西曆2017年 8月終わり~10月下旬 個人電子書簡(Greetings from Europe, etc.)

2017年8月30日(水)

〇〇さん

>スイスで1ヶ月くらい過ごすのですか?

いいえ。スイスを拠点にしてヨーロッパを東西自由自在に動きます。しかしながら今日は単に一日がかりでボーデン湖(独 Bodensee ボーデンゼー; 英称 Lake Constance)の周囲を鉄道で乗換えに次ぐ乗換えで旅行しただけです。

>今はスイスのどこにいますか?

スイスとドイツの区別がほぼ付かないようなクロイツリンゲン(Kreuzlingen)という小さな町に19年ぶりに泊まっています。ここはドイツ領のコンスタンツ(Konstanz; 英称 Constance)という地方都市と双子の町(独 eine Zwilingsstadt アイネツヴィリングスシュタット; 英 a twin town)を形成しています。コンスタンツはドイツ領でありながら東西南の三方をスイスに囲まれ、北をボーデン湖に囲まれているため、第二次世界大戦中に米英連合国軍の空爆を逃れ、お蔭で古い建物が残っています。

明日(水曜)はスイスの最大都市チューリッヒから夜行列車に乗ってハンガリーの首都ブダペスト(実際の発音はダペシュト)へ移動する予定です。

原田俊明

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2017年8月31日(木)

〇〇さん

>ブダペストで温泉に入るのですか?

良い質問ですね。実は昨日(水曜)は昨日でドイツのボーデン湖温泉(Bodensee Therme)に入りましたが、午後に入ったのは失敗でした。濡れたタオルと水着(海パン)を持った状態で夜行列車に乗る羽目になりました。今朝(木曜)は夜行でブダペシュト・ケレティ(ブダペスト東)駅に到着するや、更に東へ行く夜行列車の切符を手配し、市内地下鉄24時間切符を購入。その足で現地通貨(HUF: Hungarian forint)を一銭も持たずにセーチェニュ温泉(Széchenyi fürdő)に浸かってきました。全部 Visa card が使えるので助かります。そして今は街一番の有名カフェであるジェルボー(Gerbeaud)で現地ビール(ハンガリー国内ならどこにでもある Dreher)と現地の白ワインと赤ワインの飲みに入りました。食事はサラダとサンドイッチしかなく、どれも約1,500円します。東欧とはいえ、さすがにEUですね、この物価は。まあ、無料で wi-fi が使えるので良しとしましょう。

原田俊明

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2017年9月5日(火)

〇〇先生

[前略]

実は暢気にもインド、スイス、ドイツ、墺太利、ハンガリー、ルーマニアを経て、旧ソ連はモルドヴァ共和国首都キシニュウ(Chișinău)市、またはロシア語でキシニョフ(Кишинёв = Kishinyov)市に来ております。現地の発音は「岸尿」とも「岸乳」とも聞こえます。[中略]

昨日(月曜)はEUの辺境ルーマニアのヤシ(Iași; Яссы; Yassy; Jassy; Iassy)市から陸路(鉄道)で国境を越えました。日本国籍者が査証免除(visa waiver; visa exemption)の対象になっていることが国境警備隊に周知されておらず、30分程とんだ騒動になりましたが、何とか入国させてもらえました。陸路でモルドヴァ入りする日本人はまずいないのでしょう。

インドは日本のマスコミや旅行業界が「鉄道王国」と持て囃すだけのことはあり、夜行列車は冷房の効きも良く、寝具もきちんと存って、意外に快適でした。それに引き換え、ハンガリー国鉄国際夜行列車の簡易寝台は地獄を見ました。冷房が効き過ぎるのに窓は開かない、寝具の提供も無しで、震え上がりました。自宅近所のダイソーにて105円で買ったペラペラのレインコートを毛布の代わりに掛けて一応睡眠がとれましたが、105円のコートは通気性ゼロなので、目覚めてみれば汗だくでした。ハンガリー国鉄でひどいのは、車掌が怠慢でほぼ何もしないことをハンガリー人乗客たちは知っているので、モンキーレンチやスパナなどの工具を持ち込んでいて、自分たちでベッドを器用に組み立ててしまいます。私もハンガリー人乗客の世話になりました。

簡易寝台は懲りて1万3千円以上もはたいてルーマニア国鉄国際夜行列車の1等シングルルームを取りましたが、今度は気温40度以上の蒸し風呂状態で中に居ることができず、車掌に苦情を言うと、「今電気系統のスイッチを入れたので、あと10分もすれば涼しくなる」とのことでしたが、実際には30分以上かかりました。日曜の晩もルーマニア国鉄の国内夜行列車に乗り込みましたが、簡易寝台しかない路線だったので、3段ベッドの最上段に寝る羽目になりました。落ちなくて良かったです。

[後略]

Chișinău にて

原田俊明

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2017年9月7日(木)

〇〇さん

モルドヴァ国鉄国際夜行列車で再度ルーマニア入りして、首都ブカレスト(Bucharest、現地のルーマニア語では București ブクレシュティ)の北駅(Gara de Nord ガーらデノるドゥ: フランス語の Gare du Nord ガーふデュノーふ に酷似(こくじ))に水曜早朝到着しました。外へ出るには早すぎるので、とりあえず駅ナカ McDonald’s で暇を潰しました。日本ではマックを利用することはまずありませんが、途上国では重宝します。マックの無料トイレなら駅の有料トイレより清潔だし、ガラスで囲まれた店内も、スリや違法タクシーの声掛け等の犯罪者の多い駅構内よりも安全です。マックの店内では私のすぐ左手の通路を挟んだ向こう側に、足球ブラジル応援者(football Brazil supporter)のような黄色いシャツを着たイングランド労働者階級男(a working class Englishman)が大きな声で問わず語りをしていました。イングランド人の中でも労働者階級男性だけは聞かれもしない身の上話を赤の他人に話してしまう変な癖があります。

