西曆1905年3月11日(土)、夏目漱石講演記錄「倫敦のアミユーズメント」(中篇)
前篇( https://sites.google.com/site/xapaga/home/amusementsoflondon )からの續き。
Bull-baiting といふのは、御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り牛(うし)[註17]です。牛(うし)を調戲(からか)ふのです。熊(くま)を調戲(からか)つた揚句(あげく)牛(うし)を調戲(からか)ふのです。その調戲(からか)ひ方(かた)は矢張(やはり)同(おな)じですな。牛(うし)を矢張(やはり)杭(くい)ヘ繋(つな)ぎまして頸(くび)ツたまへ鎖(くさり)を結付(むすびつ)けて矢張(やはり)花(はな)を眉間(みけん)へ置(お)く(の)です。角(つの)の尖(さ)きを圓(まる)くする(の)です。圓(まる)くしないと牛(うし)が角(つの)で犬(いぬ)を引掛(ひつか)けますから犬(いぬ)を痛(いた)めない爲(ため)に成(な)るべく角(つの)を圓(まる)くして置(お)く。或(あるひ)はいろ/\工夫(くふう)をしまして、牛(うし)の角(つの)の尖(さ)きを少(すこ)し切(き)りまして、さぅして切(き)つた上(うへ)へ以(もつ)て來(き)て又(また)他(ほか)の大(おほ)きな角(つの)を繼(つ)ぐのです。斯(か)う長(なが)い角(つの)が出來(でき)るのです。それでイザ犬(いぬ)を嗾(けしか)けるときに牛(うし)が應(おぅ)じないことがあります。應(おぅ)じないときには、燒鏝(やきごて)[註18]を當(あ)てるのです。酷(むご)いことをやつたものです。燒鏝(やきごて)を當(あ)てゝさぅして牛(うし)が大(おほ)いに怒(おこ)つて突掛(つツか)かる。之(これ)を面白(おもしろ)がつたものです。さうして時々(とき/\゛)は牛(うし)ですからモー[註19]と聲(こゑ)を出(だ)す。其(その)鳴聲(なきごゑ)を珍重(ちんちよぅ)したのです。彼(あ)の鳴聲(なきごゑ)は良(よ)い牛(うし)だ、彼(あ)の牛(うし)に限(かぎ)るなどと、いろ/\な評判(ひやぅばん)が出(で)たものです。(笑聲起る) これは本統(ほんとぅ)です。それから、犬(いぬ)を嗾(けしか)けまして犬(いぬ)が食(く)ひ付(つ)いたり何(なに)かしますから、牛(うし)の口(くち)の所(ところ)は血(ち)だらけになる。さぅすると其口(そのくち)の血(ち)を拭取(ぬきひと)らせる。
註17: 牛の中でも去勢していない牡牛(おうし)を bull (ブル)と呼ぶ。去勢したおとなしい牡牛は ox (オクス)で、牝牛(めうし)は cow (カウ)で、仔牛(こうし)は calf (カーフ)である。
註18: 英単語 brand (ブらンド)の原義は、近隣の家畜との混同を避けるため、農夫が家畜の体に「焼き鏝(ごて)を当てた痕(あと)」のこと。
註19: 英語で牛は Moo (ムー)と鳴く。
犬(いぬ)はいろ/\な種類(しゆるい)の犬(いぬ)を嗾(けしか)けるのでありませうが、其(その)持主(もちぬし)が牛(うし)の前(まへ)へ持(も)つて行(い)くのに耳(みゝ)を捉(とら)へまして持(も)つて來(く)る。さぅしてなか/\放(はな)さない。牛(うし)の前(まへ)へ持(も)つて行(い)つて、犬(いぬ)が摺(す)り拔(ぬ)けて飛掛(とびかゝ)らぅとする奴(やつ)を持(も)つて押(おさ)へて居(を)ります。イザ、非常(ひじやぅ)に犬(いぬ)が怒(いか)つて、是(こ)れならばといふときに放(はな)す(の)です。さうすると其犬(そのいぬ)が一直線(いつちよくせん)に突掛(つツかゝ)つて行(い)く(の)です。それで犬(いぬ)の巧拙(よしあし)が分(わか)るのです。