西曆2016年12月25日(日・祝) 英ポップスター George Michael の死を悼んで

1934年は英国クラシック音楽界にとって大きな喪失の年であった。まず2月23日(金)に大御所のエルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)が満76歳8ヶ月3週間で、5月25日(金)にホルスト(Gustav Holst, 1874-1934)が満59歳8ヶ月で、6月10日(日)にディーリアス(Frederick Delius, 1862-1934)が満72歳4ヶ月12日でそれぞれ歿している。

一方、2016年はイギリス大衆音楽界にとって大きな喪失の年であった。伝説のロックスター、デイヴィッド・ボウイ(David Bowie, 1947-2016)こと本名デイヴィッド・ジョーンズ(David Jones, 1947-2016)が、最後のアルバムをリリースしたのが69歳の誕生日である1月8日(金)のことだったが、その二日後の1月10日(日)に米国ニューヨークの自宅(街中の集合住宅)にて肝臓癌(liver cancer)で亡くなった。同年(2016年)3月11(金)にはプログレ(prog, or progressive rock: 「進歩的ロック」の意)界の大御所ELPことエマソン・レイク&パーマー(Emerson, Lake & Palmer)、後年にはエマスン・レイク&パウエル(Emerson, Lake & Powell)の作曲家・キーボード奏者・シンセサイザー奏者のキース・エマソン(Keith Emerson, 1944-2016: 日本では誤ってキース・エマーソン)が、米国カリフォルニア州サンタモニカ市の自宅にて銃で頭部を撃ち抜いて死亡しているのが発見された。病気を苦にしての自殺と見られている。71歳4ヶ月だった。また、米人ポップスターのではプリンス(Prince, 1958-2016)こと本名プリンス・ロヂャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson, 1958-2016)が同年(2016年)4月21日(木)にフェンタニル(fentanyl)の過剰摂取で58歳の誕生日を5週間後に控えて死亡した。自殺や他殺の可能性は無いとのことで、薬物依存を緩和する治療を受けている最中だった。同年(2016年)12月7日(水)にはプログレ界の大御所のグレッグ・レイク(Greg Lake, 1947-2016)が癌(cancer)で亡くなった。満69歳だった。クリスマスには更なる訃報(次の段落で後述)が飛び込んできたし、年を跨(またが)って2017年1月31日(火)にはこれまたプログレ界の大御所で1980年代にエイジア(Asia)というバンドで一世を風靡(ふうび)したジョン・ウェットン(John Wetton, 1949-2017)が大腸癌(colon cancer; colorectal cancer)で亡くなった。満67歳半だった。

2016年12月25日(日・祝)午後、イギリスの作詞作曲家・歌手、ジョージ・マイケル(George Michael, 1963-2016)こと、本名ヨールギョス・キリアーコス・パナイィオートゥー(Γεώργιος Κυριάκος Παναγιώτου = Georgios Kyriacos Panayiotou, 1963-2016)が英国オクスフオッド州南部に在るテムズ川に面したゴゥリング村(Goring-on-Thames, Oxfordshire)の自宅コッテージで死去。満53歳半だった。地元警察は自殺や他殺といった事件性は無いとしていて、直接の死因は心不全だったという。三年来の同性愛関係をもっていたボーイフレンド Fadi Fawaz 氏が第一発見者だったことが翌26日(月・祝)のツイッター(Twitter)投稿で判明した。ドラッグ中毒で体がボロボロになっていたところへ、四年前の2011年に肺の大病を患ったことが影響した可能性は高い。しかも俗に言うエイズウイルス(AIDS virus)、厳密にはヒト免疫不全ウイルス(HIV: human immunodeficiency virus)の保菌者(carrier)として死去したブラジル人男性デザイナーアンセルモ・フェレッパ(Anselmo Feleppa, 1956-93)氏と1990年代初頭の一時期肉体関係を持っていたことから、到底(とうてい)長生きできる体ではなかったと言える。なお、ハンガリー出身の英国ユーモア作家、故ジョージ・ミケーシュ(George Mikes, 1912-87)、帰化前の本名ミーケーシュ・ギュルグ(Mikes György, 1912-87)は今回死去したジョージ・マイケルと血縁・姻戚関係は無い。

