専門英語(歴文)05(2014/ 6/12) ゴシック建築

後代のルネサンスとの比較としての中世美術

中世までは作者は(藝術家ではなく)職人だった。そのため作品は作者不詳である。他者に対して自分の業績をひけらかすことがなかったので、完成した作品に自分のサインをする習慣はなかった。中世美術では、逆遠近法(伊 la prospettiva invertita ラ・プろスペッティーヴァ・インヴェるティータ; 仏 la perspective inversée ラペふスペクティーヴァンヴェふセ; 独 die umgekehrte Perspektive ディ・ウムゲケーるテ・ペァスペクティーフェ; 英 reverse perspective りヴァース・パスクティヴ、または inverted perspective インヴァーティド・パスクティヴ)が用いられている。これは後世(ルネサンス)以来の遠近法を逆にしたような、現在の視点からすると幼稚な技法である。

奥の方に居る人物が大きく、手前の人物が小さい。或いは両者とも同じ大きさということもある。テーブルが奥に向かって幅広くなっていく。テーブルに置かれ た食器や書物が、上からの眺めと横からの眺めを同時に満たして描かれる。絵画の制作者は画面の内側に入り込んでいるという発想で描かれている。作者は画面 の中の人物の視点から画面の外を見ている。テーブルの上の物を眺める視点は斜め上や真横という具合に多角的である。見え方の多様性が追究されるので、完成 した作品は写実から程遠い物になってしまう。中世の無名の画工たちは人々が日常的に体験することを分解せずそのまま全体的に画面に再現しようとした。その ため自ら画面の空間内に身を置き、鑑賞者にも内部体験を誘った。(酒井健 『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』に依拠)

ゴシック絵画の例)ライン川中流地域の画家(氏名不詳)による

1410-20年頃の「天国の小さな庭」

(独 Paradiesgärtlein パらディーゲァトライン; 英 Little Garden of Paradise)

別邦題「パラダイスの庭」

「聖母の秘密の庭」(羅 Hortus Conclusus ホるトゥス・コンクルースス)の一種。遠近法が確立されていない。草花(視覚と嗅覚)、果物(味覚)、弦楽器(聴覚)、水(聴覚と触覚)といった五感の悦 楽、つまり天上界の喜びが表現され、宗教的な寓意(ぐうい)が散りばめられている。たとえば、画面上方の塀囲いは中世の僧院のイメージだが、ここでは囲わ れた想像上の楽園を意味する。画面左上の木の実を採る女はエデンの園でアダムとイヴが犯した罪を暗示する。画面上中央の女性は聖母マリアであり、永遠の処 女性を象徴する。画面左下の泉は生命と神の恵みの源であり、女が金の柄杓(ひしゃく)で水を汲(く)むことによって泉の象徴性が高められる。画面中央下の 聖女チェチリアと遊ぶ幼子キリストは、ここが安全な場所であることを示唆する。画面右下の鎖で繋(つな)がれた猿は、服従する悪魔であると同時に抑えられ た性欲・肉体的欲望を象徴する。画面のさらに右端の語り合う3人は、天使と僧侶と聖ゲオルギオス(竜を退治したとされる聖人)である。

http://www.youtube.com/watch?v=PTu_lBnZXgc

【参考文献】

千足伸行[監修]『すぐわかる西洋絵画よみとき66のキーワード』(東京美術, 2008年)

恵泉女学園大学の紀要に掲載された論文、池上英洋「花園に咲く薔薇の香り −園芸の図像学(1)−」 ( http://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/pdf/e3_ikegami.pdf

ゴシック(英 Gothic シック; 仏 Gothique ゴティック; 独 Gotik ゴティーク; 伊 Gotico ティコ)という用語

そもそも誤った呼び名。元来は「ゴート人の」「ゴート風で野蛮な」という意味のイタリア語Gotico (ゴティコ)に端を発する蔑称。ゴート人とは、スカンディナヴィア半島南部(現在のスウェーデン南部)に住んでいたゲルマン民族の一種族で、2世紀に黒海 周辺に移動し、5世紀の410年にローマ帝国領に侵入し、イベリア半島(現在のスペイン)に西ゴート帝国(418-711)、イタリア半島一帯に東ゴート 帝国(493-553)を築いた。イタリア人から見ると野蛮人とされる。

後世(15世紀から16世紀)のイタリア・ルネサンスの知識人はアルプス以北のゲルマン民族すべてを野蛮な「ゴート人」と勝手に誤認していた。盛期ルネサンスの画家ラファエッロ・サンティ(Raffaello Santi, 1483-1520)も「ドイツの建築様式」を意味する la maniera dell’architectura Tedescha (ラ・マニエーら・デッラるキテクトゥーら・テデースカ)と誤認した。

しかし実際にはゴシック様式を起こして発展させたのは、12世紀のフラン ス北部のイル・ド・フランス(「フランスの島」の意味で、首都パリを中心とした地域のこと)地方の人々であり、ゴート人とは何ら関係がなかった。フランス 北部の当人たちは、後に誤って「ゴシック建築」と呼ばれることになる自分たちの建築のことを「ゴート人風」などとは認識せず、羅典語で「現代作品」を意味 する opus modernum (オプス・モデるヌム)と呼んでいた。また、13世紀のドイツでは羅典語で「フランス作品」を意味する opus frangēnum (オプス・フらンゲーヌム)と呼んだ。

「ゴシック式」の定義(三省堂『スーパー大辞林』による)

