前期34「イギリス文化論」(2021/ 7/22) 英国大使講演記録(学報記事及び書簡付)

駐日連合王国大使グレアム・フライ閣下講演「シェイクスピアからベッカムまで―日英関係―」

“From Shakespeare to Beckham—UK-Japanese Relations”

Special Lecture given by

The Honourable Graham Fry (b.1949),

Her Britannic Majesty’s Ambassador to Japan

or Sir Graham Fry, KCMG after his retirement from diplomatic service

平成17年11月30日(水)

Wednesday 30th November 2005

於、昭和女子大学人見記念講堂

Held at Showa Women’s University Hitomi Memorial Hall

1. William Shakespeare. (ウィリアム・シェイクスピア)

シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)の綴(つづ)りは彼自身に表記の揺れ(不統一)が見られるが、現在では最後に e の付いた綴りが一般的だ。

シェイクスピアの生きていた時代の1600年4月、オランダ船リーフデ号(de Liefde)に乗船していた英人航海士ウィリアム・アダムズ(William Adams, 1564-1620)は蘭人航海士ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteijn, 1556?-1623)と共に豐後國(ぶんご の くに)の臼杵(うすき)(現在の大分県臼杵市)の海岸に漂着したところを地元の村民らに助けられた。しばらく大坂城(現在の大阪城)に留置されて取り調べを受けたが、德川家康(とくがは いへやす, 1543-1616; 征夷大将軍在任1603-05)はカトリックのイエズス会宣教師らの忠告を聞かず、プロテスタントの英人アダムズや蘭人ヨーステンを罰するどころか江戸に招いて家来とした[註1]

註1: 1604年、アダムズは家康の命令で伊東に於いて80トン級の西洋式の船を建造した。翌’05年にはやはり家康の命令で120トン級の船を建造した。家康はアダムズが気に入ったので、三浦半島の逸見(へみ)に250石の領地を有する旗本にしてやった。アダムズは三浦按針(みうら あんじん)という日本名を名乗った。史上初の白人侍の誕生である。

アダムズはイギリスに残してきた妻子があったので帰国を懇願したが、家康はこれを許さなかった。英人ウィリアム・アダムズは既にこの世になく、新たに日本人「三浦按針」が生まれたのだと幕府は主張し、按針に日本の侍の娘と結婚させた。ただ、一度だけ、イングランド船のクローヴ号(The Clove)が九州の平戸から本国に帰還する際に帰国するチャンスはあったが、船長のセイリス(John Saris, c.1580-1643)と仲違(なかたが)いしたため帰国船に乗るのを断念したと伝えられている。按針は日本で一男一女をもうけたが、1616年の家康歿後は幕府に警戒・冷遇されて浮かばれず、失意のうちに1620年に平戸で歿した。

アダムズの尽力で1613年に英東インド会社(EIC: East India Company, 1600-1874)は九州の平戸に商館を設立したが、オランダ東インド会社(VOC: de Vereenigde Oostindische Compagnie; 英称 the Dutch East India Company, 1602-1799)との競合に敗れ、家康の死後7年、アダムズの死後3年を経た1623年に、僅(わず)か十年の業務を終えて日本から撤退した。その後1854年の日英和親条約(Anglo-Japanese Friendship Treaty)と1858年の日英修好通商条約(Anglo-Japanese Treaty of Amity and Commerce)の締結まで日英間の交渉は無かった。

一方、ヤン・ヨーステンは耶楊子(やよす)という通名の侍になった。1623年に幕府の貿易使節の一員としてのオランダ東インド会社バタヴィア支店(現インドネシア首都ジャカルタ)に赴いた。そこで故国オランダへの帰国を申し込んだ。しかしオランダ側から受け入れられず、已(や)む無(な)く江戸へ帰ることになったが、途中、南シナ海で溺死した。ヨーステンの住まいがあった辺りに東京駅八重洲(やえす)口の地名が残されている。