ジョージ・マイケルはその本名からも分かるように父親がギリシア系キプロス人の移民であり、ロンドン北部の東フィンチリー地区(East Finchley, London)でギリシア・キプロス料理店を経営していた。また、母親はユダヤ系イングランド人の踊子(dancer)だった。生まれてすぐ一家はロンドン北西部のキングズベリー地区(Kingsbury, London: 「王塚」の意)に引っ越したため、幼少期から学童期にかけてはキングズベリーで大半の時間を過ごした。ヨールギョス少年(後のジョージ・マイケル)が13歳ぐらいの頃、一家はさらに北の郊外でロンドンの外側に位置するハートフオッド州(Hertfordshire)に引っ越したが、その地の公立中高でヨールギョス少年は学校いじめ(school bullying)の標的になった。そんなとき、同級生のアンドルー・リッヂリー(Andrew Ridgeley, b.1963)と出会った。リッヂリーの父親はイタリア人とエジプト人の血を引く人物で日系企業キヤノン(Canon)の現地法人に勤務していて、母親は英国人で地元の小学校教員をしていた。リッヂリーは学校でいじめられている転校生のヨールギョス少年を自らの庇護下(ひごか)に置いたため、二人は親分と子分のような関係になった。

当初は他の学友3人を含めた五人組の無名なバンド The Executive (ジ・エグゼキュティヴ: 「執行役員」の意)を組んで活動したが、成功しない儘(まま)バンドは解散した。後に残されたジョージ・マイケルとアンドルー・リッヂリーの2人は Wham! (ワム)という二人組の音楽ユニットとなって、1982年から’86年にかけて世界的な成功を収めた。

ワム(Wham!)ではジョージ・マイケルが一人で作詞作曲、プロデューサー、歌手、そして時には楽器演奏(song writer, producer, singer and occasional instrumentalist)までをもこなしたが、曲によってはアンドルー・リッヂリーと共作することもあった。1982年10月に “Young Guns (Go for It)” がリリースされた時点では無名だったが、英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)の人気番組 Top of the Pops (トッポヴザポップス: 「大衆音楽の頂点」の意)に偶然他のバンドが出演不可能になる事態が生じ、一定の時間枠を埋めるためだけの代役としてワムが出演したところで人気に火が付いた。まだ無名な音楽ユニットが演奏した “Young Guns (Go for It)” は同年(1982年)12月には全英ヒットチャート第3位にまで上り詰めた。

その後は日米を含む世界中で、しかも1985年には西側世界(Western world)のミュージシャンとしては史上初の快挙として中国本土(mainland China)でもコンサートツアーを行なった。しかしながら、1986年に2人の方向性の違い(現状維持でヒットを飛ばしたいアンドルー・リッヂリーと、もっと大人向けの音楽を作りたいジョージ・マイケルの意見の相違)が原因でワム(Wham!)は敢()え無くユニットを解散した。