ヨーロッパ中世の美術様式。ロマネスクに次いで一二世紀中頃北フランスにおこり、各国に広まってそれぞれ発展をみた。教会堂建築が主で、リブ-ボールト (肋骨穹窿(ろっこつきゅうりゅう))・バットレス(控え壁)・尖頭アーチを構成要素とする。広い窓をとり、高い尖塔や尖頭アーチなどの垂直線から生じる 強い上昇効果を特徴とする。

ウィキペディア英語版( http://en.wikipedia.org/wiki/Gothic_architecture )によるゴシック建築の説明冒頭

Gothic architecture is a style of architecture that flourished during the high and late medieval period. It evolved from Romanesque architecture and was succeeded by Renaissance architecture. Originating in 12th-century France and lasting into the 16th century, Gothic architecture was known during the period as Opus Francigenum (“French work”) with the term Gothic first appearing during the latter part of the Renaissance. Its characteristics include the pointed arch, the ribbed vault and the flying buttress. Gothic architecture is most familiar as the architecture of many of the great cathedrals, abbeys and churches of Europe. It is also the architecture of many castles, palaces, town halls, guild halls, universities and to a less prominent extent, private dwellings.

語註

- flourished: 栄えた.

- the high and late medieval period: 中世盛期と中世後期.

- evolved: 進化した, 発展した.

- was succeeded by: ~に引き継がれた.

- Originating in: ~に端を発し.

- lasting into: ~にまで持続し.

- was known: 知られていた.

- during the period: その時代(中世)には.

- with the term Gothic first appearing: ゴシックという用語が最初に現れたのは....

- during the latter part of the Renaissance: ルネサンス後期に.

- Its characteristics: その特徴.

- include: ~を含む.

- the pointed arch: 尖塔(せんとう)アーチ.

- the ribbed vault: 肋骨穹窿(ろっこつきゅうりゅう), リブ・ボールト.

- the flying buttress: 飛び控え壁(バットレス), 飛梁(とびばり), フライング・バットレス.

- most familiar as: ~として最も馴染(なじみ)がある.

- many of: ~の多く.

- cathedrals: 司教座聖堂(大聖堂).

- abbeys: 僧院(そういん).

- castles: 城, 城館(じょうかん).

- palaces: 宮殿.

- town halls: 市庁舎.

- guild halls: ギルド・ホール, 同業者組合の集会所.

- to a less prominent extent: あまり傑出していない程度としては.

- private dwellings: 個人の住居.

カテドラル(仏 cathédrale カテドはッル; 英 cathedral カシードろー; 独 Dom ドーム; 伊 duomo ドゥオーモ; 中文で主教座堂、大教堂; 日本語で司教座教会堂、司教座聖堂、大聖堂、カテドラル)

四世紀初頭の313年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝がそれまで三百年近く禁教とされてきた基督(キリスト)教を公認した。392年にはテオドシウス 帝が基督教をローマ帝国の国教に制定し、紀元前50年以来、ローマの属領ガリアだった土地(現在のフランスの大部分)の都市集落に高位聖職者である「司 教」(羅 episcopus エピスコプス; 仏 évêque エヴェック; 伊 vescovo ヴェスコーヴォ; 英 bishop ビショップ; 独 Bischof ビショフ)を配置した。5世紀後半の476年に西ローマ帝国が滅びるが、ガリアの都市集落では司教が治める集落だけが生き延びた。司教の教会堂は当初、希 臘語に由来する羅典語で ecclesia (エクレーシア)と呼ばれたが、他の礼拝堂もそう呼ばれ出したので、区別の必要から ecclesia cathedralis (エクレーシア・カテドらーリス)、つまり司教座教会堂と命名されることになった。それは西ローマ帝国崩壊から三百年近くを経た8世紀のことだった。しか しエクレーシア・カテドラーリスの中世仏語表現の複数形 yglises cathedraux(現代仏語で églises cathédrales エグリーズ・カテドはッル)が初めて文献に登場したのが1180年のことで、表現として定着したのは、大聖堂がゴシック様式に再建・改装されていった12 世紀から13世紀のことである。元来、大聖堂は複数の建物の集合体だったが(例としてロマネスク様式で建てられたピサのドゥオーモ広場の建築群)、大聖堂 が単一の建築になるのは、12世紀中盤のゴシック様式の時代のことだった。

ノートル・ダム

「我らの女主人」(仏 Notre-Dame ノートふダッム; 英 Our Lady アワレイディ)、「我らの愛の女」(蘭 Onze-Lieve-Vrouw オンゼ・リーフェフらウ)、「愛の女」(独 Liebfrau リープフらウ)、「我が女」(伊 Madonna マドンナ)、中国語で「聖母(Shèngmǔ)」、日本語で「聖母(せいぼ)」。羅典語でこの表現は存在せず。

ゴシック様式の大聖堂(カテドラル)はノートル・ダムという呼称、つまり聖母マリアの民間信仰と密接に結びついている。カトリック教会の公用語である羅典語での正式な呼び方は beāte Marīae Virginis (ベアーテ・マりーアェ・ウィるギニス)、つまり「至福の処女マリア」であり、ノートル・ダム(我らの女主人)に相当する呼び名は羅典語にはない。フラン スでノートル・ダムの名を冠したゴシック様式の大聖堂(カテドラル=司教座聖堂)が建造されたのは12世紀中盤の1150年頃からである。文字通り聖母マ リアに献じられた教会堂となっている。聖母マリアは表向きは基督教だが、異教(基督教以前の宗教)の地母神の性質を密かに帯びている。古代エジプトの大地 母神イシスや、ギリシア神話の豊饒の女神デーメーテール(日本語ではしばしばデメテル)や、ゲルマン神話のフレイア(フライア)や、ケルト民族の女神ダナ の性質に聖母マリアを重ね合わせ、異教のようには見えなくすることで、教会側は民衆の崇拝していた異教の神々を呑み込んでいった。6世紀中盤の日本に伝来 した外来宗教の仏教が、土着の神道を取り込んで、神仏習合としたことを考えあわせると良い。

