ワイルド作 『ドリアン・グレイの肖像』(1891年)第一章から冒頭部

英領アイルランド生まれの英国劇作家・詩人・評論家・小説家のオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)の全作品中で唯一の長篇小説 『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray, 1891)の第一章冒頭原文と和訳文11種を時代順に下記に引用する。太字ボールド体)は、このウェブサイトの管理人 xapaga によるものである。文中には「一種束(つか)の間()の日本的効果を醸(かも)し出し」(producing a kind of momentary Japanese effect)や、「くすんだ翡翠(ヒスイ)のような顔をした東京の絵師たちのことを、必然的に不動の藝術という媒介を通して迅速さと動きの感覚を伝達しようとするあの絵師たちのことを」(of those pallid, jade-faced painters of Tokyo who, through the medium of an art that is necessarily immobile, seek to convey the sense of swiftness and motion)といった当時流行のジャポニスム(japonisme)的な表現が見られる。ジャポニスムと言えば、ワイルドの友人でもあった米国出身の英国画家ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー(James A. McNeill Whistler, 1834-1903)、イギリス発音ではウィスラーの絵画が、その日英様式(Anglo-Japanese style)で特に名高い( http://www.jamesabbottmcneillwhistler.org / https://www.google.co.jp/search?q=james+mcneill+whistler&client=firefox-b&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiO_4K4jqPVAhUBPpQKHW4rBqUQ_AUICigB&biw=1353&bih=604 / https://en.wikipedia.org/wiki/James_Abbott_McNeill_Whistler / https://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Japanese_style )。

本ウェブサイトの技術的制約ゆえに、書籍の文中のルビは下記訳文中では半角カッコ内に収めた。

[原文]

Oscar Wilde (1854-1900), The Picture of Dorian Gray (1891)

CHAPTER 1

The studio was filled with the rich odour of roses, and when the light summer wind stirred amidst the trees of the garden, there came through the open door the heavy scent of the lilac, or the more delicate perfume of the pink-flowering thorn.

From the corner of the divan of Persian saddle-bags on which he was lying, smoking, as was his custom, innumerable cigarettes, Lord Henry Wotton could just catch the gleam of the honey-sweet and honey-coloured blossoms of a laburnum, whose tremulous branches seemed hardly able to bear the burden of a beauty so flamelike as theirs; and now and then the fantastic shadows of birds in flight flitted across the long tussore-silk curtains that were stretched in front of the huge window, producing a kind of momentary Japanese effect, and making him think of those pallid, jade-faced painters of Tokyo who, through the medium of an art that is necessarily immobile, seek to convey the sense of swiftness and motion. The sullen murmur of the bees shouldering their way through the long unmown grass, or circling with monotonous insistence round the dusty gilt horns of the straggling woodbine, seemed to make the stillness more oppressive. The dim roar of London was like the bourdon note of a distant organ.

大英図書館が公開する初版原文 https://www.bl.uk/collection-items/1891-edition-of-the-picture-of-dorian-gray

プロジェクト・グーテンベルクによる原文掲載 https://www.gutenberg.org/files/174/174-h/174-h.htm

朗読 https://www.youtube.com/watch?v=KR4a7cFm1ls

オスカア、ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、鴻巢歌吉(こうのす うたきち, 生歿年不詳)、本名 吉岡文次郎(よしおか ぶんじろう, 生歿年不詳)譯 『怪談ドリアングレー』(鍾美堂書店 世界文藝叢書 チヨイス・シリーズ, 1914年=大正3年)

畫室は薔薇(ばら)の花の强い薰(かをり)で充滿(いつぱい)で夏の微風(そよかぜ)が花園(には)の樹立(こだち)の間をそよ/\と吹くたびに紫丁香花(ライラツク)の惡どい香(にほひ)や罌粟(けし)の花の床しい薰匂(かをり)が開放つた窓から室に這入つて來る。