解散後音楽的な才能や大衆の人気に恵まれないリッヂリーは地中海岸のモナコ公国で第三種(Formula 3)自動車レースにレーサーとして挑戦したり、渡米してハリウッド俳優業を目指したりしたが、いずれも芽が出ず失意のうちに1990年にイギリスに帰国した。その年(1990年)には周囲の勧めもあって本国でアルバムを1枚リリースしてみたが、さっぱり売れず、ロック・ポップ業界最有力であるローリング・ストーン誌(Rolling Stone: 「転石」の意)の誌上レビューで「1990年で最悪のアルバム」(the worst album in 1990)という最低評価を受けてしまった。ソロ二作目も出そうという意欲を見せるが、レコード会社の方が一作目の失敗に懲りてしまい、二度とアンドルー・リッヂリーの名で楽曲を発表することはやめた。2歳近く年上で元バナナラマ(Bananarama)のケレン・ウッドウォード(Keren Woodward, b.1961)と結婚し、今では英国最南西部のコーンウォール(Cornwall)に在る十五世紀(1401-1500年)建造の農場家屋で職業的には隠居(いんきょ)生活をおくっているが、環境問題にも取り組んでいるという。2012年にワム(Wham!)三十周年記念として一時的に再結成するという噂(うわさ)が飛び交ったが、ジョージ・マイケルが直(ただ)ちに否定したため実現しなかった。今やリッヂリーにスポットライトが当たることは殆(ほとん)ど無いが、1982年以来、1千万ポンド(£10,000,000)=2016年末の為替レートで約14億3873万円(JPY1,438,730,000)もの収入を手にしており、現在でもカラオケ等の収入から毎年数千ポンド(thousands of pounds: 2016年末の為替レートで数十万円から百万円程度)の不労所得が手に入るという。したがってリッヂリーがカネに困っているという噂は皆無(かいむ)である。

一方、豊かな才能と人気に恵まれ、ヒット曲を連発するジョージ・マイケルだったが、ワム(Wham!)としてデビュー(début)した1982年、19歳の時点でリッヂリーを含む親しい友人たちに自分が両性愛者(bisexual)だと明かしていた。当人もそのつもりだったが、ワムが解散した1986年辺りから自分がゲイ(gay)であることに気づき始めた。1991年にはブラジル人男性デザイナー、アンセルモ・フェレッパ(Anselmo Feleppa, 1956-93)氏と肉体関係を持った。付き合ってから半年後にフェレッパが俗に言うエイズウイルス(AIDS virus)、厳密にはヒト免疫不全ウイルス(HIV: human immunodeficiency virus)の保菌者(carrier)であることが判明して別れたが、二年後の1993年3月にエイズこと後天性免疫不全症候群(AIDS: acquired immune deficiency syndrome)絡みの脳内出血(brain haemorrhage)でフェレッパは死去した。

ジョージ・マイケルは1996年から2009年までは米国テキサス州のスポーツウェア会社の執行役員と同性愛の関係を持っていた。ところが1998年4月に米国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ビヴァリーヒルズ(Beverly Hills)市の公衆トイレで見知らぬ男と性行為に及ぼうとしているところを現地警察に公然猥褻(こうぜん わいせつ: engaging in a lewd act)の容疑で現行犯逮捕された。実は行為に及ぼうとした相手が囮(おとり)の警察官だったのだ。ジョージ・マイケルは翌年(1999年)雑誌のインタビューの中で初めて自分がゲイであることを認めた。米国で逮捕された件については、2007年のインタビューで、同性愛を隠していることに良心の呵責(かしゃく)を感じていたので、半ば逮捕されたい気持ちがあって、あのような行為に及んだとのことである。現地の裁判所で810米ドルの罰金と80時間の公共奉仕(community service)を命じられた。

2006年2月にはC級ドラッグ(Class C drugs)の所持でイギリスの警察に逮捕されたが、C級ということで罪が軽く、警告を受けただけで釈放された(ドラッグについてイギリスの警察は非常に甘い)。同年(2006年)7月23日(日)にはロンドン北部のハムステッドヒース(Hampstead Heath)という広大な公園で、見知らぬ男と性行為をしていたことが報道され、そのことをマスコミに漏らした男(性行為した相手と同一人物)に対して訴えを起こした。そして2007年にはドラッグの影響下で車を運転し、他の自動車の通行を妨害した罪で有罪となり、向こう2年間の自動車運転免許停止と公共奉仕(community service)を命じられた。2008年9月19日(金)にはロンドン北部の公衆トイレにてA級及びC級ドラッグ(Class A and C drugs)の所持で逮捕されたが、今回も警告を受けただけで釈放された。2010年7月4日(日)にはロンドン北部で運転していた車を写真店にぶつけ、運転不能状態での運転(being unfit to drive)の容疑で逮捕された。同年(2010年)9月14日(火)にジョージ・マイケルは有罪となり、禁錮8週間と罰金と向こう5年間の自動車運転免許停止処分となったが、実際に収監されたのは4週間だけだった。刑期が短縮されたのは、裁判中に収監されていた期間が差し引かれたためと思われる。