巧(うま)く行(い)く奴(やつ)は咽喉笛(のどぶえ)へ行(い)く、或(あるひ)は眉間(みけん)へ行(い)く(の)です。是(こ)れは局所(きよくしよ)ですな。此處(こゝ)に今(いま)の rosette と言(い)ひまして薔薇(ばら)の花(はな)がくつ着(つ)いて居(ゐ)る。其所(そこ)へ行(い)く奴(やつ)がありますし、それから拙(へた)な犬(いぬ)になりますと、或(あるひ)は卑怯(ひけふ)な犬(いぬ)になりますと樣子(やぅす)を見(み)て居(ゐ)て容易(よぅい)に行(い)かない。時々(とき/\゛)ぶつかつて見(み)ちやア又(また)今(いま)の鎖(くさり)より遠(とほ)い距離(きより)へ行(い)つて默(だま)つて見(み)て居(ゐ)る。もつと下等(かとぅ)な犬(いぬ)になりますと初(はじ)めから行(い)かない。初(はじ)めから少(すこ)しも掛(かゝ)らない奴(やつ)がある。若(も)し飛掛(とびかゝつ)て行(い)つて、牛(うし)の角(つの)で以(もつ)て撥(はね)られるといふと、是(こ)れは高(たか)い所(ところ)へ行(い)くのです。三十尺(さんじふしやく)(=約9メートル)も昇(のぼ)る(の)です。さぅして或本(あるほん)に書(か)いてある所(ところ)に據(よ)ると三階(さんがい)に居(を)つた女(おんな)の前垂(まへだれ)の上(うへ)へ落(お)ちて來(き)たと云(い)ふ話(はなし)がある。何(なん)だか大變(たいへん)高(たか)く上(あが)つたものですな。それからさぅいふ高(たか)い所(ところ)から犬(いぬ)が落(お)ちるから、グサツと潰(つぶ)れる譯(わけ)ですが、潰(つぶ)さしては資本(もとで)が無(な)くなりますから、犬(いぬ)の持主(もちぬし)が犬(いぬ)が角(つの)で捲く上(まきあ)げられるや否(いな)や直(す)ぐ走(はし)つて出(で)て受(う)ける。或(あるひ)は棒(ぼぅ)を持(も)つて行(い)く。さぅして落(お)ちて來(き)た所(ところ)へ棒(ぼぅ)をあてがふと、犬(いぬ)が棒(ぼぅ)を滑(すべ)つて降(お)りて落(お)ちますから餘(あま)り怪我(けが)をしないでも濟(す)む。猛烈(まぅれつ)な犬(いぬ)になるとさぅいう風(ふぅ)に撥上(はねあ)げられて跛(びつこ)になります。跛(びつこ)になつても飛掛(とびかゝ)る。非常(ひじやぅ)に聞(き)かん氣(き)の犬(いぬ)があります。一旦(いつたん)飛掛(とびかゝ)つて食(く)ひつくと放(はな)さない。それは大變(たいへん)なものです。見(み)て來(き)たやうな御話(おはなし)をするが、チヤンと本(ほん)に書(か)いてあります。なか/\放(はな)さない。どぅしても放(はな)さないといふ時(とき)には、棒(ぼぅ)を持(も)つて來(き)て、外(ほか)の人(ひと)が牛(うし)を捉(とら)へて居(ゐ)ると、犬(いぬ)の口(くち)の中(なか)へ其棒(そのぼぅ)を入(い)れてさぅして捻(ひね)るのですな。さぅすると漸(よぅや)く犬(いぬ)が放(はな)すといふ。それがマア bull-baiting の激(はげ)しいのです。これも亦(また)賭(かけ)ばかりをして、さうして客(きやく)を引(ひ)いたものです。
Butcher の話(はなし)に、—butcher といふは牛屋(うしや)の亭主(ていしゆ)です。其牛屋(そのうしや)の亭主(ていしゆ)の話(はなし)に依(よ)りますと、牛(うし)を絞(しめ)る前(まへ)に斯(か)うやるが宜(よろし)いと云(い)ふ。牛(うし)を絞(しめ)る前(まへ)には斯(か)うやつて犬(いぬ)にかゝらせて置(お)くと殺(ころ)したときに肉(にく)が軟(やはらか)くなるといふ話(はなし)ですが、どぅか分(わか)りません。
