西曆2014年12月25日(木・祝) グリニッヂ標準時15:00 英女王の聖誕祭メッセージと「パイプス・オヴ・ピース」歌詞対訳

http://www.royal.gov.uk/imagesandbroadcasts/thequeenschristmasbroadcasts/christmasbroadcasts/christmasbroadcast2014.aspx

http://www.royal.gov.uk/imagesandbroadcasts/thequeenschristmasbroadcasts/ahistoryofchristmasbroadcasts.aspx

http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Christmas_Message

[動画](7分39秒)

BBC and Sky News HD

https://www.youtube.com/watch?v=zMEOrszol4U

[歌詞を抜いた国歌の演奏]

[スピーチ原稿]

In the ruins of the old Coventry Cathedral is a sculpture of a man and a woman reaching out to embrace each other. The sculptor was inspired by the story of a woman who crossed Europe on foot after the war to find her husband. Casts of the same sculpture can be found in Belfast and Berlin, and it is simply called Reconciliation.

コヴェントリー司教座聖堂旧館[註1]の瓦礫(がれき)の中に腕を伸ばして抱き合う一組の男女の彫刻があります。この作品を彫った彫刻家は、終戦後に夫を探しに徒歩でヨーロッパを縦断した女性の話に触発されたのでした。同じ形で成型された彫刻が (北アイルランドの都)ベルファストと(ドイツの首都)ベルリンにも見られます。その作品は単に「和解」と呼ばれています。

註1: 正式には聖ミカエル司教座聖堂(Cathedral Church of St Michael)。第二次世界大戦欧州戦線(1939年9月3日(日)から’45年5月8日(火)まで)初期、1940年11月14日(木)夕刻の独空軍(Luftwaffe フトヴァッフェ)によるコヴェントリー市徹底空爆の結果、枠組みだけを残して崩壊した。広島の通称「原爆ドーム」のように戦争の悲惨さを後世に伝えるべく廃墟の形で残してあるが、戦後復興の中で隣に新館が建てられ、現在はその新館で各種礼拝が行なわれている。女王が言及した彫刻の写真は公式ウェブサイト( http://www.coventrycathedral.org.uk/ )のトップページで見ることができる。

Reconciliation is the peaceful end to conflict, and we were reminded of this in August when countries on both sides of the First World War came together to remember in peace. The ceramic poppies at the Tower of London drew millions, and the only possible reaction to seeing them and walking among them was silence. For every poppy a life; and a reminder of the grief of loved ones left behind.

和解は争いの平和的終結です。私たちは8月に第一次世界大戦で敵味方に分かれた国々が平和の中で過去に思いを馳()せるために集まった際にこのことを改めて気づかされました。ロンドン塔のセラミック製の芥子(ケシ)の花々[註2]を見に何百万もの人々がやって来ました。それらの花々を見ること、それらの中を歩くことに対する唯一可能な反応は沈黙[註3]でした。ひとつひとつの芥子(ケシ)の花が(戦争で)奪われた一人ひとりの人命を表し、残された愛する者の深い悲しみを思い起こす物なのです。

註2: 第一次世界大戦(the Great War; the First World War; World War I, 1914-18)中のフランスやベルギーの激戦地で何万人もの英仏独軍などの兵士たちの血を吸った大地に真っ赤な芥子(poppy)の花が咲き乱れていたことに因(ちな)み、英国では戦歿者追悼にポピーの造花を使用する習慣がある。毎年10月下旬から11月中旬ぐらいまで、日本で言う「赤い羽根の募金」のような感覚で街頭での募金活動があり、募金するとポピーの造花が貰(もら)える。この時期は王族も政治家もテレビ司会者もポピーを服に着けた状態で登場する。

註3: 英語の silence (サイレンス)という単語には「黙禱(もくとう)」の意味もある。

No-one who fought in that war is still alive, but we remember their sacrifice and indeed the sacrifice of all those in the armed forces who serve and protect us today.

あの戦争で戦った人で現在も生き長らえている人は皆無(かいむ)ですが、私たちは彼らの犠牲を忘れません。それどころか今日(こんにち)私たちに奉仕して私たちを守ってくれている軍隊に所属するすべての人々の犠牲を私たちは忘れません。

In 1914, many people thought the war would be over by Christmas, but sadly by then the trenches were dug and the future shape of the war in Europe was set. But, as we know, something remarkable did happen that Christmas, exactly a hundred years ago today. Without any instruction or command, the shooting stopped and German and British soldiers met in No Man’s Land. Photographs were taken and gifts exchanged. It was a Christmas truce.