このように問題ばかり起こす人物であったが、1982年以来コンスタントにヒットを飛ばし、中でも1984年にリリースした “Last Christmas” は三十年以上も、クリスマスシーズンの定番となっている。欧米人にしては珍しく、一家団欒の時期であるクリスマス(日本の正月に相当)に敢()えて恋愛のことを歌っている点で、日本の松任谷由実(まつとうや ゆみ, b.1954)の「恋人がサンタクロース」(1980年リリース)や、山下達郎(やました たつろう, b.1953)の「クリスマス・イブ」(1983年リリース)と奇()しくも感性が似ている。したがって日本でこの曲の人気が高いのも頷(うなず)ける。

https://www.bbc.com/news/uk-38432862

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000008-reut-ent (リンク切れ)

https://www.afpbb.com/articles/-/3112421

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000002-jij_afp-ent (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000080-sph-ent (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000041-dal-ent (リンク切れ)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2016122600041 (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00008008-cinranet-musi (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00153526-rorock-musi (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-00000001-jct-ent (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161226-35094291-cnn-int (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161227-00000510-bark-musi (リンク切れ)

https://www.georgemichael.com/

https://en.wikipedia.org/wiki/George_Michael

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・マイケル

https://en.wikipedia.org/wiki/George_Michael_discography

https://en.wikipedia.org/wiki/Wham!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A0!

https://en.wikipedia.org/wiki/Wham!_discography

https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Ridgeley

https://ja.wikipedia.org/wiki/アンドリュー・リッジリー

【代表作】

Wham!, “Young Guns (Go for It!)” (1982)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=doZ6wOJHu_E

Wham!, “Bad Boys” (1983)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=hktHI4fGydE

Wham!, “Club Tropicana” (1983)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=WYX0sjP6Za8

Wham!, “Wake Me Up Before You Go-Go” (1984)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=pIgZ7gMze7A

Wham! (George Michael), “Careless Whisper” (1984)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=izGwDsrQ1eQ

Wham!, “Freedom” (1984)

[公式動画](中国訪問記を兼ねる)

https://www.youtube.com/watch?v=BFwOs-jy53A

Wham!, “Everything She Wants” (1984)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=C8xt5BGegj8

Wham! (George Michael), “Last Christmas” (1984)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=E8gmARGvPlI

Wham!, “I’m Your Man” (1985)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=6W0d9xMhZbo

Wham!, “The Edge of Heaven” (1986)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=cCqEyJc-wdk

George Michael (1963-2016), “A Different Corner” (1986)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=IPWHkK-_a_A

George Michael with Aretha Franklin (b.1942), “I Knew You Were Waiting (For Me)” (1987)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=fDxzQJaA228

George Michael, “I Want Your Sex” (1987)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=vldh7oQD-a4

George Michael, “Faith” (1987)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=lu3VTngm1F0

George Michael, “Freedom! ’90” (1990)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=diYAc7gB-0A

George Michael with Elton John (b.1947), “Don’t Let the Sun Go Down on Me"” (1991)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=RsKqMNDoR4o

1993年12月2日(木)、ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)を招いてのエイズ(AIDS: acquired immune deficiency syndrome)慈善コンサート(於、在大ロンドン市ブレント区のウェンブリーアリーナ; 現在の名称 SSE Arena, Wembley)

https://www.youtube.com/watch?v=AVZEVsPsTfw

George Michael, “Jesus to a Child” (1996)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=zNBj4EV_hAo

George Michael, “Fastlove” (1996)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=SHAQlFq6TFg

George Michael, “Outside” (1998)

[公式動画]

https://www.youtube.com/watch?v=gwZAYdHcDtU

Remembering His Career Through Five Songs (2017)

Billboard

[動画]

https://www.youtube.com/watch?v=pSZDiV8uTiQ