2. Curry and rice probably came from the British Navy. (日本のカレーライスはおそらく英国海軍に由来)

1902年から22年の間[註2]、ロシア帝国の極東進出を恐れた日本と、ロシアの南下を警戒した英国との間で日英同盟(Anglo-Japanese Alliance, 1902-23)が結ばれていた。英国は日露戦争(Russo-Japanese War, 1904-05)で名目上は中立(neutral)を宣言したが、ロシア帝国バルト海艦隊(英称 Russian Baltic Fleet)に徹底的な嫌がらせを行なうことで間接的に日本を助けた。そのバルト海艦隊を打ち破った東鄕平八郎(とうごう へいはちろう, 1848-1934)伯爵元帥こそが日英同盟の象徴的な存在である。元帥は英国留学経験(1871-78年)がある英国贔屓(えいこく びいき: Anglophile アェングロウファイル)で、1905年に日本海の対馬沖海戦(Battle of Tsushima)でバルト海艦隊を打ち破った功績から、1805年にトラファルガーの海戦(Battle of Trafalgar)でナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)のフランス海軍とスペイン海軍を打ち破りながら自らは戦死した英国海軍(Royal Navy)のホレイショ・ネルソン提督(Admiral Horatio Nelson, 1758-1805)に準(なぞら)えられて、「日本のネルソン(the Nelson of Japan)」と讃(たた)えられた。カレーライス(curry and rice)はこの日英同盟の時期に英国海軍から大日本帝國海軍(英称 IJN: Imperial Japanese Navy)に伝えられたと考えられる[註3]

註2: 正しくは、1923年8月17日(金)に失効したので、締結期間は21年半強。

註3: 英国のビーフシチューを日本流にアレンジした「肉ジャガ」も、ウスターソース(Worcester sauce; Worcestershire sauce; 口語 brown sauce)と、それをアレンジした「とんかつソース」も英国海軍から日本海軍に伝わったものと考えられている。ブルドックソース株式会社(英称 Bull-Dog Sauce Co., Ltd.)の創業年は日英同盟が締結された1902年である。また、意外なところでは御田(おでん)や納豆(なっとう)やシュウマイや豚(トン)カツなどに添える黄色い練り辛子(karashi mustard)も、実は英国イングランド式マスタード(English mustard)とほぼ同じ味である。しかしながら、これは中央アジアからユーラシア大陸の両端の島国にまで偶然同じような味で伝わったのであり、英国から日本へ伝えられたわけではない。日本式やイングランド式がシャープな辛さに涙が出るような味のマスタードであるのに対して、茶色い粒々が黄色い練り物の中に入ったフランス式マスタード(French mustard)や、淡い黄色い色彩で食酢が多く入った米式マスタード(yellow mustard)や、鈍(にぶ)い灰色を黄色い練り物の中に混ぜたような色彩のドイツ式マスタード(Senf ゼンフ)は、どれも日英の物に較(くら)べて辛みが弱く、中途半端な味の所為(せい)か、日本では今一つ定着していない。ただ、イングランド式とフランス式が円筒形の瓶詰製品であり、米式がやや薄型なプラスチック容器に入っているのに対して、ドイツ式は金属製チューブに入っていて、半透明のプラスチック製チューブに入った日本の練り辛子にやや似た形で売られている。

【参考】

ヱスビー食品株式会社(英称 S & B Foods Inc.)のウェブサイト「カレーの日本史」

http://www.sbcurry.com/dictionary/japan/?utm_source=ycd&utm_medium=banner&utm_campaign=curry

には英国海軍に関する記述がない。

3. Great British stories for young people are hits in Japan—books and films. (英国の青少年向けの話が日本で大人気)

TVシリーズ『機関車トーマス』(Thomas the Tank Engine & Friends, 1984-2003 and Thomas & Friends, 2003-)、映画化されたJ. K. ローリング(J. K. Rowling, b.1965)原作『ハリー・ポッター』(Harry Potter, 1997-2016)連作長篇小説、J. R. R. トールキン(J. R. R. Tolkien, 1892-1973)原作の『指輪物語』(The Lord of the Rings, 1954-55)、ローアルド・ダール(Roald Dahl, 1916-90)原作の『チャーリーとチョコレート工場』(Charlie and the Chocolate Factory, 1964)などが記憶に新しいが、これらの英国人作家の原作は日本でも大変人気がある。ところでダールのファーストネームの綴りは一見間違っているように見えるかもしれないが、これで正しい。両親がノルウェーの出身なので変わった名前なのである。