曰く、「そこのサー(sir)、あなたは英語を喋るか。聞いてくれ、あそこに座ってるジェントルマンが酔っぱらって俺にルーマニア語で話しかけてくるんだが、『俺はルーマニア語が分からない』と何度言っても聞き入れてもらえない。頼むからあのジェントルマンにルーマニア語で言ってくれ。俺は1966年に学校を出てだなぁ(註: イギリスで「卒業」の概念があるのは大学のみであり、小中高は単に「学校を去る」のみ。義務教育を終えたのがこの世代では16歳ということを考慮して、この男は1950年生まれの現在67歳と素早く推理が可能。)、英国海軍に入隊した。二十年も軍務に就いていたが、その間にはフォークランド戦争にも出征した。分かるか、英国と南米アルゼンチンの間で起こった1982年の戦争だ。今では6才の孫娘に恵まれているが、俺の息子なんかは英国陸軍の軍曹で、今じゃあアフガンに派遣されてるんだ。ああ、そこのマダム(madam)。あなたは英語を喋るか。あそこに座っているジェントルマンが酔っぱらって俺にルーマニア語で話しかけてくるせいで、俺はこの場をうるさくしている。だからあのジェントルマンに代わって俺が謝罪する。えっ、なんで俺ばかりが謝るのかって? そりゃうるさくしてるからさ。(片付け中のマック店員に向かって)ああ、そこのミス(miss)。あなたは英語を喋るか。ルーマニアに来てから5日になるが、1人としてブスに出くわしたことがない。素晴らしい。彼氏はいるのか。そりゃいるんだよな。あんたの彼氏がうらやましいぜ。」と。

実際にうるさいのは、このイングランド人だけであり、ルーマニア語で捲(ま)くし立てる酔っ払い爺さんの声は偶(たま)に聞こえてくる程度です。また、このイングランド人に話しかけられる現地人(客や店員)はほぼ無言です。言葉の通じない酔っ払い老人にしか相手にされない哀れなイングランド人でした。

首都にて独裁者チャウシェスクが築いた世界で二番目に大きな建物(ちなみに世界最大は通称 Pentagon = 五角形こと、米国防総省)を見学し、列車で1時間半ほど北上してシナイア(Sinaia)という山あいの静かな町に宿泊しました。針葉樹を抜けてくる木漏れ日や風がさわやかです。まるで新幹線が通る前の長野県北佐久郡軽井沢町の舊輕井澤地區(旧軽井沢地区)のような瀟洒な雰囲気です。ここでは昔の王侯貴族の別荘だった建物が現在では博物館やホテルや店舗になっています。そうした建物の一つに泊まっていますが、wi-fi の接続が悪くて困りました。

そして本日(木曜)はシナイアから鉄道で1時間程度北上したブラショフ(Brașov)、ドイツ語名 Kronstadt クろーンシュタット(英直訳 Crown City)に来ています。ドラキュラ(Dracula)伝説で有名なトランシルヴァニア(Transylvania)地方のド真ん中に位置していて、山に囲まれた、なかなか賑やかな都市です。今回はかなり妥協して1泊9,800円もするホテルにしたのに、またしてもwi-fi の接続が悪くて困りました。街中で入ったレストランでメールしています。ここではメニューを開くといきなりハンガリー語で、次にルーマニア語、英語、ドイツ語の順でした。置いているビールは珍しい地ビールで、トランシルヴァニア地方のハンガリー系住民が作っているそうです。そう言えば、ウェイターの2名はもろにハンガリー人の顔をしています。ピューリツァー賞(Pulitzer Prize)を作ったピューリツァー(Joseph Pulitzer, 1847-1911)にそっくりです。この地方の複雑な歴史を物語っています。

>モルドヴァでどんな旅をしているのですか?

首都に一泊しただけです。London Steak House という英国かぶれした店主が経営する店で2日連続で食事をして、Beer House という自家製地ビール屋で現地にしては妙に高いビール(500mlで300円を超える程度)を飲んで、街中を適当に散策しました。

>長旅をしている原田先生に質問なのですが、スマートフォンのポケットWifiなどは持って行ってますか?

いいえ。スマホは日本の自宅に置いた儘(まま)です。セキュリティー機能が皆無なので、危なすぎて海外に持ち出せません。来年1月になったら、ちゃんとしたのに換えようと思います。

>それと、洗濯はどのようにしているのですか?

ホテルの洗面台にてシャワージェルや固形石鹸で手洗いしています。つい2時間ほど前もそうしました。以前は和製英語で言うコインランドリー(英 launderette; 米 laundromat; 独 Waschsalon ヴァッシュザローン)を探したものですが、近頃ヨーロッパではそのような店がなくなりつつあります。イギリスやスウェーデンの場合は友人宅の洗濯機を借りるようにしています。

原田俊明

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2017年9月13日(水)

〇〇〇〇先生

申し訳ございませんが、9月28日(木)まで海外に居ります。そのためご指定の日程でお逢いすることができません。

去る6月28日(水)は公益社団法人オーアーゲー・ドイツ東洋文化研究協会(OAG – Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens)からドイツ人学者(テンプル大学日本校講師も兼任)の〇〇〇〇○〇博士の来客中でしたが、総合教育センター助手の〇〇さんから突如研究室に内線電話が入り、「センター長の〇〇先生が来年度のことでお話があるので総合に来られたし」とのことで、来客には失礼だとは思いましたが、その場で帰っていただきました。

ところが総合教育センターに赴いたところ、〇〇先生は別の会合でお忙しいとのことで、その場で待ちました。ずっと待ちましたが、〇〇〇〇○〇博士と事前に約束してあった上記のオーアーゲー・ドイツ東洋文化研究協会(在東京都港区赤坂)の研究発表会が始まってしまいそうになったため、その日は退勤することにしました。

さぞかしご多忙中のことであろうと拝察したしますが、あれ以来、何ら連絡を戴けなかったのは遺憾に存じます。15分ほどで済むとのことですので、その内容をメールでお知らせいただけませんでしょうか。メールは困るとのことであれば、先生のご都合の宜しいお時間に国際電話いたします。

ハンガリーの都ブダペスト市にて

原田俊明

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2017年9月15日(金)