ゴシック(英 Gothic シック; 仏 Gothique ゴティック; 独 Gotik ゴティーク; 伊 Gotico ティコ)とは

西暦1000年頃のフランス北部は樹木に覆われていた。殆どはブナ、ナラ、カシワといった高木の落葉広葉樹だった。それらの木々は25メートルから45 メートルの高さがあった。冬には葉を落とし、死んだような枯れ木の群れとなる。当時の人口の約90%は農民で、年ごとに別の草地を焼いて農地にして行く焼畑農法(現在でも貧しい途上国で見られる農法)が行なわれていた。当時は南からイスラム教徒、北から海賊のヴァイキング(現在の北欧人)やノルマン人(英国上流階級の祖先)、東から騎馬民族のマジャール人(現在のハンガリー人)が襲来し、殺戮、略奪、強姦、拉致、焼き討ちの限りを尽くした。人々は慢性の栄養失調状態にあった。イエス・キリストの千年王国が終わり、人々はサタンに惑わされ殺し合うが、天から火が下って諸国民は焼かれ、サタンも地獄の業火へと突き落とされる中で、救世主イエス・キリストが地上に再臨し、善人は天国へ、悪人は地獄へと選別されるとした「ヨハネによる黙示録」の終末思想が、この時代には説得力を持っていた。日本の平安時代末期に興った末法思想とも似ている。

ところが十一世紀(1001-1100年)中盤の1050年頃から地球温暖化が起こり、フランス北部の人々は活力を取り戻した。森林を切り開いて農地を作る大開墾運動という農業革命がこの頃に起こった。十二世紀(1101-1200年)中盤の1140-70年頃にピークに達し、十三世紀(1201-1300年)末の1300年頃に終わったとされる農業革命である。大開墾運動以前のフランスは、国土面積の約60%が森林だったが(ちなみに現在でも日本の森林率は67.0%から68.2%程度)、この大開墾運動の結果、フランスの森林率は約20%にまで落ち込んだ(現在のフランスは28.3%から29.2%程度にまで回復)。大開墾運動を進めたのは修道院で集団生活を送る修道士たちだった。「神、人間、自然」という序列を信じた彼ら修道士たちにとって、森林とは神への信仰のために打ち克たねばならない存在だった。森林を切り開いて開墾した土地に修道士たちは三圃制農法を導入した。つまり農地を3つに分け、春撒き麦(大麦やカラス麦)の畑と、秋撒き麦(小麦やライ麦)の畑と、休耕地(牛馬を放牧しながらその糞で土地を肥えさせた)にして、年ごとに回転させていく合理的農法である。農地は共同化され、農家は組織化され、村落が形成されていった。従来までの移動式焼畑農法では播種量(播いた種の総量)の1.7倍から2倍程度しか収穫できなかったのが、大開墾運動に伴 う三圃制農法のお蔭で十三世紀(1201-1300年)のフランスでは播種量の3倍から4倍もの麦の収穫が得られるようになった。

負の側面としては、約250年間に亘って森林を破壊し続けたことがある。破壊された森林の大部分は二十一世紀(2001-2100年)の現在でも回復していない。また、麦の収穫高は大開墾運動の以前に比べて2倍に増えた が、3倍にまで急増した人口に追いつかず、何度も飢饉が襲ってきては大量の餓死者を出した。

三圃制農法という効率的なシステムのお蔭で農村に余剰(労働力過剰)が生じ、今のことばで言うリストラ(restructuring 再構築)の必要性が出てきた。農家の次男や三男や四男や五男などは、家を出る必要に迫られた。彼らは更に森林を切り開いて新しい自分の土地を開墾するか、 都市に移り住んで職人か商人にでもなるしかなかった。都市に出れば、職種の違う、風習も異なる、氏素性も不明な者たちが隣り合わせで暮らすことを余儀なくされる。農村にあった密なつながりが都会にはない。郷土を離れ、根無し草の境遇になった都市民たちは、西欧史上初めて魂の不安を感じた。そこですべての都市民が救われる普遍的な宗教原理が求められた。先行する異教の女神たちの要素を包含するマリア信仰が盛んになったのはこのためだった(上記のノートル・ダ ムの項目も参照)。ゴシック様式の大聖堂は都市部に建造されていくが、こうした時代背景(森林の消滅、農村人口の都市への流入)抜きには考えられない。