此遊戲(このゆげ)は大層(たいそぅ)流行(はや)つたものです。現(げん)に十九世紀(じふきぅせいき)の始(はじ)まりまで大(おほ)いに流行(はや)つたので、或人(あるひと)などは大變(たいへん)熱中(ねつちゆぅ)しまして死(し)ぬ時(とき)に遺言(ゆいごん)して死(し)んだといふ話(はなし)がある。どうか俺(おれ)が死(し)んでも bull-baiting だけは年(ねん)に一囘(いつくゎい)興行(こぅぎゃぅ)して貰(もら)ひたい。其代(そのかは)りそれに關(かん)する費用(ひよぅ)は俺(おれ)の財產(ざいさん)の中(なか)から拂(はら)つて宜(よろ)しいからと斯(か)ういふ立派(りつぱ)な遺言(ゆいごん)をして死(し)んだといふが、今(いま)では禁(きん)じられて居(を)りますからさぅいうふぅになつて居(を)りますまい。多分(たぶん)其人(そのひと)の言(い)ふ通(とほ)りにならなかつたかも知(し)れませんけれども、其位(そのくらい)熱心(ねつしん)な人(ひと)がある位(くらい)一般(いつぱん)に行(おこな)はれた娛樂(ごらく)なのです。
又(また)其他(そのほか)には犬(いぬ)と犬(いぬ)を嚙合(かみあ)はせることもやります。又(また)或時(あるとき)は廣吿(くゎうこく)などにありますが、六尺(ろくしやく)(=約1.8メートル)の虎(とら)を何日(なんにち)何時(いつ)何處(どこ)そこで以(もつ)て犬(いぬ)に苦(くる)しめさせるから來(き)て見(み)ろといふやぅなこともある。或時(あるとき)は馬(うま)をやつた事(こと)もあります。此馬(このうま)は何(なん)とかいふ、Rochester 伯の持馬(もちうま)でありましたが非常(ひじやぅ)に性質(せいしつ)の惡(わる)い馬(うま)で、他(た)の馬(うま)を嚙殺(かみころ)すといふので仕方(しかた)がないから、horse-baiting をやつて殺(ころ)して仕舞(しま)はぅといふ譯(わけ)ですな。愈々(いよ/\)といふ時(とき)其馬(そのうま)ヘ犬(いぬ)を嗾(けしかけ)た所(ところ)が、よく/\惡運(あくうん)の强(つよ)い馬(うま)と見(み)ゑて、なか/\嚙殺(かみころ)されない。仕方(しかた)がないから、仕舞(しまひ)に馬(うま)の持主(もちぬし)が馬(うま)を曳(ひ)いて London Bridge まで來(き)た。所(ところ)が前(まへ)の廣吿(くゎうこく)に犬(いぬ)を嗾(けしか)けて殺(ころ)すまで馬(うま)を苦(くる)しめるから來(き)て見(み)ろと言(い)つて來(き)たのですから、見物人(けんぶつにん)が承知(しよぅち)しない。London Bridge まで歸(かへ)つて來(く)ると、見物(けんぶつ)が騷(さわ)ぎ出(だ)した。噓(うそ)の廣吿(くゎうこく)を出(だ)した怪(け)しからん、といふので小屋(こや)を叩(たゝ)き壞(こは)したといふことがあります。
其他(そのた)いろ/\な珍談(ちんだん)がありますが、そんなことは略(りやく)して仕舞(しま)つて、其位(そのくらい)より知(し)らないから其位(そのくらい)にして、それから今度(こんど)は人間(にんげん)といふ動物(どうぶつ)がさぅいふ所(ところ)で喧嘩(けんか)をする事(こと)を一寸(ちよつと)申(まぅ)し上(あ)げませう。
これは、其(その) master of the art of self-defence (=護身術の名人)と稱(しよぅ)する手合(てあひ)のする事(こと)です。今(いま)では柔術家(じぅじつか)が西洋(せいやう)へ渡(わた)つて居(を)りますが、其(その)柔術(じぅじつ)を self-defence (=護身)の art (=術)と捉(とら)へて居(を)りますが、此言葉(このことば)は近來(きんらい)製造(せいざぅ)したのではない。其昔(そのむかし)十八世紀(じふはつせいき)頃(ごろ)からあるのです。