〇〇さん

ルーマニアは一昨日(火曜)に後にして、今はハンガリー最大の湖であるバラトン湖(Balaton-tó)、英称 Lake Balaton、ドイツ語名プラッテンゼー(Plattensee)の西端に在るケストヘイ(Keszthely)、ドイツ語名ケストヘル(Kesthell)という町に来ています。本日(木曜)は二泊三日の中日(なかび)です。この町はつい先週末までは独墺人やハンガリー人やロシア人で賑わっていたらしいのですが、夏の終わった今となっては多くの宿や店が休業していて、昨晩などはゴーストタウンのような様子でした。しかし裏を返せば、だからこそ簡単に宿の予約が取れたわけです。ゴーストタウンと化した町を歩いていると、営業していてしかも有難いことにVisaカードの使える飲食店を見つけ助かりました。年配のウェイターにバラトン湖地方産の白ワイン、続いて赤ワインをグラスで注文したところ、二回目も白ワインが来ました。いくら英語で red wine と抗議しても通じないので、ドイツ語で Rotwein ゥろーヴァインと言ったら不服そうでしたがすぐに通じました。その前に居た首都ブダペシュト(Budapest)の薬量販店で日焼け止め液を買い求めたところ、やはり年配の男性店員は英語が分からず困っていたので、ドイツ語で言い直したらすぐに通じました。そしてここケストヘイでは個人経営の宿(百年以上前のお金持ちの別荘としての邸宅)に泊まっていますが、経営者の中年夫婦は妻が少しだけ英語ができて、夫は意味は分かるが自分では喋れないとのことだったので、ドイツ語を共通言語(lingua franca)として宿の決め事などを遣り取りしました。やはりヨーロッパでドイツ語の知識は役立ちます(ただ、ルーマニアやモルドヴァではちっとも役立ちませんが)。寂れてしまったこの町に来ている理由、しかも二泊三日過ごしている理由は、中日に6キロほど離れたヘーヴィーズ(Hévíz)、ドイツ語名ホイヴィース(Heuwies)=英直訳 Hay Meadow (「干し草の牧草地」の意)の町に在る温泉湖に浸かるためです。先ほど行ってきましたが、水深38メートルは怖すぎます( https://www.youtube.com/watch?v=xcoFgLBU2IQ )。水温は30度を少し超える程度で、風が吹いて寒いです。もちろん有料の浮き輪を借りましたが、弱気になって「泳げない人用」の風船方式の浮き輪を借りたのは失敗でした。「泳げる人用」の発砲スチロール組み立て式の方が進行方向の制御が効いて良かっただろうなと後悔しました。戸外は恐ろしくなってすぐに切り上げ、湖の真ん中の水上ハウス内の温泉に浸かりましたが、実はこちらも湖の上に屋根を付けただけなので、水深は同じく38メートルです。しかしながら人工的に摑まる所を設けていたり、水中マッサージ器なども付けていて、また、一番温度の高い所で35度ぐらいあり、湖そのものよりも良かったです。でも足が床に届かないのは恐ろしいです。やはり私のような軟弱者は首都ブダペシュトのセーチェニュ温泉(Széchenyi fürdő)が好きですね。

>30箱くらいのダンボールが家に届き、今日からちょくちょく梱包作業です。わたしのマンションにあるものは全て実家に送ることとなり、トータルで18万ほどで高すぎて涙出そうでした。他の引越し会社にも見積もりをとってもらったのですが、そこの会社は28万でした。ケチな会社です。

引越しはカネと労力が吸い取られ、それはそれは大変ですよね。3号館5階から6号館(旧称 大学2号館東棟)5階への学内引越しは一大引越しシーズンの3月ということもあって業者の言いなりにならざるを得ず、6万円+消費税をがっぽり取られました。[中略] イギリスの寮を引き払ったときは、20キロ(内容はほぼ書籍と書類と衣類)×4箱=計80キロとなりましたが、イギリスの業者は信じがたいほど良心的で、「東京港まで」という条件付きながら当時のレートでたったの1万5千円しか請求されませんでした。船便で、途中シンガポール港に留め置かれるなどして、4ヶ月以上かかって東京港の倉庫業者から荷物を預かっているという内容の手紙が届きました。この業者の事務所に行き、荷物の保管代金として二泊三日分として2万円以上払いました。日本の業者は高いと痛感しました。あとは当時健在だった父に手伝ってもらって東京税関の通関手続きを済ませ、自宅の普通乗用車で全部運ぶことができたのは、今から20年半以上前の思い出です。

話は戻りますが、今泊まっているこの宿は19世紀末か20世紀初頭の欧州文化が最も爛熟(らんじゅく)した時代にお金持ちが建てた別荘(villa)ということもあり、天井が高く、細部にまで職人の丹念な手作業が入っているため見目美しく、居心地が最高です。誰にも邪魔されず、wi-fi も頗(すこぶ)る快適なので、パソコンで BBC Radio 4 (ニュース、天気予報、政治番組、トーク番組、農業番組、ドラマ、文学、クイズ番組等)、続いて同局の Radio 3 (クラシック音楽、たまにジャズ)を聴いています。ここの唯一の欠点は現金しか受け付けないことです。したがってここに長居するわけにはいきません。

原田俊明

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2017年9月18日(月)

〇〇さん

あれからハンガリーを後にして、旧ユーゴスラヴィアの最優等生であるスロヴェニアに入国しました。首都リューブリャーナ(Ljubljana)、独語名ライバッハ(Laibach)を十数年ぶりに訪れて一泊しようとしましたが、あまりの物価高に震え上がりました。東横インに毛が生えた程度の中級ホテルで2万円近くかかります。そこで更に列車に乗り込んで、アドリア海に面した港町コペル(Koper)、伊語名カーポディストラ(Capodistra: 「イストラ半島の岬」の意)に泊まることにしました。前回十数年前に気に入った町でしたが、時間が無くて宿泊を断念した町でもあります。ここでは非常に安く泊まることができ、グラス1杯1ユーロ(130円程度)という異様な安さながら美味しいワインを堪能することができました。翌日はバスでイタリアのトリエステ(Trieste)、独語名トリエスト(Triest)、スロヴェニア語名トゥルスト(Trst: なんと無母音の地名)に入国し、そこから列車を乗り継いで一旦はミラーノ(Milano)、仏語名ミラン(Milan)、英語名ミラーン(Milan)、独語名マイラント(Mailand)に泊まりました。本当はミラノで乗り継いでジェノヴァ(Genova)、英語名ジェノア(Genoa)、独語名ゲーヌア(Genua)、仏語名ジェヌ(Gênes)に泊まるつもりでしたが、列車の遅れで乗り継ぎに失敗したので、予定を変更してミラノの駅中レストランで夕食を摂りつつ wi-fi を使わせてもらっていち早くミラノ中央駅附近のホテルに予約を入れ、そこに泊まることにしたのでした。実はコペルに引き続き、ミラノでも大変な雷雨に遭遇したのは忘れ難い思い出です。今朝(日曜)は天気が良く、ほぼ二十年ぶりぐらいでミラノの中でも世界的に有名なドゥオーモ(Duomo: 「大聖堂」の意)広場やガッレーリア(Galleria)という名の豪華なアーケード街を見物してから、列車で移動してジェノヴァの街を歩き、カフェにて簡素な昼食を摂りつつ、wi-fi を使わせてもらって、サヴォーナ(Savona)、仏語名サヴォヌ(Savone)のホテルを予約しました。一部区間で列車の車窓から青い地中海が見えましたが、このホテルから海はやや遠いです。すぐ隣にSushikoという名の食べ放題回転ずし店を見つけ、ウェイトレスと話をしてみましたが、インチキそうなのでやめました。ホテルに戻り、ホテル内のまともそうなリストランテ(ristorante: 「レストラン」の意)で夕食を摂ることにしました。隣のテーブルのスイス人の老婦人とその息子という二人組とずっとドイツ語で話し込む羽目になってしまい、しかもスイス独語は聴き取りが大変でしたが、ウェイトレスのおばさんにはイタリア語での遣り取りという具合に頭が疲れてこんがらがり、うっかりドイツ語で注文する一幕もありました。そうこうするうちに中国人の大きな団体がやってきましたが、案の定、スイス人には日本人との区別がつかないそうです。もう少ししたらフランスに入国し、それからスペイン(但し、住民の多くが独立を望んでいるカタルーニャ州)のバルセロナで演奏会を聴く計画です。

