西曆1957年12月25日(水・祝) グリニッヂ標準時15:00 英女王の聖誕祭メッセージ

国家元首による12月25日15時のクリスマス・メッセージで初の白黒テレビ放送

https://www.royal.uk/christmas-broadcast-1957

[動画](7分26秒)

The Queen’s Christmas Broadcast 1957

https://www.youtube.com/watch?v=mBRP-o6Q85s

Excerpts from the 1st stanza of the National Anthem [omitted in the shorter version]

英国国歌の第1連から一部を抜粋 [短縮版では省略]

[...]

(前略)

Send her victorious,

君(くん)に勝利(しょぅり)を、

Happy and glorious,

幸福(かうふく)と榮光(えいくゎぅ)を賜(たま)はせ、

Long to reign over us,

御世(みよ)の長(なが)からむことを、

God save the Queen.

神(かみ)よ女王(じよわう)を護(まも)り給(たま)へ。

(訳者不詳・原田俊明一部改変訳)

[スピーチ原稿]

Happy Christmas.

クリスマスおめでとうございます。

Twenty-five years ago my grandfather broadcast the first of these Christmas messages. Today is another landmark because television has made it possible for many of you to see me in your homes on Christmas Day. My own family often gather round to watch television as they are [at] this moment, and that is how I imagine you now.

二十五年前[註1]、私の祖父[註2]は例年の聖誕祭メッセージの第1回を放送しました。今日(=12月25日の聖誕祭祝日)は、また別の画期的な出来事です。というのも、テレビのお蔭で皆さんの多くが聖誕祭祝日(=12月25日)にご家庭に居ながらにして私の姿を見ることが可能になったからです。私の家族もよく一家団欒でテレビを視ますし、まさに今もそうしています。それに今皆さんもそうしてらっしゃるのではないかと私は想像します。

註1: 1932年のこと。

註2: 国王ジョージ五世(George V, 1865-1936; 在位1910-36)のことを指す。1922年10月18日(水)に設立されて間もない英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)が翌年(1923年)の聖誕祭祝日(Christmas Day)=1923年12月25日(火・祝)に国王の肉声を全国民及び全殖民地に向けて放送しましょうと提案したものの、当の国王ジョージ五世(George V, 1865-1936; 在位1910-36)自身の反対に遭い実現せず、九年後に同国王の側が妥協したことで1932年12月25日(日・祝)に漸(ようや)く第一回放送が始まった( https://www.youtube.com/watch?v=N1zOULYVbTs )。1957年にはこのように初の(白黒)テレビ放送版聖誕祭メッセージも実現した。なお、日本の一般国民が天皇の肉声をラジオで初めて聞いたのは、イギリスより十三年近く遅れた1945年8月15日(水) 正午の所謂(いわゆる)「玉音(ぎょくおん)放送」である。

I very much hope that this new medium will make my Christmas message more personal and direct.

この(テレビという)新しい媒体が私の聖誕祭メッセージを以前にも益(ま)して人間味に溢(あふ)れ直接訴えかけるようなものになればと私は心より希望します。

[The following is omitted in the shorter version.]

[以下は短縮版で省略]

It’s inevitable that I should seem a rather remote figure to many of you. A successor to the Kings and Queens of history; someone whose face may be familiar in newspapers and films but who never really touches your personal lives. But now at least for a few minutes I welcome you to the peace of my own home.

どうしても避けがたく、私は皆さんの多くにとって、ちょっと隔絶した人物に見えてしまうようです。歴史上の国王や女王から王位を継承する者であり、新聞やニュース映画[註3]でよく見かけるであろう顔ですが、本当の意味で皆さん個人個人の生活に関わりの無い人物かも知れません。でも今では少なくともほんの数分の間ですが、私は我が家(や)の平穏[註4]へと皆さんをお迎えします。

註3: 1957年当時はイギリスでも日本でも、映画館で映画本編を観る前に観客はニュース映画を見せられた。また、イギリスではニュース映画の前に全員で起立して歌詞を省いた国歌の録音が再生されるのを黙って聴いたものである。

註4: 王女(Princess)時代に長男ウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)と長女アン王女(Anne, Princess Royal, b.1950)の二人を、女王(Queen)になってから次男ヨーク公アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York, b.1960)と三男ウェセックス伯エドワード王子(Prince Edward, Earl of Wessex, b.1964)の二人、合計四人の子をもうけたが、まだこの時点では末っ子を除く四人中三人までが後に離婚することになろうとは誰も想像していなかった。

That it’s possible for some of you to see me today is just another example of the speed at which things are changing all around us. Because of these changes I am not surprised that many people feel lost and unable to decide what to hold on to and what to discard. How to take advantage of the new life without losing the best of the old.