1914年に多くの人々はその年のクリスマスの頃には戦争が終わっているだろうと考えました。しかし悲しいことにその頃には塹壕(ざんごう)が掘られ、ヨーロッパの戦争の未来の形が設定されてしまいました。しかし今日(こんにち)の私たちが知るように、驚くべきことがその年のクリスマスに、ちょうど百年前の今日(きょう)起こったのです。(上層部からの)指示や命令も無しに銃撃が止()んでドイツ軍とイギリス軍の兵士たちは両軍の間の無人地帯で初めて邂逅(かいこう)したのです。写真が撮影され、贈り物が交換されました。クリスマス停戦でした。

Truces are not a new idea. In the ancient world a truce was declared for the duration of the Olympic Games and wars and battles were put on hold. Sport has a wonderful way of bringing together people and nations, as we saw this year in Glasgow when over seventy countries took part in the Commonwealth Games. It is no accident that they are known as the Friendly Games. As well as promoting dialogue between nations, the Commonwealth Games pioneered the inclusion of para-sports within each day’s events. As with the Invictus Games that followed, the courage, determination and talent of the athletes captured our imagination as well as breaking down divisions.

停戦は新しいアイディアではありません。古代世界ではオリンピックの期間は停戦が宣言され、戦争や戦闘行為が止められました。スポーツは今年七十を超える国々が参加したグラーズゴウ英連邦競技大会で私たちが観たように人民や国民を纏(まと)める素晴らしい方策です。その大会が友好的競技大会(れンドリィゲイムズ)と呼ばれるのも偶然ではありません。異なる国々の対話を促進するだけではありません。英連邦競技大会はそれぞれの競技が行なわれた同じ日に障碍者(しょうがいしゃ)向けのパラ・スポーツ大会を含めたという点で開拓者の役割を果たしました。それに引き続き開催された不屈(インヴィクタス)競技大会[註4]に見られるように競技者(アスリート)たちの決意と才能が私たちの想像力を喚起し、尚(なお)且()つバラバラにあった心を団結させました。

註4: ロンドンで2014年5月6日(火)にチャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)の次男で通称 ハリー王子こと、ヘンリー王子(Prince Harry, or Prince Henry of Windsor, b.1984)によって開会が宣言され、同年9月10日(水)から同14日(日) にかけてロンドンで史上第1回の競技が行われた国際大会。競技出場者は傷病(しょうびょう)を負った現役と退役の軍人に限られ、車椅子バスケット ボール(wheelchair basketball)や座りバレーボール(sitting volleyball)や室内競艇(indoor rowing)などの競技で競(きそ)った。

The benefits of reconciliation were clear to see when I visited Belfast in June. While my tour of the set of Game of Thrones may have gained most attention, my visit to the Crumlin Road Gaol will remain vividly in my mind. What was once a prison during the troubles is now a place of hope and fresh purpose; a reminder of what is possible when people reach out to one another, rather like the couple in the sculpture.

和解の恩恵は私が6月に(北アイルランドの都)ベルファストを訪れた際に見るも明らかでした。私がTVドラマシリーズ Game of Thrones(直訳 『王冠たちのゲーム』、邦題 『ゲーム・オブ・スローンズ』)の局内セットを見学したことが一番大きな注目を集めたのかも知れませんが、クラムリン路監獄を訪問したことが今でも生々しく脳裏に焼きついています。北アイルランド紛争[註5]中に刑務所だった建物も今では希望と真新しい目的の場所です。人々がお互い同士に歩み寄ったときに何が可能になるのかを思い出させてくれるものであり、ちょっとあの一組の男女を描いた(イングランドのコヴェントリー司教座聖堂と、北アイルランドのベルファストと、ドイツのベルリンに在る)彫刻のようでもあります。

註5: 1968-98年、三十年に及ぶプロテスタント信徒(英国統治存続派)とカトリック信徒(統一アイルランド推進派)との抗争で約三千人の死者を出したが、1998年4月10日(金)に結ばれた聖金曜日のベルファスト合意(Good Friday Agreement)で収束した。

Of course, reconciliation takes different forms. In Scotland after the referendum many felt great disappointment, while others felt great relief; and bridging these differences will take time. Bringing reconciliation to war or emergency zones is an even harder task, and I have been deeply touched this year by the selflessness of aid workers and medical volunteers who have gone abroad to help victims of conflict or of diseases like Ebola, often at great personal risk.