十二世紀(1101-1200年)から十三世紀(1201-1300年)にかけてフランス北部の諸都市の司教座聖堂(カテドラル)が次々とゴシック様式に再建された。ゴシック様式のカテドラルでは広大な森林を背景に育まれた異教(キリスト教以前の宗教)の自然崇拝の念が色濃く反映された。西正面扉口を潜(くぐ)ってゴシック式大聖堂に入れば、深い森の擬似世界(ヴァーチャル・ワールド)がある。身廊から内陣にかけて左右に立ち並ぶ高さ20メートルを超える石柱の数々は、大開墾運動で切り倒されたブナ、ナラ、カシワといった高木の落葉広葉樹を表している。柱頭には古代ギリシアのコリント式オーダーの柱頭(第2回・第3回授業資料参照)に見られたアカンサスの葉のような文様が見えるが、ゴシックの柱頭はそれよりももっと執拗な、かつてのフランス北部の森の深さを表している。柱頭から天井にかけて放射状に伸びる交差リブ(肋骨)や横断するアーチの曲線は、ブナ、ナラ、カシワといった高木のしなやかな枝の流れ、或いは枝や葉の盛んな生育を表わしている。ゴシック式大聖堂とは、失った巨木の森林への憧れを抱く新都市住民のための教会堂であった。

建築の観点から見るとゴシック様式には3つの特徴がある。第一に、昇高性・至高性を強調した尖頭アーチが天井に使用されていること。尖頭アーチの尖端も頂点という印象を与えず、さらなる上へ上へと昇っていくように見える。無限の高みを目標とする終わりなき上昇運動を思わせる。外観も内部も、地上にありながら神の国を志向する。第二に、側壁に縦長の大きなステンドグラスの窓があり、外光があまり明るくない多色の神秘的な光となって堂内に降り注ぐこと。神の光と自然の光との間に断絶はなく、連続性がある。第三に、控壁(英 buttress バットレス)と飛梁(英 flying buttress フライング・バットレス)を使用することで細身でありながら石造りの天井の重みを支えていることである。

ゴシック様式の大聖堂は、十四世紀(1301-1400年)に衰退した。イングランドとの間に戦われた百年戦争(1337-1453年)と黒死病(1348-50年)が打撃を与えた。黒死病ではフランスの人口の3分の1が死に絶えたため、大聖堂建築の熟練工たちが激減してしまい、建設の続行が困難になった。

後のルネサンス期には、古典主義美学の観点からゴシック様式は知識人などからひどく蔑(さげす)まれた。また、16世紀の宗教改革期には豊穣な装飾が悪魔的であるとして、プロテスタント信徒たちによって傷つけられたり破壊されたりした。

(酒井健 『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』からの引用多し)

ゴシック建築の例

例1)フランスのシャルトル大聖堂(仏 Cathédrale Notre-Dame de Chartres カテドはッル・ノートふダッム・ドゥ・シャふトふ; 英 Cathedral of Our Lady of Chartres)

建物の主要部分は1194-1250年が主な建築期間。西正面の左右2つの塔は制作年代が異なり、様式も高さも異なる。右の塔は1145-65年の製作で 全長106メートルのロマネスク末期またはゴシック最初期と考えられ、左の塔は1513年頃にゴシック末期の様式で115メートルの高さに造られた。左の 塔の作者は右の塔に合わせようとはしなかった。1979年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

例2)フランスのアミアン大聖堂(仏 Cathédrale Notre-Dame d’Amiens カテドはッル・ノートふダッム・ダミアン; 英 Cathedral of Our Lady of Amiens)

1220年起工。1270年頃完成。1981年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

http://www.youtube.com/watch?v=Cz5IwnQ-D34

例3)フランス北部のノルマンディー地方の島、モン・サン・ミシェル(仏 Le Mont-Saint-Michel; 英 Mont Saint-Michel; 「聖ミカエル山」の意)

11世紀(1001-1100年)から16世紀(1501-1600年)にかけて頂上にカトリックのベネディクト派の修道院がゴシック様式で建造され、大天使ミカエルを守護聖人として祀(まつ)る。カト リックの重要な巡礼地の一つであり、「西洋の驚異」(仏 la merveille de l’Occident ラメふヴェイユ・ドゥロクシドァン; 英 the Wonder of the West)と称される。1979年にユネスコ世界文化遺産に登録済。厳島神社(いつくしま じんじゃ: 1996年にユネスコ世界文化遺産に登録済)が在る広島県廿日市(はつかいち)市とは姉妹都市。

ユネスコ公式ウェブサイトの説明文(8ヶ国語の1つ、英語)

http://whc.unesco.org/en/list/80

Mont-Saint-Michel and its Bay

モン・サン・ミッシェル(聖ミカエル山)とその湾

Perched on a rocky islet in the midst of vast sandbanks exposed to powerful tides between Normandy and Brittany stand the ‘Wonder of the West’, a Gothic-style Benedictine abbey dedicated to the archangel St Michael, and the village that grew up in the shadow of its great walls. Built between the 11th and 16th centuries, the abbey is a technical and artistic tour de force, having had to adapt to the problems posed by this unique natural site.

語註

- Perched on: ~に位置を占め.

- a rocky islet: 岩でごつごつした小島.

- in the midst of: ~の中の…

- vast sandbanks: 広大な砂州, 砂丘.

- exposed to: ~に晒(さら)され.

- powerful tides: 強力な潮の満ち引き.

- Normandy: ノルマンディー半島.

- Brittany: ブルターニュ半島.

- stand A and B: AとBが在(あ)る.

- ‘Wonder of the West’: 「西洋の驚異」が, 「西洋の不思議」が.

- Gothic-style: ゴシック様式の.

- Benedictine abbey: ベネディクト修道会の僧院.

- dedicated to: ~に捧(ささ)げられた, ~に献(けん)じられた.

- the archangel St Michael: 大天使の聖ミカエル.

- the village that grew up in: ~に発達した村.

- in the shadow of: ~の庇護(ひご)の下(もと)に.