4. There is booming interest in the UK in ‘Sudoku’. (現在英国では日本起源の「数独」が大流行)

今、英国では日本起源の「スードク(数独)」[註4]と呼ばれる数字のパズルが大人気で、多くの新聞で「数独」の欄を設けているほどだ。しかし日本の人はほぼ誰もこのパズルを知らない(2005年当時)。

他に日本語からイギリス英語に入った単語を紹介すると、judo(柔道)、karate(空手)、sushi(寿司)、bonsai(盆栽)、geisha(芸者)、samurai(侍)、manga(漫画)、karaoke(カラオケ)があるが、今やsudoku(数独)が一番人気だ。

註4: 日本のパズル制作会社である株式会社ニコリ(英称 Nikoli Co., Ltd.)が発行したパズル雑誌『月刊ニコリスト』1984年4月号で、「数字は独身に限る」という題で初めて「数独」が紹介された。世界的な流行は、1997年に英領香港(当時)の元裁判所判事で英連邦NZ国籍のウェイン・グールド(Wayne Gould, b.1945)氏が日本の書店で数独の本をたまたま手にとったことに始まる。グールド氏は6年後の2003年に数独をコンピュータで自動生成するプログラムを作ることに成功し、英高級紙タイムズ(The Times)に売り込みをかけた。タイムズ紙は2004年11月12日(金)付の紙面から Su Doku の名で連載を開始。翌’05年4月から5月にかけてブームに火が付き、ライバル紙のインデペンデント紙(The Independent)やガーディアン紙(The Guardian)、それに下層向けタブロイド紙であるザ・サン(The Sun)や日刊ミラー紙(The Daily Mirror)などイギリスの主要日刊紙に軒並み掲載。2005年7月1日には英民放BS放送大手のスカイ・ワン(Sky One)が、数独をテーマにした初のテレビ番組を放映。そしてイギリス国内の数独人気はついに欧州の他国へも飛び火。

5. The first cloned mammal. (世界初のクローン哺乳動物)

この写真は 1996年に英国スコットランドのロズリン研究所(Roslin Institute)で誕生した世界初のクローン哺乳動物「羊のドリー(Dolly the Sheep, 1996-2003)」である。2003年に死んでしまったが、ドリーが誕生したニュースは世界に衝撃を与えた。

歴史を遡(さかのぼ)れば、1859年に英人チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-82)が著した『自然淘汰の手段による種の起源について』(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, 1859)が、人間(ヒト)は猿(サル)から進化したのだとする進化論で、やはり世界に衝撃を与えた。この学説自体は熱帯で研究を進めていた 別の英人アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace, 1823-1913)によって既に1858年に提唱され、論文の草稿をダーウィンに送っていた。進化論の手柄は同様の研究を進めていたダーウィンに取られてしまったが、ウォレスは意に介さずむしろダーウィンに認めてもらったことに気をよくした。

二十世紀(1901-2000年)になると1953 年に英国ケイムブリヂ大学(University of Cambridge)のフランシス・クリック(Francis Crick, 1916-2004)博士が米国の科学者ジェイムズ・ワトスン(James Watson, b.1928)博士とともに[註5]、 デオキシリボ核酸(DNA: deoxyribonucleic acid)の二重螺旋構造(the double helix)を発見した。二人はこの世紀の大発見で九年後の1962年にノーベル生理学・医学賞(瑞 Nobelpriset i fysiologi eller medicin; 英 Nobel Prize in Physiology or Medicine)を受賞した。

このように英国は世界の最先端を行く研究でも昔から有名だ。最近では日英が協力して薬品を開発したり、地球温暖化に関する研究を進めている。その一環として例えば英国で作成された地球温暖化モデルを横浜にある世界最大のコンピュータで解析する作業も行なっている。

註5: 実は二人ではなく、ニュージーランド出身の科学者ウィルキンズ(Maurice Wilkins, 1916-2004)博士を加えた三人でノーベル賞を受賞した。しかし彼らは自分らと仲が悪かったユダヤ系女性科学者ロザリンド・フランクリン (Rosalind Franklin, 1920-58)博士が撮影に成功したX線回折写真を無断で盗んだためにDNAの二重螺旋構造を発見したとも言われている。フランクリン博士は盗まれた自分の写真が基(もと)で、自分と仲が悪かった三人の男性研究者がノーベル賞を受賞するなどとは夢にも思わず、1958年に満37歳で病歿していた。