>先生がヨーロッパに行くときにお金はいつの段階でユーロに換金しますか?

以前は現地のATMから24時間いつでも引き出すだけでしたが、2013年ロンドンでちょっとした事件( https://sites.google.com/site/xapaga/home/londonincident2013 )に巻き込まれたため、成田または羽田の空港内の銀行支店で出発直前に5万円程度をユーロとスイス・フランと米ドルに分けて両替するようにしています。日本円は日本国外の金融機関では受け付けてもらえない、良くてせいぜい不当に低く評価されるのが常なので、海外では一銭も持ちたくありません。そこで空港の両替所で余った数百円は米1ドル紙幣に両替し、それでも余った10円玉や1円玉はチャリティーボックスに入れてきてしまいます。日本円の硬貨(コイン)の安っぽさ、ちゃちい作りは、とても先進国とは思えません。

旅での出費はなるべくクレジットカードで済ますようにしていますが、それでもハンガリーのケストヘイ(Keszthely)の個人経営ヴィラのように現金しか受け付けない所もまだあり、現金はどんどん目減りします。ロンドンでの事件以来、なるべく銀行が営業している時間帯にその銀行のATMから(ホテルや一般店舗でなく銀行のATMから)のみ引き出すようにしています。今回の大旅行ではただ一度だけスロヴェニアの首都リューブリャーナの銀行で100ユーロ(約1万3千円の筈(はず)がレートが悪く1万3千8百円以上)を引き出しました。

>先生のようにユーロが通貨ではないヨーロッパ圏に行ったときは現地の銀行やらで現地の通貨にかえるのですか?

今回の旅行では、インド、スイス、ハンガリー、ルーマニア、モルドヴァが非ユーロ圏です。インドでは米ドルからの現地両替、スイスだけは羽田空港で事前にスイス・フランを入手、ハンガリーとルーマニアではユーロからの現地両替、モルドヴァでは隣国のルーマニア・レイ(RON: Romanian lei)からの現地両替です。ルーマニアでは最後に余ったルーマニア・レイを隣国のハンガリー・フォリント(HUF: Hungarian forint)に両替したかったのですが、銀行でフォリントの現金は切らしていると言われたので、仕方なくユーロに再両替しました。こんな具合に現地の事情に合わせてやり方を変えています。

[後略]

イタリア北西部のサヴォーナにて

原田俊明

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2017年9月27日(水)

〇〇先生、〇〇先生

日本は少しは涼しくなりましたでしょうか。

実を申しますと、インド脱出に成功した後は日本に帰らず性懲りもなくチューリッヒを出発点と終点にして欧州を東へ西へと動き廻っておりました。今回はスイス、オーストリア(日帰り)、ドイツ(日帰り)、ハンガリー、ルーマニア、旧ソ連のモルドヴァ、再びルーマニア、再びハンガリー、スロヴェニア、イタリア北部、フランス南部、モナコ公国(日帰り)、再びフランス南部、アンドラ公国、スペインのカタルーニャ自治州、再びフランスを訪れ、教育会議に備えるべく出発点のスイス独語圏に戻りました。

ここスイスはスパゲッティ一皿の相場が約2,500円、東横インに毛の生えた程度の中級ホテルが地方都市で2万円、有名都市で2万5千円以上という恐ろしい物価の土地柄で、私は震え上がっております。欧州最後の晩(火曜)はカネを節約すべく、ユーゲントヘアベルゲ(Jugendherberge: 英語で言う youth hostel)の二段ベッドです。

先般はモルドヴァ共和国への鉄路での入国に際し、日本国籍者のヴィザ無し入国が既に認められていることを国境警備隊が知らないらしく、30分ほど拘束されました。こちらは何も悪いことをしたわけではないので、「首都キシニョウの日本大使館に電話してくれ」などと言って粘りました。やがて先方も間違いに気づいたらしく、なんとか無事に入国させてもらえました。ただ、向こうも当初の間違いを認めたくないらしく、変てこな書面への署名を要求してきて、「あなたが今回初めてだからこうなった。」などと意味不明なことを言ってきました。

今回の欧州紀行での最東端がこのモルドヴァの首都キシニョウ(Chișinău)、露語名キシニョフ(Кишинёв = Kishinyov)で、最西端がアンドラ公国の首都アンドラ・ラベリャ(Andorra la Vella)、西語名アンドラ・ラビエハ(Andorra la Vieja)、仏語名アンドル・ラヴィエイユ(Andorre la Vielle)=英直訳 Andorra the Old でした。