波斯式(ペルシヤしき)鞍嚢製(あんなうせい)の褥椅(いすぶとん)の偶に寢轉(ねころ)んでスパ/\平時(いつも)の癖の煙草を燻(くゆ)らして居たヘンリー、ワットン卿は粲々(ぴか/\)輝いて居るラバーナムの花を眺めて居た。而()して大窓の前に垂れてある長い土耳古絹(トルコぎぬ)の窓掛にさす鳥影(とりかげ)の床しい俤(おもかげ)は何となく日本畫の趣味(おもむき)を傳へてあの蒼白(あをざめ)た貧相な東京の繪師(ゑかき)のことを思はせた。生()ふがまゝに繁(しげ)つて居る雜草の中や地面に蔓(はびこ)つてゐる忍冬(すひかづら)の荊(とげ)を何時も同じやうに飛び周(まは)つて居る陰氣な蜜蜂(みつばち)のブン(、、)/\云ふ囁(さゝやき)は四邊(あたり)の閑寂をして益々重苦しくなさしめた。倫敦(ロンドン)の幽(かす)かに聞える町の喧騷(さわぎ)も遠音(とほね)に聞く風琴(オルガン)の調(しら)べのやうであつた。

オスカア・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、矢口達(やぐち たつ, 1889-1936)譯 『ドリアン・グレイの畫像』(天佑社, 1922年=大正11年)

畫室は薔薇の花の濃厚な香に充たされて居た。そして夏の輕やかな風が庭の樹立にそよぎ亙る時、紫丁香花(ライラツク)の濃い匂ひや、石竹色に花を開いた茨の、もつとしほらしい薰りなどが開放された窓から、部屋の中へ流れ込んだ。

ヘンリー・ヲットン卿は、いつものやうに、ペルシアの鞍嚢で造つた長椅子の上に身を橫へて、しきりと煙草を燻らしながら、庭に咲いて居る紫百合の、蜜のやうに甘い蜜のやうな色の花を、長椅子の一隅からちらりと見ることが出來た、其風にも堪へないやうな細い枝はあんな炎のやうな美しい大きな花を支へることが出來まいと思はれるのであつた、そして時折、巨きな窓の前に展げられた長い山蠶絹の窓掛をつい(、、)/\と過(よぎ)つて飛ぶ小鳥の幻想的な影は、瞬間的な日本畫のおもかげを忍ばしめた、そして必然的に不動性な藝術を仲介として、敏速と運動とを傳へようとする蒼褪めて痩せ衰へた東京の畫家のことを彼に考へさせた。繁るまゝに繁り伸びた雜草の間を搔分けるやうに飛び廻つたり、地に匍つて居る忍冬(すひかづら)の埃塵にまみれた鬚(ひげ)のあたりを單調に執拗に飛び廻つて居る蜜蜂の重苦しい唸りは、あたりの靜寂を一層息苦しくするやうに思はれた。倫敦のおぼろな喧騷も遠くにあるオルガンの單調音のやうであつた。

オスカア・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、平田禿木(ひらた とくぼく, 1873-1943)譯 『ドリアン・グレエの畫像 附・獄中より』(國民文庫刊行會, 1925年=大正14年)

畫室(ぐゎしつ)は薔薇(ばら)の濃()い香(かを)りに充()ちてゐた、して、輕(かる)い夏(なつ)の風(かぜ)が庭園(には)の木()の間()に起(おこ)ると、開()いた扉()から紫丁香花(ライラツク)の重苦(おもくる)しい香(にほ)ひや、薄桃色(うすもゝいろ)の花(はな)の咲()いてゐる、茨(いばら)の微妙(かすか)な芳香(かをり)が吹()き送(おく)られて來()た。