皆さんの中の一部[註5]が今日(=12月25日の聖誕祭祝日)私の姿を見ることができるのは、私たちの周(まわ)りで物事が変化していくスピードのほんの一例です。こういった変化のために多くの人が迷子になったように感じたり、何にしがみつき何を捨てるべきか決めかねていることに私は驚きはしません。古い物の中から最良の物を失わずに新しい生活の利点を如何(いか)にして得るべきか。

註5: 当時はまだ少数派だったテレビを所有する家庭を指す。

But it’s not the new inventions which are the difficulty. The trouble is caused by unthinking people who carelessly throw away ageless ideals as if they were old and outworn machinery.

でも困難なのは新しい発明品ではありません。問題はよく考えない人々が時代を超越した理想を、まるで古くてくたびれた機械のように不注意にも捨ててしまうことで引き起こされます。

They would have religion thrown aside, morality in personal and public life made meaningless, honesty counted as foolishness and self-interest set up in place of self-restraint.

それらは捨て置かれてしまった宗教だったり、個人生活や公的生活に於(お)いて無意味にされてしまった道徳心だったり、愚かだと見做(みな)されてしまった正直の心だったり、自己抑制に代わって前面に出された自己利益だったりします。

At this critical moment in our history we will certainly lose the trust and respect of the world if we just abandon those fundamental principles which guided the men and women who built the greatness of this country and Commonwealth.

私たちの歴史に於(お)けるこの危機的な時ですが、我が国と英連邦の偉大さを築いた、その男女の別も無い様々な人々をこれまで導いてきた、そういった基本的な原理原則を捨て去れば、私たちは世界の信頼や尊敬を失ってしまいます。

Today we need a special kind of courage, not the kind needed in battle but a kind which makes us stand up for everything that we know is right, everything that is true and honest. We need the kind of courage that can withstand the subtle corruption of the cynics so that we can show the world that we are not afraid of the future.

今日(こんにち)私たちは特殊な種類の勇気を必要としています。戦闘で必要な種類の勇気ではなく、正しいことだと自分で知っていること全て、真実で正直なもの全てのために立ち上がるように仕向けてくれる種類の勇気です。私たちは冷笑家の微妙な腐敗堕落にも持ちこたえられるような種類の勇気、私たちが未来を恐れないことを世界に示せるような勇気を必要としています。

It has always been easy to hate and destroy. To build and to cherish is much more difficult. That’s why we can take a pride in the new Commonwealth we are building.

憎しみを抱いて破壊することはこれまで常に容易でした。構築して慈(いつく)しむ方がずっと難しい。そういうわけで私たちは現在自分たちが構築中の新しい英連邦に誇りを抱いているのです。

This year Ghana and Malaya joined our brotherhood. Both these countries are now entirely self-governing. Both achieved their new status amicably and peacefully.

今年(1957年)はガーナとマラヤ[註6]が私たちの兄弟友愛団体[註7]に加わりました。これらの二国は今では完全に自治権を得て独立しています。両国とも友好的且(か)つ平和的に[註8]新しい地位を獲得しました。

註6: 現在のマレーシアのことだが、八年後の1965年に無理やり切り離されて独立させられることになるシンガポールを含んでいた。

註7: 英連邦のことを指す。。

註8: 旧オランダ殖民地や旧フランス殖民地のような血みどろの独立戦争を経ていないことを暗に仄(ほの)めかしている。

This advance is a wonderful tribute to the efforts of men of goodwill who have worked together as friends, and I welcome these two countries with all my heart.

この進歩は、友人として協働してくださった善意の方々の努力の価値を示す素晴らしい証左(しょうさ)です。そして私はこれら二国を心より歓迎いたします。

Last October I opened the new Canadian Parliament, and as you know this was the first time that any Sovereign had done so in Ottawa. Once again I was overwhelmed by the loyalty and enthusiasm of my Canadian people.

この十月に私は新たにカナダ議会の開会宣言を行ないました。皆さんもご存じのように、これは英連邦君主国の国家元首[註9]が首都オタワで実施した最初の例です。今一度、我がカナダ人たちの忠誠心と熱心さに私は圧倒されました。

註9: 女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)その人を指す。

Also during 1957 my husband and I paid visits to Portugal, France, Denmark and the United States of America. In each case the arrangements and formalities were managed with great skill but no one could have ‘managed’ the welcome we received from the people.

また、1957年中に夫[註10]と私はポルトガルとフランスとデンマークとアメリカ合衆国を訪問しました。それぞれの場合に事前準備と礼式は非常に巧(たく)みに為(な)されていましたが、それらの国々の国民から受けた熱烈歓迎を「うまくこなし得た」人はいなかったことでしょう。

註10: 十年前の1947年11月20日(木)に結婚した五歳年上のドイツ系のデンマーク王子兼ギリシア王子で英国海軍(Royal Navy)士官だった王婿(おうせい: Prince Consort)のエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, b.1921)のことを指す。

In each country I was welcomed as Head of the Commonwealth and as your representative. These nations are our friends largely because we’ve always tried to do our best to be honest and kindly and because we have tried to stand up for what we believe to be right.