アンドラ公国はまさに「西欧最後の秘境」とでも呼びたくなるような辺鄙な所にありました。南仏プロヴァンス地方の世界遺産都市アヴィニョン(Avignon)からほぼ12時間かけてローカル線と最終的にはバスを乗り継いで首都アンドラ・ラベリャに辿り着きました。最後に降りたフランス国鉄の駅 L’Hopitalet-près-l’Andorre(アンドラの近くのオスピタレ)は山里の寂れた駅で、駅の近所に二軒しかないバルのうちの一軒だけが辛うじて営業していたので、店主の老夫婦とテレビのクイズ番組を見ながら黙って1時間半ほど暇を潰すことができました。アンドラ行きのバスのネット上の公式時刻表では19:45オスピタレ発、21:05アンドラ・ラベリャ到着となっていましたが、オスピタレ駅の仏国鉄職員は19:20発だと主張しました(ド田舎なので最初からフランス語で訊きましたが珍しく英語で答えが返ってきました)。19:20は接続するトゥールーズ(Toulouse)からの列車が到着する時刻です。果たしてアンドラ行きのバスは19:00に駅前にやって来ました。列車から降りてくる客の一部を乗せると19:30に出発してしまいました。公式時刻表を信じてバルのうちの一軒で時間を潰していると危ういです。バスに乗り込みと僅か10分ほどで国境を越え、アンドラの首都への到着は20:20でした。50分しかかかっていないわけで、公式時刻表の1時間20分とは大違いです。早くに着いたのは良いとして、冷たい雨の降る夜の街中に放り出される格好になり、困り果てました。そこで偶々一緒に降りた地元アンドラ人青年を頼ることにしました。「英語は少ししかできない」とのことで、代わりにフランス語で大体のオリエンテーションを聞き出すことができ助かりました。免税品販売を国策にしているため、首都の街中は高級香水店、高級酒店、時計店が目立ち、郊外には大型家電販売店といった感じです。想像していたよりも洗練された街並みですが、20世紀末か21世紀初頭辺りに建築ブームがあったらしく、新しい建物ばかりです。そういう意味では他の欧州諸都市のような歴史文化遺産を見物する面白さには欠けます。

[中略]

アンドラ・ラベリャから先週土曜に南下して、ぴったり3時間でスペイン領カタルーニャ自治州の州都バルセロナ(Barcelona)に到着しました。道中は絶景の連続で興奮しましたが、カタルーニャ独立派の旗や、カタルーニャ語とスペイン語の両方で Yes を意味する Sí (なお、イタリア語では Sì)と書かれた旗をあちこちで見かけました。要するに今度の独立の是非をめぐる住民投票で Yes に投票しようということらしいです。バルセロナでは私がヴィーン楽友協会黄金の間(Goldener Saal des Wiener Musikvereins)と同じぐらいに気に入っているカタルーニャ音楽宮殿(Palau de la Música Catalana)にてベヱトホオフェン大先生の第九を聴くことができました。指揮者以下全員が私服で(但し、concert mistress だけは夜会服風の黒ドレス)、まるで公開リハーサルを見ている感じでした。それにしても驚くべき演出で、まずはスコットランド系アメリカ人と思しき指揮者が流暢ながらゆっくりめな外国人風の分かりやすいスペイン語で挨拶し、短く地元のカタルーニャ語でも挨拶して会場を沸かせ、英語では一言だけ、We’re gonna make an exciting night! と言ったかと思うと、再びスペイン語で結びました。そのすぐ後に太鼓の若者八人組を登場させ、会場の空気が熱くなりました。次にベヱトホオフェンの前座として地元作曲家による南米のサンバと19世紀ロマン派と20世紀映画音楽の融合のような音楽を聞かされ( http://www.palaumusica.cat/prog-ma-novena-beethoven_536323.pdf )、当の作曲家が舞台で聴衆の拍手に応えてから、その後でやっと第九となりましたが、第一楽章が終わると例の若者八人組がまた太鼓で騒いでくれて、第二楽章が終わったところで20分の休憩と来ました。第三楽章が終わったところでもやはり若者八人組がまた太鼓で軽く騒ぎ、第四楽章の合唱は舞台で聴衆に混じっていた私服の人たちが起立して歌い出しました。公演が無事に終わりました。これで終わりかと思いきや、standing ovation していた聴衆が「カタロニア讃歌」(昭和期にはカタルーニャではなく、カタロニアと書いていましたね)とでも呼ぶべき熱い合唱を自然発生的に始めました。スペインからいざ独立!というわけです。動画を撮ったのでご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=GsBv4mWhIuk

そうこうするうちに日本国外務省(MOFA of Japan)のメルマガが届きました。

Subject: カタルーニャ州における「州民投票」に伴う注意喚起

From: 在バルセロナ日本国総領事館

Date: 2017/9/26, Tue 11:15

スペイン:北東部カタルーニャ州における「州民投票」に伴う注意喚起(新規)

【ポイント】

●10月1日(日),スペイン北東部カタルーニャ州において,カタルーニャの分離独立の是非を問う,いわゆる「州民投票」が実施される可能性があります。同日に向けて,「州民投票」を実施しようとする州政府や分離独立派とこれを阻止しようとするスペイン中央政府や分離独立反対派の間で衝突や混乱が生じる可能性があります。

●10月1日やその前後の期間において,多くの人が集まる投票所や集会場,行政機関等には近づかないでください。また,不測の事態に巻き込まれることのないよう,最新の関連情報の入手に努めてください。

【内容】

1 スペイン北東部カタルーニャ州では,州政府及び州議会がカタルーニャ分離独立運動を進めており,州政府は州議会が可決した「州民投票法」等に基づいて10月1日(日)にカタルーニャの分離独立の是非を問ういわゆる「州民投票」を実施する方針です。これに対して,スペイン中央政府は,憲法裁判所による「州民投票法」等の執行停止命令を得て,「州民投票」は違法であるとして,その実施を認めない方針です。

2 このため,「投票日」とされる10月1日に向けて,バルセロナ市を中心に,「州民投票」を実施しようとする州政府や分離独立派とこれを阻止しようとする中央政府や分離独立反対派の間で緊張が高まっており,衝突や混乱が生じる可能性があります。

3 つきましては,10月1日やその前後にカタルーニャ州に渡航・滞在される方は,安全に注意する必要があることを認識し,最新の治安情勢等,渡航・滞在先について最新の関連情報の入手に努めてください。また,不測の事態に巻き込まれることのないよう,次の点に留意してください。

(1)集会または行進等が行われている場所及び関連施設に近づかない。

(2)仮に投票が行われる場合には,投票所及び開票所に近づかない。

(3)州民投票に係る不用意な言動や議論は慎む。

(4)ラジオ・テレビ・インターネットなどを通して,最新かつ正確なデモ・集会及び治安状況に関する情報の入手に努める。

(5)万一,デモ等に遭遇した場合には,速やかにその場から離れる。

(後略)