例(れい)の通(とほ)り、幾本(いくほん)ともなく紙卷煙草(シガレツト)を薰(くゆ)らしながら橫になつてゐる、波斯風(ペルシヤふう)の鞍嚢(サツドル・バツグ)の長椅子(ながいす)の一隅(ぐう)から、ヘンレエ・ウオツトン卿(きやう)は、ゆらめくその枝(えだ)が、あゝした炎(ほのほ)のやうな美()の重荷(おもに)には殆(ほとん)ど堪()へられまいと思(おも)へる、蜜(みつ)のやうに甘(あま)く、蜜(みつ)のやうな色(いろ)をした黃藤(ラバアナム)の輝(きら)めきを、ちらと眼()にし得()るのでした、して折々(をり/\)、飛()んでゐる小鳥(とり)の奇妙(きめう)な影(かげ)が、巨大(おほき)な窓(まど)の前(まへ)に引()いてある、長(なが)く垂()れた山蠶絹(やままゆぎぬ)の窓掛(まどかけ)の上(うへ)にちら/\と映(うつ)るので、一種(いつしゆ)刹那(せつな)の日本風(にほんふう)の效果(かうくゎ)を齎(もたら)し、必然(ひつぜん)不動(ふどう)であるべきその藝術(げいじゆつ)に由()つて、迅速(じんそく)と運動(うんどう)の感(かん)を傳(つた)へようとする、顏色(がんしよく)憔悴(せうすゐ)した東京(とうきやう)の畫家(ぐゎか)のことを思(おも)はせるのでした。長(なが)い延()び放題(はうだい)の草(くさ)の中(なか)を衝()いて行()き、また、飽()くまで單調(たんてう)な執拗(しつえう)をもて、はひ纏(まつ)はる忍冬(すひかづら)の、埃(ほこり)だらけな、黃金色(きんいろ)の、角型(つのがた)の花の周圍(ぐるり)をば、くる/\廻(まは)つてゐる蜂(はち)の沈(しづ)んだ私語(さゝやき)で、靜寂(しづかさ)は一層(いつそう)壓(おさ)へつけられるやうになつて來()るやうに思(おも)へ、倫敦(みやこ)の微(かす)かな轟(とどろ)きは、遠(とほ)いオゝガンの唸(うな)りのやうに聽(きこ)えるのでした。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018063

ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、西村孝次(にしむら こうじ, 1907-2004)譯 『ドリアン・グレイの畫像』(岩波書店, 1936年=昭和11年)

畫室は薔薇の濃いかをりに充ちてゐた、そして輕やかな夏風が庭園の樹立にそよぐと、紫丁香花(ライラツク)の重いにほひや、石竹色の花をつけた茨の更に馥郁たる馨りが、開け放たれた扉口から流れ入るのだつた。

いつもの通り、幾本となく卷煙草を喫かしながら、橫になつてゐた波斯風の鞍嚢(サドル・バグ)の布團椅子(ディヴァン)の一隅から、ヘンリ・ウォットン卿は、きんぐさりの蜜のやうに甘くまた蜜のやうな色をした花の輝きを、ちらと見ることができた、搖れてゐるその枝は、ああした炎のやうな美の重荷はとても支へ切れまいと思はれるのだつた、そして時折、すいすいと飛んでゐる小鳥の奇妙な影が、巨きな窻の前に展げられた長い山蠶(やままゆ)絹の帳(とばり)を掠めて、一種刹那的な日本風の效果を生み、必然不動であるべき藝術に由つて、迅速と運動との感じを傳へようとする、あの蒼褪めて憔悴した東京 Tokio の畫家たちのことを想はせるのだつた。繁るがままに生ひ繁つた雜草の間を搔き分けて行つたり、延びはだかつた忍冬(すひかづら)の埃だらけな金色の鬚のぐるりを、單調な執拗さを以て飛び廻つたりしてゐる蜂の重苦しい唸り聲で、あたりの靜けさはひとしほ息苦しくなるやうに思はれる。倫敦の微かなどよめきも、はるかなるオルガンの單調低音のやうだつた。

ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、平井程一(ひらい ていいち, 1902-76)譯 『ドリアン・グレーの畫像』(改造社, 1950年=昭和25年)

畫室は薔薇の花の高いにほひがいつぱいにしてゐた。夏のそよ風が庭の木立のあひだをさわさわとそよぎわたると、そのたびにライラックの重たげなにほひやとき色の花をつけた野茨のそれよりもまた一そう馥郁としたかほりが、明けはなした扉口の方から流れこんできた。

