13「イギリス文化論」(2021/11/ 9) 英戦勝記念日と日米英の追悼のための音楽

https://news.yahoo.co.jp/articles/e2e790c55abc569eb73dda74b6a6ebfb5b42e0bb(リンク切れ)

英国に於ける毎年11月恒例の戦歿者追悼の象徴 poppy =「芥子(ケシ)の花」

赤い芥子(ケシ)の花=ポピー(poppy)の造花が戦歿者追悼の意味合いを帯びるようになったのはなぜか。それは第一次世界大戦(the Great War; World War I; the First World War, 1914-18)中の1915年4月22日(木)から5月25日(火)にかけて戦われたベルギー王国フランダース地方(オランダ語圏)のイーペル(蘭 Ieper イーペる)=イープル(仏 Ypres イィプふ)=ワイパーズ(英軍俗語 Wipers)の戦いまで遡(さかのぼ)る。イーペルでは英仏連合国軍とドイツ軍が激しい戦闘を繰り広げ、人類史上初の大規模な毒ガス攻撃が行なわれた。戦闘の結果、ドイツ軍は自軍の死傷者の合計数を34,933とし、英軍は自軍の死傷者の合計数を59,275とし、仏軍は自軍の死傷者の数を約18,000+3,973とし、英軍を助けたカナダ軍は自軍の死傷者の合計数を5,975とし、そのうち約1,000人は戦死したとしている。この戦場に咲き乱れていたのが芥子(ケシ)の花=ポピー(poppy)だった。恰(あたか)も死んだ兵士たちの血を吸ったかのように真っ赤だった。これをカナダ軍将校・詩人が詩に詠んだのがもとで、戦後の1921年以来、王立在郷軍人会(Royal British Legion)が戦歿者追悼(Remembrance)の象徴(symbol)に取り入れ、今日に至っている。

その後も1916年7月1日(土)から11月18日(土)にかけて同大戦の中でも最大規模の141日にも及ぶ戦闘、ソンムの戦い(Battle of the Somme)が英仏連合国軍とドイツ軍との間でフランス北部のソンム県を舞台に繰り広げられ、初日(7月1日(土))だけで英軍19,240名が戦死した。一連の戦闘で英軍49万8千人、仏軍19万5千人、独軍42万人という膨大な死者を出しながら、いずれの側にも決定的な戦果が無く、英仏連合軍が11キロ余り東進するにとどまるという虚(むな)しい戦いがソンムの戦いだった。

結局、1918年11月11日(月) 午前11時の停戦合意までに英国はドイツ軍やトルコ軍などを相手に多数の戦死者を出し(特に上流階級の若者多数)、国の将来に暗い影を落とした。イギリス(連合王国)は当時の総人口4600万(46 million)人に対して戦歿者数は74万(0.74 million)人だったが、日本は当時の総人口5430万人(54.3 million)人に対して戦歿者数は僅(わず)かに415人(但し、各種資料により誤差あり)だった 。ちなみに戦勝国ながら国土が戦場となったフランスは当時の総人口3650万(36.5 million)人に対して戦歿者数140万(1.4 million)人。そして敗戦国のドイツは当時の総人口6700万(67 million)人に対して戦歿者数180万(1.8 million)人だった。日本の場合を除く各数値は、ハワード(Michael Howard)[著]、馬場優[訳] 『第一次世界大戦』(法政大学出版局, 2014年)の付録Ⅱ 戦争の被害(p.xix)に基づく。イギリスは1916年1月以来続いていた徴兵制(conscription)をこの停戦によって二年十ヶ月ぶりに解除した。また、この大戦の結果、ロシア帝国、墺太利ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国という4つの世界的な大帝国が崩壊した。

複雑な「けしの花」 英国の戦没者追悼シンボルをつける人とつけない人

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)英語版

2018年11月9日(金)

https://www.youtube.com/watch?v=c6p2JjTaMt8

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2018年11月10日(土)

https://www.bbc.com/japanese/video-46147872

https://www.youtube.com/watch?v=lcPJvHYn1D4 (日本語字幕付、4分38秒)

英国に於ける毎年恒例の戦勝記念日3種

・5月8日(May 8th): 欧州戦勝記念日(VE Day: Victory in Europe Day)

1945 年のナチス・ドイツ(ドイツ第三帝国)の無条件降伏(unconditional surrender)を祝うが、祝日ではない。六十周年や七十周年などの節目の年には、第二次世界大戦 (World War II; the Second World War, 1939-45)中に国を救ったとされるスーパーマリーン社製スピットファイヤー戦闘機(Supermarine Spitfire)を飛ばし、尚且(なおか)つ戦時中の1942年に映画 The First of the Few(直訳 『少数者の中の先頭の者たち』、日本未公開 https://www.youtube.com/watch?v=f3Dd24SzAkc )の主題音楽として使われたウォルトン作曲「スピットファイヤー前奏曲(プレリュード)と遁走曲(フーガ)(Spitfire Prelude and Fugue)」( http://www.youtube.com/watch?v=NeA3oAOCUqo )を演奏して祝賀ムードを盛り上げる。なお、戦後のドイツでは「解放の日」(Tag der Befreiung タークデアベフらイウング; 英訳 Day of Liberation or Liberation Day)、つまりナチス政権から解放された日と呼んでいる。また、旧ソ連・現ロシアでは一日遅れの5月9日に大祖国戦争(対独戦争)での戦勝を毎年祝っている。終戦時にはまだ弱冠19歳のウェールズ女大公エリザベス王女(Elizabeth, Princess of Wales, b.1926)だった女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)=94歳が、2020年5月8日(金)に欧州戦勝記念七十五周年テレビ演説( https://sites.google.com/site/xapaga/home/queen75thveday )を行なっている。

(参考)

ウォルトンの音楽が気に入られた向きは、下記ウェブページをご堪能されたし。

https://sites.google.com/site/xapaga/home/walton

上記の曲とは別に欧州戦勝記念日と言えば、誰もが思い浮かべる戦時流行歌がある。ロス・パーカー(Ross Parker, 1914-74)とヒュージー・チャールズ(Hughie Charles, 1907-95)の二人組が作詞・作曲し、当時22歳の女性歌手ヴェラ・リン(Dame Vera Lynn, 1917-2020)が歌い、1939年にリリースされ、第二次世界大戦(Second World War; World War II, 1939-45)中に大ヒットした大衆流行歌「ウイル・ミータゲイン」(“We’ll Meet Again”: 「私たちは再会します」の意味で邦題は無し)である。女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)よりも九歳年上のヴェラ・リンは、2020年5月8日(金)の同女王(94歳)による欧州戦勝記念七十五周年(VE Day 75 years)演説に際しても健在だったが、同年(2020年)6月18日(木)に惜しまれつつ満103歳で歿した。この流行歌「ウイル・ミータゲイン」は出征していく兵士やその恋人や家族の間で大人気となり、1943年にはヴェラ・リン主演の同名ミュージカル映画も上映された。ヴェラ・リンは戦時のイギリス海外派遣軍のもとを積極的に訪れ慰問公演を行なったことでも知られ、「英軍の恋人」(the Forces’ Sweetheart)の異名(いみょう)をとった。そして二十一世紀の現在も退役軍人(war veterans)の間で絶大な尊敬を受けている。