ところで〇〇先生、少々以前のことになりますが、喜歌劇『ミカド』の東京公演は如何でしたでしょうか。私は一足お先に滋賀県立びわ湖ホールにて同じ演出で観ておりました。日本語で何の説明もなく『ミカド』の面白さを伝えるのは大変なことだと痛感しました。

チューリッヒにて

原田俊明

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2017年10月16日(月)

〇〇さん

東京も(それに埼玉県さいたま市も)ここ数日はそちらヴェーンクーヴァー(Vancouver)のように冷たい雨が降りっぱなしです。但し、豪雨というわけでもなく、ただ休みなく小規模または中規模な雨が続いています。先週は気温が摂氏30度からいきなり14度という急激な、まるで8月に訪れたインドを思わせるような劇的展開があったばかりです。暑がりな私には涼しくて有難いのですが、外出は雨のためちょっと面倒です。昭和期の十月は抜けるような青空だったのですが、気象変動(climate change)の威力恐るべし! Heat Tech と言えば先月のこと、南仏はコートダジュール(Côte d’Azur: 「紺碧海岸」の意)に三方を囲まれ、南は地中海に面したモナコ公国を日帰りで訪れたところ、冷たい雨に降られて気温は摂氏9度(9 degrees Celsius)にまで下がりました。強い風も吹いたので、体感温度はもっと低かったと思います。そんな中、長袖長ズボンを南仏の宿に折悪しく置いてきていて、半袖半ズボン姿だった私は物価の高い同国にて、モナコ海洋博物館の土産物の一つであるヒートテック風の上着を買いました。なぜかスウェーデンのブランドでしたが、やはり中国製です。衣服の中ではここ二十年で最も高い買い物をしたように思います。まぁ高いだけあって、物は非常に良いようです。

>授業資料( https://sites.google.com/site/xapaga/home/kaikyu )にあった「イギリスでは上の階級ほど珈琲を好むが、フランスでは上の階級ほど紅茶を好む」とはビックリです。イギリスのジョージ王子やキャサリン妃などは珈琲でしょうか。

ジョージ王子(Prince George of Cambridge, b.2013)はまだ満4才なので、カフェイン飲料への嗜好は無いものと思われます。父親のケイムブルヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)と、その妻ケイムブルヂ公爵夫人キャサリン(Catherine, Duchess of Cambridge, b.1982)さんの嗜好は知りません。が、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)の宮中晩餐会の席では最後に珈琲(coffee)を飲むものと私は理解しています。

なお、日本のマスコミは「キャサリン妃」などと書き立てますが、これは誤りです。キャサリンさんはミドルトン(Middleton)家という庶民階級の家から嫁いだため、ファーストネームの前に直接 Princess を付けた呼び方ができません。どうしてもプリンセスで呼びたい場合は Princess William という具合に「プリンセス+夫のファーストネーム」となります。しかしながら、ウィリアム王子は「ケイムブルヂ公爵」(Duke of Cambridge)の称号を有しているので、キャサリンさんは「ケイムブルヂ公爵夫人」(Duchess of Cambridge)の称号を公的な場で使うことにしています。

「プリンセス+夫のファーストネーム」のパターンでは、数年前に昭和ボストン(Showa Boston Institute for Language and Culture)を訪れて当時の同校学長プロヴォスト博士(Dr. Ron Provost)と会見したケント公マイケル王子(Prince Michael of Kent, b.1942)の妻の例があります。マイケル王子は現女王の従弟(いとこ)です。この妻ケント公爵夫人マイケル王子妃(Princess Michael of Kent, b.1945)は実の名をマリー・クリスティーネ(Marie Christine)といい、ドイツのライプニッツ男爵(Baron von Reibnitz)家に生まれたものの、米国テキサス州の石油王(a Texan oil tycoon)のところ、つまり英国上流階級から見ると成金庶民階級のところに一度嫁いで離婚していたという経緯があります。こうなるとドイツの男爵家から直接ではなく、テキサスから嫁いできたということになり、庶民から成り上がったという解釈になります。だから「マリー・クリスティーネ妃」という呼び方ができないのです。

逆にウィリアム王子の母親、故ダイアナ妃(the late Princess Diana of Wales, or Diana, Princess of Wales, 1961-97)はイングランドの名門貴族スペンサー伯爵(Earl Spencer)家の出身なので、ファーストネームの前に Princess の称号が付けられました。離婚成立後に日本のマスコミは「ダイアナ元妃」と呼びましたが、実はこれも誤りです。王室とダイアナ妃の話し合いの結果、離婚後もウェールズ大公妃(Princess of Wales)の称号は剝奪(はくだつ)されないとしたからです。

>珈琲の方が高いのでしょうか。

イギリスでは珈琲の方が貴重品で、飲食店ではメニューの下の方に書かれていて、高い値段設定になっています。フランスでは全く逆で、紅茶がそのような扱いになっています。

>green teaの文化でありながら珈琲好きの人が多い日本は、外国から入ってきた物が好きということでしょうか。

そうです。昭和期の日本語で舶來崇拜(舶来崇拝: はくらい すうはい)と言います。それを言ってしまえば、緑茶も漢字も仏教も、もとは舶来物です。

研究室にて

原田俊明

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2017年10月18日(水)

〇〇先生

>それにしても、academy = 学会、芸術院、権威集団

> academy = 淫売宿

>というのが好きです。英語のダブル・ミーニングには、よく笑わせられますが、これは、傑作ですよね。

なんと academy にそんな「院売屋度」ではなくて(近頃の漢字変換機能は差別語に対して神経過敏なあまり誤字のオンパレードです)、「淫売宿」などという意味がありましたか! 知っているつもりの単語に限って実は怖いものがありますね。不勉強を恥(愧? or 羞?)じるばかりです。

研究社 『英和大辞典 第6版』(2002年)や、況(いわん)や同社の『新英和中辞典 第7版』(2003年)などには件の「淫売宿」の定義が漏れています。研究社 『リーダーズ英和辞典 第3版 +プラス』(2012年)有料ウェブ版( https://kod.kenkyusha.co.jp/service/ )に漸く見つけました。曰く、「《俗・古》 娼家, 淫売宿.」と。

『オクスフオッド英語辞典』(OED: Oxford English Dictionary, 1989)12巻本でも、況や『簡略版オクスフオッド英語辞典』(SOED: Shorter Oxford English Dictionary, 1993) 2巻本でも見つかりませんでしたが、ウェブ版OED 【学内専用】( http://www.oed.com/view/Entry/891?redirectedFrom=academy#eid )には最下部の定義として載っていました。勝手にコピペしますが、例文は十七世紀と十八世紀に限定されています。

†6. slang. A brothel. Obs.