ペルシャ風の鞍嚢をはつた低い長椅子の片隅にながながと臥そべりながら、もうさつきから幾本となく煙草をふかしてゐるヘンリー・ウォットン卿は、そこから風に搖れてゐる庭のきんぐさりの木の、色も香もちようど蜂蜜のそれに似た花の、きらきらした光りを目に捉へることができた。風にふるゑてゐるしなやかなその枝は、燃えさかる炎のやうなうつくしい花の重荷に、見るからに堪えやらぬやうに見えてゐた。大きな窓のまへには長い山繭織のカーテンが下つてゐて、そのうへにときをりちらりと夢のやうな鳥かげがさす。すると一瞬どうやらそれが一種刹那的な日本風な効果をあげて、その色蒼ざめやつれおとろへたTOKIOの畫匠たち、——もともと靜止的なものであるべき藝術を媒躰にとりあげながら、そこへ閃くごとき敏捷さとものの動きの感じとをつたへようとしたあの畫匠たちのことをはうふつとして想ひ出させるのであつた。刈りとられることもなしに延びはうだいに茂つた丈なす夏草のあひだや、蔓の這ひのびた忍冬の埃にまみれた金色の髭のまはりをしつこく飛びめぐつてゐる蜜蜂の重くるしい單調な翅音が、あたりの靜けさを一そう息ぐるしいものにしてゐるやうに思はれる。遠くかすかなロンドンの街の騷音も、いまは遙かどこか遠方の低いオルガンの單音のひびきのやうであつた。

ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、平井正穂(ひらい まさお; 有職読みで「せいほ」, 1911-2005)訳 『ドリアン・グレイの肖像』(筑摩書房, 1964年=昭和39年)

第一章

画室の中には薔薇(ばら)のむせるような香りがただよって(原文のママ)いた。庭園の木立ちの間をさわやかな夏の風がそよそよと吹きすぎると、開け放たれた扉からライラックの強い芳香や、どうかすると、桃色の花をつけたさんざし(、、、、)のもっと繊細な香りが部屋の中へ流れこんできていた。

いつものくせで、巻煙草をあとからあとから吹かしながら、ヘンリ・ウォトン卿はペルシャ製の毛氈(もうせん)の張ってあるソファの一隅に寝そべっていたが、そこからは、蜜のような甘さをもち、蜜のような色をしたきんぐさり(、、、、、)の花の輝きがちらちら見かけられた。まるで炎のように美しい花の重さにたえかねるといった風情(ふぜい)で、その枝はうちふるえていた。ときどき、大きな窓にかけられた長い繭紬(けんちゅう)のカーテンの上におもしろい影をおとしながら小鳥がかすめるように飛んでいった。一瞬、ある種の日本風な情調が漂う(原文のママ)のだったが、彼はふと、宿命的に微動だにしない芸術を媒介として速さと動きの感じをつたえようとした、あの蒼白く憔悴(しょうすい)した東京(トーキョー)の画家たちのことを思いうかべたほどだった。刈りこまれないままに長く伸びた芝生の中をあくせくとかきわけたり、はびこり放題にはびこったすいかずら(、、、、、)のほこりっぽい金色の花のまわりをしょうこりもなくぐるぐる回っている蜂のものうい唸り声も、あたりの静けさをいっそう重苦しいものにしているように感じられた。ロンドンの鈍い騒音も、遠方から聞こえてくるオルガンの低温のように感じられた。

ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、福田恆存(ふくだ つねあり; 有職読みで「こうそん」, 1912-94)訳 『ドリアン・グレイの肖像』(新潮社 新潮文庫, 1967年=昭和42年7刷改版)

第一章

アトリエの中には薔薇(ばら)のゆたかな香りが満ち溢(あふ)れ、かすかな夏の風が庭の木立ちを吹きぬけて、開けはなしの戸口から、ライラックの淀(よど)んだ匂いや、ピンク色に咲き誇るさんざし(、、、、)のひとしお細やかな香りを運んでくる。