ヴェラ・リンが歌って戦時中に大ヒットした1939年版「ウイル・ミータゲイン」(戦後の1953年にベスト盤にも収録)

https://www.youtube.com/watch?v=8Nzy1cfnKh4

戦時中の1943年、英国空軍(RAF: Royal Air Force)を慰問したヴェラ・リン「ウイル・ミータゲイン」の映像

https://www.youtube.com/watch?v=T5C4meGkNyc

1995年5月8日(月)、欧州戦勝記念日(VE Day: Victory in Europe Day)五十周年での記念行事に当時78歳のヴェラ・リンが出演して戦時中のヒット曲の数々を披露した中にも「ウイル・ミータゲイン」

https://www.youtube.com/watch?v=zOpFyDy5CRo (8:30-12:00 of 21:20)

2020年4月、翌月に迫った欧州戦勝記念日(VE Day: Victory in Europe Day)七十五周年を前に103歳で心身ともに健康な最晩年のヴェラ・リンがインタビューに答える

https://www.youtube.com/watch?v=HzjAlJnrN7s

2020年5月8日(金)、欧州戦勝記念日(VE Day: Victory in Europe Day)七十五周年を記念して英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)が公開した全英異業種コラボ動画

https://www.youtube.com/watch?v=SKSc8BLXAJ8

2020年5月8日(金)、欧州戦勝記念日(VE Day: Victory in Europe Day)七十五周年を記念して日刊テレグラフ紙(The Daily Telegraph)が公開したご近所コラボ動画

https://www.youtube.com/watch?v=iCOrXbbS6CE

西曆2020年 5月 8日(金) 英女王が欧州戦勝記念七十五周年でテレビ演説

https://sites.google.com/site/xapaga/home/queen75thveday

・8月15日(August 15th): 対日戦勝記念日(VJ Day: Victory over Japan Day)

1945年の大日本帝国無条件降伏を祝うが、祝日ではない。この時期は国会が夏休みでニュースに乏しいため、英マスコミは日本の戦争犯罪を執拗(しつよう)に取り上げる。また、日本軍に捕らえられた元捕虜や元民間抑留者たちが大ロンドン市ウェストミンスター区ピカディリー沿いの在連合王国日本国大使館(Embassy of Japan in the UK)前で日本国政府に対する抗議集会を行なう日でもあったが、近年は健康な生存者の数が激減し、抗議活動は下火(したび)になっている。抗議活動の不活発は、ドイツのみならず日本との和解も近年進捗(しんちょく)したことを意味しているとも言える。なお、アメリカでは8月15日ではなく、日本側代表二名(当時の外務大臣と大本營參謀總長)が東京湾上の米戦艦ミズーリ(USS Missouri)の甲板で連合国代表者十名(連合国軍最高司令官、米国代表、中華民國代表、英国代表、ソ連代表、豪州代表、カナダ代表、フランス代表、オランダ代表、NZ代表)とともに降伏文書に署名した9月2日を対日戦勝記念日としている。

2015年8月15日(土)、対日戦勝七十周年記念式典で王族臨席の中、ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)作曲「我は汝に誓ふ、我が祖國よ」(I Vow to Thee, My Country)を全員で斉唱

https://www.youtube.com/watch?v=l6avqcv9PAw

1916年にホルスト(Gustav Holst, 1874-1934; 元の名 Gustavus Theodore von Holst)が作曲した組曲 『惑星』作品32(The Planets, Op.32)の中の4曲目「木星、快樂を齎(もたら)す者」(‘Jupiter, the Bringer of Jollity’)の中間部テーマにスプリング=ライス(Sir Cecil Spring-Rice, 1859-1918)が1918年に書いた歌詞を1921年に付した。故ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)お気に入りの賛美歌だった。1926年以来、11月第二日曜日の前日の土曜日(the day before the second Sunday of November)に王立アルバート講堂(RAH: Royal Albert Hall)にて王立在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)の中で必ず歌われる。

なお、同じテーマに吉元由美(よしもと ゆみ, b.1960)が日本語詞を付け、坂本昌之(さかもと まさゆき, b.1965)が編曲し、平原綾香(ひらはら あやか, b.1984)が歌った「Jupiter」(ジュピター)が2003年12月17日(水)にリリースされ( https://www.youtube.com/watch?v=LU8nKs447uI )、オリコンチャートで2004年2月度月間1位、2004年度年間3位を獲得した。日本語歌詞の一部には、歌手の平原自らが書いた言葉「私の両手で何ができるの?」、「ありのままでずっと愛されている」、「いつまでも歌うわあなたのために」が織り込まれているという。

スプリング=ライスによる歌詞全文

https://sites.google.com/site/xapaga/home/secondnationalanthems

【関連記事】

2015年8月8日(土)掲載・更新の日刊メイル紙(Daily Mail)によると、2015年8月15日(土)の対日戦勝七十周年記念式典でのイスラム過激派による女王暗殺計画が発覚。2013年4月15日(月)に米国で発生したボストンマラソン爆弾テロ事件(Boston Marathon bombing)を模した計画だったとのこと。

British jihadi’s VJ Day plot to bomb the Queen in Central London: Police and MI5 in race against time to foil Boston Marathon-style IED ‘spectacular’ next Saturday

http://www.dailymail.co.uk/news/article-3190706/Jihadis-VJ-plot-bomb-Queen-Police-MI5-race-against-time-foil-Boston-style-IED-spectacular-Saturday.html

英国で対日戦勝75年行事 女王「喜びと安心感」

時事通信社

2020年8月15日(土)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081500557&g=int

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081500557&g=int#comment

イギリスで「対日戦勝利の日」75年式典 国立記念植物園で2分の黙とう

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2020年8月16日(月)

https://www.bbc.com/japanese/53796069

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1597575887/

[もとの英語記事]

VJ Day: UK commemorates 75th anniversary as royals lead tributes

(対日戦勝記念日: 英国が75周年を記念 王族が追討を主導)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2020年8月15日(日)

https://www.bbc.com/news/uk-53786610

11月11日(November 11th): 戦歿者追悼の日Remembrance Day

1918年11月11日(月) 午前11時(ドイツ時間では正午)にフランス東部のコンピエーニュの森で休戦協定が結ばれ、成立した第一次世界大戦(World War I; the First World War, 1914-18)での停戦(Armistice)とドイツ帝国(ドイツ第二帝国)の完全なる敗北(a complete defeat)=事実上の降伏(de facto surrender; de facto capitulation)を祝うと同時に、戦歿者を悼(いた)んで、毎年11月11日午前11:00から11:02まで公共交通を停めたり、学校 の授業を中断するなどして二分間の黙祷を捧げる(observe a two-minute silence)。11という数字が重なっているのは、『新約聖書』「マタイによる福音書」第20章の1節~16節(Gospel according to Matthew 20: 1-16 from The New Testament)に載っている「葡萄園の労働者の寓話」(“Parable of the Workers in the Vineyard”)の中で、イエス・キリスト(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)が「11番目の時間」(the eleventh hour)という用語を時期的に遅いことの譬(たと)えに使用しているからである( https://sites.google.com/site/xapaga/home/bible )。聖書の文化は英仏独で敵味方の区別なく共有しているため、「長く続いてきた殺し合いをもう止めよう」という気持ちを込めて11という数字の重複を敢()えて選んだ。なお、米国で毎年11月11日は退役軍人の日(Veterans Day; 別訳「復員軍人の日」)という名の祝日になっているが、英国でこの日は祝日ではない。2017年は11月11日が偶々(たまたま)土曜日だったため、王立在郷軍人会戦歿者追悼祭典(下記参照)の日と重なった。また、第一次世界大戦終結から百周年に当たる2018年は11月11日が偶々(たまたま)日曜日だったため、大ロンドン市ウェストミンスター区の官庁街(ホ)ワイトホール(Whitehall, City of Westminster, Greater London)地区に在るセノタフ(Cenotaph)での追悼式典(下記参照)と重なった。

