.A7.85.E6.97.A7.E9.A7.85.E8.88.8E

イタリア式庭園(伊 giardino all’italiana ジャるディーノ・アッリタリアーナ; 仏 jardin à l’italienne ジャふドァーン・アリタリエンヌ; 英 Italian garden イッテァリアン・ガードゥン; 独 italienischer Garten イタリエーニッシャー・ガふテン)

左右対称の幾何学式が特徴的な庭園。ルネサンス期、14世紀から16世紀にかけてイタリアで都市郊外の別荘(ヴィラ)に造営された。一見すると自然の対極 (反自然)で、人工の極みのように見えるが、造園者・制作者にしてみれば、観念的に自然を写し取った庭園と考えた。つまり自然の本質は理性(英 reason りーズン; 仏 raison へゾン; 伊 ragione らジョーネ; 独 Vernunft フェアヌンフト)であり、秩序・規則・調和を根本の様相にしているという考えが根底にある。これはルネサンス期イタリアのプラトン哲学的な自然観を反映し ている。イタリア式庭園は、後に盛んになるフランス式整形庭園(仏 jardin à la française ジャふドァーン・アラフほンセーズ; 伊 giardino alla francese ジャるディーノ・アッラフらンチェーゼ; 英 French formal garden フれンチ・フォーモォガードゥン; 独 Barockgarten バろッガふテン)に多大な影響を与えた。

例1)イタリア北部の大学都市パドヴァ市にある「谷間の牧草地」という意味の庭園広場、プらートー・デッラ・ヴァッレ(伊 Prato della Valle; 英直訳 Meadow of the Valley ドウ・オヴザヴァリー; 中国語名は繁体字で河谷草地廣場)。

http://en.wikipedia.org/wiki/Prato_della_Valle

http://www.pratodellavalle.it/

http://in.yhs4.search.yahoo.com/yhs/search?hspart=Babylon&hsimp=yhs-004&type=br110dm25af119357&p=Prato%20della%20Valle%20Padova

例2)日本の東京都北区に在る旧古河庭園

1917年竣工の旧古河庭園。本館(洋館)は俗に「コンドルさん」として知られた英国人建築家ジョサイア・コンダー(Josiah Conder, 1952-1920)の設計で、建築樣式として外観に抑制気味なルネサンス調を採用。イギリスの田舎の富裕な地主の館を髣髴(ほうふつ)とさせる。庭全体 は武蔵野台地の傾斜地をうまく活用し、見所はイタリア式庭園の薔薇(バラ)園。邸宅のすぐ目の前に比較的狭いイタリア式庭園を置くという遣り方は、非常に 英国的ですらある。現在では日本国の国有財産で、尚且(なおか)つ文化庁が名勝に指定。

http://www.youtube.com/watch?v=T1FEUDWk4P0 (但し、1:00以降)

http://www.youtube.com/watch?v=p65CH6j3R2A

http://www.youtube.com/watch?v=v04ufWJxkAc

上記のユーチューブサイトの説明文(英伊仏独和)のうち、英和のみ下記に再掲載。

- Kyu-Furukawa (lit. “Formerly Old River”) means in this case “Formerly the House of Furukawa owned”. Designed by the British architect, Josiah Conder (1852-1920), or popularly known as “Kondoru-san” in those days in Japan, the manor house (completed in 1917) as the main building has a subdued mock Renaissance style, which reminds visitors of such a sumptuous house of English country gentry if not aristocracy. The gardens make good use of inclines of Musashino Upland. The best feature of all is the Italian style Rose Garden, and May is the best time for a visit there. To create a relatively small Italian garden right in front of the mansion is very British indeed. Perhaps for this reason, the British military attaché used to occupy the premises as his official residence following Japan’s surrender to the Allies in 1945. The Gardens are now a property of the Japanese Government and are classified as a “place of scenic beauty” by Japan’s Agency for Cultural Affairs.