是(こ)れが一種(いつしゆ)の profession (=專門職)になつて居(を)つて所謂(いはゆる)劍客(けんきやく)は此(この)試合(しあひ)を商賣(しやぅばい)道具(だぅぐ)として客(きやく)を引(ひ)いたものです。それは何(なに)をするかといふと、面(めん)も着(つ)けず籠手(こて)も嵌(は)めず胴(どぅ)も着(つ)けないで、普通(ふつう)の姿(すがた)をして出(いで)て刀(かたな)で斬合(きりあ)ふ。隨分(ずいふん)酷(むご)いことをやる(の)です。日本(につぽん)では擊劍(げきけん)の勝負(しよぅぶ)はありますけれども、刀(かたな)で斬合(きりあ)つて見(み)せることはない。所(ところ)がそれをやる(の)です。眞劍(しんけん)勝負(しよぅぶ)をやる(の)です。其(その)廣吿(くゎうこく)はいろ/\あります。一人(ひとり)の人(ひと)の challenge (=果し合ひの申し入れ)がある。吾輩(わがはい)誰某(だれがし)は今(いま)まで何百(なんびやく)何十度(なんじふど)の試合(しあひ)をして一遍(いつぺん)も後(おく)れを取(と)つた(=負けた)ことはない。然(しか)るに今回(こんくゎい)誰某(だれがし)に向(むか)つて決鬪(けつとぅ)を申込(まぅしこ)むとあると、其(その) answer (=返答)が付(つ)いて居(ゐ)る、答(こたへ)が付(つ)いてゐる。吾輩(わがはい)誰某(だれがし)は誰(だれ)からの申込(まぅしこ)みを快(こゝろよ)く諾(う)けた、若(も)し神(かみ)が許(ゆる)すならば、許(ゆる)さんだつて出(で)れば出(で)られますが、若(も)し神(かみ)の思召(おぼしめし)に叶(かな)ふならば當日(たぅじつ)出(いで)て大(おほ)いに目覺(めざま)しい働(はたら)きをして相手(あいて)を斬殺(ざんさつ)してやらぅといふやぅなことがある。
偖(さて)當日(たぅじつ)になつて、どんなことをするかと見(み)に行(ゆ)くと、矢張(やはり)本統(ほんとぅ)にやる(の)です。其武器(そのぶき)はいろ/\なのがあります。刀(かたな)もありますし、其刀(そのかたな)も日本(につぽん)の刀(かたな)みたいに刃(は)が一方(いつぽぅ)に付(つ)いて居(ゐ)る刀(かたな)もあれば、突(つ)く刀(かたな)もある。或(あるひ)は刀(かたな)でないと quarter-staff [註20]、日本(につぽん)の捧(ぼぅ)ですな、突棒(つくぼぅ)刺股(さすまた)と言(い)ひますな、彼(あ)の棒(ぼぅ)を用(もち)ゐる。西洋(せいやぅ)の小説(せうせつ)を讀(よ)んで見(み)ますと棒使(ぼぅつか)ひの名人(めいじん)が出(で)て來(き)ますが、西洋(せいやぅ)でも棒(ぼぅ)を珍重(ちんちよぅ)したものです。其棒(そのぼぅ)を使用(しよぅ)してやります。そこで不思議(ふしぎ)な事(こと)がある。何(なに)が不思議(ふしぎ)かと云(い)ふと、さういふ風(ふぅ)に決鬪(けつとぅ)を每日(まいにち)のやぅに興行(こぅぎゃぅ)するにも拘(かゝ)はらず人(ひと)が死(し)なないのです。死(し)んだ例(れい)がない。百年(ひやくねん)の間(あひだ)に唯一人(たゞひとり)死(し)んだ。夫(それ)は膝(ひざ)脹脛(ふくらはぎ)を斬(き)られてパクリと創口(きずぐち)が開(ひら)いたのです。それだけの傷(きず)です。何(なん)でもない、—何(なん)でもなくはないけれども生命(いのち)に別條(べつでぅ)がない(の)です。ないけれどもそれから毒(どく)が這入(はい)つて死(し)んだ。それが唯一(ゆいゝつ)の場合(ばあひ)です。其外(そのほか)に死(し)んだ奴(やつ)はない。大抵(たいてい)眉間(みけん)に傷(きず)を付(つ)けられたり、腕(うで)をやられましたり、いろ/\なことをやりますけれども死(し)なゝいです。死(し)ぬ程(ほど)はやらない。