なお、第一次世界大戦で交戦国だったドイツでは毎年11月11日が伝統的に聖マルティヌスの日(独 Martinstag ンスター; 英 St Martin’s Day セントゥマーンズデイ)とされていて、子供たちがランタン(独 Laterne ; 英 lantern ラェンタン)を手にして広場に集まり、赤マントに乗馬姿の市長(独 Bürgermeister ビュマイスター; 英 mayor メー; 米音 メイヤー)が扮する聖マルティヌス(独 St. Martin ザントゥ; 英 St Martin セントマー)を教会に案内し、その見返りとしてパンを貰(もら)う。子供たちはまた家々を一軒ずつ回り、祝福の言葉を述べ、その家の人からパンや菓子を貰(もら)う。広場には最終的に大きな焚火(たきび)が炊()かれ、その炎を聖マルティヌスの焔(ほのお)(独 Martinsfeuer ティンスフォイヤー; 英 St Martin’s fire セントゥマーンズファイヤー)と言う。聖マルティヌスとは、ローマ帝国の兵士だった頃、雪の中で凍えていた半裸の物乞い(独 Bettler トゥラー; 英 beggar ガー)に自らのマントを半分裂いて与えたとされる。その夜、マルティヌスの夢に半分のマントを纏(まと)ったイエス・キリスト(Jesus Christ, c.4 BC? – c.AD 30)が現れ、「まだ受洗もしていないローマ兵マルティヌスが、私にこのマントをくれた。」と言ったとのことで、半裸の物乞いはイエス・キリストその人だったとされる。マルティヌスはその後、キリスト教の修道士となり、ローマ領ガリア(現在のフランス)初の修道院を建て、さらに後にトゥール(Tours, France)の司教となった。

11月第二日曜日の前日の土曜日(the day before the second Sunday of November)

王立アルバート講堂(RAH: Royal Albert Hall)で女王夫妻臨席のもとで王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典Royal British Legion Festival of Remembrance)を執り行ない、英国が帝国として、そして連合王国として参戦した近代のあらゆる戦争(現在のアフガニスタンやイラクやソマリア沖での平和維持活動を含む)の犠牲者を追悼。また、RAHに於いては通例、ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)作曲「我は汝に誓ふ、我が祖國よ」(I Vow to Thee, My Country)が斉唱される( https://sites.google.com/site/xapaga/home/secondnationalanthems )。暦上は通常の土曜と変わらず、祝日ではない。2017年は偶々(たまたま)11月11日の戦歿者追悼(上記参照)の日と重なった。

2011年11月12日(土)、王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)の動画

ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)作曲「我は汝に誓ふ、我が祖國よ」(I Vow to Thee, My Country)

http://www.youtube.com/watch?v=bvouc8Qs_MI

2013年11月9日(土)、王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)の様子を伝える翌日付の日曜メイル紙(The Mail on Sunday)の記事

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2496632/The-moment-Megans-Daddy-came-home-war-Festival-Remembrance-joy-Poppy-Girl-reunited-sailor-father-The-Queen-Royal-Albert-Hall.html?ICO=most_read_module

2016年11月12日(土)、王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)テレビ中継の中から

ホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)作曲「我は汝に誓ふ、我が祖國よ」(I Vow to Thee, My Country)

https://www.youtube.com/watch?v=6ckrgvxPwj0

2016年11月12日(土)、王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)テレビ中継完全収録版1時間39分19秒

https://www.youtube.com/watch?v=JIlYEqO0d2w

2018年11月10日(土)、王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)テレビ中継完全収録版1時間45分29秒

https://www.youtube.com/watch?v=ZIEQakyZtdI

2020年11月7日(土)、コロナ渦に対応した仮想現実(VR)を用いた戦歿者追悼祭典(Festival of Remembrance)1時間04分57秒

https://www.youtube.com/watch?v=FwCLHBueHqY

2020年11月7日(土)、コロナ渦で規模を縮小した王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)の中からウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)のスピーチ3分40秒

https://www.youtube.com/watch?v=bCw_WlAAK98

2020年11月7日(土)、コロナ渦で規模を縮小した王立英国在郷軍人会戦歿者追悼祭典(Royal British Legion Festival of Remembrance)の中からコーンウォール公爵夫人カミラ(Camilla, Duchess of Cornwall, b.1947)のスピーチ3分24秒

https://www.youtube.com/watch?v=KjBS9bh4Wnw

11月の第二日曜日(the second Sunday of November): 戦歿者追悼の日曜日Remembrance Sunday

大ロンドン市ウェストミンスター区の官庁街(ホ)ワイトホール(Whitehall, City of Westminster, Greater London)地区に在る「英霊」(THE GLORIOUS DEAD)という文字が刻まれたセノタフ(Cenotaph)と呼ばれる両次大戦戦歿者追悼記念碑の前で女王陛下の近衞軍樂隊(Her Majesty’s Regimental Band Coldstream Guards)がエルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)作曲「ニムロッド(Nimrod)」(本ウェブページ最下部に詳述)などを演奏し、それに続いて王族や政治家たち(首相や閣僚や野党党首など)がセノタフに花輪を捧げる儀式を行なう。2017年以降は国家元首(Head of State)の女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)=当時91歳は高齢のため花輪を捧げることはせずにバルコニーから見守っている。そして女王の名代(みょうだい)としてウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)=2017年当時68歳(ほぼ69歳)が花輪を捧げている。また、女王の夫(王婿)であり5つ年上のエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, b.1921)は自身が海軍退役軍人であるにも拘(かか)わらず既に公務から引退しているため2018年(当時97歳)以降は式典そのものを欠席している。この日は暦上は通常の日曜と変わらず、祝日ではない。

追悼の音楽(日本編)

信時潔(のぶとき きよし, 1887-1965)作曲の歌曲「海行かば」(1937年=昭和十二年)

俗に言う昭和期の「海行かば」

http://ja.wikipedia.org/wiki/海行かば

http://en.wikipedia.org/wiki/Umi_Yukaba

作曲者の信時潔は、元外交官で長老派教会(プロテスタントのカルヴァン主義で、スコットランド教会の流れを汲む宗派)に属する大阪北敎會(現在は日本キリス ト教会所属の大阪北教会)の長老で牧師だった吉岡弘毅(よしおか こうき, 1847-1932)の三男として生まれたが、満十一歳で同教会(大阪北敎會)長老の信時義政(のぶとき よしまさ, 生歿年不詳)の養子になった。こうした生()い立ちから信時(のぶとき)の楽曲(音楽作品)にはキリスト教の讃美歌の影響が色濃く出ている。信時は日本全国の公立学校の校歌(たとえば旧浦和市立、現さいたま市立木崎中学校)の作曲者としても知られている。

「海行かば」はJOAK(ジェイ・オウ・エイ・ケイ)ラヂオ(現在のNHKラジオ第1放送の前身)の委嘱(いしょく)を受けて支那事變(日中戦争)勃発の年、1937年=昭和十二年に作曲され、1945年=昭和廿年の敗戦までの八年間、上記のJOAKラヂオが頻繁に使用したため、その旋律は国民の脳裏に深く刻まれた。大東亞戰爭(太平洋戦争)中、大本營發表がJOAKラヂオを通じて当初は華々しい戦火を、後には玉砕(ぎょくさい: 守備隊総員戦死を美化した言葉)を伝える際に必ず冒頭曲としてこの曲をかけたため、当時のことを覚えている高齢者の中には「海行かば」は二度と聴きたくないとする者もいる。