東京都北區西ヶ原に在る大正六年竣工の舊古河庭園。本館(洋館)は俗に「コンドルさん」として知られた英國人建築家ジョサイア・コンダー(嘉永五年生、大 正九年歿)の設計で、建築樣式として外觀に抑制氣味なルネサンス調を採用す。英吉利の(貴族とまでは行かねども)田舎の富裕な地主の館を髣髴とさせる。庭 全体は武藏野臺地の傾斜地をうまく活用してゐる。此處の見所は伊太利式庭園の薔薇園であり、殊に五月は訪れるのに一番良い時期也。邸宅のすぐ目の前に比較 的狭い伊太利式庭園を置くといふ遣り方は、非常に英國的ですらある。その所爲(せい)か、第二次世界大戰直後には戰勝英吉利軍の駐在武官の官舎として利用 された經緯もある。現在では日本國の國有財產で尚且つ文化廳によりて名勝に指定されてゐる。

ルネサンス美術

ルネサンス期には作者が藝術家として認知されるようになり、後世に名前を残している。中世美術になく、ルネサンス美術にあるのが遠近法(伊 prospettiva プろスペッティーヴァ; 仏 perspective ペふスペクティーヴ; 独 Perspektive ペァスペクティーフェ; 英 perspective パスクティヴ)の存在。これは二次元の平面上に三次元空間を仮想的(virtual ヴァーチャル)に描き出す表現法である。根底には人間中心主義がある。作者は絵画の外に客観的に居ることになっている。

遠近法には大きく分けて線遠近法(英 linear perspective)と空気遠近法(英 atmospheric perspective)の2種類がある。

前者の線遠近法は透視図法(英 perspective drawings)とも呼ばれるが、遠くの対象はより小さく、近くの対象はより大きく描く方法である。多くの透視図には消失点(英 vanishing point)が存在する。消失点の数から一点透視図法と二点透視図法と三点透視図法と、(消失点の存在しない)零点透視図法がある。

後者の空気遠近法は遠くの雲や地平線などはぼかして描き、近くの樹木や建物を明瞭に描く方法である。

遠近法とは、見る人が本来ヴァーチャルな空間を、まるで本物の3次元空間のように認識する人間中心の手段である。見る人間は或る一点に立って(または座って)消失点を見つめることで空間を認識する。写真を先取りした技法と言える。

ルネサンス期の藝術家たちは絵画空間の外に留まる。鑑賞者も絵画の中には入れず、外に置かれる。画家と鑑賞者は一対一の個の関係を結ぶ。画家は一個の個人となり、藝術家として独立した。

テンペラ画(伊 pittura a tempera ピットゥーらァテンペら; 仏 tempéra タンペは; 英 tempera テンペら)

羅典語で「混ぜ合わせる」「調合する」という意味の単語 temperare (テンペらーれ)に由来。絵の具が乾けばすぐに塗り重ねていくことができ、数日間乾燥すると水に溶けなくなる。油彩画のような黄変・暗変を示さないという特 徴があり、経年による劣化が少なく、数百年前に制作された作品が今日でも鮮明な色彩を保っている。

フレスコ画(伊 affresco アッフれースコ; 仏 fresque フへスク; 英 fresco フスコ)

イタリア語で「新しい」「新鮮な」という意のfrescoに由来する。フレスコ画の技法では、まず壁に漆喰(しっくい)を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」、つまり 生乾きのうちに石灰水で溶いた顔料(絵の具)で描く。石灰がつくる結晶の中に顔料の一粒一粒が閉じ込められるため、色が大変美しく、耐久性は抜群で数千年 も保たれる。難点としては、やり直しが効かないため、綿密な計画と高度な技術力を要すこと。漆喰が濡れているうちに全て描いてしまわなければならないた め、あらかじめその時間内に描ける部分の面積を割り出して下地を作らねばならない。失敗したら漆喰をかき落として、やり直す羽目になる。既に古代ローマのポンペイ遺跡にも見られる。

例1)マサッチオまたはマザッチオまたはマザッチョ(伊 Masaccio, 1401-28)の『聖三位一体』(伊 La Trinità ラトりニタ; 仏 La Trinité ラトひニテ; 英 Holy Trinity ホウリィトニティ)

1425-27年頃の作のフレスコ壁画。初期ルネサンスの代表作。体系だった透視図法が導入された最初期の絵画であり、まるで壁に穴でも刳(く)り貫(ぬ)いたかのような完璧な遠近法(線遠近法の一点透視図法)が確立されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/マサッチオ

http://en.wikipedia.org/wiki/Masaccio

http://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Trinity_(Masaccio)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Masaccio_trinity.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Masaccio._Trinity._Scheme_of_linear_perspective..jpg