もちろん和解は様々な異なる形を取ります。スコットランドでは(独立の是非を問う)住民投票[註6]の後で多くの人は大いなる失望を感じましたが、それ以外の人は大いなる安堵(あんど)の念を抱きました。そしてこれらの見解の相違に橋渡しするのは時間がかかりま す。戦闘地域や緊急事態発生地帯に和解を齎(もたら)すのは更(さら)に困難な課題(タスク)です。そして今年、紛争の犠牲者やエボラ熱のような疫病の犠牲者を助けるために、それも屡々(しばしば)自分自身を危険に晒(さら)してまで外国へ行った国際救護員(エイドワーカー)や医療ボランティアの方々の無私無欲の献身ぶりに私は深く感動しました。

註6: 三百七年前の1707年5月1日にイングランドと合併しているスコットランドで独立の是非を問う史上初の住民投票(Scottish independence referendum, 2014)が2014年9月18日(木)に満16歳以上のスコットランド住民を対象に実施されたが、独立派が44.7%、連合王国存続派が55.3%で、スコットランドの独立は取り敢えずは否決された僅差(きんさ)だったことから火種を残した儘(まま)である。住民投票の直前に女王は「独立反対派に与(くみ)している!」などと独立派から非難された。

For me, the life of Jesus Christ, the Prince of Peace, whose birth we celebrate today, is an inspiration and an anchor in my life. A role-model of reconciliation and forgiveness, he stretched out his hands in love, acceptance and healing. Christ’s example has taught me to seek to respect and value all people of whatever faith or none.

私にとりましてイエス・キリスト、つまり平和の天子、その誕生を今日(きょう)私たちが祝っているイエスは我が人生の感化(インスピレイション)であり、拠()り所(どころ)です。イエスは和解と赦(ゆる)しのお手本であり、愛と受容と癒(いや)しの中で両手を差 し伸べました。キリストのお手本は、あらゆる人々を、それがいかなる信仰の人でも、信仰のない人でも、尊敬し高く評価するように努(つと)めよと私に教え諭(さと)しました。

Sometimes it seems that reconciliation stands little chance in the face of war and discord. But, as the Christmas truce a century ago reminds us, peace and goodwill have lasting power in the hearts of men and women.

時折、和解は戦争と不和に直面すると殆(ほとん)ど勝ち目がないように見えます。しかし一世紀前のクリスマス停戦が私たちに思い出させてくれるように平和と善意は人々の心に、それが男性にも女性にも、持続的な力を持つのです。

On that chilly Christmas Eve in 1914 many of the German forces sang “Silent Night”, its haunting melody inching across the line. That carol is still much-loved today, a legacy of the Christmas truce, and a reminder to us all that even in the unlikeliest of places hope can still be found.

1914年のあの肌寒い聖誕前夜祭(クリスマスイヴ)にドイツ軍の多くは「きよしこの夜」を歌い、その心に残る旋律(メロディー)は、じりじりと前線を越えて入ってきました。あのクリスマス祝歌(キャロル)は今日(こんにち)でも非常に愛されています。クリスマス停戦の遺産であり、最もありえない場所ですら希望が、それでも見つかるのだと、私たち皆に思い出させてくれるものなのです。

A very happy Christmas to you all.

皆さんに幸(さち)多きクリスマスを。

[歌詞を抜いた音楽の演奏]

独原題 „Stille Nacht, heilige Nacht“ (1818) 「シュティトゥハイリゲトゥ」=直訳「静かな夜、聖なる夜」

英題 “Silent Night” (1859) 「サイレントゥナイトゥ」=直訳「静かな夜」

邦題「きよしこの夜」(明治四十二年=1909年)

中文題「平安夜(Píng'ān yè)」or「平安夜歌(Píng'ān yè gē)」(譯詞年不詳)

墺人モーア(Joseph Mohr, 1792-1848)作詞

墺人グルーバー(Franz Xaver Gruber, 1787-1863)作曲

米人ヤング(John F. Young, 1820-85)英譯詞

邦人 由木康(ゆうき こう, 1896-1985)和譯詞

華人 劉廷芳(Liú Tíngfāng; 英名 Timothy Ting-fang Liu or Lew, 1891 or ’92 - 1947)中文譯詞

(日本語訳: 原田俊明)

【参考リンク】

第一次大戦・奇跡のクリスマス休戦サッカー広告に賛成、反対?

在英国際ジャーナリスト 木村正人

2014年12月25日(木)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20141225-00041781/

(詳細は記事本文へ)

【参考動画】

1914年クリスマス停戦を描いた

“Pipes of Peace” (1983)

Written and sung by Paul McCartney (b.1942)

直訳 「平和のバグパイプたち」

邦題 「パイプス・オブ・ピース」(昭和58年)

作詞・作曲・歌唱: ポール・マッカートニー

公式販促用動画(PV: promotion video)

ポール・マッカートニー自身が一人二役でイギリス兵とドイツ兵の役を演じる

https://www.youtube.com/watch?v=--uXQQ0h-yQ

[歌詞開始]

I light a candle to our love.

僕らの愛にキャンドルを灯(とも)す。

In love our problems disappear.

愛に包まれて僕らの問題は消え去る。

But all in all we soon discover

でも大体のところ僕らはすぐに気づく、

That one and one is all we long to hear.

唯(ただ)一つのことを僕らが聞きたがってるんだと。

All round the world

世界中で

Little children being born to the world.