曲そのものはドイツ浪漫派(独 deutsche Romantik ドイチェ・ろンティク; 英 German Romantics ジュアマン・ろゥメァーンティクス)の流れを汲んだ讃美歌調で、国歌として通用するほどの崇高な旋律である。戦時中は「第二國歌」や「準國歌」とまで呼ばれ、敗戦に至るまで盛んに愛唱・演奏された。

この曲は敗戦後一転して一般社会では事実上の封印状態が続いているが、海上自衛隊は現在でも掃海殉職者追悼式でこの曲を吹奏楽で(歌唱抜きで)演奏している。

他にも同名の題名で所謂(いわゆる)明治期の「海行かば」と呼ばれる曲が、信時(のぶとき)の作品より五十七年前の1880年=明治十三年に宮内省伶人の東儀季芳(とうぎ すえよし, 1838-1904)が作曲している。その旋律は瀨戸口藤吉(せとぐち とうきち, 1868-1941)が1897年=明治卅年に作曲し、1900年=明治卅三年に発表した行進曲「軍艦」、 通称「軍艦マーチ」または「軍艦行進曲」の中間のトリオ部に引用されている。

歌詞は、『萬葉集』巻十八「賀陸奥國出金詔書歌」、又は『國歌大觀』番號4094番、又は『新編國歌大觀』番號4119番の大伴家持(おほとも の やかもち, 718-785)作の長歌から。

海(うみ)行()かば 水漬(みづ)く屍(かばね)

山(やま)行()かば 草(くさ)生()す屍(かばね)

大君(おほきみ)の邊()にこそ死()なめ

かへりみはせじ

(但し、明治期の「海行かば」では最終行を「長閑(のど)には死()なじ」と歌った)

2010年=平成22年5月29日(土)、香川県仲多度郡琴平町(かがわ けん なかたど ぐん ことひら ちょう)に在る金刀比羅宮境内(こんぴら ぐう けいだい)での海上自衛隊第五十九回掃海殉職者追悼式

昭和期の「海行かば」は0:55以降

http://www.youtube.com/watch?v=ID89vNRXiRE

林光(はやし ひかる, 1931-2012)編曲の弦楽四重奏版(編曲年・録音年不詳)

http://www.youtube.com/watch?v=YNtpZDJ4lEg

1941年12月8日(月)、JOAK(ジェイ オウ エイ ケイ)ラヂオ(現在のNHKラジオ第1放送の前身)臨時ニュースで、館野守男(たての もりお, 1914-2002)アナウンサーが「臨時ニュースを申上(まうしあ)げます。臨時ニュースを申上げます。大本營陸海軍部十二月八日午前六時發表。帝國陸海軍ハ本八日未明、西太平洋ニ於(オヒ)テ、アメリカ、イギリス軍ト戰鬪(セントゥ)狀態(ジヤウタイ)ニ入()レリ。帝國陸海軍ハ本八日未明、西太平洋ニ於テ、アメリカ、イギリス軍ト戰鬪狀態ニ入レリ。(後略)」と、對米英開戰及び緖戰の華々しい戰果(せんくゎ)を傳(つた)へる大本營發表ニュース原稿を讀上(よみあ)げる。

昭和期の「海行かば」が冒頭に、そして最後(2:09)に瀨戸口藤吉(せとぐち とうきち, 1868-1941)作曲の「軍艦行進曲」(1897年)が流る

https://www.youtube.com/watch?v=TgkkMgXWDLE

戦時中の「日本ニユース」第133號の中の「海行かば」

1942年12月19日(土)収録

1942年12月24日(木)公開

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300518_00000&seg_number=003

戦時中の「日本ニユース」第172號の中の「海行かば」

1943年9月22日(水)公開

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300557_00000&seg_number=002

戰時中の國策映畫 『帝國海軍勝利乃記錄』で流れる「海行かば」

7:19-10:27

https://www.youtube.com/watch?v=nabPH5DJlo0

東京音樂學校(現在の東京藝術大学音楽学部の前身)による混聲合唱・演奏(1941年=昭和十六年錄音のモノラル音源にして戰時中の玉砕ニュースで流れたのと同一音源)

http://www.youtube.com/watch?v=wXSCoKqy8MI

奥田良三(おくだ りょうぞう, 1903-93)による歌唱(1940年=昭和十五年錄音のモノラル音源、0:11に音声開始)

http://www.youtube.com/watch?v=1xtt0kkkMhc

栗田善治郎中佐指揮帝國海軍々樂隊(1937年=昭和十二年錄音で東京シネマ商會の制作)

(途中1:46-4:37は明治期に宮内省伶人の東儀季芳によって作曲された雅楽版「海行かば」=俗に言う明治期の「海行かば」であり、信時作曲のものではない。また、4:40-9:05は東京音樂學校による混聲合唱・演奏)

http://www.youtube.com/watch?v=hYt3Giw3m6s (リンク切れ)

http://www.youtube.com/watch?v=6gRUZQlBSeg (無音)

(参考)

鳥山啓(とりやま ひらく, 1837-1914)作詞

瀨戸口藤吉(せとぐち とうきち, 1868-1941)作曲の日本人による初の本格的な軍樂、

行進曲「軍艦」(1897年=明治卅年作曲、1900年=明治卅三年発表)

通称「軍艦マーチ」または「軍艦行進曲」

“Warship March” (composed in 1897; released in 1900)

中間のトリオ部「海行かば」のみ宮内省伶人の東儀季芳(とうぎ すえよし, 1838-1904)作曲(1880年=明治十三年)

http://ja.wikipedia.org/wiki/軍艦マーチ

帝國海軍々樂隊(指揮者不明)による演奏(1909年=明治四十二年当時のモノラル録音)

明治期の「海行かば」(但し、歌唱の無い版)は1:03-1:48

http://www.youtube.com/watch?v=jHi-5l4KhbI

辻順治(つじ じゅんじ, 生歿年不詳)樂長指揮陸軍戸山學校軍樂隊による演奏

(1927年=昭和二年から1932年=昭和七年の中のいずれかの年のモノラル録音)

明治期の「海行かば」(但し、歌唱の無い版)は1:13-2:06

http://www.youtube.com/watch?v=YJgfi1-XL_Q

陸軍戸山學校軍樂隊(指揮者不明)による演奏

(1927年=昭和二年から1932年=昭和七年の中のいずれかの年のモノラル録音、歌唱つき)

明治期の「海行かば」は1:19-2:14

http://www.youtube.com/watch?v=kXb58vaJx8A

佐藤清吉(さとう せいきち, 生歿年不詳)樂長指揮帝國海軍々樂隊による演奏(1933年=昭和八年頃のモノラル録音、歌唱つき)

明治期の「海行かば」(但し、その箇所の歌唱の無い版)は2:17-3:06

http://www.youtube.com/watch?v=xvIeq9WOTmc

内藤清五(ないとう せいご, 生歿年不詳)樂長指揮帝國海軍々樂隊による演奏(1942年=昭和十七年当時のモノラル録音)

http://www.youtube.com/watch?v=n2ZAXvX8RoI (リンク切れ)

ミャンマー国軍行進曲 “Myanmar Tot Ya Tatmadaw”

明治期の「海行かば」は演奏せず

http://www.youtube.com/watch?v=ZSmqdf6N4n8

作家の三島由紀夫(みしま ゆきお, 1925-70)こと、本名 平岡公威(ひらおか きみたけ, 1925-70)指揮讀賣日本交響楽団(YNSO: Yomiuri Nippon Symphony Orchestra)による演奏

(1968年=昭和四十三年3月?日のテレビ収録)

明治期の「海行かば」(但し、歌唱の無い版)は2:57-3:44

http://www.youtube.com/watch?v=FoDlfj4pbfs

演奏者・年代不詳のステレオ録音(歌唱つき)