個々の国で私は英連邦の元首として、そして皆さんの代表者として歓迎されました。これらの国々は私たちの友人(=友好国)でありますが、それは私たちが常に最善を尽くして正直で親切心を持とうと努めてきたからであり、正しいと自分で信じていることのために立ち上がろうとしてきたからというのが大まかな理由です。

In the old days the monarch led his soldiers on the battlefield and his leadership at all times was close and personal.

昔の君主は兵士たちを自分で戦場へ導いたもので、その指導体制は常に閉鎖的で私的なものでした。

Today things are very different. I cannot lead you into battle, I do not give you laws or administer justice but I can do something else, I can give you my heart and my devotion to these old islands and to all the peoples of our brotherhood of nations.

今日(こんにち)物事は非常に異(こと)なります。私は皆さんを戦闘へと駆り立てることはできませんし、法律を制定したり、裁きを下すこともできませんが、何か違うことならできます。これら古き島々[註11]と諸邦の兄弟友愛団体[註12]の諸国民全員に我が心と献身を捧げることができます。

註11: 英国のことを指す。

註12: 上記の註7の通り、英連邦のことを指す。

I believe in our qualities and in our strength, I believe that together we can set an example to the world which will encourage upright people everywhere.

私は自分たち(英国人)の資質や強みを信じていますし、私たちは力を合わせて実直な人々を勇気づけるような模範を世界に示すことができると信じています。

I would like to read you a few lines from Pilgrim’s Progress, because I’m sure we can say with Mr Valiant for Truth, these words:

私は皆さんに『巡礼者の前進』[註13]から数行を読んで聞かせたいと思います。というのも、そこに登場する真実を求める剛毅(ごうき)氏とともに私たちは次のように言うことができまるからです。

註13: ジョン・バニヤン(John Bunyan, 1628-88)によって書かれたキリスト教寓話(a Christian allegory)で、1678年に正篇(Part I)が、1684年に続篇(Part II)が出版された。日本では邦題 『天路歴程』の名で知られている。破壊の都市(City of Destruction)に住む基督者(Christian)は、嘆きの叫びをあげてそこから逃れ出て、落胆の沼(Slough of Despond)に落ちるが、助力者(Help)に引き上げられる。福音伝道者(Evangelist)に導かれ、十字架のところでようやく重荷がなくなる。その後、悪魔アポリオン(Apollyon)に襲われたり、信仰者(Faithful)と出会ったり、饒舌者(Talkative)に騙(だま)されそうになったり、巨大絶望者(Giant Despair)に自殺を勧められたりしながら、基督者は巡礼(pilgrim)の旅を続ける。そして、良き道連れとしての有望者(Hopeful)と共に遂(つい)に天上の都市(the Celestial City)に至るというストーリー展開。

“Though with great difficulty I am got hither, yet now I do not repent me of all the trouble I have been at to arrive where I am. My sword I give to him that shall succeed me in my pilgrimage and my courage and skill to him that can get it. My marks and scars I carry with me, to be a witness for me that I have fought his battles who now will be my rewarder.”

「大(おほ)いなる苦難(くなん)を經(へ)ても我(われ)は此處(こゝ)まで辿(たど)り着(つ)けり。しかしながら、我(われ)は今(いま)居(ゐ)る場所(ばしよ)に到達(たうたつ)する爲(ため)に拂(はら)ひし勞苦(らうく)を悔(く)いてはゐない。我(わ)が劍(つるぎ)、我(われ)は巡禮(じゆんれい)の旅(たび)を嗣(つ)がんとする者(もの)に與(あた)へん。我(わ)が勇氣(ゆうき)と技(わざ)、我(われ)は其(そ)を獲得(かくとく)せんとする者(もの)に與(あた)へん。我(わ)が染傷(しみきず)と切傷(きりきず)の蹟(あと)、我(われ)は持續(もちつゞ)けやう、我(われ)が戰(いくさ)で鬪(たゝか)ひし證拠(あかし)として、今(いま)では報(むく)ひて吳(く)れる者(もの)として。」と。

[The above 16 paragraphs are omitted in the shorter version.]

[上記の中間16段落は短縮版で省略]

I hope that 1958 may bring you God’s blessing and all the things you long for.

1958年が神[註14]の祝福とご自分が求めるもの全てを皆さんに齎(もたら)すよう希望します。

註14: この場合の「神」とは、戦国時代の日本語で言う天主樣(てんしゅさま)、中文で言う上帝(Shàngdì)のことであり、一神教の唯一絶対の神を指す。

And so I wish you all, young and old, wherever you may be, all the fun and enjoyment, and the peace of a very happy Christmas.

そして私が老いも若きも皆さんに望むのは、どこに居ようとも、楽しみと喜び、そして平穏無事です、それも、とってもめでたいクリスマスの。

(日本語訳: 原田俊明)

[動画] 短縮版(1分05秒)

The Queen’s Christmas Broadcast 1957

http://www.youtube.com/watch?v=KrtiD3nIHyQ