(参考資料)

福岡伸一(ふくおか しんいち, b.1959)青山学院大学教授・農学博士(京都大学)著

『生物と無生物のあいだ』(講談社 講談社現代新書, 2007年)

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4061498916/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending

福岡伸一 「隠された科学者-ロザリンド・フランクリン-」(数研出版サイエンスネット 2007年11月号)

http://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/31/sc31-3.pdf

6. British and Japanese people are both crazy about animals. (日英両国民とも大の動物好き)

英国人も日本人も動物が大好きだ。しかし英国の王立鳥類保護協会(RSPB: the Royal Society for the Protection of Birds)[註6]は会員数が100万人に達しているのに対し、日本野鳥の会(Wild Bird Society of Japan)の会員は5万人のみだ。英国の人口が約6000万人(60 million)で日本の約1億2700万人(127 million)の半分以下であることを考え合わせれば[註7]、日本の200万人超の規模である。今後日本でも鳥好きな人が増えれば良いと思う。

ビアトリクス・ポッター(Beatrix Potter, 1866-1943)は英国湖水地方(the Lake District; the Lakes)の人で、ピーター・ラビット(Peter Rabbit)という兎(ウサギ)の出てくる連作絵本が日本でも愛されている。生前彼女が暮らしたコッテージは現在、非営利団体のナショナル・トラスト(National Trust)が管理している。マイケル・ボンド(Michael Bond, b.1926)のパディントン・ベア(Paddington Bear)という可愛い熊の出てくる連作絵本も有名である。

手前味噌になるが、この写真は我が家の飼い犬ドーソン(Dawson)だ。英国の本省勤務の頃、この犬が赤ん坊の時だけ飼うようにと盲導犬訓練所に依頼されて飼っていたが、その後、盲導犬失格で訓練所から我が家に戻ってきてしまった。マレーシア(Malaysia)の首都クアラルンプール(Kuala Lumpur)に赴任していた時も一緒で、今でもこうして東京で一緒に暮らしている。

註6: ちなみに上記の王立鳥類保護協会(RSPB: the Royal Society for the Protection of Birds)と王立動物虐待防止協会(RSPCA: the Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)は王立だが、全国児童虐待防止協会(NSPCC: the National Society for the Prevention of Cruelty to Children)は、名前からすると王室の庇護がないように見える。英国では人間の子供より動物のほうが大事にされていると、よく皮肉で言われている。 しかしこれは広く共有される誤解であり、実際には創立十年後の1895年にヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)から国王勅許状(Royal Charter)を下賜(かし)されているため、本来なら Royal の肩書を名乗ることが可能だが、上記の RSPCA との混同を避けて、敢(あ)えて National の儘(まま)にしている。

註7: 大使の講演から十年後の2015年は英国 63 million に対して日本 126 million。

7. Apple’s i-Pod. (アップル社のアイポッド)

アイポッドは米アップル(Apple)社の製品だが、デザインしたのは英人ジョナサン・アイヴズ(Sir Jonathan Ives, b.1967)である。日本の自動車会社マツダ社(Mazda: 英語では「マーズダ」と発音)のトップデザイナーも英人モレイ・カラム(Moray Callum, b.1958)であり、英ジャギュアー社(Jaguar: 日本では誤って「ジャガー」と発音)のトップデザイナーは英人兄弟である。英ダイソン社(Dyson)社の電気掃除機(vacuum cleaner)は集めたゴミが見えるという世界初の特徴で定評があるが、これを設計したのは英人ジェイムズ・ダイソン(Sir James Dyson, b.1947)である。

最近では東京メトロ(Tokyo Metro)や六本木ヒルズ(Roppongi Hills)のロゴ、英国に本社を置く豪スピード社(Speedo)が鮫肌を参考に開発した競泳用水着も英人によるデザインである。また、日本でも人気の英ローヴァー社(Rover)のミニ(Mini)[註8]という自動車は英人による1960年代のデザインである。