カーン・アカデミーによる英語での説明

http://www.youtube.com/watch?v=Kl4Dcj9o570

本作品はフィレンツェ市内のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(伊 Basilica di Santa Maria Novella)内の壁画である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%A9%E6%95%99%E4%BC%9A

http://en.wikipedia.org/wiki/Santa_Maria_Novella

例2)ボッティチェリ(伊 Sandro Botticelli, 1445-1510)の『ヴィーナスの誕生』(伊 La Nascita di Venereナーシタ・ディヴェーネれ; 仏 La Naissance de Vénus ラネッソァンス・ドゥヴェニュース; 英 The Birth of Venusブアソヴ・ヴィーナス)

1482-85年頃の作のテンペラ画。初期ルネサンスの代表作。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィーナスの誕生

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Birth_of_Venus_(Botticelli)

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sandro_Botticelli_-_La_nascita_di_Venere_-_Google_Art_Project_-_edited.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0f/Birth_of_Venus_detail.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/74/Sandro_Botticelli_-_The_Birth_of_Venus_%28detail%29_-_WGA2772.jpg

例3)レオナルド・ダヴィンチ(伊 Leonardo da Vinci, 1452-1519)のテンペラ壁画『最後の晩餐』(伊 L’Ultima Cena ルルティマ・チェーナ; 仏 La Cène ラセーヌ; 英 The Last Supper ザ・ラースト・パー)

1495-98年の作。460×880cm(または資料によっては420x910cm)のサイズのテンペラ壁画。『新約聖書』中の「ヨハネによる福音書」13章21節に依拠。「12使徒の中の一人が私を裏切る」とキリストが予言した時の情景を一点透視図法で描いている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/最後の晩餐_(レオナルド)

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Supper_(Leonardo_da_Vinci)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Leonardo_da_Vinci_%281452-1519%29_-_The_Last_Supper_%281495-1498%29.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4b/%C3%9Altima_Cena_-_Da_Vinci_5.jpg

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(伊 Chiesa e Convento Domenicano di Santa Maria delle Grazie con “L’Ultima Cena” di Leonardo da Vinci; 英 Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with “The Last Supper” by Leonardo da Vinci)は、1980年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A8%E6%95%99%E4%BC%9A_%28%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%8E%29

http://en.wikipedia.org/wiki/Santa_Maria_delle_Grazie_(Milan)

例4)レオナルド・ダヴィンチ(伊 Leonardo da Vinci, 1452-1519)の油彩画『モナ・リザ』(伊 La Gioconda ラジョコンダ; 仏 La Joconde ラジョコンドゥ; 英 Mona Lisa モウナ・リーサ)

1503-06年の作と考えられる。イタリア語やフランス語の題名は「ジョコンドの妻」の意味。パリのルーヴル美術館が常設展示。同美術館の「ミロの ヴィーナス」と並ぶ大人気展示品。1911年に盗難に遭い、2年後の1913年に無事発見。1962年に友好国の米国に貸し出し。1974年には日本にも 貸し出し(今のところ最初で最後の来日)、日本を出てからソ連にも貸し出して、無事にフランスへ戻る。世界一高額な保険金がかけられた絵画としても知られ るが、資産価値は不明(無限大)。他の絵画と異なり、安全対策としてガラスケースに入れた状態で展示。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6

http://en.wikipedia.org/wiki/Mona_Lisa

動画

http://www.youtube.com/watch?v=PjT4hQNRCQg

例5)ミケランジェロ(伊 Michelangelo Buonarroti, 1475-1564)の壁画『最後の審判』(伊 Il Giudizio universal イル・ジュディーツィオ・ニヴェるサール; 仏 Le Jugement dernier ルジュージュモァン・デふニエ; 英 The Last Judgement ザ・ラースト・ジャヂメント)

1537-41年、作者61-65歳頃の作品。ローマ市内ヴァティカン市国のシスティーナ礼拝堂内正面に描かれた13.7x12メートル(または資料に よっては14.4x13.3メートルとも)の大壁画。この世の終わりにイエス・キリストが再臨し、よみがえった全ての死者と生者に審判を下す絵。319体 の裸体が圧巻。下半分の、こちらから見て左側が天国へ昇る者たち、右側が地獄へ堕ちる者たち。多数の裸体が複雑に絡み合いながら右回りの渦を描く構図は、 後の時代のバロック美術を先取りしている。裸が卑猥とか不道徳といった理由で後世の画家たちが裸体を隠すための腰布や衣服をいくつか加筆してしまったが、 1981-94年に日本テレビ放送網(日テレ)の金銭的支援で修復がなされ、その際に一部を残して、ミケランジェロの描いた裸体に復元した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/最後の審判_(ミケランジェロ)