明治期の「海行かば」は1:27-2:16

http://www.youtube.com/watch?v=A75AQgDBtJI

海上自衛隊東京音楽隊(指揮者不明)&アメリカ海軍第七艦隊軍楽隊(指揮者なし)による共演

(2010年=平成廿二年頃の東京臨海副都心地区お台場でのライブ収録)

明治期の「海行かば」(但し、歌唱の無い版)は1:18-2:05

http://www.youtube.com/watch?v=Xf6XCfBgA5E

河邊一彦(かわべ かずひこ, 生年不詳)二等海佐指揮海上自衛隊東京音楽隊による演奏

(2011年=平成廿三年2月20日の東京オペラシティでのライブ収録)

明治期の「海行かば」(但し、歌唱の無い版)は1:16-2:03

http://www.youtube.com/watch?v=s6ZrQ73zxdw

追悼の音楽(米国編)

バーバー(Samuel Barber, 1910-81)作曲、「弦楽のためのアダージョ(Adagio for Strings)」(1936年)

http://en.wikipedia.org/wiki/Adagio_for_Strings

https://ja.wikipedia.org/wiki/弦楽のためのアダージョ

バーバーが1935-36年に作曲した弦楽四重奏曲ロ短調作品番号11(String Quartet in B minor, Op.11)の第2楽章モルトォ・アダージョ = 非常にゆっくりと(2nd Movement: Molto adagio)に基づいて、作曲者自身が1936年に弦楽合奏用に編曲したもの。初演は1938年。曲そのものはドイツ浪漫派(独 deutsche Romantik ドイチェ・ろンティク; 英 German Romantics ジュアマン・ろゥメァーンティクス)の流れを汲んでいる。

初演から七年後の1945年4月にルーズヴェルト(FDR: Franklin D. Roosevelt, 1882-1945; 大統領在任1933-45)大統領の在任中の病死を伝えるラジオ放送で使用された。また、初演から四半世紀を経た1963年11月、パレード中に暗殺されたケネディー(JFK: John F. Kennedy, 1917-1963; 大統領在任1961-63)大統領の葬儀でも使用されて有名になった。それ以後は訃報や葬送などでの定番曲のように使われるようになったが、作曲者のバーバー自身は「葬式のために作った曲ではない」と不満を述べ、自分の他の曲も演奏して欲しいとした。しかし1981年に作曲者自身が亡くなると、バーンスタイン(Leonard Bernstein, 1918-90)指揮の追悼演奏会で演奏されたのが、やはりこの曲だったのは皮肉な話である。

その後も上記の1963年11月22日(金)のケネディー大統領暗殺事件に関する映画や、ベトナム戦争(Vietnam War, 1955-75)の悲劇を描いた映画、そして2001年9月11日(火)の911同時多発テロやその後の911慰霊式典のような米国の国家的・全国民的な悲しみの表出としてしばしば演奏されている。

キーボード・シンセサイザー教則(2011年アップロード)

https://www.youtube.com/watch?v=j6xXdAR5FCE

クラッブ(Dr. R. Paul Crabb, 生年不詳)指揮ミズーリ大学合唱団が歌う混声合唱への編曲版「アニュス・デイ(羅 Agnus Dei: 神の子羊; 天主様の子羊)」(2010年3月20日(土)のライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=d6eB20t4sAE

シェパード(Matthew Christopher Shepard, 生年不詳)指揮、 米中西部カンザス・シティのテ・デウム(汝天主よ)室内合唱団が歌う混声合唱への編曲版「アニュス・デイ(羅 Agnus Dei: 神の子羊; 天主様の子羊)」(2012年11月10日(土)のライブ収録)

http://www.te-deum.org/listen/

http://www.youtube.com/watch?v=Ku5BMVTXb1w

当時86歳のポーランド系英人指揮者ストコフスキー(Leopold Stokowski, 1882-1977)指揮アメリカン響(1968年のリハーサル)

http://www.youtube.com/watch?v=gDrm809p2u4

米人指揮者兼作曲家バーンスタイン(Leonard Bernstein, 1918-90)指揮ニューヨーク・フィルのスタジオ録音(1971年のステレオ録音)

http://www.youtube.com/watch?v=BGMwNe9WWmE

米人指揮者スラットキン(Leonard Slatkin, b.1944)指揮BBC響による BBC Promsでの911テロ犠牲者追悼ライブ(米同時多発テロ事件から四日後、2001年9月15日(土)のライブ収録)

https://www.youtube.com/watch?v=Y4PWdOoOQjI

英女性歌手ローラ・ライト(Laura Wright, b.1990)によるポップス版「アニュス・デイ(羅 Agnus Dei: 天主様の子羊)」(2014年のリリース)

http://www.youtube.com/watch?v=3bkIl9JRDRE

追悼の音楽ではないがベートーヴェンの曲に、、、

神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のボン市出身で神聖ローマ帝国(現在の墺太利)内のウィーン市へ移住した作曲家ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)がいるが、独語発音はルートヴィヒ(またはルートヴィク)・ファン・ベーホーフェンだが、仏語発音はリュドヴィグ・ヴァン・ベートーヴェンで、英語発音はルードヴィグ・ヴァン・ベイトウヴェンであり、日本ではなぜかフランス式にベートーヴェンと呼ばれている。このベー トーヴェンが27歳のとき(1798年に)作曲したピアノソナタ第8番ハ長調 作品番号13 「悲愴」(独 Klaviersonate Nr. 8 C-Dur, op.13, „Pathétique“; 英 Piano Sonata No. 8 in C minor, Op.13, ‘Pathétique’; 仏 Sonate pour piano n° 8 en do mineur, op.13, «Grande Sonate pathétique»; 伊 Sonata per pianoforte n. 8 in do minore op.13, “Patetica”)があり、フランス語題名のみ「大悲愴ソナタ」(楽譜表紙にそうある)で、独英では仏語表記の「悲愴(パテティーク)」、伊では伊語表記の「悲愴(パテーティカ)」の表題を持つ。楽譜の出版は翌1799年。

全三楽章あるうち中央に置かれた緩徐楽章(the slow movement)である第二楽章 II. Adagio cantabile(アダージョ・カンタービレ = ゆっくりと歌うように)が特に有名である。しかしながら、これは追悼の曲ではない。この曲を念頭に置いてイギリスの作曲家エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)が1899年に作曲した「ニムロッド」(『旧約聖書』に登場する狩人ニムロデのこと)があるが、単なる盗作や借用ではない。

また、1982年には同国の女性歌手ルイーズ・タッカー(Louise Tucker, b.1956)がポップス版を歌い、翌年(1983年)にかけてまずまずの国際的成功(UKシングル盤チャートで59位、USホット100チャートで46位、オランダで13位、フランスで1位)を収め、日本でもブリヂストンのTVコマーシャルに使われた。

南米アルゼンチン生まれのイスラエル国籍でドイツ連邦共和国首都ベルリン在住のユダヤ人、バレンボイム(Daniel Barenboim, b.1942)による「悲愴」ソナタ第二楽章ライブ収録(2006年、ベルリン)

http://www.youtube.com/watch?v=vGq3-Fi_zQY

英人バートン(Paul Barton, b.1961)が酷使された象たちを癒すためタイ王国山岳地帯の草原で「悲愴」ソナタ第二楽章を演奏(2011年11月24日(木)付の英日刊メイル紙)

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2065827/Now-let-just-tinkle-ivories-British-pianist-plays-piano-blind-elephants-Thai-mountain.html

https://www.youtube.com/watch?v=nmvP24tfxEc (動画の前半はドビュッシーの「月の光」だが、2:40以降がベートーヴェンの「悲愴」ソナタ第二楽章で、4:12以降が実際に像たちの前で弾いている場面、そして4:36以降はバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調プレリュード)