註8: 1994年以降、ミニは独BMW (独 ヴェーエムヴェー; 英 ビーエムダブリュー)社(独 Bayerische Motoren Werke AG バイヤリッシェ・モトーれン・ヴェるケ・アーゲー; 英訳 Bavarian Motor Works バヴェアりアン・モータウァークス)がローヴァー社を傘下(さんか)に収(おさ)め、ミニにまつわる権利も保有している。

8. Eighty thousand Japanese study in Britain every year. Why not join them? (毎年約八万人の日本人が英国留学。あなたも仲間に加わりませんか?)

八万人のうちの大部分は短期留学者だが、2005年現在、約6,800人の日本人が英国人や世界の国々の学生とまじって大学(学部および大学院)の正規コースで学んでいる。また、約3,000人が短大で学んでいる。皇太子徳仁親王殿下と雅子妃殿下(Their Imperial Highnesses Prince Naruhito, b.1960 and Princess Masako, b.1963)は別の時期にそれぞれオクスフオッド大学マートン学寮(Merton College, Oxford)とオクスフオッド大学ベリオル学寮(Balliol College, Oxford)で学ばれた。小泉純一郎首相(Prime Minister Junichiro Koizumi, b.1942; 首相在任2001-06)はロンドン大学(UCL: University College London)に一年間留学した。クリントン(Bill Clinton, b.1946; 大統領在任1993-2001)元米大統領もオクスフオッド大学ユーネヴアセティ学寮(University College, Oxford)に留学し、大変気に入ったらしく、娘のチェルシー(Chelsea Clinton, b.1980)さんもやはり父親と同じオクスフオッド大学の同学寮に留学した。

英語は今では国際言語(an international language)である。英人サー・ティム・バーナーズ=リー(Sir Tim Berners-Lee, b.1955)が発明したワールド・ワイド・ウェブ(www: World Wide Web)に代表されるインターネットの普及が英語を世界中に広める役割を果たしている。

日本人が英語を学習する際に気をつけねばならないのはカタカナ英語の問題だ。これは日本語学習でローマ字を使わないことと同じように大切なことだ。私も日本語を習ったときは真っ先にひらがなとカタカナを覚えて日本語の発音を身に着けたものだ。私の苗字フライ(Fry)はカタカナで書いてしまうと「蝿」や「飛ぶ」を意味する Fly なのか、それとも「揚げ物」や「油で揚げる」を意味する Fry なのか分からなくなってしまう。ドイツ語で「自由な」を意味する形容詞 frei (フらイ)にも通じる発音で私としても気に入っているので、L ではなく R の音で発音してもらいたい。

9. International Affairs: Britain and Japan agree on almost everything. (国際関係: 日英両国はほとんど全ての事項について同意している)

現在、日英の政府間には懸案らしい懸案がないので、在連合王国日本国大使館(在英日本大使館)の野上義二特命全権大使閣下(His Excellency Mr Yoshiji Nogami, Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of Japan to the UK, b.1942)と冗談で「こうなったら二人で何か問題を起こそうではないか」と話しているぐらいだ[註9]

日英の政府間でどのような点で同調しているかと申し上げれば、

1)「テロとの戦い(Fight terrorism.)」に於いて日英両国は共同歩調を採っている。これは今年(2005年)7月に英国スコットランドのグレンイーグルズ(Gleneagles)で行なわれたG8サミット、つまり主要8ヶ国首脳会談(Group of Eight Summit Meeting)で撮影された写真だ。このサミットの最中の7月7日(木)にあの不幸なロンドン同時爆破テロ事件が起こった。

2)「核兵器の拡散防止(Stop the spread of nuclear weapons.)」に於いて、日本は近隣の脅威である北朝鮮の核開発をやめさせようと動きを起こし、英国は欧州連合(EU: European Union)の一員として欧州により近いイランの核開発をやめさせようと動いている。

3)「イラクとアフガニスタン両国の民主制確立の支援(Help Iraq and Afghanistan to build democracy.)」に於いても日英両国は共同歩調を採っている。イラク南部の治安維持に当たっている英国陸軍(British Army)の保護のもと、日本の陸上自衛隊(JGSDF: Japan Ground Self-Defense Force)も現地の復興支援活動に寄与することで国際社会から評価されている。