死(し)ぬ程(ほど)やらないといふのは相談(さぅだん)づくでやつて居(ゐ)るかといふと、何(なん)だかそれが分(わか)りませんけれども、死(し)ぬほど深(ふか)くもやらない、又(また)やる積(つも)りもない。さういう興行物(こぅぎやぅもの)をして人(ひと)の目(め)を引(ひ)く爲(ため)にやりますから殺(ころ)さないです。そこで一遍(いつぺん)傷(きず)を受(う)けると鉢巻(はちまき)をして出(で)て來(き)まして復(また)やる。仕舞(しまひ)には死(し)ぬまでやるかと思(おも)ふと死(し)ぬまでやらないで何時(いつ)か止(や)めて仕舞(しま)ふのです。
註20: 下記ウェブサイトが「クォータスタッフ」なる武具の参照になる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Quarterstaff
それで Richard Steele [註21] といふ英吉利(イギリス)の文學者(ぶんがくしや)—十八世紀(じふはつせいき)の文學者(ぶんがくしや)—其人(そのひと)の書(か)いた Spectator [註22]、御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り、Addison [註23] が書(か)いたので、其中(そのなか)の或(ある)場所(ばしよ)を Steele が手傳(てつだ)つて書(か)いてあります。が其(その) Spectator に擊劍家(げきけんか)の事(こと)がかいてあります。Hockley-in-the-Hole の傍(かたはら)の beer hall みたやうな所(ところ)へ先生(せんせい)[註24]が這入(はい)つて酒(さけ)を飮(の)んで居(ゐ)ると、其處(そこ)へ二人(ふたり)の擊劍(げきけん)使(つか)ひが來(き)た。さぅしてお互(たが)ひに話合(はなしあ)つて居(ゐ)る。何日(なんにち)の何時(なんじ)に御前(おまへ)と何處(どこ)で立合(たちあ)はぅなどと言(い)つて居(ゐ)た。宜(よろ)しい、そこで傷(きず)は僕(ぼく)が受(う)けるか、君(きみ)が受(う)けるかと相談(さぅだん)して居(ゐ)る。僕(ぼく)が受(う)けると片一方(かたいつぽぅ)の奴(やつ)が言(い)ふ。但(たゞし)餘(あま)り深(ふか)く斬(き)つて貰(もら)つては困(こま)る。好(い)い加減(かげん)に切(き)つて吳(く)れる以上(いじやぅ)は僕(ぼく)が傷(きず)を受(う)ける番(ばん)にならぅといふことを相談(さぅだん)し合(あ)つて居(ゐ)たとありますが、それは内幕(うちまく)を發(あば)いて或(あるひ)は諷刺的(ふうしてき)の事(こと)かも知(し)れませんけれども、兎(と)に角(かく)一人(ひとり)も長(なが)い間(あひだ)に死(し)んだ者(もの)がないといふ所(ところ)を思(おも)ひますと、そんなことがあつたかも知(し)れない。是(こ)れが人間(にんげん)を鬪(たゝか)はせる娛樂(ごらく)のー(ひと)つでありますが、人間(にんげん)もさぅなると動物(どぅぶつ)見(み)たやぅなものであります。
註21: Sir Richard Steele (1672-1729) のこと。
註22: 1711年から1712年にかけて発行された日刊誌 The Spectator のこと。
註23: Joseph Addison (1672-1719) のこと。
註24: この場合の「先生」は教員ではなく、殿方(とのがた)程度の意。