[1621 J. Fletcher et al. Trag. of Thierry & Theodoret I. ii. sig. C An Academ,..In which all principles of lust were practis'd.]

1650 H. Neville Newes from New Exchange 2 These two are the only pillars of Nobility and Hospitality; who, to breed up the young Fry in the Misteries of the Sexe, have erected an Academy, which is opened every Sunday night at the Countesse of Kent’s and every Thursday at my Lady of Exceter’s.

1699 B. E. New Dict. Canting Crew Academy, a Bawdy-house.

1732 Gentleman's Mag. June 790/1 Diana,..Directress of the Midnight Academy at Vaux-Hall.

1785 F. Grose Classical Dict. Vulgar Tongue Academy, or Pushing School, a brothel. [Also in later dictionaries.]

フランス国立文章及び辞典リソースセンター(CNRTL: Centre National de Ressources Textuelles et Lexicales)のウェブサイト( http://www.cnrtl.fr/definition/acad%C3%A9mie )に転載された 『電算化済フランス語宝典』(TLFi: Trésor de la Langue Française informatisé, 1971-94)のウェブサイト( http://stella.atilf.fr/Dendien/scripts/tlfiv5/advanced.exe?8;s=2139140685; )では、1905年刊行の隠語辞典に載っていることを根拠にして、隠語(argotique)として、Académie d’amour (愛のアカデミー)という熟語の定義を Maison de prostitution (売春家屋=娼家=淫売宿)と説明しています。本学図書館にて紙版 『フランス語宝典』(TLF: Trésor de la Langue Française, 1971) 16巻本でも同内容を確認できました。

ドイツの『ドゥーデン独語大辞典』(Duden - Das große Wörterbuch der deutschen Sprache, 1993-95) 8巻本に「淫売宿」の定義が載っていないところを見ると、ドイツ語の Akademie にそのような意味は無いようです。念のため、評判の良いウェブ上の『和独辞典』(Wadoku - Japanisch-Deutsches Wörterbuch)で「淫売宿」( https://www.wadoku.de/search/%E6%B7%AB%E5%A3%B2%E5%AE%BF )と「娼家」( https://www.wadoku.de/search/%E5%A8%BC%E5%AE%B6 )を検索しましたが、Akademie はヒットしませんでした。

原田俊明

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2017年10月19日(木)

〇〇さん

>バンクーバーはほぼほぼ毎日雨です。風邪を引いたのか、少々鼻声です。

東京も(それに埼玉県さいたま市も)けふ(木曜)も朝から寒々しい雨が降っています。昨日(水曜)少し晴れただけで、ほぼ毎日雨天です。平年の2倍の降水量と半分の日照時間だそうですが、実際に生活しているともっと極端に感じられてしまいます。

>モナコ公国ですか。F1と大金持ちと海のイメージです。あと、タックスヘイブンと言う言葉が頭をよぎりますが、課税がないとはいえ、物価が高いとプラマイゼロではないかと思います。

モナコ公国はギャンブル産業で大儲けしているため所得税をゼロにできるのです。そして自国民に対してはギャンブルを禁止するという賢い政策を採っています。モナコ国民から破産者が出ることを回避しているわけです。日本が今後カジノを合法化した暁(あかつき)には、モナコを見倣(みなら)って「自国民は禁止」にできたら良いのですが、まぁ無理でしょうね。

>イギリスのスーパーで売られている珈琲なども割高なのですか?世界中にあるスターバックスなどはどうでしょうか。

はい。イギリスで珈琲は紅茶に較べて割高です。そして味はあまり良くないです。飲食店も同様です。したがってイギリスでは紅茶を注文するのが無難なのですが、私はついつい珈琲を頼んでしまいがちです。禁断症状というヤツです。既に珈琲依存症(a coffee addict)かも。イギリスの珈琲が美味しくない理由は豆の炒(い)り方や挽(ひ)き方もありますが、実は器具の問題もあります。フランス文化から入って来たカフェティエール(仏 cafetère カフティエーふ; 伊 caffettiera カッフェティエーら; 米 French press =直訳「フランス式圧縮」)を使用する飲食店や一般家庭が圧倒的に多いからです。この器具を使うと、珈琲豆の削り糟(かす)や、珈琲そのものの雑味がカップに注がれることになり、あまり美味しくないのです。フランス本国の飲食店では現在殆(ほとん)ど使われていません。

https://en.wiktionary.org/wiki/cafeti%C3%A8re

https://en.wikipedia.org/wiki/French_press

https://www.amazon.co.uk/Cafeti%C3%A8res/b?ie=UTF8&node=3544839031

https://www.google.co.jp/search?q=cafetiere&client=firefox-b&dcr=0&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwi1npm3r_vWAhWBpZQKHcyhAA0QsAQIKA&biw=1366&bih=628

私は世界74ヶ国を訪れておきながら、スタバ(Starbucks Coffee)に入ったことがあるのは、日本、ドイツ、墺太利、レバノンの4ヶ国だけです。Wi-fiを使わせてもらうのが主な目的です。イギリスのスタバもご多分に漏れず非常に高額らしいです。私がイギリスでスタバに入らないのは、ウェザスプーン(Weatherspoon: 直訳「天気匙」)というパブ・チェーンがどこの街中にもあり、それも朝からイングランド式朝食(English breakfast)などを提供していて非常に重宝しているからです。しかもスタバと違ってアルコール飲料が呑めるのが嬉しいですし、酒を飲まずに日本のファミレス感覚の使い方もまた可能です。一見アル中(a dipsomaniac)風な私でも午前中は酒も飲まずファミレス的な利用です。

>スコットランドの料理、Haggisというものを食べたことがありますか?