4)「二酸化炭素の放出を削減することで気候変化のペースを緩める(Slow down climate change by cutting down CO2 emissions.)」に於いては英国の加盟する欧州連合(EU: European Union)と日本政府とが共同歩調を採り、地球温暖化(global warming)防止のための京都議定書(Kyoto Protocol)を各国が批准するよう働きかけているが、国内産業の保護を優先する米国と中国が批准していない。日欧は共同で米中の説得に当たっている。

5)「貧困の削減(Reduce poverty.)」に於いても日英両国は政府や民間のレベルで、アフリカ、インド、バングラデシュ、中国等の貧困層の生活水準引き上げのために努力している[註10]。例えば英スタンダード・チャータード銀行(Standard Chartered Bank)は「百聞は一見にしかず(‘Seeing Is Believing’)」キャンペーンを展開し、貧困がもとで視力を著しく欠いた途上国の人々の視力回復に尽力している。

註9: 日英の政府間では「解決済み」とされているが、英国の民間人の中には第二次世界大戦で日本から受けた暴力や虐待や屈辱に対する補償を日本政府に求めている元戦時捕虜や元戦時抑留民間人の人々がいること、そしてその結果、日本に対して激しい憎悪を抱いている人々がいることを忘れてはならない。大使はこの話題は日本の聴衆に非礼になると考えて避けたものと思われる。

註10: 英国はアフリカの債務国の借金帳消しを訴えているが、日本は帳消しに応じていない。また、日本国政府が堅持する死刑制度に対しても、他の欧州諸国と並んで英国政府は明確に反対の意思を表明している。これらの点で日英は対立する。

10. After London in 2012, it might be Tokyo in 2016. (2012年「ロンドン・オリンピック」の後は2016年「東京オリンピック」になるかも)[註11]

2012年夏のオリンピックは英国ロンドンが開催地に決まった。強豪候補地ニューヨーク、パリ、モスクワ、マドリードを抑えての堂々の開催決定だった。英国とスポーツとは大いに関係が深い。

The British invented: (英人が発明した運動競技)

・Football (soccer) (サッカー、イギリス英語で「フットボール」「ソッカー」)

今では英国の国民的スポーツというよりむしろ最も重要な国際的スポーツになっている。サッカーを他国に広めすぎたせいで英国のサッカーが振るわなくて残念だ。

・Rugby (ラグビー)[註12]

次回のラグビー・ワールド・カップの開催地に日本も名乗りを挙げたが、残念ながらニュージーランドに決まってしまった。

・Tennis(テニス)

毎年6月に大ロンドン市ウィンブルドン地区で開催される世界大会が有名だ。

・Cricket (クリケット)

米国の野球(baseball)のもとになった球技で、英国のほかではインド、パキスタン、オーストラリア、ニュージーランドなどの英連邦諸国で盛んに行なわれている。この競技ではイングランド・ティームがまだ強い。

・Golf (ゴルフ)[註13]

これは皆さんよくご存知のスポーツだろう。

・Badminton(バドミントン)

これもやはり皆さんよくご存知のスポーツだろう。But not baseball or sumo. (しかし野球や相撲は違う)。野球や相撲[註14]については英国で実際にやったり観戦したりしている人は見たことがない。

Japanese soccer stars in the UK (英国で活躍する日本人サッカー選手)

稲本潤一(Junichi Inamoto, b.1979)、中田英寿(Hidetoshi Nakata, b.1977)、中村俊輔(Shunsuke Nakamura, b.1978)の各選手が英国で活躍中だ。[註15]

最後に、これは言わずと知れたサッカー選手デイヴィッド・ベッカム(David Beckham, b.1975)の写真だ。イングランドのナショナル・ティームを率いるキャプテンで、普段はスペインの強豪レアル・マドリード(Real Madrid)の選手である。今回の講演は「シェイクスピアからベッカムまで」としたので、このベッカムの写真で講演を終わりにしたい。ご清聴ありがとうございました。

註11: 2013年9月8日(火)に南米アルゼンチン共和国首都ブェノサイレス(Buenos Aires)市で開催された国際オリンピック委員会(IOC: International Olympic Committee)総会で2020年大会の開催地が東京に決定した。