この世に今まさに生を受けている小さな子供たち。

Got to give them all we can till the war is won.

この戦争に勝つまでは出来うる限り子供たちに与えねば。[註7]

Then will the work be done.

そうなれば一件落着さ。

註7: この行はインターネット上の和訳サイトで屡々(しばしば)誤読され、「戦争が敗北するまで 僕たちのできること全てを彼らにしよう」や「できる限りのことをしよう 平和が勝利し(中略)まで」という具合に恰(あたか)も「戦争が敗北し、平和が勝利する」などと平和ボケした誤訳が目立つ。しかしシェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)作 『マクベス』第1幕1場(Macbeth 1:1)の4行目、When the battle’s lost and won. の訳文として、筆名 森鷗外(もり おうがい, 1862-1922)こと、本名 森林太郎(もり りんたろぅ, 1862-1922)による大正二年=1913年の譯「軍(いくさ)の勝負が附いてからだね。」や、筆名 坪內逍遙(つぼうち せうえう, 1859-1935)こと、本名 坪內雄蔵(つぼうち いうざう, 1859-1935)による最晩年の昭和十年=1935年に出た決定版の譯勝負(かちまけ)の決(きま)つた時分に。」や、福田恆存(ふくだ つねあり; 有職読みで「こうそん」, 1912-94)による昭和三十年=1955年の訳「戦いが敗()けて勝って、そのあとで。」や、木下順二(きのした じゅんじ, 1914-2006)による昭和三十一年=1956年の訳「いくさが負けて勝ったあとでさ。」や、小田島雄志(おだしま ゆうし, b.1930)による昭和四十九年=1974年の訳「戦(いくさ)に勝って負けたとき。」や、松岡和子(まつおか かずこ, b.1942)による平成八年=1996年の訳「闘い、負けて勝ったとき。」や、大場建治(おおば けんじ, b.1931)による平成十六年=2004年の訳「戦さが負けて勝ったときだわさ。」や、河合祥一郎(かわい しょういちろう, b.1960)による平成二十一年=2009年の訳「戦(いくさ)に負けて勝ったとき。」のいずれかを知っていれば、上記のような誤読・誤訳はあり得ない。

Help them to learn (Help them to learn)

子供たちが学ぶ手助けをして(学ぶ手助けをして)

Songs of joy instead of burn, baby, burn. (Burn, baby burn)

喜びの唄をだよ、赤ん坊を焼き殺し、焼き殺すのではなく(赤ん坊を焼き殺し、焼き殺す)。

Let us show them how to play the pipes of peace.

子供たちに平和のバグパイプ[註8]の吹き方を実地で教えよう。

Play the pipes of peace.

平和のバグパイプを吹いてね。

註8: この場合の pipes は、煙草(タバコ)の葉を燻(くゆ)らすためのパイプではなく、スコットランドのバグパイプとして解釈するのが妥当である。

Help me to learn

僕が学ぶ手助けをしてね、

Songs of joy

喜びの唄をだよ。

Instead of burn, baby, burn.

赤ん坊を焼き殺し、焼き殺すのではなく。

Won’t you show me how to play (How to play)

僕に吹き方を実地で教えてくれないか、(吹き方を)

The pipes of peace? (Pipes of peace)

平和のバグパイプのね。(平和のバグパイプ)

Play the pipes of peace.

平和のバグパイプを吹いてね。

What do you say? (Do you say?)

君は何と言うかい。(君は言うかい)

Will the human race be run in a day? (In a day?)

人類は一日で追い立てられてしまうのか。(一日で)

Or will someone save this planet we’re playing on?

それとも誰かが救ってくれるのか、僕らが上に載って遊んでるこの惑星[註9]を。

Is it the only one? (What are we gonna do?)

それしかないのかい。(僕らはどうすりゃいいんだ)

註9: 地球のこと。

Help them to see (Help them to see)

子供たちが理解する手助けをしてね(理解する手助けをして)、

That the people here are like you and me. (You and me)

ここ[註10]の人たちは誰もが君や僕みたいだということを。(君や僕)

Let us show them how to play (How to play)

子供たちに吹き方を実地で教えよう、(吹き方を)

The pipes of peace. (Pipes of peace)

平和のバグパイプの。(平和のバグパイプの)

Play the pipes of peace, ooh.

平和のバグパイプを吹いてよ、ウウー。

註10: 地球のこと。

I light a candle to our love.

僕らの愛にキャンドルを灯(とも)す。

In love our problems disappear.

愛に包まれて僕らの問題は消え去る。

But all in all we soon discover

でも大体のところ僕らはすぐに気づく、

That one and one is all we long to hear.

唯(ただ)一つのことを僕らが聞きたがってるんだと。

(日本語訳: 原田俊明)