- Built between A and B: AとBの間に建造され.

- the abbey: その僧院は.

- technical and artistic: 技術的且(か)つ藝術的

- tour de force: (フランス語からの借用語で)力作(りきさく).

- having had to: ~せねばならず.

- adapt to: ~に順応(じゅんのう)する, ~に適応する.

- the problems: 諸問題.

- posed by: ~によって引き起こされる.

- unique: 独特の.

- natural site: 自然の用地, 自然環境.

(動画集)

http://www.youtube.com/watch?v=7fzN194dX84

http://www.youtube.com/watch?v=HlTb_d191yg

http://www.youtube.com/watch?v=dVUDaTY2ehA

http://www.youtube.com/watch?v=To4YxuP5XVk

http://www.youtube.com/watch?v=Bl6-wd_daL8

なお、英仏海峡を挟んだ対岸の英国コーンウォール地方にも「聖ミカエル山」の意を持つ島、セント・マイケルズ・マウント(英 St Michael’s Mount)が在るが、ユネスコ世界文化遺産には登録されていない。

(静止画像集)

http://yahoo.jp/box/pj51x6

例4)フランス東部(旧ドイツ領)のストラスブール大聖堂(仏 Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg カテドはッル・ノートふダッム・ドゥ・ストはスブーふ; 独 Straßburger Liebfrauenmünster シュトらースブァガー・リープフらウエンミュンスター; 英 Cathedral of Our Lady of Strasbourg)

建設期間1176-1439年。

http://www.youtube.com/watch?v=-2VxpSp3BzE

http://www.youtube.com/watch?v=6dhq31CR3DI

http://www.youtube.com/watch?v=3GLuQTQulEU

http://www.youtube.com/watch?v=8d5t0cVTyAY

例5)イングランドのソールズベリー大聖堂(英 Salisbury Cathedral)

主要部分は1220-58年の建築。1320年完成。イングランド初期ゴシック様式(Early English Gothic)。ユネスコ世界文化遺産にはまだ登録されていない。

http://yahoo.jp/box/Rmz3e8

http://www.youtube.com/watch?v=LAPWwjAZvas

http://www.youtube.com/watch?v=9fjbhL1X6Q8

http://www.youtube.com/watch?v=FNsaogk8nX4

http://www.youtube.com/watch?v=-G9lDgc0Hec

http://www.youtube.com/watch?v=5DQ8BxG3nNM

http://www.youtube.com/watch?v=jKncAYrRoUE

例6)イングランドのカンタベリー大聖堂(英 Canterbury Cathedral)

イングランド教会(日本の世界史教科書では英国国教会)の最重要教会。カンタベリー大主教(Archbishop of Canterbury)が英国宗教界のトップ。但し、名目上は国王が宗教の最高位も兼ねる。現存する建物は1070-1180年にロマネスク様式、 1379-1503年にかけてゴシック様式で建設された物。1988年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

http://yahoo.jp/box/liZq-a

http://www.youtube.com/watch?v=oBEQBoYwDik

http://www.youtube.com/watch?v=SS05ysWnL7k

例7)イングランドのイーリー大聖堂(英 Ely Cathedral)

現存する建物は、11世紀から15世紀にかけてロマネスク様式とゴシック様式で建設された物。

http://yahoo.jp/box/X4NIME

http://www.youtube.com/watch?v=6AcBpv_3KZg

http://www.youtube.com/watch?v=ONBLaDxE8Eo

http://www.youtube.com/watch?v=v-wxnvpBKzU

http://www.youtube.com/watch?v=OSSx_cs57d0

http://www.youtube.com/watch?v=kJAYSn7pk0E

http://www.youtube.com/watch?v=ov-iCUoC_Ws

http://www.youtube.com/watch?v=rzeK0Xlp55U

http://www.youtube.com/watch?v=wBWyQWNVzyQ

例8)イングランドのケイムブリヂ大学国王学寮の礼拝堂(英 Chapel of King’s College, Cambridge)

ゴシック末期の垂直式ゴシック様式(Perpendicular Gothic パーペンディキュラーシック)の傑作。大学は1209年創立(2009年に創立八百年祭)ながら、この学寮は1441年開学。礼拝堂は 1441年建設開始。1515年に建物そのものが完成。世界最大の扇形ヴォールト天井(1512-15年の作)で有名。大窓(the great windows)の大半は1526-31年の作。一番新しい大窓は1879年の作。ユネスコ世界文化遺産にはまだ登録されていない。

(公式ウェブサイトの仮想ツアーの体験)

http://www.kings.cam.ac.uk/chapel/virtual-tour/

例9)イタリアのミラノ大聖堂(伊 Duomo di Milano ドゥオーモ・ディ・ミラーノ; 英 Milan Cathedral ミラーン・カシードろー)

1386年着工。1813年完成。1965年修復完成。ドイツやフランスからミラノ公国へ呼び寄せられた建築工たちが合議で建設した。尖塔数135、彫刻数3,400を超える壮麗な建築。なお、イタリアにゴシック建築は少ない。

例10)スペインのセビリア大聖堂(西 Catedral de Sevilla カテドらル・デ・セビージャ; 伊 Cattedrale di Siviglia カッテドらーレ・ディ・シヴィーリャ; 仏 Cathédrale de Séville カテドはッル・ドゥ・セヴィル; 英 Seville Cathedral セヴィル・カシードろー)