其次(そのつぎ)には女(おんな)です。其女(そのおんな)の扮裝(ふんさぅ)を見(み)ると、肉襦袢(にくじゆばん)見(み)たやうな極(ご)く體(からだ)ヘピタツとくつ着(つ)く jacket を着(き)て、西洋(せいやぅ)の女(おんな)は御承知(ごしよぅち)の通(とほ)り、長(なが)い裾(すそ)を引摺(ひきず)つて居(を)ります。あんな物(もの)を着(き)て居(を)つては迚(とて)も出來(でき)ませぬから、短(みじか)い裳(しやぅ)を着(つ)けて、それから又(また)ズボンのピタツと着(つ)く物(もの)を着(き)、白(しろ)い靴足袋(くつたび)を履(は)き、その下(した)へ以(もつ)て來(き)て pumps と言(い)ひまして、護謨(ゴム)の靴(くつ)を穿(は)く。是(こ)れは自由自在(じいうじざい)に動(うご)ける爲(ため)、今(いま)舞踏(ぶたふ)をする時(とき)に穿(は)くやぅな靴(くつ)です。其靴(そのくつ)を穿(は)いて女(おんな)が御互(おたが)ひに名乘(なのり)を揚(あ)げて、吾輩(わがはい)—吾輩(わがはい)とは云(い)ひますまいが、私(わたくし)何(なに)の某(なにがし)は誰某(だれがし)と喧嘩(けんくゎ)をしました、と斯(か)う云(い)ふ。それで殘念(ざんねん)で堪(たま)りませんから公衆(こぅしゆぅ)の面前(めんぜん)で決鬪(けつとぅ)をして恨(うら)みを晴(は)らさぅと思(おも)ふ。若(も)し引受(ひきう)けるならば何日(なんにち)の何時(なんじ)に何處(どこ)そこまで來(こ)い、といふ斯(か)ういふ申込(まぅしこ)み廣吿(くゎうこく)ですよ。廣吿(くゎうこく)へ申込(まぅしこ)みが出(で)て居(ゐ)るといふと、それに對(たい)する答(こたへ)がチヤンと出(で)て居(ゐ)る。其答(そのこたへ)には、其(その)申込(まぅしこ)みは快(こゝろよ)く承諾(しよぅだく)する。私(わたくし)も今(いま)まで人(ひと)と喧嘩(けんくゎ)をしたけれども敗(ま)けた事(こと)はない。今度(こんど)あつた時(とき)には言葉(ことば)よりも blow (=一撃)を餘計(よけい)與(あた)へてやらぅ、といふことが書(か)いてあるのです。大變(たいへん)な女(おんな)です。それでイザといふ場合(ばあひ)に女(おんな)が出(で)て來(き)て擲(なぐ)り合(あ)ひをする(ん)ですな。マア何(なん)と言(い)つて宜(よろし)いか分(わか)らない。可笑(おか)しなことには其女(そのおんな)が掌(てのひら)へ金(かね)を入(い)れて握(にぎ)つて居(ゐ)る。握(にぎ)つて居(を)つて若(も)し金(かね)を落(おと)すと其方(そつち)が敗(ま)けになる。それは女(おんな)は一體(いつたい)猿(さる)の性分(せうぶん)を承(う)けて引掻(ひつか)く方(ほぅ)が得意(とくい)ですから、引掻(ひつか)かしてはいけない。拳固(げんこ)でやらなければいけない。卽(すなは)ち拳固(げんこ)を使(つか)はない虞(おそれ)があるから金(かね)を掌(てのひら)に入(い)れまして、どぅしても爪(つめ)を使(つか)はないやぅに、掌(てのひら)を開(あ)けるが否(いな)やそれが敗(ま)けとなるといふ趣向(しゆかぅ)です。時(とき)には夫婦(ふぅふ)共(とも)に喧嘩(けんくゎ)をすることがある。是(こ)れは夫婦(ふぅふ)喧嘩(げんくゎ)ではない。相手(あいて)が夫婦(ふうふ)、此方(こつち)も夫婦(ふぅふ)、夫婦(ふぅふ)共稼(ともかせ)ぎに喧嘩(けんくゎ)をすることがある。(笑聲起る) それも例(れい)が出(で)て居(ゐ)る。夫等(それら)がマア此(この) Hockley-in-the-Hole といふ所(ところ)でやつた娛樂(ごらく)のおもなるもので其他(そのた)まだ御話(おはなし)することはないのでもないのですが、・・・・・・是(こ)れだけでは未(ま)だ短(みじか)いですな。するといふと、モウ少(すこ)し何(なに)か御話(おはなし)をしたいがどぅもいけないな。そろ/\本(ほん)を見(み)る。(笑聲起る)
後篇( https://sites.google.com/site/xapaga/home/amusementsoflondon3 )へ續く。