註12: 名門パブリック・スクールのひとつラグビー校でサッカーをしていた生徒が興奮してボールを小脇に抱えてゴールまで全力疾走したことが発祥とされる。

註13: 英国スコットランドの暇な羊飼いが杖で石を打ったのが始まりとされる。スコットランドのセンタンドルーズ(St Andrews)と言えば、英国王室のウィリアム王子(His Royal Highness Prince William of Wales, b.1982)と2011年4月29日(金)に結婚したその妃(Her Royal Highness Princess William of Wales, b.1982)が卒業した名門大学が在ることでも有名だが、世界的に有名なゴルフコースを抱えている。

註14: 日本の大相撲(Grand Sumo Tournament)は英国の街中に点在する合法賭博店(betting stations; bookmakers)での賭け事の対象になっているので、力士の取り組みの結果を気にしている英国人ギャンブラーも数多い。そのためスポーツ専用の衛星チャンネルで詳しい英語解説つきの相撲中継が放映されている。しかし野球については聞いたことがない。大使は大相撲が賭け事の対象になっている事実は日本人に失礼になると考えて、話題を避けたものと思われる。

註15: その後は強豪マンチェスター・ユナイテッドに移籍した平成生まれの香川真司(Shinji Kagawa, b.1989)がいたが期待外れだった。

平井聖学長(当時)が登壇して、以下談。

今の日本の若い建築家は見落としがちだが、明治の日本人に「コンドルさん」と呼ばれ、かの有名な鹿鳴館(1883年、現存せず)や神田のロシア正教会ニコライ堂(1891年)を建てた英人ジョサイア・コンダー(Josiah Conder, 1852-1920)[註16]こそ日本近代建築の元祖だ。コンダーの弟子や孫弟子が活躍したお陰で日本の近代建築は成り立っている。私のような建築を専門とする者からするとコンダーは恩人だ。

このたびは駐日英国全権大使グレアム・フライ閣下のお話を拝聴し、改めて日本と英国との強固な結びつきがよく分かった。本学で特別講演をお引き受けくださったフライ閣下、ありがとうございました。

註16: コンダーは日本銀行本店(1896年)や東京驛赤煉瓦驛舎(1914年)を設計した辰野金吾(たつの きんご, 1854-1919)など後進を育てた。

(講演内容書き取り・注釈: 原田俊明)

【附録1】学報記事

平成18年(2006年)1月1日(日)付の『昭和學報』一面右上

GP特集

現代英語GP

駐日英国全権大使

グレアム・フライ氏講演会

昨年十一月三十日(水)、現代GP英語委員会の主催により、駐日英国大使 グレアム・フライ氏の講演会が行われた。人見理事長の歓迎の挨拶、坂東副学長の大使紹介に続いて、フライ氏が壇上に立たれた。

フライ氏は、日英間のさまざまな交流を具体的に例示され、四百年に及ぶ両国の歴史が育てた関係の上に、現在の協調関係があることを語られた。

お話は、十七世紀、シェイクスピアと同時代に家康の要請で造船にあたり、江戸に生涯を閉じたウイリアム・アダムスを日英交流の端緒とされ、二十世紀初頭、ロシア帝国を警戒して結ばれた日英同盟の象徴的な存在として、英国留学経験があり、バルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎元帥をあげられた。東郷を英国海軍のネルソン提督に譬え、「日本のネルソン」と称えた。またカレーライスはこの時期に英国海軍から日本海軍に伝えられたと話され、聴衆の興味を誘った。

さらに、英国で青少年に人気の「機関車トーマス」「ハリー・ポッター」「指輪物語」などが日本でも大人気であり、日本起源の数字パズル「数独」は英国で大人気であること、また日本語から英語に入った単語に柔道、空手、寿司、盆栽、侍、漫画があると、身近な交流を語られ、両国関係の認識を新たにされた。

平井学長は閉会に際して、コンドルこそ日本近代建築の元祖と話され、英国の恩恵を讃えられた。

(関連記事3面に)