イスラム教のモスクを破壊した上に1401年起工。1506年完成。イスラム建築のミナレット(光塔)は破壊せず、基督教風に改築。1987年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

例11)ドイツ西部のケルン市に在るケルン大聖堂(独 Kölner Dom キュェルナードーム; 仏 La Cathédrale de Cologne ラカテドはッル・ドゥコローニュ; 英 Cologne Cathedral コローン・カシードろー)

フランス北部のアミアン大聖堂を模して1248年着工。1322年に内陣まで完成。資金難で1560年に工事中断。1801年に取り壊し計画が持ち上がる が、実現せず。1815年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世(1770-1840; 在位1797-1840)が修復を命令して1880年完成。中断されていた工事が再開されたのが、19世紀のゴシック復興期のため、ネオ・ゴシックとして 分類されることもある。1996年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

http://www.youtube.com/watch?v=op4yRE5e1F8

http://www.youtube.com/watch?v=HwWWakA9A5I

http://www.youtube.com/watch?v=N18XS3IAIJc

http://www.youtube.com/watch?v=dd0-pRByIG8

ネオ・ゴシック、またはゴシック復興、またはゴシック・リバイバル(英 Neo-Gothic ニオウ・シックまたは Gothic Revival シック・りヴァイヴォー)の建造物

例1)ロンドン近郊(現在は大ロンドン市の市域内)トゥイッケナム(Twickenham)に在る苺ヶ丘の家(Strawberry Hill House)

英国初代首相の道楽息子(四男として生まれ三男として育った息子)ホレス・ウォルポール(Wallace Walpole, 1717-97)がカネに物を言わせて1749年と’60年と’72年と’76年の4度にわたってゴシック風に改装させた屋敷。ゴシック復興ブームを起こ す。ウォルポールがこの屋敷で悪夢にうなされて書いた初のゴシック小説(怪奇小説)The Castle of Otranto(『オトラント城』1764 年)がヒットして、イギリスにゴシック小説ブームを起こした。ウォルポールの死後、屋敷は親戚の手に渡り、20世紀の大部分は学校として使用されたが、 2007年に苺ヶ丘信託(Strawberry Hill Trust)に払い下げられた。2008年から2年間かけて修復。2010年10月から初の一般公開が行なわれている。

例2)英京倫敦の国会議事堂(英 Houses of Parliament ハウズィーゾヴ・パーラメント)、正式にはウェストミンスター宮殿(英 Palace of Westminster レッソヴ・ウェストミンスター)

1834年の大火で焼失した議事堂の後釜。1840年着工。1864年にほぼ完成。1870年完成。英国ゴシック復興の集大成にしてヴィクトリア時代(1837-1901)の建築の最高傑作。1987年にユネスコ世界文化遺産に登録済。

http://yahoo.jp/box/gTRKC7

英国国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)の公式ウェブサイトの説明文(英文のみ)から

http://www.parliament.uk/about/living-heritage/building/palace/architecture/palacestructure/new-gothic-vision/

A new Gothic vision

The new Palace of Westminster was custom-built by the Victorian architect Charles Barry for Parliamentary use. The design and layout of the building were thus carefully designed to serve the needs and workings of Parliament. In particular, Barry placed the location of the Sovereign’s throne, the Lords Chamber and the Commons Chamber in a straight line, thus linking the three elements of Parliament in continuous form.

語註

- Gothic vision: ゴシック像

- custom-built: 特注品.

- Victorian: ヴィクトリア時代(1837-1901年)の.

- architect: 建築家.

- Charles Barry: チャールズ・バリー(1795‐1860年).

- for Parliamentary use: 議会で使用するための.

- The design and layout: 意匠(いしょう)と間取り(レイアウト).

- thus: このように.

- carefully: 注意深く.

- designed: 設計され.

- to serve the needs and workings of: ~の必要性(ニーズ)と働きの目的にかなうために.

- In particular: 特に.

- placed: ~を置いた.

- the location: 位置関係.

- the Sovereign’s throne: 君主の王冠.

- the Lords Chamber: 貴族院(上院).

- the Commons Chamber: 庶民院(下院).

- in a straight line: 直線で.

- thus linking: こうして~を結びつけ.

- the three elements: その3つの要素.

- in continuous form: 連続した形で.

Impact of the Palace

Towering over the modest brick-built Georgian terraces of Westminster, the new Palace had an enormous effect on the imagination of the Victorian public. It also had a significant influence on the subsequent design of various public buildings such as town halls, law courts and schools throughout the country, and internationally.

語註

- Impact: 強い影響力.

- Towering over: ~に聳(そびえ)え建ち.

- modest: 控えめな, 質素な.

- brick-built: 煉瓦(レンガ)づくりの.

- Georgian: ジョージ一世から四世までの時代(1714-1830年)の.

- terraces: 連続建築.

- had an enormous effect on: ~に莫大な影響を与えた.

- the imagination of: ~の想像力.

- the Victorian public: ヴィクトリア時代(1837-1901年)の大衆.

- It: それは=ウェストミンスター宮殿は.

- had a significant influence on: ~に重大な影響を与えた.

- the subsequent design: その後の意匠(いしょう).

- various: 様々な.

- public buildings: 公共建築.

- such as: ~のような, たとえば~.

- town halls: 市庁舎.

- law courts: 裁判所.

- throughout the country: イギリス全土の, 全英の.

- and internationally: そして国際的にも.