はい。もちろん。カナダはスコットランド系の住民が多いので、もしかしたらヴェーンクーヴァー(Vancouver)市内でもハギスを食すことができるのかも知れませんし、スコットランド本国のようにスーパーマーケットにハギスの缶詰が売られている可能性もあります。

00「イギリス文化論」Q&A 2017b 平成29年度後期

https://sites.google.com/site/xapaga/home/igirisubunkaron2017b

(引用開始)

20)イギリスは食事が不味(まず)いことで悪名(あくみょう)高いですが、それでもイギリスの食べ物や飲み物で先生ご推奨の物はありますか? ⇒ はい。まず、[中略] 他にスコットランド(Scotland)では何と言ってもハギス(haggis: 羊の臓物を刻んで胃袋に詰めて煮込んだ料理)とキパー(kipper: 燻製(くんせい)鰊(ニシン))です。ハギスはあまり美味(おい)しくはないのですが、私はスコットランドに着くと、まずはハギスを食べて「はるばる来たぜスコットランド!」と旅愁に浸(ひた)ります。[後略]

(引用終わり)

そうそう、カナダのスーパーマーケットと言えばイングランドのマーマイト(Marmite: フランス語で「鍋」を意味する marmite マふミットが転訛(てんか))という発酵食品が比較的安価で手に入ります。見た目はドロドロのチョコレート原液ですが、味は醤油と味噌と納豆を混ぜこぜにした感じです。原材料は水と人参と玉ねぎとイースト菌です。味噌汁や肉ジャガやスープに隠し味として加えると深みが増して美味しくなります。マーマイトをサンドイッチに挟むとマーマイト兵士(a Marmite soldier)と呼ばれます。日露戦争(Russo-Japanese War, 1904-05)時に出来た征露丸(「露西亞(ロシア)を征服するための丸藥」の意味で現在の正露丸)のように、マーマイトも元来がボーア戦争(Second Boer War, 1899-1902)時の軍隊用だったからでしょう。豪州のヴェヂマイト(Vegemite)は粗悪類似品なので売り場で見かけても無視しましょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Marmite

https://en.wikipedia.org/wiki/Vegemite

>私のステイ先のパパはどうやらどんな訛りの英語でも聞き取れる能力を持っているようで、スコットランドでタクシーに乗った時のドライバーがものすごい訛りの人だったようですが、会話ができたようです。話を聞いていると原田先生と似ている気がしました。

残念ながら私はスコットランド北東部のアバディーン(Aberdeen)方言は一つも理解できません。ちなみに香港島(Hong Kong Island)南西部にもアバディーン(Aberdeen)という地名がありますが、現地語では香港仔(「小さな香港」の意)になっています。

原田俊明

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2017年10月29日(日)

〇〇さん

〇〇〇さんのこと、よく覚えています。日本語もかなり良く出来て頭が良さそうでしたね。

関東地方は先週月曜朝に続いて、この月曜朝にも颱風(typhoon)が直撃する可能性があります。先週月曜1限・2限は休講になってしまい、今度の土曜に補講する羽目になりました。明日(月曜)も休講だと、こちらは大打撃です。

>日本では考えを書いたり発言したりする量が少ないことが想像力が欠ける原因なのでしょうか。先生は外国の人と日本の人を比べてどう思いますか?

日本では型に嵌(は)めて強要・強制する同調圧力(peer pressure)が強く、学校の教員が子供たちに碌(ろく)でもない教育をしているように思います。その典型が近頃英米のマスコミを騒がせているこれ( https://sites.google.com/site/xapaga/home/huffpost2017-10-28 )です。カナダにはまだその余波は届いてないようですね。日本の悪(あ)しき教育の根幹は、comfortability (comfortable であること)とは程遠い conformity (悪い意味での「順応、型に嵌(は)めること」の意)です。〇検の仕事で公立中学校に年に何度か行きましたが(現在は〇〇大学会場に移動してもらいましたが)、壁は北朝鮮並みの空虚で空疎なスローガンばかりでした。校長による墨の字で「個性、自主性、勤勉な学習習慣」などと書かれた隣には、担任の字で「みんなで協力して一致団結」と書かれた脇には、生徒の字で「学級目標 いじめをなくしてみんな仲良く」の隣には「今月の目標 整理整頓、残さず食べよう給食」などとあり、気が狂いそうになりました。在日スコットランド人(現在は中東在住)の〇〇〇の奴がよく言っていました。「日本語が読めなくて本当に良かった!」と。インターネットが普及する以前にイギリスに居た頃、日本語の活字が恋しくなって大学書店内の語学セクションに日本語上級者向けエッセイ集を見つけ、村上春樹の「狭いニッポンそんなに急いでどこへ行く」と題したエッセイを読んで大いに共感したのを覚えています。小中高に較べて大学の教員はもう少しまともだろうと幻想を抱いたこともありますが、少なくとも[中略・改行]

〇〇〇大学のような高水準な高等教育機関だと、日本語学習の教材に日本語母語話者の「国語」を使うところにまで達するわけですね。さて翻(ひるがえ)って、日本の大学の英文科でイギリスの大学入試問題(A Level exams)レベルの英文を扱えるような所はほぼ皆無(全滅)だと考えると、彼我(ひが: 「向こうとこちら」を較べる意)の差に暗澹(あんたん)たる気分になります。

そうは言っても、国語の試験は母語話者にとっても problematic な物があり、

前期10「イギリス文化論」(2017/ 5/23) イングランドの教育制度

https://sites.google.com/site/xapaga/home/education

に書いたように、

A Levels の問題点

英国の著名詩人であり、1955-57年と1985年に計3年間も東京大学(東大)で教鞭(きょうべん)を執(と)ったアントニー・スウェイト(Anthony Thwaite, b.1930; オクスフオッド大学基督教会学寮卒)がマスコミに唆(そそのか)されて、自分の詩が使われた国語(English)の A Level の試験問題を解いてみたが、合格点が取れなかった。上記は、1900年代前半にこのウェブサイトの管理人 xapaga が、在京英国大使館文化部(The British Council Tokyo)にて本人から直接聞いた話である。

似たような話として、日本の小説家であり、英国でも作品が高く評価されている故遠藤周作(えんどう しゅうさく, 1923-96; 灘高等学校卒、慶應義塾大学卒)がマスコミに唆(そそのか)されて、自分の小説が使われた共通一次試験(現在の大学入試センター試験の前身)の国語の問題を解いてみたが、合格点が取れなかった。「このとき主人公はどう思ったか」などという愚問は作者にも解けないとのこと。

仮説としての結論: 入試問題には問題作成者の自己満足の要素がある。

また、

前期13「イギリス文化論」(2017/ 5/30) 英名門オクスブリヂ(牛橋)両大学の入試口頭試問他

https://sites.google.com/site/xapaga/home/cantabvideo

に書いたように、面接試験の問題点もあります。

原田俊明