ペルシャ製の鞍嚢(サドル・バッグ)でできた寝椅子に横たわったまま、いつものようにたて続けに何本もの巻煙草をふかしているヘンリー・ウォットン卿(きょう)の眼には、蜂蜜(はちみつ)の甘さと彩(いろど)りとをもったきんぐさり(、、、、、)の花のきらめきだけが映っていた。そのかすかに震える枝々は、焔(ほのお)にも似た美しさの重荷に耐えるのが精一杯であるかのようだった。時おり、おもてを飛ぶ小鳥の夢のような影が、大きな窓にかかった長い山繭(やままゆ)織りのカーテンをよぎり、その一瞬、まさに日本的な気分をつくり出す。すると、かれに脳裡(のうり)には、固定した芸術媒体を通じて身軽さと動きの感じを伝えようとするあの東京の画家たちの硬玉のように青白い顔が泛(うか)んでくる。刈られぬままに長く伸びた草の合間を飛びぬけ、すいかずら(、、、、、)の埃(ほこり)にまみれた金箔(きんぱく)の距(きょ)の周囲を単調な執念深さで巡(めぐ)る蜂の鈍い唸(うな)りは、あたりの静かさをいっそう重苦しく感じさせ、かすかに響くロンドン市街の騒音は、遠くのオルガンから聞える最低音をおもわせた。

ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、富士川義之(ふじかわ よしゆき, b.1938)訳 『ドリアン・グレイの画像』(講談社, 1978年=昭和53年)

第一章

アトリエのなかには薔薇の強烈な香がいっぱいに溢れていた。夏の微風(そよかぜ)が庭園の木立ちのあいだを吹き抜けると、開け放たれた扉から、ライラックのむせるような匂いや、桃色の花をつけたさんざし(、、、、)のいちだんと繊細な香が漂って来る。

ヘンリー・ウォトン卿は、いつものように、次から次へとひっきりなしに煙草(たばこ)を喫いながら、ペルシャ製毛氈(もうせん)張りのクッション付きの寝椅子に横になっていたが、その一隅からだと、蜂蜜のように甘く、蜂蜜のような色彩の、きんぐさり(、、、、、)の花の輝きがわずかに眼に映るばかりである。そのかすかに顫(ふる)える枝々は、さながら炎のように美しい花の重さにほとんど耐えかねているといった風情(ふぜい)に見える。時々、たいそう大きな窓の前に張り渡された長い繭紬(けんちゅう)のカーテンに、外を飛んでいる小鳥たちの幻想的な影が去来し、一瞬、ある種の日本的な趣きを生じさせたものだから、必ずと言っていいほど静止的な芸術を媒介として速さと動きの感じを伝えようとする、あの青白く疲弊した顔つきの東京(トーキョー)の画家たちのことを、彼はふと思うのだった。刈り取られることもなく長く伸び放題の芝生のなかを押し分けるようにして進んだり、だらだらと拡ったすいかずら(、、、、、)の金粉をまぶしたような柱頭の周囲を単調に、しつこくぐるぐる旋回する蜂の物憂げな唸り声も、あたりの静けさをいっそう重苦しいものとしているように思われる。かすかに聞えるロンドンの喧騒も、まるで遠くに響くオルガンの低い調べのようだ。

オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、仁木めぐみ(にき めぐみ, 生年非公開)訳 『ドリアン・グレイの肖像』(光文社 古典新訳文庫, 2006年=平成18年)

第一章

アトリエには薔薇の豊かな香りが満ち、夏のそよ風が庭の木々をざわめかせると、開いたドアから、ライラックのむっとするような香りや、あるいはピンクの花を咲かせる山査子(さんざし)の、より繊細なかぐわしい香りが流れこんでくる。