例3)英京倫敦のセント・パンクラス駅(英 St Pancras railway station また近頃では国際列車が発着することから St Pancras International)

1876年完成。ギルバート・スコット(Sir George Gilbert Scott, 1811-78)の設計。煉瓦(レンガ)造りでイタリアン・ゴシックの影響を受けた城のような堂々たる建築。英国で最も特徴的な駅とされ、現在では海底ト ンネルを通って大陸の都市との間を結ぶ列車が発着する国際鉄道駅でもある。

http://yahoo.jp/box/d35vhE

http://www.youtube.com/watch?v=1ynrXtdrCTE

(参考)日本の東京都千代田区丸の内に在る東京駅の赤レンガ駅舎(ネオ・ルネサンスの英国アン女王様式のためゴシックではない)

皇居に面する旧国鉄(現JR)の東京駅は、第一次世界大戦中の1914年12月18日(金)に営業を開始した帝都東京の中央駅。「コンドルさん」と呼ばれ た英国人建築家ジョサイア・コンダー(Josiah Conder, 1852-1920)の教えを受けた日本人建築家2名、辰野金吾(たつの きんご, 1854-1919)と葛西萬司(かさい まんじ, 1863-1942)による英国アン女王様式(アン女王の治世は1702-14年)の赤レンガ駅舎が有名。これは1945年5月25日(金)、米空軍によ る猛爆で炎上し、ドーム型天井屋根が吹き飛ばされたが、幸い全焼には至らずに済んだ。2012年10月1日(月)に復原工事が完成し、戦前の瀟洒(しょう しゃ)な外観が甦(よみがえ)った。

http://yahoo.jp/box/qO9-xF

http://www.youtube.com/watch?v=v-TWmRPsu60

例4)ドイツ南部の旧バイエルン王国首都だった(現バイエルン州の州都)ミュンヘン市の新市庁舎(独 Münchner Neues Rathaus ミュンヒナーノイエスらートハウス; 英 New City Hall of Munich ニューシティホーロヴミューニック)

1867-1909年の建造。新市庁舎着工時、ミュンヘン市はバイエルン王国首都だったが、1871年以降は1909年の完成時を含めてドイツ帝国(1945年以降はドイツ連邦共和国)の一地方都市となる。第二次世界大戦中の1944年、連合軍の空襲で破壊されたが、戦後に完璧な形で復元。

http://www.youtube.com/watch?v=St4yLbqx8k4

http://www.youtube.com/watch?v=2eq0rK_2VvA

例5)ハンガリーの首都ブダペシュトに在る国会議事堂(ハンガリー語 Országház オるサーグハージ; 英 Hungarian Parliament Building ハンゲァりアン・パーラメント・ルディング)

1885年着工。1904年完成。ネオ・ゴシック様式を基調としながらルネサンス様式のドーム屋根を持つ。ヨーロッパ大陸で最も美しい議事堂とされる。

http://www.youtube.com/watch?v=2hStBhP5B-o

http://www.youtube.com/watch?v=L2rsSNCJVlU

例6)英連邦カナダの首都オタワの議事堂の丘(英 Parliament Hill パーラメント・ル; 仏 Colline du Parlement コリーヌ・デュパふルモァーン)に聳(そび)えるカナダ議会(英 Parliament of Canada パーラメンタヴケァーナダ; 仏 Parlement du Canada パふルモァーン・デュカナダ)

1859年に着工したが、中央棟は1916年の火災で焼失。1927年完成。1976年にカナダ国定史跡(英 National Historic Sites of Canada ヒストォりクサイツォヴケァーナダ; 仏 Lieux historiques nationaux du Canada リユージストリック・ナシヨノー・デュカナダ)に登録済。北米大陸で最も美しい議事堂とされる。

http://yahoo.jp/box/VrASpO

http://www.youtube.com/watch?v=cNwyYLUZN8w

http://www.youtube.com/watch?v=-a8MvqRAE0A

例7)英連邦カナダの仏語圏ケベック旧市街に聳(そび)え立つホテル「フロントナック城」(L'Hôtel «Le Château Frontenac» ロテッル・ルシャトー・フほントナック)

米国人建築家ブルース・プライス(Bruce Price, 1845-1903)によりスコットランドの男爵風(英 Scottish Baronial スティッシュ・バろウニオー)と自称する一種のネオ・ゴシック様式で建てられた。1893年開業。1981年(資料によっては1980年)にカナダ国定史跡(英 National Historic Sites of Canada ヒストォりクサイツォヴケァーナ ダ; 仏 Lieux historiques nationaux du Canada リユージストリック・ナシヨノー・デュカナダ)に登録済。2001年以来、フェアモント傘下に入り、名前もFairmont Le Château Frontenacとなる。同国アルバータ州に在り、1888年開業で、1928年に現在の形を整えたバンフ・スプリングズ・ホテル(英 Banff Springs Hotel)とともにカナダを代表するシャトー(城館)風ホテルとされる。

http://yahoo.jp/box/GkWa9I

例8)日本の東京都港区三田に在る慶應義塾図書館・旧館

1907年に慶應義塾創立50周年記念事業として計画。19世紀のアメリカン・ゴシック(ネオ・ゴシックの一種)様式で曽禰中條建築事務所が設計。1908年起工。1912年竣工。1969年以来、日本国の重要文化財指定建造物。2012年で開館百周年。

例9)日本の東京都渋谷区渋谷に在る青山学院大学ベリーホール

1931年に神学部校舎として建築されたが、現在は学院本部棟。内部に礼拝堂を設け、全体的に左右対称(シンメトリー)の建築である。主体部や正面車寄せは控え壁(buttress バットれス)で飾られ、欠円アーチや尖頭アーチや細部彫刻を配している。日本国登録の有形文化財(建造物)。