英女性歌手ルイーズ・タッカー(Louise Tucker, b.1956)によるポップス版「ミッドナイト・ブルー(Midnight Blue)」(1982年のリリース)

男性歌手のチャーリー・スカーベック(Charlie Skarbek, b.1953)とのデュエット

https://www.youtube.com/watch?v=maFYPcdo_Ro

https://www.youtube.com/watch?v=HnH4dDb_y4k

追悼の音楽(英国編)

エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)作曲の変奏曲集『エニグマ(謎)』作品36番(Enigma Variations, Op. 36)(1899年)の中から第9変奏「ニムロッド」(9th Variation, ‘Nimrod’)

http://en.wikipedia.org/wiki/Enigma_Variations

http://ja.wikipedia.org/wiki/エニグマ変奏曲

1898-99年の作曲。初演は1899年。1つの主題(テーマ)と14の変奏から成る総演奏時間30分から40分ほどの曲(指揮者に より速さが異なる)。それぞれの変奏は妻(第1変奏)、友人たち(第2から第13変奏)、作曲者自身(第14変奏)の音楽による肖像画になっているが、誰 のことかを直接言及しない謎めいた題名がついているため変奏曲集全体の題名が『エニグマ(謎)』となっている。曲そのものはドイツ浪漫派(独 deutsche Romantik ドイチェ・ろンティク; 英 German Romantics ジュアマン・ろゥメァーンティクス)の流れを汲んでいる。

中でも第9変奏の「ニムロッド(Nimrod)」が最も有名であり、英国で演奏される機会が多いが、作曲者の意図を離れて追悼行事に使われる定番曲である。特に毎年11月第二日曜日に行なわれる戦歿者追悼式典が有名であり、式典で必ず演奏される。

題名に使われたニムロッドとは『旧約聖書』の「創世記」に登場する狩人ニムロドまたはニムロデの英語表記。エルガーの悩みの相談相手だった在英ドイツ人の楽 譜出版業者アウグスト・イェーガー(August Jaeger, 1860-1909)の苗字が、ドイツ語で「狩人」を表わす Jäger (イェーガー)という単語と同音だったことで、この題名にしたという。曲調はベートーヴェンの「悲愴」ソナタ第二楽章(上記参照)の雰囲気だけを借りているが、盗作や借用ではない。

英人バートン(Paul Barton, b.1961)演奏のピアノ版(2013年アップロードのデジタル・ハイビジョン録画)

http://www.youtube.com/watch?v=nz8DVpcyLZM

米人女性オルガン奏者ビッシュ(Diane Bish, b.1941)によるオルガン版(2011年頃、米国テキサス州ヒューストン市に在る第二バプテスト教会でのライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=PGtDkN3T53w

英帝国勲章(Order of the British Empire)勲二等(KBE)叙勲者、アンドルー・デイヴィス(Sir Andrew Davis, b.1944)指揮BBC響による通常の管弦楽版(1991年のデジタル録音)、弦楽パートの楽譜付

http://www.youtube.com/watch?v=ZwbNI7GvqBM

英帝国勲章(Order of the British Empire)勲二等(KBE)叙勲者、コリン・デイヴィス(Sir Colin Davis, 1927-2013)指揮ロンドン響による通常の管弦楽版(2004年3月9日(火)、京都コンサートホールに於ける来日演奏会のアンコール曲をライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=aqvOVGCt5lw (リンク切れ)

英帝国勲章(Order of the British Empire)勲三等(CBE)叙勲者、尾高忠明(おたか ただあき, b.1947)指揮札幌交響楽団による通常の管弦楽版(2011年6月4日(土)、札幌コンサートホールKitaraに於ける定期演奏会のアンコール曲をライブ収録)

http://www.youtube.com/watch?v=O0L06cnAiCk

2011年戦歿者追悼式典: 女王陛下の近衞軍樂隊(Her Majesty’s Regimental Band Coldstream Guards)の演奏による吹奏楽版(2011年11月13日(日)、戦歿者追悼式典ライブ収録)、英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)の名物司会者ディンブルビー(David Dimbleby, b.1938)氏による実況中継で「ニムロッド」(Nimrod)の箇所

http://www.youtube.com/watch?v=Aen4P1bCJlw

2012年7月27日(金) 21:00開始、ロンドン競技場(London Stadium)に於けるロンドン五輪開会式の直前にも「ニムロッド」(Nimrod)が流れる

https://www.youtube.com/watch?v=4As0e4de-rI (4:56-8:00 of 3:59:49)

1988年戦歿者追悼式典: 英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)によるテレビ中継完全収録版1時間25分29秒(1988年11月13日(日)、戦歿者追悼式典ライブ収録)、エリザベス皇太后(Queen Elizabeth The Queen Mother, 1900-2002)=88歳が健在ぶりを示す

https://www.youtube.com/watch?v=BM11JrmucEs

2016年戦歿者追悼式典: 英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)によるテレビ中継完全収録版2時間08分13秒(2016年11月13日(日)、戦歿者追悼式典ライブ収録)、BBCの名物司会者ディンブルビー(David Dimbleby, b.1938)氏による実況中継

https://www.youtube.com/watch?v=E6P4eNMFifk

28:00-31:40 エルガー作曲「ニムロッド」の演奏。

31:41-34:31 パーセル作曲の歌劇 『ディドとエネアス』よりディドの嘆き「私が土の下に横たわるとき」(歌唱なし)の演奏。

34:41-38:20 メイ首相、各党の党首、閣僚、ロンドン市長、存命中の元首相4名(メイジャー、ブレア、ブラウン、キャメロンの各氏)、キリスト教各宗派の代表者、他宗教の代表者たちが勢揃い。

38:21-39:44 女王及び主要王族が到着。

39:45-42:08 国会議事堂のビッグベンの時計台から聞こえてくる午前11時の時報を合図に全員で二分間の黙祷。

42:09-43:39 ファンファーレの演奏。

43:40-46:26 女王に続いて夫のエディンバラ公フィリップ殿下、長男のウェールズ大公チャールズ皇太子、孫のケイムブリヂ公ウィリアム王子とヘンリー(通称ハリー)王子と次男のヨーク公アンドルー王子の三人組、三男のウェセックス伯エドワード王子と長女のアン王女と従弟(いとこ)のケント公エドワードの三人組が両次大戦戦歿者追悼記念碑(セノタフ)に花環を捧げる。

46:27-54:45 メイ首相に続いて政治家たち、宗教界の代表者たち、英連邦諸国の総督たち、駐英アイルランド大使、英陸海空軍の代表者たち、英商船隊・漁船隊の代表者たちが両次大戦戦歿者追悼記念碑(セノタフ)に花環を捧げる。

54:52-59:36 大ロンドン市シティー特別区の聖パウロ主教座聖堂の主教による説教と讃美歌斉唱。

59:37-1:00:56 ファンファーレに続いて国歌(1番のみ)斉唱。

1:00:57-1:03:30 王族に続いて聖パウロ主教座聖堂の一行、政治家たちが退場。

その後は参列者へのインタビューと行進。

2017年戦歿者追悼式典: 英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)によるテレビ中継完全収録版2時間09分30秒(2017年11月12日(日)、戦歿者追悼式典ライブ収録)、BBCの名物司会者ディンブルビー(David Dimbleby, b.1938)氏による実況中継

https://www.youtube.com/watch?v=-ZmUKgW0fS0 (リンク切れ)