ヘンリー・ウォットン卿はペルシアの鞍袋(サドルバッグ)でできた長椅子に寝そべり、いつものように際限なく煙草を吸いながら、ちょうど、蜂蜜のように甘く、色合いも蜂蜜のような金蓮花(きんれんか)の花が、かすかにきらめくのを見た。その枝はまるで火のような美しさという重荷を背負いきれないように震えている。そしてときどき飛び立っていく小鳥の影が大きな窓の前にかけられた長い天蚕絹(タッサーシルク)のカーテンに幻のように落ち、一瞬日本的な雰囲気を作り出している。それを見た彼はこうした静的な形式の芸術を通じて敏捷さと動きを表現しようとしている、青白く疲れた顔をした東京の画家たちを思い浮かべた。刈られていない長く伸びた草の間や、もつれたすいかずらのにぶく輝く先端の周りを単調に飛び回る蜂の陰気な羽音のせいで、静けさがさらに強く感じられる。かすかにきこえるロンドンの喧騒が、遠いオルガンの最低音(ブルドン)のように響いている。

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オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、渡辺純(わたなべ じゅん, 生年不詳)訳 『ドリアン・グレイの肖像』(グーテンベルク21, 2012年=平成24年)

第一章

画室は薔薇(ばら)のゆたかな芳香に充ちていて、夏のそよ風が庭の木立をぬけて来ると、開いた扉からライラックの強い香りや、淡紅色の花をつけたさんざし(、、、、)のおだやかな匂いが流れてきた。

ヘンリ・ウォットン卿が例によって身を横たえて幾本となく煙草をくゆらしている、ペルシアの鞍嚢地製(サドル・バッグ)の長椅子(いす)の一隅からは、蜜のように甘く蜜のような色をしたきんぐさり(、、、、、)の花の輝きが見られるのであった。そしてそのきんぐさりのおののく枝は、火焔のような美しい花の重みにたえかねる風情であった。大きな窓に張られた、山繭(やままゆ)絹布の長いカーテンを、時折り飛鳥(ひちょう)の夢幻的な影がかすめ、ほんの一瞬、一種日本的な効果をあらわした。すると彼の頭には硬玉のように蒼(あお)ざめた顔をした、東京の画家たちのことがうかんだ。この画家たちというのは、必然的に不動のものである一つの芸術を媒体として、速さと動きの感覚を伝えようとするものなのだ。伸び放題の長い芝生の中をかきわけたり、ぶらぶら垂れ下がっているすいかずら(、、、、、)の金色の埃(ほこり)っぽい角(つの)型の花の周囲を、単調なしつこさを見せて飛び回っている蜜蜂の羽音が、静寂をいっそう重苦しく思わせるようであった。ロンドンのかすかな騒音は遠くのオルガンの低音にも似ている。

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オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)作、小林町子(こばやし まちこ, 生年不詳)監訳 『ドリアン・グレイの肖像』(バベルプレス, 2014年=平成26年)

第一章

アトリエは豊かなバラの芳香に満ちていた。夏のそよ風が庭の木々を揺らし、開け放った扉から吹き込むと、ライラックの濃厚な匂いが——いや、ピンクの花を咲かせているイバラのもっと控え目な香りが入り込んできた。

ペルシャ製の鞍袋(サドルバッグ)でできた寝椅子の一画に横たわり、ロード・ヘンリー・ウォットンがいつものように数えきれないほどのタバコを吸っている。そこからは、甘い蜜を蓄え、蜜色をしたキングサリの花の輝きしか目に入らない。その枝は震え、おのれの炎のような美しさという重みに耐えかねているようだった。ときおり空を飛び交う鳥の幻想的な影が、巨大な窓にかかっている長いタッサーシルク(註: 柞蚕糸(さくさんし)で織った絹織物。)のカーテンをさっと横切り、ほんの一瞬、ある種の日本的な光景を創りだす。それを見たロード・ヘンリーは、翡翠(ひすい)を思わせる青白い顔をした東京の絵描きたちを思い出した。彼らは絵画という動きのない芸術の中で、どうしたらスピード感や躍動感を伝えられるか模索していた。蜂がまだ刈り取っていない草をかき分けて飛んでいるのか、スイカズラのほこりにまみれた金色の突起の周りを単調に旋回しているのか、鈍いかすかな羽音を立てている。その陰うつな羽音が、静けさをより一層重苦しくした。ロンドンのかすかな喧騒(けんそう)は、遠くから流れてくるオルガンの低い音色のように聞こえる。

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