例10)日本の東京都文京区本郷に在る旧東京帝國大學(現在の東京大学)安田講堂、正式には東京大学大講堂

安田財閥の創始者、安田善次郎(やすだ ぜんじろう, 1838-1921)の匿名を条件とした寄付により建設されたが、右翼テロで暗殺された安田を偲び、(故人の遺志には反するが)一般に安田講堂と呼ばれる ようになる。1921年起工。1923年9月の関東大震災による工事中断を経て、1925年7月に竣工。入口上部の塔を強調したゴシック風の意匠をもつ が、壁面には当時(1920年代に)流行したドイツ表現主義の影響がある。室内装飾には当時流行のアール・デコ風の意匠も見られる。東大のシンボルとして マスコミがしばしば映像に用いる。1996年以来、日本国登録の有形文化財(建造物)。

一部の専門家によってネオ・ゴシックに分類される近代建築

例1)フランスの首都パリ市に在るエッフェル塔(仏 la Tour Eiffel ラトゥーふ・エッフェル; 英 Eiffel Tower アイフルワー; 独 Eiffelturm アイフェルトゥるム)

フランス革命(1789年)の百周年を祝う万博の呼び物的な建造物として、着工から僅か2年2ヶ月で1889年に完成。1930年までの41年間は世界一 の高さを誇る建造物だった。建造当時の評判は散々であり、「醜い目障りな姿」に怒った知識人たちが集団で抗議文を提出したことでも知られる。現在では世界 一多額の観光収入をもたらしてくれる建造物とされる。景観の著作権はパリ市に帰属する。世界的に有名な建造物だが、ユネスコ世界遺産には登録されていな い。

エッフェル塔の公式サイトの中の英文による説明文

http://www.toureiffel.paris/everything-about-the-tower/themed-files/69

Origins and Construction of the Eiffel Tower

It was at the 1889 Exposition Universelle, the date that marked the 100th anniversary of the French Revolution, that a great competition was launched in the Journal Officiel.

The wager was to “study the possibility of erecting an iron tower on the Champ-de-Mars with a square base, 125 metres across and 300 metres tall”. Selected from among 107 projects, it was that of Gustave Eiffel, an entrepreneur, Maurice Koechlin and Émile Nouguier, both engineers, and Stephen Sauvestre, an architect, that was accepted.

The first digging work started on the 28th January 1887. On the 31st March 1889, the Tower had been finished in record time – 2 years, 2 months and 5 days – and was established as a veritable technical feat.

語註

- Origins: 起源.

- Construction: 建造.

- It was at ~ that ...: ...のは~でのことだった.

- 1889 Exposition Universelle: 1889年の万国博覧会, 1889年パリ万博.

- the date that marked: ~を記念した年号.

- the 100th anniversary of: ~の百周年.

- the French Revolution: フランス革命.

- a great competition: 一大コンペ.

- was launched: 始められた.

- in the Journal Officiel: ジュルナル・オフィシエル誌上で.

- the wager was to: その賭(か)けは~することだった.

- study the possibility of: ~の可能性を吟味(ぎんみ)する.

- erecting: 建てること.

- an iron tower: 1つの鉄塔を.

- on the Champ-de-Mars: シャン・ド・マルス(マルスが原)に.

- with a square base: 四角い土台を持った.

- 125 metres across: 横幅125メートル.

- 300 metres tall: 高さ300メートル.

- Selected from among: ~選出されたのは.

- 107 projects: 107の計画.

- it was ~ that was accepted: 受け入れられたのは~だった.

- that of: ~のそれ(計画)だった.

- Gustave Eiffel: ギュスターヴ・エッフェル(1832-1923年).

- an entrepreneur: 一起業家.

- Maurice Koechlin: モーリス・コェシュラン(1856-1946年).

- Émile Nouguier: エミール・ヌーギュイエ(1840-98年).

- both engineers: 両者とも技師(エンジニア).

- Stephen Sauvestre: ステファン・ソヴェストル(1847-1919年).

- an architect: 一建築家.

- it was ~ that was accepted: 受け入れられたのは~だった.

- The first digging work: 最初の掘削作業は.

- the Tower had been finished: その塔(エッフェル塔)は完成していた.

- in record time: 記録破りの工期で.

- was established as: ~として確立された.

- a veritable technical feat: 真の技術的偉業.

例2)日本の東京都新宿区西新宿に在る東京都庁第一本庁舎(英訳名 Tokyo Metropolitan Government Building No.1)

日本のバブル経済絶頂期の巨大お役所建築。丹下健三(1913-2005)の設計。地上48階、地下3階建。1988年4月着工。1990年12月竣工。都庁は千代田区丸の内3丁目(跡地に東京国際フォーラム)から新宿区西新宿2丁目に引越して現在に至る。

http://www.youtube.com/watch?v=vdxGmkqdKRc

【参考文献】

酒井健(さかい たけし, b.1954) 『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』(講談社現代新書, 2000年; 筑摩書店 ちくま学芸文庫, 2006年)サントリー学芸賞思想・歴史部門2000年度受賞作

ホプキンス(Owen Hopkins) 『世界の名建築解剖図鑑』(エクスナレッジ, 2013年)—Reading Architecture: A Visual Lexicon (Lawrence King Publishers, 2012)の和訳本