27:43-31:28 エルガー作曲「ニムロッド」の演奏。

31:29以降 パーセル作曲の歌劇 『ディドとエネアス』よりディドの嘆き「私が土の下に横たわるとき」(歌唱なし)の演奏。

メイ首相、各党の党首、閣僚、ロンドン市長、存命中の元首相(4名いる筈(はず)でメイジャー氏とブレア氏の姿は見えるが、ブラウン氏とキャメロン氏の姿は見えず)、職業軍人(少将)たち、英連邦高等弁務官(外国の大使に相当)たち、キリスト教各宗派の代表者、他宗教の代表者たち、議会上下両院の議長各1名が勢揃い。

女王及び主要王族が到着。

午前11時の時報を合図に全員で二分間の黙祷。

ファンファーレの演奏。

女王と夫のエディンバラ公フィリップ殿下がバルコニーから見下ろす中(2017年の変更点)、長男のウェールズ大公チャールズ皇太子に続いて、孫のケイムブリヂ公ウィリアム王子とヘンリー(通称ハリー)王子と次男のヨーク公アンドルー王子の三人組、三男のウェセックス伯エドワード王子と長女のアン王女と従弟(いとこ)のケント公エドワードの三人組が両次大戦戦歿者追悼記念碑(セノタフ)に花環を捧げる。

メイ首相に続いて政治家たち、宗教界の代表者たち、英連邦諸国の総督たち、駐英アイルランド大使、英陸海空軍の代表者たち、英商船隊・漁船隊の代表者たちが両次大戦戦歿者追悼記念碑(セノタフ)に花環を捧げる。

大ロンドン市シティー特別区の聖パウロ主教座聖堂の主教による説教と讃美歌斉唱。

ファンファーレに続いて国歌(1番のみ)斉唱。

王族に続いて聖パウロ主教座聖堂の一行、政治家たちが退場。

その後は参列者へのインタビューと行進。

2017年戦歿者追悼式典: 英大手民放スカイ・ニューズ(Sky News)によるテレビ中継ダイジェスト版1時間00分51秒(2017年11月12日(日))

7:28-11:11 エルガー作曲「ニムロッド」の演奏。

https://www.youtube.com/watch?v=oEBSOGTdm0M

【関連記事】

英女王、戦没者追悼式典で初めて献花役を譲る 公務縮小で

フランス通信社(AFP: Agence France-Presse)日本語版

2017年11月13日(月) 13:19

発信地:ロンドン/英国

http://www.afpbb.com/articles/-/3150314

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1510611480/

【11月13日 AFP】英ロンドンで12日、戦没者追悼記念日(リメンバランス・サンデー Remembrance Sunday)の式典が行われ、エリザベス女王(Queen Elizabeth II、91)が毎年行ってきた慰霊碑に献花する役割をチャールズ皇太子(Prince Charles)が代行した。女王の公務縮小を印象付ける出来事といえる。

(中略・改行)今年、女王は初めてバルコニーから式典を見守るにとどまり、長男チャールズ皇太子が英全土で同時に行われた2分間の黙とうの後、ポピー(ケシ)の花輪を記念碑にささげた。

(改行・後略)

2018年(第一次世界大戦終結百周年)戦歿者追悼式典: 英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)によるテレビ中継完全収録版3時間31分06秒(2018年11月11日(日)、戦歿者追悼式典ライブ収録)、BBCの名物司会者ディンブルビー(David Dimbleby, b.1938)氏による解説と実況中継

https://www.youtube.com/watch?v=Ma4mdBw9kDA

2018年(第一次世界大戦終結百周年)戦歿者追悼式典: 民放最大手 ITV (Independent Television)によるテレビ中継完全収録版2時間28分16秒(2018年11月11日(日)).

https://www.youtube.com/watch?v=PyVLZPTxQCY

6:57-8:57 午前11時ちょうど、国会議事堂=ウェストミンスター宮殿の時計塔「ビッグベン」の鐘の音と共に全員で二分間の黙祷(目を瞑る人はほぼ皆無)

28:37-29:54 ファンファーレに続いて国歌斉唱

2018年(第一次世界大戦終結百周年)戦歿者追悼式典での「ニムロッド」: 英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)の名物司会者ディンブルビー(David Dimbleby, b.1938)氏による(2018年11月11日(日))

https://www.youtube.com/watch?v=3HIds6Yo6fE

2019年戦歿者追悼式典: 民放最大手 ITV (Independent Television)によるテレビ中継1時間44分55秒(2019年11月10日(日))

https://www.youtube.com/watch?v=anOodlHUTHM

2019年戦歿者追悼式典での「ニムロッド」(2019年11月10日(日))

https://www.youtube.com/watch?v=qjeooyqucSw

https://www.youtube.com/watch?v=aPvTUurXk8A

2020年戦歿者追悼式典: 保守系大手新聞社 The Telegraph (『電報』の意)による中継動画1時間09分00秒(2020年11月8日(日))

https://www.youtube.com/watch?v=jNAq3oQPwGQ (3:47-7:13 ‘Nimrod’ 演奏 / 15:49の箇所で午前11時を知らせる空砲とビッグベンの鐘で2分間の黙祷 / 36:33-37:27 存命中の歴代首相が横に並んで国歌斉唱一番のみ)

【関連記事】

イギリスの戦没者追悼式典、今年は規模を縮小

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2020年11月9日(月)

https://www.bbc.com/japanese/video-54869475

イギリスで8日、2度の世界大戦の戦没者追悼式典が行われた。今年は新型コロナウイルスの影響でイギリス各地がロックダウンされているため、参列者が制限され、互いに距離を取りながらの式典となった。

(改行・中略・改行)

ホワイトホールでの式典には例年、数千人の退役軍人や軍関係者が招かれるが、今年は150人ほどに制限された。

[もとの英語記事]

Royals, veterans, politicians mark Remembrance Sunday

(王族と退役軍人と政治家が戦歿者追悼日曜日式典に参列)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2020年11月8日(日)

https://www.bbc.com/news/av/uk-54862060

『エニグマ』全曲版

英帝国勲章(Order of the British Empire)勲二等(KBE)叙勲者・作曲者エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)指揮王立アルバート講堂管(1926年のモノラル録音)

全曲演奏時間27分01秒の中で「ニムロッド」は12:03-14:51の2分48秒

http://www.youtube.com/watch?v=kaPtKoL-FsM

英帝国勲章(Order of the British Empire)勲二等(KBE)叙勲者、コリン・デイヴィス(Sir Colin Davis, 1927-2013)指揮バイエルン放送響(1983年のステレオ録音)

全曲演奏時間31分44秒の中で「ニムロッド」は12:44-16:51の4分07秒

https://www.youtube.com/watch?v=QDe4Bg7c_IU (リンク切れ)

米人指揮者リットン(Andrew Litton, b.1959)指揮王立フィル(1987年のデジタル録音)

全曲演奏時間30分43秒の中で「ニムロッド」は12:26-16:13の3分47秒

https://www.youtube.com/watch?v=P2OhGH3rFi4

露人指揮者テミルカーノフ(Ю́рий Хату́евич Темирка́нов = Yuri Khatuyevich Temirkanov, b.1938)指揮サンクトペテルブルク・フィル(2014年のライブ収録)

全曲演奏時間31分41秒の中で「ニムロッド」は12:48-16:45の3分57秒

http://www.youtube.com/watch?v=SvA6FtN8-n0

英人ウォス(Ashley Wass, b.1977)独奏ピアノ編曲版(2006年のデジタル録音)