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Judgment_(Michelangelo)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a5/Michelangelo%2C_Giudizio_Universale_02.jpg

http://in.images.search.yahoo.com/yhs/search?_adv_prop=image&fr=yhs-Babylon-004&va=Sistine+Chapel&hspart=Babylon&hsimp=yhs-004

上記の壁画から天井に目をやれば、同じミケランジェロの若い頃(33-37歳頃)の作(1508-12年)になる有名な天井画が目に入る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/システィーナ礼拝堂天井画

http://en.wikipedia.org/wiki/Sistine_Chapel_ceiling

動画

http://www.youtube.com/watch?v=RIEt4QFIKQA

http://www.youtube.com/watch?v=sZNMJMOeTw0

http://www.youtube.com/watch?v=V7QqlJuIjtA

ヴァティカン市国公式ウェブサイト

http://mv.vatican.va/3_EN/pages/CSN/CSN_Main.html

http://www.vatican.va/various/cappelle/sistina_vr/index.html

北方ルネサンスの絵画

例1)アルブレヒト・デューラー(独 Albrecht Dürer, 1471-1528)の絵画作品、特に1500年の作者29歳の自画像

http://ja.wikipedia.org/wiki/デューラー

http://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_D%C3%BCrer

http://en.wikipedia.org/wiki/Self-Portrait_%28D%C3%BCrer%29

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Durer_selfporitrait.jpg

例2)ルーカス・クラナッハ父(独 Lucas Cranach der Ältere ルーカス・クらーナッハ・デア・ルテれ, 1472-1553)の絵画作品

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%8F

http://en.wikipedia.org/wiki/Lucas_Cranach_the_Elder

http://www.youtube.com/watch?v=sG-FO4t9UZY

例3)ルーカス・クラナッハ息子(独 Lucas Cranach der Jüngere ルーカス・クらーナッハ・デア・ユンゲれ, 1515–86)の絵画作品

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%8F_%28%E5%AD%90%29

http://en.wikipedia.org/wiki/Lucas_Cranach_the_Younger

例4)フランス東部のアルザス地方(旧ドイツ領)、コルマール市にあるウンターリンデン博物館所蔵のグリューネヴァルト(Matthias Grünewald, c.1470-1528)作『イーゼンハイム祭壇画』(1512-16) (仏 Le Retable d’Issenheim ル・ふターブル・ディッセネム; 独 Isenheimer Altar イーゼンハイマールター; 英 Isenheim Altarpiece イーゼンハイム・ルタピース)

http://en.wikipedia.org/wiki/Isenheim_Altarpiece

http://www.youtube.com/watch?v=1s4M6gUzJoo

http://www.youtube.com/watch?v=VjsfHbTLeeI

http://www.youtube.com/watch?v=FNeydTB3Gv4

例5)ヨハネス・フェルメール(蘭 Johannes Vermeer, 1632-75)の33から37点しかないとされる油彩画。教科書によっては、バロック絵画に分類することもあり。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

http://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Vermeer

http://ja.wikipedia.org/wiki/フェルメールの作品

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_paintings_by_Johannes_Vermeer

フェルメールの全作品37点(複製)

http://www.youtube.com/watch?v=0tJPsIpmG7U

「絵画藝術」または「絵画の技法」(複製)

http://www.youtube.com/watch?v=YdsfV9yabrE

「絵画藝術」または「絵画の技法」(ウィーン美術史美術館の実物)

http://www.youtube.com/watch?v=HFGzXrVhtbY

「地理学者」(シュテーデル研究所の実物)

http://www.youtube.com/watch?v=Y61ODuQpFl0

「地理学者」(シュテーデル研究所の実物)を静かに鑑賞

http://www.youtube.com/watch?v=lJ6c4gjm7NE

【参考文献】

ホプキンス(Owen Hopkins) 『世界の名建築解剖図鑑』(エクスナレッジ, 2013年)—Reading Architecture: A Visual Lexicon (Lawrence King Publishers, 2012)の和訳本

塚本博 『すぐわかる作家別ルネサンスの美術』(東京美術, 2006年)

宝木範義[監修] 『すぐわかる西洋の美術: 絵画・彫刻&建築と工芸』(東京美術, 2000年)

岡部昌幸 『すぐわかる画家別西洋絵画の見かた』(東京美術, 2002年)

山田五郎 『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎, 2008年)