同學報三面右下

現代GP英語委員会主催

「シェイクスピアからベッカムまで—日英関係—」

「シェイクスピアからベッカムまで—日英関係—」というテーマには興味をひかれた。中学生から大学生その他、多くの聴衆で満席だった。

講師グレアム・フライ氏は、一九七三年に初めて書記官として日本に赴任し、三回目の今回は、「匿名英国全権大使」としての来日である。大変お忙しい公務の合間を縫って講演にいらしていただいたとのことで、感激した。さらに、英語と流暢な日本語を交えながら話され、大変親近感を持った。大使の講演は、英国と日本との関係を、十の項目に分け、英国から日本に伝わったもの、反対に日本から英国に伝わったものをあげられて、両国の深いつながりについて話された。

大使が語られた内容をキーワードで紹介すると、シェイクスピア、ウイリアム・アダムス、カレーライス、ハリー・ポッター、数独、化学研究の情報交換、ピーター・ラビット、デザイン、留学生、ベッカムなどで、日英交流が、四百年も前から、盛んなことを示された。

この講演により、日英には共通することが多く、緊密な関係にあることを知った。そして英国大使の講演を通して、英国に、これまで以上の親近感を持った。しかし、英国を訪れるときに求められるのは、やはり英語である。この講演で、英語の重要性も再認識した。気づくことの多い貴重な講演会であった。

学報委員 榊󠄀原洋子

【附録2】英国大使宛英文書簡

Showa Women’s University

1-7 Taishido

Setagaya-ku

Tokyo 154-8533

17th November 2005

The Honourable Graham Fry

Her Britannic Majesty’s Ambassador to Japan

Embassy of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland in Japan

1 Ichibancho, Chiyoda-ku, Tokyo 102-0082, Japan

RE: Special Lecture to be held on 30th November

Sir,

I should like to express my heartfelt gratitude to you for accepting the request by our Vice President Professor Mariko Bando to give a special lecture to be held on 30th November. This is part of our commitment to the programme funded by the Education Ministry, wherein we foster people who can use English as a practical tool for business by utilising and reconstructing the existing study abroad programme on our overseas campus.

I am fully convinced that your lecture will be of great value and interest to us all. I sincerely hope your temporary absence from the Embassy will not cause great inconvenience.

I should also like to express my profound respect for your constant efforts to promote friendly relations between Japan and the UK. As we are going to welcome the British School in Tokyo next year, I hold high expectations for the future relations and cooperation between our University and your Embassy.

For your reference, the details of your Special Lecture are as follows:

1. Lecturer: The Hon Graham Fry (Her Britannic Majesty’s Ambassador to Japan, Embassy of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland in Japan)

2. Lecture Title: “From Shakespeare to Beckham—UK-Japanese Relations” (The 5th GP Program Lecture & The Department of Contemporary Liberal Arts 2nd Special Lecture in Academic Year Heisei 17, i.e. April 2005 to March 2006)

3. Time: Wednesday 30th November 2005, 15.30-17.00hrs

4. Venue: Showa Joshi Daigaku Hitomi Kinen Kodo (Showa Women’s University Hitomi Memorial Hall)

5. Audience: Students of Showa Women’s University and Showa Women’s Junior College, pupils of affiliated Showa High School and some of their parents

6. Duration: 90 minutes (60 minutes for the lecture per se)

7. Programme: “Development of Study Abroad Systems Focusing on Experiential Activities—Challenging Students to Use English in Fieldwork and Internship Programmes” (effective from October 2004 to March 2008)

In closing, may I once again offer my greatest appreciation for your coming visit.

Yours very respectfully,

平井聖(学長署名)

HIRAI-Kiyosi [註17]

President

Showa Women’s University

NB: Should you have any queries please do not hesitate to contact the person below:

Ms Fumiko Takahashi

Showa Women’s University GP Programme Committee

Career Support Centre

Telephone: 03-3411-xxxx

Facsimile: 03-3411-xxxx

E-mail: xxxxxx@swu.ac.jp

This is an informal translation of the official Japanese text attached hereto. For official use please refer to the original.

Showa Women’s University GP Programme No.17-14-1

(英文作成: 原田俊明)

註17: 学長名がごく一般的な英文表記の Kiyoshi Hirai や HIRAI Kiyoshi ではなく、HIRAI-Kiyosi のハイフン付きの奇異な表記で、綴(つづ)りが内閣訓令式なのは、平井聖学長(当時)の意向を尊重したため。