全曲演奏時間32分35秒の中で「ニムロッド」は13:24-16:42の3分18秒

http://www.youtube.com/watch?v=rFgiPh6rZRs

【動画で説明】

Solving Elgar’s Enigma in 6 Minutes

(エルガーのエニグマの謎を6分で解く)

Inside the Score

2020年11月20日(金)

https://www.youtube.com/watch?v=vvISlBZxvCk

The Mystery Behind Elgar’s Enigma

(エルガーのエニグマの背後に潜むミステリー)

Listening In

2020年6月20日(土)

https://www.youtube.com/watch?v=ZatQm8ASsmI

以下は英帝国勲章(Order of the British Empire)勲二等(KBE)叙勲者で指揮者のアンドルー・デイヴィス(Sir Andrew Davis, b.1944)による解説

https://www.amazon.co.uk/dp/B0007X9T84/

Introduction

導入部

Whenever people ask me what English music is, or to put it another way, what gives English music its Englishness, I always turn for my first and best example to Elgar. Although he was, one might say, a quintessential Edwardian, still today his music somehow sums up our national psyche in a way that no other music quite manages to do. Our love of ceremony, a deeply passionate nature that no stiff upper lip can truly conceal, a wry sense of humour, a tendency to melancholy, pride in our achievements and a profound attachment to our unique countryside. Elgar has it all.

イングランド音楽とは何か、別の言い方をすれば、イングランド音楽にイングランド性を与えているものは何かと問われると、私がいつも最初にして最高の例として目を向けるのはエルガーです。人は言うかも知れません、エルガーはエドウォーディアン[註]の人の典型だと。しかし今日(こんにち)なお彼の音楽はどういうわけか私たちの国民精神(ナショナル・サイキー)の本質を捉(とら)えているのです。それも エルガー以外のどんな音楽もうまく捉(とら)えられないような遣()り方で。私たちの儀式への愛着。深く情熱的な性質、それも固い上唇(=困難にもじっと耐え忍ぶ態度)が隠そうとしても隠せない性質です。しかめっ面で皮肉たっぷりなユーモア感覚。憂鬱の傾向。過去の業績に対する誇り。イングランド特有の田舎への深い愛着。これらをエルガーの音楽はすべて有しているのです。

註: エドウォーディアンとは、エドウォーディアン・ピァりオッドゥ(Edwardian period: 「エドワード時代」)を指す。エ ドワード七世(Edward VII, 1841-1910; 在位1901-10)の治世(ちせい)のことであり、厳密には1901年1月22日(火)~1910年5月6日(金)を指すが、文化的には1901年1月22日(火)のヴィクトリア女王 (Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の薨去(こうきょ)から1914年8月4日(火)の第一次世界大戦への英国参戦までを指す。当時世界一の軍事力と経済力を持ちながら、軍事ではドイツの、経済ではアメリカの激しい追い上げを受けて不安を抱えていたが、文化は大きく花開いた。大戦前の優美で贅沢(せいたく) な時代を懐(なつ)かしむ懐古趣味が流行することが度々(たびたび)あり、1960年代前半にはレコード・デビュー当時のザ・ビートルズ(The Beatles)が半世紀前のエドウォーディアン・スタイルで登場した。

‘Nimrod’

「ニムロッド」

By far the most well-known variation is, of course, number nine, ‘Nimrod’. It’s probably one of the most famous tunes ever written and perhaps one of the most misunderstood. You can’t ignore the association with grief that it’s acquired over the years, but, in fact, it was never intended that way. ‘Nimrod’ is the name of the mighty hunter in classical mythology and the German word for ‘hunter’ is Jäger. So, with another example of clever wordplay, ‘Nimrod’ is the coded name Elgar gives to the variation about his publisher, August Jaeger. He was a profound influence on Elgar’s music, the man he trusted most on musical matters. But more than that, Elgar’s tortured letters to Jaeger reveal that the composer saw him as his true soul mate. Jaeger was the person Elgar turned to in times of depression and even despair.

(エニグマ変奏曲の中でも)突出して有名な変奏は、第9変奏の「ニムロッド」です。おそらくはこれまで書かれた中で最も有名な曲のひとつであり、ひょっとすると最も誤解された曲のひとつでもあります。長い歳月に亘(わた)って獲得してしまった哀悼の意を連想してしまうことは無視できませんが、実際にはそのように意図された曲ではないのです。「ニムロッド」とは(『旧約聖書』「創世記」10章8-9節に登場する)古典神話上の強靭な狩人ニムロデの英語名です。そして狩人はドイツ語でイェーガーです。したがってまたしてもエルガーが巧みな言葉遊びを用いて、自らの楽譜出版業者(で独系英人の)アウグスト・イェーガーに与えた暗号名が「ニムロッド」なのです。イェーガーはエルガーの音楽に多大な影響を与えています。イェーガーこそは音楽の事柄についてエルガーが最も信頼を寄せていた男でした。しかしそれ以上に、大きな悩みを抱えたエルガーがイェーガー宛に書いた手紙の数々は、作曲家エルガーがイェーガーを真の魂の友と見做(みな)していたことを表しています。エルガーが意気消沈したときや、絶望感に苛(さいな)まれたとき、目を向けた人物こそイェーガーなのです。

The two friends were sitting together one summer evening. Jaeger was trying to lift Elgar’s spirits. They were in a deep conversation about Beethoven and how moving they found some of his slower music. [Beethoven’s ‘Pathétique’ Sonata] This was the mood that Elgar set out to re-create as a tribute to his greatest friend. The beauty of the music, placed right in the middle of all the variations, gives a spiritual and emotional heart to the piece.

或()る夏の夜のこと、二人の友はベンチに腰かけ、イェーガーはエルガーを元気づけようとしていました。二人はベートーヴェンについて、そしてベートーヴェンの緩徐(かんじょ)楽章(=スロウ・ムーヴメント)がいかに感動的と思うかという会話にどっぷり嵌()まり込んでいました。[ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの音] これこそがエルガーが自らの無二の親友への謝辞として再現しようと書きつけたムードだったのです。その音楽の美しさは、エニグマ変奏曲全体の中心に位置していて、この作品に精神的かつ情緒的な心臓部を与えているのです。

Elgar takes the opening theme and removes the hesitant rests. These…. [Elgar] puts the whole thing into the major key, and we have….

エルガーはエニグマ変奏曲の出だしのテーマを持ってきて、そこから躊躇(ちゅうちょ)気味の休止部を取り払います。こんな感じです… (エルガーは)テーマ全体を長調に変貌(へんぼう)させます。こんな感じに…

It’s my personal favourite—and, I suspect, the nation’s. The variation has been used to reflect many of the country’s great and sad events for over a hundred years. It’s expressed our grief in some of our darkest hours. For me, it’s full of Elgar’s compassion for his fellow beings, our courage and nobility in times of conflict, certainly, but also the deepest level of hope in humanity, that the storm will pass and that the sun will shine once more.

これは私が個人的に特に気に入っている曲です。そしておそらくは国民のお気に入りでもあります。この変奏(=「ニムロッド」)は、百年以上に亘(わた)って国の大きな出来事や悲しい出来事を反映する曲として使われてきました。この曲は私たちの最も暗い時間(=逆境)の中で私たちの深い悲しみを表現してきました。私にとってこの曲はエルガーが同じ人間に抱いた思いやりや、もちろん戦時下の勇気や気高さに満ちていますが、また人類への最も深いレベルでの希望、嵐が通り過ぎ、太陽が再び輝くだろうという希望に満ちてい るのです。

(英文書き取り・日本語訳: 原田俊明)

(参考)

エルガーの音楽が気に入られた向きは、下記ウェブページをご堪能されたし。

https://sites.google.com/site/xapaga/home/elgar-1